金と黒曜石、黒御影石をふんだんに使った城は、きらびやかな中にも重厚感を漂わせる。大陸に城は数多くあれどその中でもテアトールの宮殿はひときわ美しい名建築と呼ばれていた。赤いカーペットの敷かれた長い廊下は、使用人の有能さを示すかのように汚れひとつない。ずいぶんと高くなった日の光を浴びて光るその廊下を、レンは歩いていく。体躯はいまだ幼いが、しっかりとした足取りは決意を感じさせた。
「リン。・・・入るね。」
自分たちの部屋の前でレンはノックして言う。二人にはまだ重い、大きな扉を引いて、部屋の中に入った。ダブルサイズのベッドに寝転がっていたリンは、一瞬扉のほうを向くと、悲しそうな顔になってまたすぐ背を向けた。レンも、ベッドに腰掛ける。互いに、背を向けた格好だった。それから、どちらも何も喋らないままだった。どちらも何も喋れないままだった。
「ねぇ。レン」
どれくらい経っただろうか。不意に、リンが口を開いた。
「レンは、私のこと、嫌い?」
まさか、とレンは驚いて後ろを向く。リンはベッドの上に座ってこちらを見ていた。
「じゃあ、何で居なくなっちゃうの?私いやよ。もっとレンと遊びたいのに・・・なんで・・・っ」
目にいっぱいの涙は今にも溢れ出しそうだった。一瞬、決意が揺らぐ。でも、これはリンのためなんだと思って、思おうとして、精一杯の笑顔で言う。
「僕、リンのこと好きだよ。もっといっぱい遊びたいなって思うし。・・・でも、王様のリンも見たいなーって。そ、それに、僕、海を見てみたいんだ。行けば見れるかもしれないし。・・・えっと・・・あと・・・。」
言うたびに、胸が刺されたように苦しくなる。それでも気丈に振舞って、レンは続けた。
「そ、そう、馬じゃなくて、ロバに乗れるって、前キヨテルが言ってたし、あと――」
「もういいよっ!」
リンの悲痛な叫びに思わず口をつぐむ。リンの目からは涙があふれていた。
「れんは、外に行きたいだけなんでしょっ!わ、私のことより、海が大事なんでしょっ!いいわよ。行っちゃえばかレンっ!ひ、一人で行っちゃえばいいじゃない!レンなんか、大っ嫌いっ!いなくなっちゃえっ!」
リンの涙はひたすら流れ続ける。
「・・・・・・ごめん、リン。」
レンは悲痛な面持ちで、でも、決して涙を見せずにそういうと、部屋を出て行った。一人残されたリンは、毛布にくるまってベッドに倒れ臥す。部屋には、リンのすすり泣く声だけが響いていた。
しばらくして、部屋の外から泣き声が聞こえてきた。それにつられ、引っ込みかけていた涙がまたあふれる。
「・・・・・・バカ。」
そうつぶやいて、リンは顔を毛布の中にうずめた。
ごめん。
そう言って、レンは部屋を出た。涙があふれそうになる。でも、だめだ。まだ泣いちゃいけない。今泣いたら、リンが気づいてしまう・・・。
でも、そこから動くことができなかった。ここから離れたら、もうリンとは会えない気がして、今なら部屋に戻って、城を出ないと言える。今なら・・・。
でも、それは駄目だ。リンに笑っててもらうために。リンと一緒にいたいから。僕は行かなくちゃいけないんだ。そう自分に言い聞かせる。それでも、肩が小刻みに揺れる。
不意に、後ろから抱きつかれた。ルカだ。足を折り、包み込むように抱いて、彼女は頭をなでながら言う。
「よく・・・がんばったね。」
それが契機となってか、こらえていた涙が一気に溢れ出す。レンは振り向いてルカに抱きつくと声を上げて泣き始めた。もはや、我慢の限界だった。止まるすべを知らぬように涙はとめどなく流れ続ける。
レンの背中を叩きながら、ルカは思う。どうして、この運命はこの子達たちの上に降りかかってきたのだろう。抱き締めて、背中を叩くことしかできない自分が、たまらなく悔しかった。
それから数日、王宮は忙しさを増した。レンの旅支度が整っていく。ついていくのは、今や国随一の剣の使い手といわれるメイコ・ブロッソム。赤い鎧を着た女だった。
そうして、出発の日の前日、レンは謁見の間にいた。ただし、今は王族がいるべき壇上ではなく、普段ブロッソム伯爵などの重臣がいるところだ。理由は、無論、王族を離れるためだった。
壇上で、座っているべき少女――リンの姿はない。あの日、レンがリンに外に行くと打ち明けた日以来、二人は話をしていない。いや、リンがレンを避けていると言ったほうがいいのかもしれない。食事の時間にさえ、リンは姿を現さなかった。王族を離れることが決まって、特別に部屋を与えられたこともあるのかも知れない。
「よろしいですか、レン様」
「・・・はい。」
ブロッソムの言葉に、レンは短く答える。
「では・・・。汝、レン・M・トーンは、テアトールの王族を離れ、国家のために身を砕くと誓うか?」
「・・・・・・はい。」
「よろしい。では、レン。貴殿に新しい姓を授ける。あなたの名は、レン・アリーギエンス。」
「・・・アリーギエンス」
「同時に、テアトール国王に代わり、貴殿に爵位を授与する。」
