「海と花火と衿元と (下)」


「ねぇねぇ見て、レインボーブリッジ!」

 窓の外を指し、リンがはしゃぐ。きれいにライトアップされたレインボーブリッジはいつも見る位置と角度が違うせいか、まるで別物に見える。

「下から見るとか超貴重じゃない? やっばいテンション上がる!」

 窓を開け、ネルが身を乗り出す。落っこちないでよ、とその背中に結ばれた明るいピンクの文庫帯を、ミクが掴む。ようやく落ち着いた卓で、唐揚げをつまみながらふとレンが振り返ると、さっきまで隣にいたカイトがいない。慌てて見回すと、下駄を脱いだ向こうの船べりで紺地の浴衣が煙草を吸っているのが見えた。

「ここにいたんだ」

 下駄をひっかけ、声をかけるとああ、とカイトが微笑み灰を灰皿に落とした。

「もう食べた?」
「食べたっていうか、なんか勢いにのまれた。なんだよあの食べっぷり。もうちょっと遠慮ってもんはないのかよ」

 顔をしかめるレンに、成長期だからなぁ、とカイトは笑いながら煙を吐く。今のうちに背伸ばしとけってさ、と頭を撫でられ、レンはむ、とくちびるを尖らせた。

「これからだよ。こっから伸びだすんだってば」

 頭に置かれた手を押し戻すように、レンが背伸びする。その様子を見て、カイトは笑いながら煙草の火を消した。

「あ、ちょうど橋の下だ」

 ふと見上げたカイトの視線につられ、レンも頭上を仰ぐ。その名の通り、七色にライトアップされた橋の上を、車と電車が走っていくのが透かし見える。

「真下からっていうのも、あまりないなぁ」

 声に視線を橋から下ろすと、首を逸らし仰ぎ見る彼の喉元に目がいった。紺の麻の衿が合わさっただけの襟元は、いつもは見えない鎖骨のくぼみまで垣間見えてレンは慌てて目を逸らす。その時、辺りがぱっと明るくなりやや遅れて大きな炸裂音がした。

「あ、始まった!」

 船べりに手を置き、花火の上がる方へ身を乗り出そうとすると、レン、こっち、と背後からカイトに呼ばれた。

「上に上がれるよ。こっちの方がよく見えるから、おいで」

 上へ続く階段を指し、彼が云う。

「え、いいのかよ。そんなところ勝手に上って」
「大丈夫、もうすぐ停泊所だから」

 ためらうレンの手を、カイトが引く。怒られても知らないからな、と前を行く背に云いながら、レンは階段を上った。

 上は更に風が強くて、レンは目を眇める。途端に目の前を、音を立てて光の尾が昇っていく。一瞬ふっと消えた後、それは身体に響く音とともに満開の花となって夜空に弾けた。

「すっげぇ・・・!」

 花火までの間は、何も遮るものがない。贅沢な夜空の使い方に、ね、こっちの方がよかっただろ?とカイトが微笑む。

「うん、すっごいキレイに見える。こんな近くで見たの、初めてだよ」

 花火を瞳に映し、無邪気な笑顔でレンが見上げてくる。素直に喜ぶレンに、いつもそうしていればいいのに、と思うが、カイトは何も云わない。反抗的な態度を取ってみせるのも、斜に構えてみせるのも、この跳ねっ返りな髪と同じ。14歳とは、そういう年頃なのだ。

 弾けた花火のちいさな花弁が、そのまま散り消えず再度宙に揺らめく。わ、すげぇ、とレンが声を上げる。

「あんなのあるんだ」

 年々花火も進化しているなぁ、と同じく花火を見上げながらカイトが云う。その声に、未だ手を繋いだままだったことを思い出し、レンはさっと赤くなった。

「ちょっ・・・いつまで握ってる気だよ」

 え、と肩越しに振り返るカイトにコレ、とレンは繋がれている手を振った。ああ、とカイトがそれを見遣る。

「まぁ、誰もいないんだし」

 飄々とした口ぶりに、レンは何云ってんだよ、と食い下がる。事もあろうか強く握り返され、下にはいるだろ、と更に赤くなったレンが振りほどこうと腕を捩る。

「まずいって。だってもう少ししたら上がってくるかもしんないのに・・・・・・」
「ああ、停泊所だしね」
「だろ? こんなとこにふたりでいるの見られたら・・・・・・!」
「・・・ふぅん?」

