「美味しいお菓子を作る魔術を教えて欲しい?」
 私は光るネギに向かってそう尋ねた。
「はい、そうなんです。どうしても教えて欲しいんです!」
 するとネギの方からも声が返ってくる。
 予め言っておくが、これは別に、私が幻聴が聞こえる危険な人物だったり、一人二役で人形遊びをする寂しい人物だったりするわけではない。これは『とてもすごいネギ』といって、離れた人と会話するための立派な魔具だ。そのネギを通じて私の弟子の一人、ミカエラと会話しているのである。
「そんな事言われてもねえ……」
 こういってはなんだが、正直なところ面倒くさい。魔術とは複雑であり、それをネギを通じて教えるのは骨が折れる。
「そもそも、なんでそんな魔術を教えて欲しいわけ?」
「実は……」
 ミカエラはゆっくりと事情を説明し始めた。



 実は、最近クラリス……あ、私の友達の名前なんですけど……そうですか、覚えてましたか。とにかく、彼女が屋敷でのお客様に出すお菓子作りを任されるようになったんですよ。
 それで私、味見役として彼女のお菓子を食べる機会が増えたんですけど、それがとっても美味しいんです!彼女の作るお菓子はエヴィリオスで一番美味しいってくらいに!
 え?そんな事はどうでもいい?どうでも良くないですよ!……分かりましたよ、話を進めればいいんですね?
 まあ、それでお菓子作りを任されるようになったのはいいんですけど、最近屋敷を訪れるお客様が増えたし、それに晩餐会の料理を作る手伝いにまで駆り出されるようになっていて……クラリスに少し疲れが見えるんです。
 私たちには普段の使用人としての仕事もありますから、忙しさに目が回りそうで……もちろん旦那様や奥様は無理しないように言ってくれるんですけど、彼女の性格上、大丈夫って言って聞かないんです。
 それで、少しでも彼女を喜ばせたいと思って、たまには私もお菓子を作ってプレゼントしようと思ったんですけど……作ったものを食べてみて、やっぱり彼女のものには敵わないって感じたんです。
 それで落ち込んでたらクラリスに見つかって、事情を話したら……『私はミカエラが側にいてくれて、たまに歌を歌ってくれるだけで十分だよ』って言ってくれたんです。
 それはとっても嬉しくて、胸の辺りが温かくなったんですけど、やっぱりそれだけじゃ私の気が収まらなくて……だから、エルルカに頼んでとびっきり美味しいお菓子を作る魔術を教えてもらって、彼女に食べさせてあげようと……ってエルルカ、聞いてますか?



「……『大罪の器』に関係あることかと思って聞いてみれば、まさか惚気話を聞かされるとはね」
 私は眉間を指で押しながら、なんともいえない感情に包まれていた。
「エルルカ?おーい、エルルカー?」
「あんたねえ!そんなことで私に連絡してきたわけ!?」
 私は思わずネギを掴んでそう叫んでいた。
「そ、そんなことってなんですか!私にとっては大事なことなんです!」
「黙らっしゃい!そのネギには使用回数に制限があるって言ったでしょ!『大罪の器』に関係ないことで連絡してんじゃないわよ!私だって忙しいんだから!」
 そこまで言うと、一旦冷静になるため大きく深呼吸をしたあと、そもそもの根本的な問題を述べた。
「大体、歌にのせた探知魔法でさえ私が直接教えないといけないくらいなのに、口で説明しただけで、できるようになるわけないでしょ」
「うっ……」
 自分でも分かっていたのか彼女の呻き声が聞こえる。
「それに、いくらなんでも魔術でポンッと出したお菓子を手作りとしてプレゼントするのはどうかと思うわよ?市販のお菓子を買ってくるのと大差ないわ」
「そ、それは確かに……そうかもしれません……」
「ほら、大事なのは気持ちって言うじゃない。あんただって別に料理が不得意なわけじゃないんだから、味なんて気にせず作ったものをそのまま渡せばいいのよ」
「うーん、そういうものなのでしょうか?」
 あまりピンときていない様子なのが声色から伝わってきた。人間世界に慣れてきたとはいっても、まだ理解できていないことは多いらしい。
「そういうものよ。もういいわね?切るわよ」
 そろそろ面倒くさくなってきたので強引に切ることにした。
「あ!ちょっとエルルカ!」
「ああ、そうそう。植物に歌を聴かせながら育てたら美味しくなるっいうし、歌いながらお菓子を作れば美味しくなるかもね。それじゃ」
 またかけ直されても困るので適当にそれっぽいことを言って切った。何より、今の私は非常に忙しいのだ。



「もう、エルルカったら……もう少し真剣になってくれてもいいのに」
 私は声の聞こえなくなったネギを見つめながら恨み言を言った。
 まあ切られてしまったものは仕方がない。私は彼女が最後に言った言葉を思い返していた。
「歌……か。本当かどうかは分からないけど、それくらいなら簡単に試せるし、やってみようかな」