ブロッソムはそう宣言すると、一呼吸おいて言った。
「騎士(ナイト)。これがあなたの爵位です。サー・レン・アリーギエンス。」
呼びかけるように、レンの名を言う。
「この国のために、がんばってください。」
「・・・はい。」
そういうレンの顔は、どこか泣いているようだった。
当日、レンは特別に与えられた部屋で起きた。もはや、自分はテアトールの王族ではない。ただの騎士だった。今の自分に、王族に、リンに謁見する権利はない。昨日、ブロッソムが言っていた。
用意された服に着替え、皮でできたブーツを履く。肩から提げるバックの中に、少しばかりのお金と、小さいころ、父と母からもらった黄色い宝石のついた指輪、それに、リンとの写真を入れると、レンは部屋を出た。
リンに会ってはいけない。頭では分かっていた、だが、体は機能まで自分の部屋だった場所へ進んでいく。
部屋の前に立つ。ドアノブに手が伸びる。ノブをつかむ直前に手が止まる。何か、自分でもよく分からない何かを必死に耐えて、レンは手を戻した。リンと話したかった。でも、それさえ許されない。ついちょっと前まで、同じベッドに寝ていたというのに・・・。
けど。
と、レンは思う。
今はまだ寝てるよね。まだ起きる時間じゃない。なら――。
なら――独り言くらい、言ってもいいよね。
「――リン。戴冠式に、出られなくてごめんね。あと」
扉を前に、レンは歯を食いしばって‘独り言’を続ける。
「あと、リンが僕のこと嫌いになっちゃっても、僕はずっと好きだから。リンのこと、大好きだから。」
目を硬く閉じる。やがて目を開けると、無理やり作ったような笑顔で、その言葉を口にする。
「――さようなら。」
そうして、レンはそこをあとにした。大きな階段を、一段ずつ下りていく。一段ずつ、ゆっくりと。
まるで、自分の覚悟を確かめるように。
王宮の正門には、ブロッソム伯爵と、何人かの大臣とルカ、それにメイコがいた。
「では、参りますか。」
そういうブロッソムと、レンとメイコは一台の馬車に乗る。全員が乗ったのを確認して、馬車が動き出す。
レンはひたすら、前を見ていた。決して後ろを振り返ろうとしなかった。多分、ルカは手を振っているだろう。でも、レンは後ろを見てはいけない気がした。振り向いてしまったら、決意が揺らぎそうだったから。
馬車は大通りを走っていく。20分ほど後、馬車はセンタリオンの端で止まった。ここからは、たとえ馬車を借りようとも、次の街までは歩いていかなければならない。これも、この国に古くからある伝統で、掟だった。メイコ、レン、ブロッソムの順に馬車を降りる。
「――では、行ってらっしゃい。」
ブロッソムはそういうと、レンの頭にぽんと手を置く。
「リン様の召使として相応しい者になって、帰ってきなさい。」
「はい。」
レンは目を伏せ、それからブロッソムを見上げていった。
「では行くか。――父上、では。」
メイコの言葉に、ブロッソムはうむとうなずく。
メイコが歩き出す。レンも歩き出す。
二人は、しばらく黙って歩いていた。
まずは隣の町に行って馬車を借りなければ。パンメリーまでは歩いていけない距離ではないが、そうするには少々時間がかかりすぎる。そう高くないとは言え、山をいくつか超えることも考えると、一週間ぐらいだろう。メイコはそう考えて、隣を歩くレンをチラと見る。こいつには厳しかろう。でもまあ、昼前には町に着きたいものだ。
メイコはそこで気づく。レンが目に涙をためていることを。王宮で何があったのかは知らないが、仲が良いと評判だったレンとリンである。別れはさぞ苦しかったのだろう。だが。
メイコはそこまで考えると口を開いた。
「泣くんじゃないぞ。」
「・・・・・・はい。」
レンの声は確かにはいと言ったが、体はそうはいかないらしい。
町に着くまで泣くのを我慢できたら、腕くらい貸してやろう。今日だけは。
メイコはそう考えて、青い空に浮かぶ黄色い太陽を目を細めて、優しげに見上げた。
部屋に朝日が差し込む。
リンとレンの部屋だった部屋。そして今は、リンだけの部屋。
一人で寝るには大きすぎるダブルベッド右側――リンの定位置で、リンは毛布にうずくまっていた。
レンの声が聞こえた。大方、寝ていると思って話しているのだろう。今のレンに、リンに会う資格はない。それは、裏を返せばリンはレンに会えないということで、それを考えるたびに、リンは胸が張り裂けそうになる。
「あと、リンが僕のこと嫌いになっちゃっても、僕はずっと好きだから。リンのこと、大好きだから。」
胸が痛む。レンに嫌いといった自分に嫌気がさす。
「――さようなら。」
そう言って、レンは扉の前をあとにしたようだった。
「――バカ。」
枯れたと思っていた涙がまた溢れ出す。
「嫌いなわけ、ないじゃない・・・・・・。」
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