それはとても天気がいい春の日のこと。
片田舎の村にある教会に併設された孤児院で小さな赤ん坊の泣き声がするのは珍しいことではないが、1人のシスターがその泣き声がいつもと違う場所から響いていることに気付いた。
やがてその泣き声を辿って辿り着いた門の片隅に、置き去りにされていた籐で編まれた籠の中には白いたくさんの布が敷かれ、その布に埋もれるようにして全身を真っ赤に染め上げながら生まれて間もないと思われる赤ん坊が泣いていた。
シスターが見つけた時、籠の中に置かれた一厘のマーガレットだけが赤ん坊を祝福するようにそよ風に花弁を揺らしていた。
「メグー……」
白いマーガレットが咲き乱れる花畑の中で、聞き慣れた声に名前を呼ばれた少女が、一心に動かしていた手元から顔を上げる。
春の木漏れ日にキラキラと輝く金色の髪を揺らしながら辺りを見回し、少し離れた場所に予想通りの少年の姿を見つけてにっこりと微笑んだ。
「レスター、ここよ」
手を上げて少年に知らせるメグの姿を見つけて、少年が僅かに息を弾ませて駆け寄る。
おそらく村から駆けてきたのだろうと思われるその様子に、少しだけ申し訳なさそうにメグの眉が下がった。
「良かった、やっぱりここにいた!もう、1人で村の外に出ちゃだめだって言われてるだろ」
軽く睨み付けられてごまかすようにメグが笑う。
「ごめんね。でも、今日はお母さんの誕生日だから」
もう一度自分の膝の上に視線を落としたメグにつられるようにレスターもそこに目を向けた。
丁寧に編みこまれたマーガレットの白が可憐な花冠はもうほとんど出来上がっていて、その出来上がりの美しさにお母さんと呼ぶ孤児院の院長への、メグの気持ちが込められているようだった。
「そっか。うん、そうだね。あんまりお祝いも出来ないし。でもやっぱり危ないよ。最近、悪い人が国境に集まってきてるって言ってたし」
「うん……分かってる」
レスターの言葉にメグの表情が曇る。
つい数ヶ月ほど前にメグとレスターの村がある国は、豊かな広い森の所有権を巡って隣国と開戦した。
それに伴い国中に節制が求められ、普段から財政に余裕のない孤児院は国からの援助が減ってさらに圧迫された財政状況に陥っている。
そんな苦しい中、さらに2人が暮らす村は国境から近くはないが遠いとも言えない場所にあり、戦火が広がれば巻き込まれる可能性は十分にあった。
事実、ここ数ヶ月で仕事を求める荒くれ者の傭兵たちが何人も村を訪れて国境へと向かっていった。中にはろくでもないとしか言いようがない人間もいて、村人との小競り合いも数度起こっている。
レスターは小柄だが剣術の素質があり、昔は王都で兵士をしていたという近所のおじさんに剣を習っていて、そんな小競り合いの時にはたまに呼び出されて仲裁を行ったりしていた。彼が1人でメグを迎えにきたのも、彼なら大丈夫だと思われているからだ。
「さぁ帰ろう」
メグが花冠の端の処理を済ませたのを見計らって差し出されたたレスターの手に掴まり立ち上がる。
そのまま手を引かれて歩き出しながら、手に馴染む体温を確かめるようにレスターの手を握りなおした。
「メグ?」
立ち止まって不思議そうに振り返るレスターの目に不安そうなメグの顔が映る。
「ねぇ、ここも戦場になる?」
心細そうな声にレスターが一瞬困った顔をした。
けれどすぐに明るい笑顔になってレスターからもしっかりとメグの手を握る。
「大丈夫だよ。きっと、ここまでは戦火は広がらないから」
励ますような言葉に確証がないことを2人とも知っていたけれど、それでもそれを信じるようにメグは頷いた。
「その花冠、お母さんきっと喜ぶよ。メグの花だね」
再び歩き出しながら、嫌な空気を振り払うように明るい話題を口にした。
「うん、そう。知ってる?レスター。マーガレットはね、何年も咲くの。冬に枯れてもまた春には花を咲かせる、強い花なの」
「そっか。弱そうなのに実は強いって、本当にメグみたいだね」
「それってどういう意味?」
「頑固だってこと!」
レスターの言葉にぷくっと頬を膨らませて抗議するメグに、レスターの笑い声がこぼれた。
花畑から2人が帰ってきてから数日後の夜、騒々しさに眠っていたメグは目を覚ました。
「なぁに……?」
眠い目を擦っていると、部屋の扉が開いてレスターが現れた。
「メグ、良かった起きてて!早くみんなを起こして!敵がきたんだ!」
起き抜けに言われた言葉に面食らうメグにレスターが焦れたように近づいて細い肩を掴む。
「隣国の……たぶん雇われた傭兵達で、村を襲ってるんだ!」
揺さぶられてようやくはっきりしてきた頭で理解した言葉に、メグが青褪めた。
「早く、皆を起こして地下貯蔵庫に隠れて。本当にもうすぐ、やってきちゃうから」
急かすレスターに慌ててベッドから降りると、一緒に寝ていた孤児院の弟妹達を起こして回る。
メグもレスターも孤児院では年長組に入るから、下の子供達の世話は彼女達がしなくてはならない。
「待って、レスター!どこにいくの?」
全員が起きたのを見て、レスターが部屋を出て行こうとするのを見咎めたメグを彼が振り返る。
「ほんの少しでも時間を稼げるように、門に鍵をかけてくる。メグは皆を連れて早く貯蔵庫に行って」
「でも!そんなの危険だよ!?あ……レスター、どうしたの、その血!」
暗い部屋では分からなかったが、廊下の窓から差し込む光の中で見るとレスターの胸辺りはべったりと血に濡れていた。
「大丈夫、これは僕の血じゃない。お母さんの……」
こらえる様に言葉を途切れさせて俯いたレスターに息を呑む。
そういえばどうして院長ではなくレスターが皆を呼びにきたのか、ようやくその疑問を持つに至った。
「僕は大丈夫だよ。早く行って」
一呼吸置いて感傷を振り切るように再びレスターがメグを急かす。反論の言葉をつむぎかけて、けれどレスターの強い瞳に言葉を飲み込んだ。
「……ちゃんと後から来てね」
「うん」
頷いて今度こそ駆け出していくレスターを見送って、メグはぐずる弟妹を急かして地下貯蔵庫へと早足に向かった。
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