 階段を振り返り、今にも人が上ってくるのではないかと焦るレンを、カイトは面白そうに見下ろし、ぐっと掴んだ手を引き寄せる。慣れない下駄は踏ん張りがきかず、レンは呆気なく男の胸に倒れこんだ。

「冷たいこと云うなぁ」
「なっ・・・放せって・・・・・・!」
「こんな色っぽい格好してるのに」

 不意に近くで云われ、え、とレンは暴れる手を止める。急に鼓動が早くなる。火薬の上昇音がし、続いて弾ける光の輪。一瞬の明るさの後、身体を通して伝わってくる大きな音。

(だってそんなの・・・・・・)

 簡単に云えることでは、ない。気持ちの表現なんて、容易には出来ない。

 少し固めの麻の地に頬を押し付け、レンはぎゅっと目を瞑る。うまく口に出せるほど、この感情は単純なものではない。そんなに容易いものなら、こんなに悩んだりしていないのだ。

(でも・・・・・・)

 少しずつでも、小出しにしていかないとこの気持ちは溢れてしまいそうになる。溢れ、外に流れ出してしまったら、きっと自分の手には負えない。ためらいがちにレンがくちびるを開きかけたとき、軽い衝撃があり、いつの間にか減速していた船が泊まった。

「・・・え、上がっていいんですかぁ? やった! ミク、上行こうよ」

 弾けるようなネルの声がし、レンは慌てて身体を離す。放せと云ったはずなのに、カイトの手がさりげなく離れていった瞬間、ちくりと胸が痛んだ。

「あ、こんなとこにいた。ずるくない? 超特等席じゃん」

 階段を上ってきたネルがふたりを見るなり、そうくちびるを尖らせる。まだ始まったばかりだよ、と云うカイトの隣から離れながら、レンはそちらを見れず海側を向き柵にもたれ掛かった。

「おー、さすが屋形船だね。キレイに見えるじゃん」

 後から上がってきたメイコが、瓶ビール片手に額に手をかざす。さっきからメイコがビールを放さないんだが、と渋面をつくるハクの右手も、掴んだ八海山を放す気配がない。ダメな大人の代表例だ、と後ろでルカが呟いた。

 写真撮ろう、と背後でリンの元気な声がする。応じず、柵にもたれ掛かっているレンに酔ったの? とミクが声をかけてきた。

「・・・別に」
「そう? ならいいけど」

 それだけ云って、ミクは彼の傍を離れた。余計な気をきかそうとしないところが、彼女のいいところだ。花火の映る海面をぼんやり見つめていると、レンー、とリンが駆け寄ってきた。

「コレ、夜景モードどうやるんだっけ? なんか花火上がった瞬間が撮りたいのに、うまくできないの」

 リンが手にしているのは、つい先日彼女が散々悩んで買ったばかりのピンクのデジカメだ。それって結構難しいんじゃん? とリンの要求に首をひねりながらも、レンはモードを設定してやる。

「あ、そこかぁ。じゃあちょっと試しに写ってみて」

 有無を云わさず、リンがレンの腕を取る。器用に笑顔を作ると、リンは自分たちふたりに向けてシャッターを切った。

「あ! ホントだ、背景全然キレイ! レン、ありがとー」

 新しいカメラはさすがに高性能で、夜景モードなのに手振れもせずきれいに撮れていた。花火が上がるたびに、リンのデジカメもそれを追って光る。撮ってばかりいちゃもったいないよ、とミクがその様子に苦笑した。

