THE PRESENT PART3 M-Mix SIDE:γ
そこに居たのは、自分だった。
目の前に立つその姿は、確かに違う。
ショートカットで、黒いワンピースで、つり目がちで。
何もかもが違う。なのに、それは確かに、自分だった。
国際病院の屋上で、レンと会うとは思っていなかった。ミク自身は良く屋上に来ていたのだが、彼がやってきた事は無い。
だからこそ、屋上に居たのだ。ここにいれば、彼と会う事もないと思ったから。
夕焼けに見とれて、感傷に浸っていたのがいけなかった。気付いた時には、彼はすぐ後ろにいたのだから。
そのまま逃げるわけにもいかず、なし崩し的に一緒に居た。
そうしていると、当然のように幻覚の彼らが現れて次々とミクへの皮肉を並べ立てた。
だから、彼女はレンに告げようとしたのだ。
「ごめんなさい。もう会うのは終わりにしましょう」
と。そう言おうとしたのだが、結局うまく言えないまま彼女が現れてしまった。
ミクとは違う姿の、けれどミクとうり二つの少女が。
その姿を見て、目の前が真っ暗になってしまう。立っていられなくなり、その場に崩れ落ちてしまいそうになった。
そんなミクを支えようと慌ててレンが抱き留めてくれる。それが致命的なミスだと分かってはいたが、身体が言う事を聞かなかった。
「――やっぱり、そうなんだ」
(違う!)
思わず胸中で叫んだ言葉が、全く意味をなさない事には気付かなかった。
フラッシュバック。
抱き合うルカとカイト。
崩壊する“ミク”の心。
フラッシュバック。
笑うルカとカイト。
「あの子、そっくりだよ」
「君に、決まってるだろう?」
レンを押しのけ、ミクから引き剥がし、“ミク”は右手に握る“それ”を差し出してくる。
フラッシュバック。
触れれば切れる、怜悧な笑み。
彼女の姿と、あの時の自分の姿が重なる。
ふらつく身体が、避ける事を許さなかった。
自らの胸元へ銀色の刀身が吸い込まれていくのを、彼女はなすすべなく、しかしどこか安堵にも似た気持ちで見つめていた。
(……報い、なんだ。あんな事をした私に対する。償うだなんておこがましい。ルカとカイトの言う通り、私は傲慢だったんだ)
そんな思いが、ごく自然に脳裏に浮かぶ。
胸元に広がるのは、疼痛だった。鋭く、激しい筈のそれは、なぜか現実感を伴わない痛みのような何かでしかなかった。
少しして彼女はミクの胸元からナイフを引き抜いた。かつて自らがそうしたように。
支えを失い、ミクは膝をついて倒れ込む。かつてミクの目の前でカイトがそうしたように。
自分の身体が自分の物では無くなってしまったかのようだった。自分の事が、周囲の事が頭に入ってこない。心と身体が切り離されてしまったみたいに。
それは、ミク自身が死に近付いている事を、なんとなくではあるが実感させた。
だが、ミクはなぜかそれに抗う気にはなれなかった。
これで良いのかもしれない、と彼女は思う。
出来もしない償いなどをしようとして、誰かを救おうとして逆に悲劇を繰り返してしまう位なら、やはり自分は居なくなってしまった方がいいのかもしれない。
それは単なる逃げだと思っていた。
自分のせいで傷付く人がいなくなるだけでは足りないと思っていた。それ以上に誰かを救う事が必要なのだと。
けれど、どうだろう?
自分が居なくなるだけでも、自分のせいで傷付く筈だった人達が傷付かずに済むというのなら、それは結果的に救う事が出来たと言えるのではないだろうか?
