第六章 遊覧会 パート1

 長い雨の一日であった。昨年全く吹かなかった季節風は今年ようやく職務を思い出したのか、十分な湿気を伴って黄の国を覆い、そして大量の雨を黄の国にもたらして行った。その雨の降る黄の国の城下町の一角を、騎士の一団が闊歩している。メイコ率いる赤騎士団の警備隊であった。雨天ということで全員雨合羽を着用してはいたが、雨に濡れて身体が冷えない訳が無い。風邪をひかぬようにせねば、とメイコは考えて、王宮へと帰還することにした。
 黄の国の城下町は四つの地区に区分されている。王宮を起点として東西南北に延びる四本の大通を地区の区分け線として、北東地区、南東地区、南西地区、北西地区に分かれているのである。城下町を覆う外壁と黄の国の王宮を囲む内壁の二重構造となっている点や全ての道路が石畳で覆われている点は緑の国の城下町と同様ではあったが、緑の国とは違い、黄の国の王宮は城下町のどこにいても見ることができる高い尖塔を持つ点が特徴であった。物見櫓としての機能を果たすその尖塔を、煉瓦造りの家が路地脇に立ち並ぶ北東地区の住宅街から仰ぎ見たメイコは、一つ溜息をついた。
 あの尖塔から視線を少し下げた個所、緩やかなドーム状となっている巨大な硝子窓と青色の屋根が特徴である黄の国王宮の第五層部分から、リン女王が興味もなく城下町の様子を眺めているのではないかという空想に陥ったからであった。メイコから見て王宮の奥手にある、王宮とは独立した建築物となっている五重の塔は物見櫓としての機能だけではなく、牢獄としての役割も果たしている。最近、昨年の飢饉の影響が深刻化しつつあった黄の国の城下町では飢えた盗人達の収容所ともなっている。今日犯罪が発生しなかったこと自体奇跡だろう、とメイコは考えながら、路地から北大通に戻り、真正面に黄の国の王宮を眺めながら馬を王宮へと向けて操作した。その後ろを十騎程の部下が付いてくる。雨をはじく馬の蹄の音が静かな城下町に響いた。今日は雨と言うこともあるのだろうが、それにしても人通りが少ない。昨年はもう少し活発に人間が往来していたはずであった。経済活動の停滞が目に見える形で噴出しつつあるのかも知れない、とメイコは考えたが、政治はどうも苦手だ。それよりも軍略を考えている方がよっぽど性に合っているな、という結論を出して、メイコは黄の国の王宮を八角形の形で保護している黄の国内壁の北正門へと辿り着いた。
 「雨天の警備御苦労。」
 北正門の扉を開けてメイコ達を迎え入れた兵士にその様に労いの言葉をかけると、メイコ達は馬を王宮内へと導き入れた。そのまま、黄の国王宮の北側に用意されている厩舎へと馬を進める。南向きに作られている黄の国王宮からすれば北側は裏庭に当たる部分であった。厩舎の他に用意されているものは練兵場や兵士の宿舎などである。王宮本棟とは別棟として作られている二階建ての横長の建物が一般兵の宿舎となっていた。その厩舎に馬を入れてから馬から降りたメイコは、駆けつけてきた従者に愛馬と雨合羽を預けると、王宮に向かって歩き出した。赤騎士団特有の真っ赤な鎧が雨をはじき、鎧の接合部分が軽い金属音を鳴らした。

 「メイコ隊長、今日も警備ですか?」
 王宮内に戻ると、執事服に身を包んだレンと偶然にも出会った。これからリン女王の元に向かうのか、左手には銀色のトレイと、同色のティーセットを持っている。黄の国王宮の一階部分の北側は厨房となっているから、丁度そこから出てきたところなのだろう。この箇所には王族は通常入室してこないものだから、内装も質素なものとなっている。
 「ああ。最近は犯罪が増加しているからな。」
 メイコはレンに向かってそう言った。静かに降る雨音は心地の良いものではあったが、王宮内に溜まっている湿気はどうにも気持ちが悪い。
 「そうでしたか。やはり、昨年の飢饉の影響でしょうか。」
 青い瞳を磨き上げた床に落としたレンは声を落としてそう言った。
 「レンが気にすることではないさ。」
 その様子を見ながら、メイコは務めて明るくそう言った。
 「しかし。」
 「犯罪なら私が止める。貴殿の役目はリン女王の身の回りの世話だろう。そろそろ三時になるのではないのか?」
 メイコがそう言うと、はっとしたようにレンが顔を上げた。
 「そうでした。急がないと、また機嫌が悪くなる。」
 レンは苦笑しながらそう言うと、メイコに会釈をして歩き出した。その背中を見送ってから、メイコは再び歩き出した。