 風に乗って、火薬の匂いが漂ってくる。隅田川を進んでいたときとは違い、停泊所は海の上であるせいもあって、急に風が凪いだような気がする。衿をくつろげ、レンはうちわで風を送った。それでも蒸し暑さは、なかなか消えない。

「そろそろ戻るよー。船、動き出すから」

 階段を指し、メイコが云う。呂律はだいぶ怪しくなってきているが、一応未成年の手前酔いつぶれる気はないらしい。

「ねぇ、帰りカラオケ入れていい?」

 見上げるネルの頭を撫でながら、メイコはよしよし、と上機嫌で頷く。

「あたしの美声が聞きたいってか。年長者の底力、見せてやんよ!」
「安易に他人のネタをパクるな」

 据わった目で、ハクが八海山を煽りながら云う。やったぁ! と階段を駆け下りていくネルを追いながら、ミクが持ち歌以外もいいの? と聞く。

「当然! あ、リン一緒に歌おうよ」
「マグネット! マグネットがいい! ねぇルカ、いい?」
「ダブラリ以外なら可」

 騒々しく降りていく彼女らの背中に、そこだけは譲らないのか、とレンが突っ込む。まだ、花火は終わらない。尚も背後で打ち上がる炸裂音と、夜空を埋め尽くす幾重もの花火につい振り返って眺めていたら、船が再び動き出してしまった。

「戻らないの?」

 階段の半ばから、カイトが問う。一旦下がったのをもう一度、引き返してきたようだ。うん、行く、と階段を降りかけたところで、不意に気が変わり、数段下を行くカイトの衿に指を引っ掛けた。

「・・・やっぱさ、もう少し」

 ん? といつもより低い位置から、カイトが見上げてくる。引っ掛けた襟元に生じた隙間から視線を引き離し、レンはとても目など合わせられないままに告げた。

「もう少し、見てこうよ」




「次、リンいきまーす! ぶっちぎりにしてやんよ!」

 階下から、にぎやかな声が聞こえてくる。盛り上がってるねぇ、と和むカイトの隣でよりによってその曲かよ、とレンは眉根を寄せた。花火もいよいよ終盤のようで、大盤のものが多くなってきた。進行方向とは逆に座りながら見る花火は、徐々に遠のいていくのがなんだかもの寂しい。

「・・・浴衣、持ってたんだ」

 云われ、ああこれ? とカイトは衿元を掴む。

「今日の昼、メイコに買いに引きずられた。屋形船に乗るのに浴衣じゃないなんて有り得ない! とか云われて」

 女はみんな、同じ事を云うのだろうか。間に合わせの割には、その浴衣は彼に似合っていた。メイコはそういった観察眼も鋭い。やっぱり敵(かな)わないな、とレンは膝を抱き寄せる。

「レンのは? みんなで買いに行ったとか?」
「みんなっていうか、リンに強制連行された」

 膝に顎をつけたまま云うレンに、すごい想像できた、とカイトが笑う。されるほうは堪ったもんじゃないし、とむくれるレンの頭を、大きな手のひらが撫でた。

「でもいいよ。――似合ってる」

 そう云われれば、悪い気はしない。撫でられる手のひらが心地よくて、レンはむくれた素振りをして好きにさせていた。

「もうそろそろ最後? ねぇ今のすっごい豪華じゃない?」

 階下で窓が開いた音がし、ネルの声がクリアに聞こえてくる。そっちいるのー? とミクが問いかけてくる。いるよ、と答えたカイトの手のひらは、レンの髪に触れたままだ。

「ちょっと何やってんのよ。せっかく下は浴衣姿の美女の園だっていうのに、男ふたりでもったいない。不敬罪よ、不敬罪!」

 酔った声に続いて、メイコ、そんなに身を乗り出したら落ちる、と妙に冷静なルカの声がする。通常時よりも若干間延びして聴こえるのは、やはり酔っているせいかもしれない。

「あーもう、船で揺れてうまく撮れない~」
「リン、直接見たほうが絶対きれいだぞ」

 尚も果敢にシャッターを切るリンに、ハクの正論が被さる。これは帰ってからも、修正や補正でリンに引っ張られる事は間違いなさそうだ。フィナーレに向けて、目の前で次々と上がる花火を見ながらいつまでそうやってんだよ、とレンは横目でカイトを見た。