(それに……元々、死ぬつもりだったんじゃないの。私は)
だからあの時、カイトを刺した後、ミクは自らの喉へとナイフを突き立てたのだ。ルカから何もかもを奪い、そして自分さえいなくなってしまう為に。だというのに今更になって生きようだなんて、考えてみれば虫の良すぎる話だ。
(これで……これで、良いのよ。死のうとしていた私が、ちゃんと、死ねるんだから)
気付けば、倒れ込んでしまったミクの身体を、レンが支えてくれていた。
(……もう、そんな事しなくてもいいのに。私は、もう……)
ぼんやりと、やや朦朧とした意識のまま顔を上げると、視線の先にはかつての自分とうり二つの姿をしたリンが居た。
ミクと、ミクを支えているレンを見て顔を歪ませる“ミク”が。
そこでようやく、ミクは自身の重大な見落としに気付いた。
(あの時、私は死のうと思ってた。なら――)
ハッとする。
驚愕する。
戦慄する。
(ダメ……。このままじゃあの子は、本当にあの時の私と同じように――)
自分は、カイトを刺しただけでは飽き足らず、自らをも殺そうとしたのだ。
ならば、目の前にいるこの“ミク”もまた、自らを――。
「行かないで――」
まともに発する事の出来ない自分の声と、ミクを支えるレンの声が重なった。向こうの“ミク”も何事かをつぶやいているようだったが、ミクの耳までは届かなかった。
彼女と視線が合う。
それは別に不意にでもなんでもなかった。ミクが彼女を見ていたから、彼女がレンからミクへと視線を移せば、自然と重ならざるを得ないのだから。
息を呑む様子が見て取れた。そして、身体が言う事を聞かなくなったのか、彼女はそのまま硬直してしまう。
(ダメ……)
温もりの消えた、冷たい身体を懸命に動かして手を伸ばす。
直感的に、このまま死んではならないと確信した。少なくとも、最期にもう一人はどうしても救わなくてはならない。
リンという少女を。過去の自分を。
その凶行を止めなければならない。
それこそが、自らの罪に対する償いだと思った。
それこそが、自らの過去の精算だと思った。
そうしなければ、自分を赦す事などとうてい出来そうになかった。
しかし、そうしようにもミクもまた身体の自由がきかなかった。
(寒い……)
寒さを感じるだけ、まだ自分は大丈夫なのだと無理矢理言い聞かせて、ミクは手を伸ばす。が、急激に失われていく力を前に、彼女はなすすべが無かった。
リンが腕を掲げた。その手の平には、ミクの血に濡れたナイフがしっかりと握られている。
「だから言ったじゃないか。傲慢なんだって」
伸ばした腕が崩れ落ちそうになるその瞬間、リンが腕を振り下ろそうとする瞬間に、そう声をかけられた。見慣れてしまった、カイトの幻覚に。
(でも、それでも……!)
その断罪に泣きたくなったが、涙を流すだけの力すら、ミクの身体には残されていなかった。
「貴女には誰も救えない。それも、言ったはずよ?」
そうやって、ルカもまたミクを断罪する。いや、断罪というよりは諭すといったほうが正確なのかもしれなかった。
(それでも……例えそうだとしても、あの子だけは救ってみせる!)
そこには居ない彼らを、ミクはその虚空を睨み付ける。
「……やれやれ」
「頑なね」
幻覚同士は顔を見合わせて、嘆息した。
「そうだな。そういうところは、昔からちっとも変わらない」
「本当ね。おかげでいつも振り回されてばかりだったわ」
(何よ……それがいけないっていうの?)
泣きそうな気持ちでミクは反論する。と、なぜか二人は微笑んだ。幻覚たちがそんな表情を見せるのは、初めての事だった。
「そう。それが君だ」
「そうよ。それが貴女」
ミクは困惑する。
「わがままで、奔放で」
「それに自分勝手で、図々しい」
「周りの事なんかお構いなしで」
「目的の為には手段を選ばない」
「可愛い事を最大限利用して」
「無邪気を装う」
二人は口々に喋った。
二人の言葉は明らかにミクの事を責めていたのに、不思議と穏やかな表情をしていた。
二人の像がぶれる。
二人の幻覚が、重なり合って見える。とうとう意識が朦朧としてきたのだろうか、と彼女は思ったが、違った。
二人の姿が重なり合い、混ざり合う。
「それが君だ」
「それが貴女」
二人の声も重なり合い、混ざり合う。
混ざり合った幻覚は、一つの姿になった。
二人よりも小さな背丈。
二人よりも小柄な体躯。
二人よりも華奢な肢体。
長いツインテール。
慎ましやかな胸元。
白いワンピース。
喉元に巻かれた包帯。
(わた、し……?)
