第三章 緑の国の女王
「ミク、また手紙が届いているわ。本当にモテモテね、あんたって。」
緑の国の女王、ミクに対して遠慮のない言葉を放ちながら緑の国の謁見室に現れた人物はネルという。明るい金髪をサイドテールにした髪型が特徴である彼女は、ミク女王に向かって半ば放り投げるようにして手にした手紙をミクに渡した。
「ありがとう、ネル。」
ネルから手紙を受け取ると、ミクはそう言って微笑んだ。後頭部のやや高いところで、腰まで届きそうな長く、緑がかった髪をツインテールにしている彼女こそ、緑の国の統治者であるミク女王である。
「ネル、ミク女王陛下にそんな言葉づかい・・いけません。」
少しおどおどしながらそう告げた人物はハク。ツンとしたネルとは違い、大人しそうな、少し暗めの少女であるハクはその姿もネルとは対照的で、明るい金髪のネルに対応するように暗めの銀髪を持っている少女だった。ネルと同じようにサイドテールでまとめている髪型がネルとハクの唯一の共通点であるだろう。
「いいわ、ハク。ネルの態度はいつものことだし。」
当のミクはそのことを余り気にしてはいないらしい。優しい笑顔をハクに向けながらそう言うと、今渡されたばかりの手紙に目を落とした。
また、カイト王からだわ。
差出人を確認して、ミクは思わずこぼしそうになった溜息をすんでのところで飲み込んだ。
「どうすんのさ、ミク。そろそろはっきりさせないと。」
ネルがそう訊ねた。
「うん。」
そう言われても困る。カイト王が私に思いを寄せてくれていることは十分に気がついているけれど、だからと言って私の方に応える理由がない。
いい人だとは思うけど、それ以上の存在ではないわ。
それがミクの正直な心情ではあるのだが、カイト王の治める青の国と、ミクが治める緑の国の国力差を考えると無為に断って機嫌を損ねることは得策とは言えなかった。
緑の国の国力はミルドガルド三国の中で一番小さい。東には大陸一の大国である黄の国と国境を合わせ、北は青の国と国境を合わせる緑の国は吹けば飛んでしまうような小国に過ぎず、歴代の国王は常に外交手段で生き残りを探っていかなければならなかったのである。そのために犠牲にしたもののうち、一番大きなものは歴代国王のプライドであっただろう。時として平伏もやむなし、という気質が緑の国の王族に遺伝子の様に刷り込まれていったのはそのような国際状況と、自国の国力を冷静に判断した歴史上の結果である。
「迷惑なら迷惑ってはっきり言っちゃいなさいよ。」
ネルが畳みかけるようにそう言った。何事も白黒つけたがるネルにとってはミクの態度がどうにも焦れるのである。
「そう簡単にはいきませんわ。だって・・青の国との関係が悪くなるわけにはいかないもの・・。」
消え入りそうな声でそう言ったのはハクである。正論ではあるが、ネルにとっては弱気な発言としか思えないようで、逆にこう言い返した。
「悪くなったってすぐに攻めてくるわけじゃないでしょ。青の国と緑の国が戦争になったら黄の国が得をすることくらい、カイト王だって分かっているわよ。」
「それは・・・そうだけど・・・。」
「ああもう、じれったい!とにかくミク、ほとんど毎日手紙が届いているんだから、あんたがどうにかしなさいよ!紙資源の無駄だわ!」
ネルはそう言うと呆れたように謁見室を出て行った。ハクは戸惑い、今ネルが出て行ったばかりの謁見室の扉と、ミクの表情を交互に見つめた。
「ハク、ネルの様子を見に行って。鬱憤が溜まっていると思うから。」
ミクはハクに向かってそう言った。短気なネルがどこかで癇癪をはじけさせるかも知れない、とミクは考えたのである。それに対してハクは一つ頷くと、少しよろけるように、だが小走りに謁見室を飛び出していった。
「ふう。」
ようやく一人になると、カイト王からの手紙を開き、中身をざっと一読した。
いつもと同じね。
内容が恋文であることを確認したミクはどうしようか、ともう一度思案した。
確かにこのまま放置するわけにはいかない。ネルの言うことも一理あるわ、と考えたミクは手元にあるベルを鳴らして女官を呼び出した。そして女官に向かって指示を告げる。