 翌日、私はお菓子の材料を買いにアケイドの市場へ行った。洗濯用の石鹸を買いに行くついでだ。
「うーん、それにしても何を作ろうかな……やっぱりブリオッシュが無難だと思うけど、もう一工夫したいというか……」
「あれ?ミカエラじゃないか」
 私が独り言を呟きながら市場で材料を選んでいると、突然男性から声をかけられた。この声はきっと……
「あ、エイン!」
 思った通り、そこに居たのは爽やかな雰囲気の緑髪の青年だった。
 彼、エインは私やクラリスの共通の友人であり、クラリスを助けこの町に来るきっかけをくれた恩人である。
「こんなところで会うなんて奇遇だね」
「ちょっと用事でね。エインこそどうしたの?」
「ああ、今日は休暇を貰ったから、少し買い物にね」
「そっかぁ……お仕事はどう?大変じゃない?」
 エインはこの国、エルフェゴートの軍に所属している。
「ああ、大丈夫さ。まあ別に戦時中ってわけでもないしね。ミカエラこそ、大丈夫かい?歌姫の噂は聞いているよ」
「あはは、まあ色々忙しくはなったけど、大丈夫」
「そうか、それは良かった。それじゃあ、その……クラリスは元気?」
 先程までと違い彼は目をそらして少し恥ずかしげに尋ねてきた。
「うん、元気だよ。ただ最近は忙しくて疲れが見えるんだけど……そうだ!」
 私は思い切って彼に意見を聞いてみることにした。私が大まかに事情を説明すると、彼はとても羨ましそうな顔でこう言った。
「そうか、クラリスのお菓子はそんなに美味しいんだね。俺も食べてみたいよ」
「フフ、それじゃあ今度の休日、宿屋のおかみさんのところに持って行くから、そのときに食べるといいよ。すっごく美味しいから!あ、それで私が作るお菓子の方なんだけど……」
「そうだな……トラウベンの実を使うってのはどうかな?」
「トラウベンを?」
 トラウベンとはこのエヴィリオスにおいてワインの原料や料理などに幅広く使われる房状に実る木の実のことだ。以前私たちが暮らしていたヤツキ村の名産であり、私の大好物でもある。
「あの村での暮らしは、彼女にとっては決して幸せなものじゃなかったと思うけど……やっぱり故郷ではあるし、彼女にとって懐かしい味になるんじゃないかな?アクセントとしても十分だと思う」
 なるほど、確かに私自身も黒ローラム鳥を見るとあまりいい気はしないけれど、昔の頃や彼女との出会いを思い出して懐かしく感じる。
 それにエルルカ曰く植物に歌を聴かせると美味しくなるそうなので、歌いながらお菓子を作るのにもピッタリだろう。
「それいいかも!ありがとう、エイン。助かったよ!」
「ハハ、役に立てたようで良かったよ。それじゃあ、俺はそろそろ行くよ」
「うん、また今度!クラリスのお菓子、楽しみにね!」
 私の言葉に何故か顔を赤くして焦るエインを見送ったあと、彼のアドバイスをもとに材料と石鹸を買って屋敷へ戻った。



「さて、早速始めよっか!」
 一日の仕事を終え、材料を並べて作る準備を整える。今回作るのはトラウベンのジャムを生地に練り込んだブリオッシュだ。
「仕事があるから仕方がないとはいえ、もうみんな寝てるし、歌いながらやるにしてもあまり大きな声は出さないようにしないとね」
 使用人の仕事は主人が寝るまで続く関係上、どうしても一日のうちまとまった時間がとれるのは夜になってからになってしまう。それにクラリスに見つかってしまっては自分も手伝うと言い出しかねない。
 そうならないためにも、ロウソクの頼りない明かりで作らなければならないというハンデはあるが、夜は最適な時間帯だ。
「さて、歌うにしても何の歌がいいかな?」
 先生がつき歌を本格的に学びはじめてから私の歌のレパートリーは大いに増えた。別に何の歌を歌ってもいいのだが、なんとなく適当に選ぶのは食べてもらうクラリスに失礼な気がした。
「一番自信がある『ぜんまい仕掛けの子守唄』の方がいいかな?それとも人気の歌の方が……」
 クラリスの顔を思い浮かべながら何を歌おうかと迷っていると、ふとある歌が思い浮かんだ。
 買い物帰り、夕焼けを背に手を繋いで歩く二人の影。これまでの日々を思い返す一人と、何も言わず歩き続けるもう一人。家の近くに来たとき、無口なその人がぽつんと言った一言は────
 気付けば私はそんな恋の歌を歌いながらお菓子作りをしていた。これ以外にピッタリな歌はないと思ったからだ。