「そう」
幻覚が、口を開く。
彼女の姿で。彼女の声で。
「それが、私」
ミクの姿をした幻覚は、その場でステップを踏んでくるりと回る。
「無理矢理自分を押し殺して、誰かの為に何かをしなきゃいけないなんて思い込んで、取り繕って、優しい人なんか演じて、達観した気分になって、私のせいなのに悲劇のヒロイン気取りで、そうやって私自身さえも誤魔化して!」
ミクの目の前で、ミクは喚き散らした。
(そ、そんな事……)
否定しようとした。
否定しようとしたが、出来なかった。なぜなら、心の奥底ではそれがあまりにもいびつな自らの真実なのだと理解していたからだ。
「そう。だから、それが私なのよ」
(そう。私は醜くて、愚かだった。わがままで、図々しくて……。それは、あなたたちの言う通りよ。だから、変わらないといけないのよ。そんな過去はなかった事にしなきゃいけない。私は、誰にでも優しい、完璧な人にならないと――)
彼女は微笑んで首を横に振る。
「馬鹿ね。分かってるくせに。完璧な人なんてどこにも居ない。誰も彼もが自らの欠点を抱えて生きている。そんな自分の愚かさと向き合いながら、生きていかなきゃいけないのよ」
(だから――)
「だから、醜い私も、愚かな私もちゃんと受け入れなさい。欠点ばかりの自分でも、ちゃんと好きになりなさい」
(そんな事、出来る訳……)
ミクはかぶりを振る。
「自分を好きになる事。そしてレン君とリンちゃんに、本当は仲良くなりたかっただけだって事。それを認められるなら――」
ミクは、ミクに向かって手を差し伸べる。
「――あの子を助ける手助けを、してあげる」
そう言って、幻覚のミクは柔らかな微笑みを浮かべた。
意表を突かれた。
(自分を好きになる、だなんて。そんなの、考えた事も無かった……)
自分を受け入れる事。
自分を認める事。
自分を、好きになる事。
それは、とても大変な事のように思えた。これまでに取り返しのつかない色んな事をしてしまったミクにとっては、特に。
(それでも……)
やる価値はある。そう思えた。
ミクは、ミクの手を取る。
「ほら。これが、最後のチャンスよ」
ミクはその手を強く握り返すと、彼女を力強く引っ張り上げた。
ReAct 13 ※2次創作
第十三話
まさかの文字数オーバーだったので、前のバージョンへとお進み下さい。PCでの計測は5800文字程度だったので、セーフの筈なんですが……。
幻覚たちが出しゃばりすぎ(苦笑)
でも読み返してみて削ろうと思っても、こうしてみると削るに削れず……。
そして、初めに書いた時は冒頭を普通に一人称で書いていました。読み返すまで三人称で書いていない事に気づいておらず、一人で「あれ!?」とか思ってました。我ながら混乱しています。
今回のTHE PRESENTは、回を追うごとに書くのが大変になっていました。ACUTEでのTHE PRESENTを下書きにしつつ、第一話、第十一話、第十二話との整合性を保たなければいけないという構成上の問題もあって。気をつかうところが多すぎて訳わからなくなり……(笑)
すでに若干原曲通りという当初のプランは脱線してしまっているのですが、それでも原曲通りにいくなら、この回を最終話にすべきなんだろうな、と思います。
そういう意味では、次回最終話プラスアルファという構成はもしかしたら蛇足なのかもしれません。
それでも、次回最終話。
すでにプラスアルファを書き始めているので、早めに更新できると思います。あと少し、おつきあい頂ければ幸いです。
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