「グミを呼んで。」
女官はその言葉を受けて一礼すると、静々と謁見室を退出していった。
ここは知恵者の意見を聞くべきところね。
ミクはそう判断したのである。
私室で資料の整理をしていたグミは、突然のミクからの招集に対してさて、何事だろう、と考えた。グミはミクよりも濃い緑色の髪を持つ女性である。やや短めに頭髪を揃えているグミはルカと同じように魔術に精通しており、数年前から緑の国で魔術師として活躍している、緑の国では最高位の魔術師であった。
とにかく行ってみましょう。
そう考えたグミは作業の手を止めると立ち上がり、謁見室へと向かうことにしたのである。そして謁見室に入室して現れたのは、少し憂鬱な表情をしたミク女王の姿であった。
「いかがされましたか、ミク様。」
グミがその様に声をかけると、ミクは伏せていた瞳を僅かに持ち上げて、こう告げた。
「忙しい時にごめんなさい、グミ。」
「いいえ。」
「実はカイト王のことで。」
「カイト王・・ですか。」
カイト王がミクにご執心であることはグミも伝え聞いている。そして、当のミクにはそれに応える気持ちがないこともグミは十分に理解していた。
でも、問題はこれだけに収まらないわ。
グミはそう考えて、このように答えた。
「確かカイト王と黄の国のリン女王はご婚約をされていたかと思いますが。」
「そう。でも、カイト王はリン女王を余りお気に召していないようね。」
溜息交じりに、ミクはそう答える。
「しかし、リン女王とのご婚約は既定事実にございます。もしカイト王とミク様が結ばれることになれば、婚約は自然と破棄ということになりますでしょう。その時、黄の国がどんな行動にでるか予測できません。何しろ大陸最大の国家が黄の国なのです。大陸を巻き込んだ戦争という事態に発展しないとも限らない。その旨を伝え、カイト王には諦めて頂くことが妥当かと考えます。」
「流石はグミね。でも、カイト王は黄の国は飢饉の為に国内だけで手一杯だろうと仰っているわ。これを機に正式に私と婚約をしたいと手紙には書いてあるの。」
「それは判断が甘うございます。確かに黄の国の飢饉は近年稀にみる悲惨なものであるとは私も耳にしておりますが、それでも大陸一の軍事力を誇っていることには変わりありません。もしリン女王がカイト王とミク様のご婚約を不満として軍を起こせば、軍事力のある青の国ならばともかく、小国である我が緑の国は蝋燭の火を吹き消すように簡単に滅亡してしまうでしょう。」
その言葉に、ミクは少し思案するように軽く握った右手を口元に当てた。そのまま、しばらく沈黙した後に、少し小ぶりの口元を再び開く。
「分かったわ、グミ。カイト王のお気持ちを傷つけないよう、国際状況を理由に丁重にお断りいたしましょう。」
「それがようございます。」
グミはそう言うと、少し安堵したようにミクに向かって一礼した。
「待ってよ、ネル!」
謁見室を飛び出したネルの後を追っていたハクは緑の国の王宮の長い廊下が切れる頃にようやくネルに追いつくことができた。ネルの特徴である明るい金髪に向かってできる限りの大声でそう声をかける。
「なんだ、ハク、ついてきたの。」
その声に振り返ったネルは、少し呆れたようにそう言った。
「うん。・・だって、機嫌が悪そうだった・・から・・。」
消え入りそうな声で、ハクはそう答える。
「別に追いかけてこなくてもよかったのに。」
「だって・・。」
「ま、いいや。イライラしているのは本当だし。ねえハク、たまには手合わせしない?」
ネルはそこで笑顔を見せた。口は悪いが、わざわざ追いかけてくれたハクに感謝の気持ちは持ち合わせているのである。
「いいけど・・。」
戸惑ったようにハクは答えた。ネルとの手合わせなど久しぶりだったからだ。
「じゃあ、決まり。行きましょう、ハク。」
そう言うとネルは方向を変えて練兵場へと歩き出した。その後ろをハクが慌てるようについていく。
この二人は緑の国の正規軍、緑騎士団の隊長と副隊長でもある。隊長はネル、そして副隊長はハクであった。一人の騎士としての実力は伯仲しているのだが、軍を率いるという意味では即断即決が流儀であるネルの方が優れている。そのためにネルが隊長を任じられているのだ。