 メイコと別れたレンは一階の玄関部分と厨房部分を分ける扉を右手一本で開けると正面玄関ロビーにその身体を見せた。黄の国の正面玄関は南向きに作られている。その玄関から入った所にある玄関ロビーは第二層までの吹き抜けとなっており、一面に真っ赤な、そして深いカーペットで覆われていることが特徴であった。その中央にあるのは緩やかな螺旋を描く階段。高級官僚の私室や執務室が並ぶ第三層まで続く階段となっているのである。その階段にも見事な赤いカーペットが敷き詰められており、吹き抜けの天井には黄の国の硝子職人が総力を込めて作成した、ミルドガルド大陸一の大きさを誇るシャンデリアが吊り下げられている。そのシャンデリアの明かりに照らされながら、レンは螺旋階段を踏みしめて行った。第三層に到達し、そのまま第四層へと続く直線状の階段を上ると現れるのは謁見室の扉。謁見室の両脇に作られている廊下の奥に向かうと、リン女王の私室へと続く階段が現れる。第三層と第四層は第一層とは異なり、硝子の様に磨き上げた大理石造りの廊下が特徴のフロアであった。大陸一の大国という面子を保つために歴代の国王が次々と資金を投入して作り上げた、間違いなくミルドガルド大陸一資金のかかっている城。それが黄の国の王宮なのである。
 そして第五層。現在はリンだけが居住しているそのフロアにレンは侵入する。本来は王族専用のフロアである為に、いくつかの部屋が用意されてはいたが、現在使用されている部屋はリン女王の私室だけである。このフロアはリンが女王に即位してから若干内装が変化した。日光を取り入れやすいドーム状の硝子窓は先代からの造形であったが、カーペットは黄色を基調とした高級品にとって代わられていたのである。そのカーペットに立ち、リン女王のおやつを載せたトレイを落とさぬように最後に注意してから、レンは樹齢数百年と言われる巨大樫から作られたとされる木造の扉を二つ、ノックした。
 「入って。」
 中からリン女王の声が響く。どうやら少し機嫌が悪いみたいだ、とリン女王のその言葉だけでそう判断したレンは、いつもよりも丁寧に扉を開けてからリン女王の私室に入室する。この部屋に入ることができる人間はごく一部の者に過ぎない。レンの他はリン女王直属の女官しか入室を許されない場所なのである。その部屋に入ると、まず目につくのは小ぶりのシャンデリア。そして左壁際に用意されている天幕付きの、一度に五人は身体を横たえることができるのではないかと言う程の巨大な寝台。右側には立ち鏡と化粧箱が用意され、中央には普段リン女王が飲食をする為に使用する、毎朝取り換えられる白いテーブルクロスに覆われた長机が配置されている。
 その長机に頬杖をつきながら、リン女王はレンに向かってこう言った。
 「遅刻よ、レン。」
 どうやら不機嫌の原因はおやつの件だったか、とレンは妙に納得しながら、こう答えた。
 「申し訳ありません、リン女王。しかし、本日のおやつはリン女王お気に入りのブリオッシュをご用意させて頂きました。」
 レンはそう言いながら、左手の上に載せている銀トレイの上に載せられている銀色の皿の料理蓋をやや芝居がかった仕草で持ち上げた。その中から現れた、焼きたてのブリオッシュを目に留めてリンは口元を緩める。
 「まあ。たまには気がきくのね。」
 「お褒め頂き、光栄です。」
 レンはそう告げると、リン女王が着席している椅子の傍へと移動し、リン女王の背後からブリオッシュをリン女王の目の前に置いた。グラニュー糖と蜂蜜をふんだんにまぶした円形のブリオッシュを置き、そしてその脇にナイフとフォークを物音一つ立てずに置く。レンがその準備を終えると、早速とばかりにリン女王はナイフとフォークを手に取り、ブリオッシュを一口サイズにカットしてからその可愛らしい口に放り込んだ。
 「おいしいわ。」
 満足した様子でそう告げたリン女王に微笑みかけながら、レンは続いて、黄の国の名工が丹精込めて作り上げた、純白の陶器製のティーカップを同じように静かに長机に置き、そして同じ名工が作製したティーポットから紅茶を注ぎ始めた。ブリオッシュの調理は普段黄の国の料理長に任せているが、紅茶だけは必ずレンが淹れている。黄の国で一番旨いお茶を淹れる自信がレンにはあったのである。しかも、第一層にある調理室から第五層にあるリン女王の私室に向かう移動時間まで計算に入れている。今日も完璧なお茶が入ったな、とレンは今注がれたばかりの飴色の紅茶を眺めながらそう考えた。優しい香りがリン女王の私室を包み込んでゆく。そしてリン女王が見せる心からの笑顔。レンにとっての幸せの瞬間であった。やがてリン女王はブリオッシュを食べ終わり、レンが用意したナプキンで口元を一度拭いてから、三杯目の紅茶に口を付けた。正当なティーポットは丁度三杯分の紅茶が入るような仕組みになっている。最後の一滴、ゴールデンドロップまで注ぎこんだ最後の紅茶をミルクティーにして飲むことがリン女王のお気に入りだった。その紅茶を堪能しながら、リン女王は唐突に口を開く。
