キーンコーンカーンコーン…
四限目の終了を告げるチャイムが、ボーカロイド学校に鳴り響いた。
「OK! 今日のLESSONはここまでDA! ちゃんと復習してこいYO!」
教壇に立っていた立派な体躯の男は、そう言って虚空に向かってウインクをすると、教科書を片手に教室を去って行った。途端に騒がしくなった教室で、流架は一人頭を抱える。
(この学校って…マトモな人は居ないの…?)
さっきのレオン先生もそうだ。英語科の先生の中でもずば抜けて英語が達者だと聞き、期待をしていたら…アレだった。教え方は上手いのに、あのテンションで授業をされると精神的に疲れてくるのだ。
「流架ー! 昼ごはん食べよ?」
いつの間にか流架の目の前に、弁当箱を片手にぶら下げた芽衣子が立っていた。
「良いですけど…」
言いかけて、ちらりと隣の机を盗み見る。
「何故楽歩さんは授業が終わってからぴくりとも動かないのですか…?」
そう、他の生徒は友人と弁当箱を囲んだり、昼食を取る為に食堂に赴いたりしているのに、流架の隣の生徒はチャイムが鳴っても教科書すら片付けずにずっと机に突っ伏しているのだ。心成しか、彼の周囲に黒いオーラのようなものが見える。
「あ~気にしないでいいわよ。英語の授業が終わった後はいつもあんなんだから」
楽歩には目もくれず、芽衣子は空いていた椅子を引き寄せ、そこに座る。
「楽歩は英語がこの世で一番苦手なのよ。ちょっと長い英文読ませたら五分で頭から煙を出してたわ」
それで今までよく英語の授業を受けてこれたなと流架は思ったが、口には出さなかった。
すると、さっきまで屍のように動かなかった楽歩が僅かに身じろいだ。
「うぅ…横文字の地獄は終わった…のか…?」
項垂れる楽歩の前で、カップアイスの蓋を開けた海斗がくるりと振り返る。
「終わったよ。だから早くごはん食べよ?」
「海斗、あんたの手にあるものはごはんじゃないでしょ」
「何言ってんのめーちゃん! アイスは朝昼晩いつでも食べれる素晴らしい食品じゃないか!」
「あんただけね」
ばっさりと切り捨て、自分の弁当をつつく芽衣子。酷いよぉめーちゃんと言いながらも、海斗はアイスを食べる手を止めない。
アイスを昼食にするのはどうかと思うが、もう何も言うまい。お腹もすいたし、私も早くお弁当を食べたい。
そう思い、流架が鞄から取り出した四角い弁当箱を包む巾着に手をかけた時だった。
「巡音~居るか?」
ガラリと教室後方の引き戸が開け放たれ、出琉が顔だけ突き出しそう言った。流架は巾着から手を離し、出琉を見る。
「何でしょうか?」
「在庫切れだったお前さんの学校指定の上履きがさっき届いたんだとさ。俺の机にあるから取りに来い」
出琉は立てた親指でくいっと後ろを指す。今すぐついて来いという事だ。恐らく、自分の机にあったら邪魔だから早く回収して欲しいのだろう。流架も流架で、今履いている教務室の茶色いスリッパとはもうおさらばしたいと思っていたところだ。
「分かりました」
芽衣子にすぐ戻ると言い残し、流架は席を立った。
* * *
足が軽い。
流架は自分の足にぴったりフィットした上履きで、軽快に階段を上っていた。あの大きなスリッパだと、階段を上り下りする度に脱げたり転げたりしそうになったものだ。
早く戻ってごはんを食べよう。
今日の弁当のおかずは、鮪のあぶり焼きだ。刺身は痛むからと断念したが、流架の大好物に変わりはない。食べるところを想像するだけで、お腹も自然と鳴ってくる。
「おう、そこのネーチャン」
流架が階段の最後の段を踏んだと同時に前方から声が聞こえた。正面を見ると、二人の男子生徒が廊下の壁にもたれかかり、こちらを見ていた。二人とも制服をだらしなく着用したり、耳や唇に沢山のピアスをつけたりしている。
いわゆる、『不良』だ。
「俺ら何か飲み物が飲みてーんだけど、生憎財布が無くてな。だからネーチャンの財布を俺らにくれねぇか?」
にやにやと品の無い笑みを浮かべながら不良達は詰め寄ってくる。
流架が女で、しかも一人だったから声をかけたのだろう。廊下の真ん中で白昼堂々カツアゲとは、この学校は一体どうなっているのか。
「…悪いですが、私は今財布を持ってませんし、お金をあげるつもりもありませんから他を当たって下さい」
こういう輩は相手にせず、無視した方がいい。流架は足を速め、不良達の隣を通り過ぎようとした。が、後ろからいきなり肩を掴まれ、強制的に振り向かされる。
「だったら親からパクって来いよ。金持って来なかったら、どうなるか分かってるよなぁ?」
流架の肩を掴む手に、力がこもる。その隙にもう一人の不良は流架の背後に回り込み、逃げ道を奪った。
どうしよう…
逃げても恐らく追いつかれる。かと言って、自分より身体の大きい男子二人を、どうにか出来る自信が無い。
その時だった。これ以上無い程最悪のタイミングでアイツが現れたのは。
「おぉ流架殿。上履きは手に入ったのか?」
唐突に現れた紫頭の生徒は、不良に囲まれているこの状況が目に入らないのか、笑顔で流架に話しかけた。トイレから帰ってきたのだろうか、その手にはハンカチが握られている。
最悪だ。
関係無い楽歩を巻き込んでしまった。
「楽歩さん!いいからとっとと逃…」
「おいあいつ…」
「木刀に長い紫の髪…まさか『紫神(しにがみ)』か!?」
途端、不良は流架の肩から手を離すと、額に汗を滲ませてじりっと後ずさった。その顔にはっきりと浮かぶのは、畏怖の念。
「どうした流架殿? 戻らんのか?」
「……貴方はこいつらが見えないんですか?」
そこで初めて、楽歩は不良の二人に視線を移した。瞬間、二人の身体が面白いように強張る。
「ふむ…些かふしだらな輩だが、害は無さそうだから良いではないのか?」
私はついさっきカツアゲされそうになったところなんですが、と口から出そうになった言葉を呑み込む。危機感を微塵も抱いていない楽歩にこれ以上何を説明しても無駄だろう。
でも、気になる事が一つあった。
「どうするよ…」
「どうするって…」
それは、楽歩を見た途端に二人は揃って恐怖に戦いた事だ。
何でこんな頼りない男に…?