突然現れた二人に対して、練兵場で訓練に励んでいた緑の国の兵士たちは一瞬驚き、二人の為に道を開けた。何事だろう、という二人に視線を送る兵士たちに向かって、そのまま訓練を続けるようにと指示を出したネルだが、ハクと木刀で向かい合ったことを見て兵士たちは訓練の手を止めた。ネルとハクの手合わせを見られることの方が貴重だとそこにいた全員が判断したのである。
「確か私の二十勝十九敗だっけ?」
下段に構えたネルがハクに向かってそう言った。
「私の・・二十一勝二十敗・・です。」
正眼に構えたハクはそう言い返した。
「何言っているのよ。ま、いいわ。今日勝てばいいだけだし。」
ネルはそう言うと下段のまま走り出し、そのまま下から剣を振り上げた。それをハクは二歩下がって避ける。そのハクに向かってネルは振り上げた剣をそのまま振り下ろした。唐竹割りに振り下ろされた剣をハクは顔の目の前で受け止める。
兵士から歓声が上がった。
あいつら、どっちを応援しているのかしら。
ネルはどうでもいいことを考えながら、鍔迫り合いの手を少し強めた。ハクはその力を受け流すように右に重心を動かすと、ネルの左胴めがけてしなやかな一撃を放った。それを受け止めたネルは逆にハクの右腕に攻撃を仕掛ける。流れるような動きが特徴のハクとは違い、ネルの剣は鋭く、重い。
相変わらず・・いい剣筋だなぁ・・。
右腕に放たれた一撃を剣の腹で受け止めたネルはそう思いながら再度剣を繰り出した。そのまま、数合の打ち合いが始まる。
目も止まらぬスピードで打ち合いを続ける二人に向かって、兵士たちは更に大きな声をあげた。
決め手がないな・・。
打ち合いを続けながら、ネルはそう思った。ちょっとひっかけてみようかな。
ネルはそう思い、わざと態勢を崩す。常人ならば気がつかないような、ほんの僅かな重心のずれの様なものだ。それをハクは見逃さなかった。ハクはチャンスとばかりに剣を振り上げた。
かかった。
ネルはそう思い、ハクの隙だらけの胴に一撃を打ち込んだ。
「よし、私の勝ち!」
一撃を打ち込んだ後、構えを解いたネルがそう宣言した。兵士がそれに応えるように歓声を上げる。
「次は・・私が勝ちます・・。」
少し憮然としたハクが、ネルに向かってそう言い返した。
「グミ、もうひとつ相談したいことがあるの。」
練兵場でネルとハクが手合わせを終えたころ、謁見室での会合を続けていたミクとグミは、次の話題へと話を進めているところであった。
「いかがいたしましたか?」
「夏の遊覧会のことよ。何かいいアイディアはないかしら。」
「今年の担当国は我が緑の国でしたね。」
「そうよ。」
「でしたら、緑の国一番の景観と評判のパール湖で開催されればよろしいかと思います。」
「パール湖ね。」
グミの言葉を復唱したミクは、再び思索するように視線を空に彷徨わせた。
パール湖は緑の国の中央に位置する、ミルドガルド大陸で一番透明度が高いと評価される湖である。山中にある湖であるため、夏場の避暑地としても有名であった。実際、緑の国の王侯貴族の別荘も多数設置されているため、客人をもてなすに不足はない場所であった。
既存の施設に少し手を加えれば何とかなりそうね。
ミクはそう判断すると、グミに指示を出した。
「分かったわ。ではグミ、あなたが責任者となって遊覧会の準備を進めてください。」
「御意にございます。」
ミクの言葉を受けて、グミは丁重に一礼をした。
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君が姿見 覗いてみれば
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限りなく進む夢々とこれから
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Re:sui
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