「……できた!」
 数分後、私は完成したブリオッシュを前に満足げに頷く。形は問題ない。あとは味がどうかだが……
「ミカエラ?厨房で何をしているの?」
 突然背中の方から聞こえてきた声に思わず悲鳴を上げそうになりつつ、私が後ろを振り返ると、不思議そうな顔をしたクラリスが立っていた。
「ク、ク、クラリス!?こんな時間にどうしたの!?」
「それはこっちのセリフよ。ふと目を覚ましたらミカエラの歌が聞こえてきたから……」
 なんということだろう。あまり大きな声を出さないように気を付けていたつもりだが、どうやらお菓子作りに夢中になって、使用人部屋に届くほどになっていたらしい。起きてきたのがメイド長のゲルダじゃなくて良かった。
「えっと、実はちょっとお菓子を作ってて……そうだ、ちょうど良かった!今さっき出来上がったところなの、食べてみて」
「もしかしてこの前言っていたもの?いいって言ったのに……でも、ありがとう。それじゃあ、もらうね」
 彼女は私からブリオッシュを受けとると、かぷりと一口食べた。すると驚いた表情でこう言った。
「ミカエラ……とっても美味しいよ!それに、この酸味と甘味……トラウベン?」
「あ!分かる?」
 さすがクラリス、隠し味の名前を的確に言い当てる。
「ええ、それにしても懐かしい……あの村での暮らしは、辛いことも多かったけど、それでも、懐かしい……」
 そう語る彼女の顔は、憂いを帯びながらも決して沈んだ顔ではなくて、純粋に昔を思い返すような表情だった。その顔はとても美しかった。
「それに、トラウベンを見ると思い出すの。少しの間だったけど、家で飼っていたコマドリを。グリオン、元気かな……」
 彼女の言葉にドキリとしたが、それをどうにか顔に出さないようにする。どうやら上手く隠せたようで、特に訝しる様子もなく、彼女は私に向かって微笑む。
「ありがとう、ミカエラ。私を気遣ってくれて。これは、そのお礼」
 そう言うと彼女はポケットから袋に入ったシュトーレンを取り出し、私に差し出した。
「これ……」
「お嬢様へのお菓子を作るのと一緒に作ったの。もちろん、材料は自費だけどね」
「クラリス……ありがとう、食べていい?」
「もちろん」
 彼女の許可を得て一口食べてみると、ほのかな酸味と甘味が口一杯に広がった。
「あ!これって……!!」
「フフ、考えることは同じだったみたいだね」
 そう、彼女もまたトラウベンを使ったお菓子を作っていたのだ。
 私たちはお互いに見つめ合うと、どちらからともなく笑い合った。
「ミカエラ……」
 クラリスが微笑みながら名前を呼んだ。
「ありがとう。本当に、ありがとう」
「ううん。こちらこそ、ありがとう」
 それ以上私たちの間に言葉はいらなかった。あのお菓子に、お互いの想いが詰まっていて、それを食べればまるで魔法のように気持ちが伝わる。そんな風に私は思った。



「そんなわけで、大成功でした!」
「そう、良かったわねー……」
 私は光るネギから聞こえてくる弟子の惚気話に適当に相槌を打つ。まさか前回からそんなに日をまたがず連絡が来るとは思わなかった。
「それにしても、私も自分の作ったブリオッシュを少し食べてみたんですけど、今まで作ったなかで一番でした!」
「へー、そうなのー……」
「やっぱり、歌を聴かせながら作ったからですかね?」
「そーかもねー……」
「……あの、ちゃんと聞いてます?」
「うんうん、聞いてる聞いてるー……それじゃ切るわよ」
「あ!ちょっとエルルカ!」
 このまま話を聞いていても終わる気配がないので再び強引に切った。
「全く、こっちは忙しいっていうのに。まあ、ああいう惚気話を言ってくるくらいだし、問題がないようならそれでいいんだけど」
 今この王宮の空気は非常にピリピリと張り詰めている。先日、王女リリアンヌの許嫁である、マーロン国王のカイルが婚約を破棄したのだ。しかもその理由は他に好きな人物ができたからだという。
 そのせいでここ数日のリリアンヌの機嫌は非常に悪く、王宮で働いている全員が、ふとしたきっかけで首をはねられまいかと肝を冷やしている。
「こんな時期にミカエラの方でも問題が起こったとなれば首が回らなくなるものね。とにかく、今は早くリリアンヌの機嫌をどうにかする方法を考えなきゃ……」
 この数日後、ルシフェニア崩壊の歯車が回り始め、ミカエラもその運命に巻き込まれていたことを、私はまだ知らなかった。

この作品にはライセンスが付与されていません。この作品を複製・頒布したいときは、作者に連絡して許諾を得て下さい。

magic of the sweets

弟子の惚気話に辟易とする師匠と、愛する人のため何かをしたい弟子のお話。

公式コラボの応募作品です。

閲覧数:236

投稿日:2018/09/27 13:47:14

文字数:5,722文字

カテゴリ:小説

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