「俺ら二人いるんだし、今なら勝てるんじゃねぇか?」
「馬鹿言え! 無理に決まってんだろ!? この前も『鬼殺し』と一緒にチーム一つ潰したんだぞ!?」
「そんな奴を倒せば、俺らはたちまち有名人じゃんか。チーム『0(ゼロ)』にも入れてもらえるかも…」
「止めろって!」
何やら物騒な会話をしている二人。流架は彼らから距離を取ると、ちらりと隣の楽歩を見上げた。
「楽歩さん…今の事は…」
「帰るぞ流架殿」
質問する暇を与えず、楽歩は流架の手首を掴んで踵を返すと走り出した。
「待てやコラァ!」
後ろで不良が何か喚いているが、楽歩は気にせず走る速度を速める。
「がっ…楽歩さん!ちょ…」
楽歩に引っ張られている為止まる事の出来ない流架は、縺れそうになる足で必死に床を蹴る。
「どこに行くんですか!?」
「取り敢えず、奴らを振り切らねば」
「それなら先生達の居る教務室は…」
「奴らは退学を怖がる程臆病ではない。先生方に助けを求めても無意味だ」
「だったらどうす…きゃ!?」
いきなり前を走る楽歩が止まったので、流架は彼の背中に勢い良く衝突してしまった。その際打ち付けた鼻に、ずきずきと痛みが走る。
「ったぁ…」
鼻を押さえ、流架は楽歩の背中ごしに前を見て、絶句した。
「んぁ? 何だてめえら」
進行方向にさっきの不良と同じような格好をした生徒が五人、たむろっていたのだ。そして、後ろからは息を切らした二人が近づいて来る。
「囲まれた…」
さぁっと流架は青ざめる。だが、楽歩は驚きも怖がりもせずに只無表情で彼らを見据えていた。
「良い所に居たなオメーら。あれ、見ろよ」
予想外の増援で一気に笑顔を取り戻した不良は、人指し指を真っ直ぐ楽歩に向ける。
「あぁ!? 『紫神』じゃねぇか!?」
「話は分かるな?」
「『鬼殺し』も居ねえし…一人なら余裕だな」
彼らの目の色が、獲物を見つけた肉食動物のそれに変わる。
「楽歩さん…どうす…」
「ふむ。どうやら囲まれてしまったようだな」
真顔でそんな事をのたまう楽歩に、流架の額の血管が切れそうになる。
「そんな事見れば分かります! 貴方が闇雲に走ったからこうなったんでしょう! 何とかして下さい!」
「何とかと言われても…」
「木刀があるじゃないですか! それで戦いなさい! 男でしょ!?」
「しかし…」
「……どうやら『紫色の軌跡を描き、疾風(かぜ)のように敵を斬りつけるその様は、まるで紫の死神』なんて歌い文句は噂だけだったようだな。腰にぶらさがっている木刀は見せかけか?」
口が裂けるのではないかという位まで口角を上げた後ろの不良が、ポキポキと指を鳴らす。完全に戦闘体勢だ。
「一つ、頼みがある」
息巻く不良を制すように、楽歩はすっと手を立てた。
「せめてこの女子(おなご)だけでも見逃してやってくれんか?」
「なっ!?」
何言ってんですか!と言おうとした流架の声は、一瞬こちらを見た楽歩の険しい視線のせいで喉につっかえてしまった。
「そんなの、俺らが聞くと思ってんのかぁ?」
「折角見つけたカモを逃がす程、俺らは優しくねぇんだよ」
「お前をフルボッコにした後、その女から十万くらいは頂戴しようかな?」
ゲラゲラと、品位の欠片も無い声で笑う。
「…そうか」
楽歩は諦めたように小さく溜息を吐いた。流架の視界の中で、楽歩の右手が腰にある木製の刀の柄に音も無く伸びる。
「つーわけで死ね!」
後ろの不良が、楽歩に迫りながら拳を振り上げる。
「…仕方ない」
静かに呟かれたその低い声音は、興奮した不良の耳には届かなかった。
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