「手。髪がくしゃくしゃになるじゃん」

 そう? と長い指がまとまり損ねた髪に遊ぶ。立て続けに打ちあがった大華輪に、階下の歓声が一際大きく上がった。真昼のように明るく照らされた船の上で不意にレンの襟足が一房、引っ張られる。見上げたのは夜空と、深い瞳。一瞬、レンの視界からだけ、光が遮られた。

 やさしくすぐ離れてしまうのは、いつものこと。微かに煙草の香りがするのも、そう。レンは目を逸らす。夜空にはもう、花火はない。

「そろそろ降りようか。もう、着きそうだし」

 ん、と頷き、立ち上がりかけたところで気が変わった。隣を行こうとする、紺地の袖を引く。麻の浴衣は手のひらにさらさらと、心地よい。

 気まぐれなのも、いつものことだ。本当は甘えたがりのくせに、なかなか寄ってこないのも。そんなまだまだ子供っぽいところが、可愛くもあったりする。

 桟橋が近い。くちびるに笑みを浮かべカイトを小生意気な瞳で見上げると、レンは勢いよく階段を駆け下りた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

「海と花火と衿元と (下)」

・ただの「きゃっきゃうふふ」が書きたくなって、殴り書いてしまいました。
・1日クオリティ。
・【腐】注意
・でもコンセプトは「お母さんが読み聞かせしておkなレベル」
・…ダメ?


+浴衣設定+
リン ・・・ 浴衣:白地に黄色の格子、ピンクと赤のなでしこ柄
      帯:赤とピンクのダブル兵児帯 パール付きピンクの帯締め
      下駄:赤い鼻緒のぽっくり 桐千両
レン ・・・ 浴衣:生成りに藍の小さめ蝙蝠飛び
      帯:紺の兵児帯 片蝶結び   
      下駄:カーキの鼻緒 二枚歯
ミク ・・・ 浴衣:ミントグリーンにうす赤い金魚 縦に間隔の広い白のよろけ
      帯:赤の麻半巾帯 ワンポイントの刺繍入り 花文庫結び 
      下駄:絞りの赤い鼻緒 焼き桐右近
ネル ・・・ 浴衣:明るい黄色に大きめの紫、青、ピンクの朝顔 
      帯:ビビットなピンク 文庫結び オレンジのコサージュ
      下駄:ピンクの鼻緒 白の塗りの右近
ハク ・・・ 浴衣:グレーによろけ縞で白、深緑、芥子(割合は5:1:1)
      帯:白地に紺のラインの博多半巾帯 とんぼ玉付き抹茶の帯締め 貝の口
      下駄:生成りの鼻緒 焼き桐の角下駄
ルカ ・・・ 浴衣:黒地に大振りのラメ入りピンクの蝶
      帯:メタリックシルバーに黒の市松模様  ピンクの帯締め 片流し
      下駄:紫の鼻緒 黒の塗り右近
メイコ ・・・ 浴衣:濃い紅地に黒の芍薬 芍薬に少しだけシルバーラメ入り
       帯:渋めのゴールドに茶の麻の葉模様 兵児帯で角だし風 
         えんじの帯締め
       下駄:白い鼻緒 黒の塗りの二枚歯
カイト ・・・ 浴衣:麻のちぢみ 紺地に細いブラウンのライン
         (不均等で間隔は広く、本数は少ない)
       帯:焦げ茶の角帯 浪人結び
       下駄:濃いグレーの鼻緒 右近

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投稿日:2010/06/21 01:26:30

文字数:5,173文字

カテゴリ:小説

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