 「そろそろ遊覧会の時期ね。」
 リン女王はそう言いながら窓の外を眺めた。相変わらず雨は優しく降り続いている。この雨が空けると、黄の国は一気に夏が訪れるのである。その夏の盛りの頃に遊覧会は開催される。場所は緑の国の名勝であるパール湖で開催されるとの通達が先日リン女王の元にも届いていた。
 「カイト王とも一年振りにお逢いできるわ。ねえレン、あたしどんな格好をしていけばいいかな。」
 心から楽しみにしている、という様子でリン女王はレンに向かってそう訊ねた。その笑顔に頬笑みを返しながら、レンはこう答える。
 「リン女王の一番のお気に入りである、黄色のドレスは如何でしょうか。」
 「そうね。レンが言うならそうするわ。手配して頂戴。」
 「畏まりました。」
 レンは恭しく一礼すると、置いた時と同じように一切の物音を立てずに空になったおやつの食器をトレイの上に戻すと、恭しく一礼をしてからリン女王の私室を後にすることにした。そして私室から離れた瞬間、レンは大きな溜息をついた。
 リン女王はご存じない。でも、もう黄の国の国庫は残り少なくなりつつある。
 厨房の出入りが多いレンは財政状況が芳しく無いことを良く知る立場にあったのである。そのことを誰かがリン女王に伝えなければならない。アキテーヌ伯爵は今日の午前中もリン女王に向かって倹約を訴えた様子だけど、相変わらずリン女王は聞く耳を持たなかったらしい。それなら、僕からも伝えなければならないのだろうけれど。リン女王の悲しむ顔は見たくない。たとえ世界の全ての人間が裏切っても、僕だけはリン女王の味方でいる。それはいつの頃からかレンとリン女王の間で取り決められた不文律となっていた。だから、僕から伝えることができない。
 でも、このままだと、黄の国ごと滅亡する。
 レンはそう考えて、心胆冷える感覚を下腹部に覚えた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン⑯ 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「第十六弾です!今日はこれで最後ね。」
満「そうだな。」
みのり「そう言えば満、前から疑問だったのだけど。」
満「どうした?」
みのり「原曲にも出てくる、ブリオッシュって何?」
満「今ならファミレスのジョ○サンでも食べられるぞ。フランスの菓子パンのことだ。」
みのり「え、パ、パンなの?ケーキじゃなくて?」
満「なら一度食べてみるか?」
みのり「う、うん。じゃあ次回はジョナ○ンでナビゲートしようか?でも、どうして原曲にブリオッシュが出てくるのかしら。良くタグにもなってるよね。『目からブリオッシュ』とか。」
満「この点は悪ノP様のセンスを感じる。」
みのり「どういうこと?」
満「その前に、マリーアントワネットは知っているよな?」
みのり「話がいきなり逸れたね。もちろん知ってるよ。フランス革命の時に処刑されたルイ16世のお妃さまでしょ?」
満「実は話は逸れてない。じゃあマリーアントワネットの名言、『パンが無ければケーキを食べれば?』という台詞も知っているよな?」
みのり「うん。」
満「実はこの言葉は誤訳で、原文はこうだ。『Qu'ils mangent de la brioche』直訳すると、『ブリオッシュを食べなさい。』(出典:ウィキペディア)」
みのり「そうなの!?」
満「ああ。だから『白ノ娘』でもハクが歌うように、黄の国で革命が起きたという表現が生きてくるんだ。リンは女王だけど、マリーアントワネットと重ね合わせると奇妙な統一感が出てくるんだ。黄の国をフランスに、原曲では海の向こうにあるとされる青の国をイギリスに、そしてミクの住む緑の国を当時商業が欧州一盛んだったオランダに例えると妙に符合する。勿論レイジは悪ノP様と直接会話出来る立場にないから、あくまで自己解釈に過ぎないけど。」
みのり「じゃあ、そのあたりの世界観も『ハルジオン』に反映してくるのかしら?」
満「さて、どうだろう。解説を続けたいが、そろそろ文字数が限界だ。」
みのり「あれ、本当だ。じゃあ、続きは次回ってことで!ただ、先週もお伝えした通り仕事の関係で来週ちゃんと投稿できるか分かりません・・。長い目でお待ちいただければ幸いです☆」

閲覧数:418

投稿日:2010/03/14 10:43:48

文字数:4,749文字

カテゴリ:小説

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