5、結構心配してるんですよ

 円香からの電話がある前。
 おれは洗濯物をたたんで円香の部屋に置いた。(おれのすることがほぼ主婦同然なのだが……)
 そこで、洋服かけ(名前がわからないのでこう呼ぶ)にかかっているベンチコートが目に入った。
 どうせあいつのことだから、「めんどくさい」とか言って着ていかなかったのだろう。そう思ったがそう多くのことは考えなかった。
 
家事も一段落ついてテレビを観ようとしていたら円香から電話がかかってきたのだ。


「ちょっと……助けてくれる?」


 としか聴こえなかったので相当心配した。
 
おれは走って円香のいる坂倉記念公園へ向かう。
そして倒れている円香を発見。声をかけても目が開かないので始めは手遅れかと思った。だが、声をかけ続けていると円香が目を開いたので急いで円香を背負って走った。とにかく走った。


―円香に何かあったら


 と思ったら心配しか浮かばなかった。


 とりあえず家をでるときに円香の保険証とお薬手帳と財布は持ったのでなんとか大丈夫だ。あとは円香の様子しだい。

 いつも行っている病院は夜間も開いているということなのでそこに行くことにした。

 その病院までとにかく走った。

 息は乱れすぎて呼吸ができているのかさえ、自分でもわからない。

 病院の玄関口には看護婦さんが待ってくれていた。おれが予め電話をしていたので舞っていてくれた
のだろう。


「君、榎本君だよねぇ?」


 大きな声で看護婦さんが言った。

 おれはうなずきながら病院の玄関まで走った。


 玄関で待ち構えていた看護婦さんは円香を抱き上げた。そして急いで診察室に駆け込んだ。


「あとは私たちで検査するから。あそこの椅子で座っててもらっていいかな?」


 少し肌寒く、病院独特の薬品の匂いがする。口から出た白い息が朝よりも濃い。その息はすぐに空気と同化せず、しばらく上に昇り同化した。


「わ……わかりました」

 他の看護婦さんはそう言っておれの手にペットボトルとタオルを持たせた。

「長く走って疲れたでしょ。お疲れさま」

 看護婦さんの笑顔は天使のようで。その笑顔につられて寒さで強張った顔を無理やり笑わせた。

「今日は急患さんが少ないからこの席で横になってていいよ。あ、私の名前は峰岸アキね」峰岸さんは
そう言うとおれの横に座る。峰岸さんは少し茶色がかった髪が帽子の間からはみ出ている。大きくパッチリした目がとても特徴的だ。背はおれより少し小さいくらい。見た目、二十代前半から後半くらいの年代だ。


「榎本君はどこに住んでるの?」


「あ……、大嶺です」


 おれがそう言うと峰岸さんは驚いた顔で言う。


「ふぇー。あそこまで案外遠いよー。がんばったね」

 峰岸さんはまた顔に笑みを浮かべた。

「帰りはどうやって帰るの?」


 峰岸さんの言葉に体が反応した。


 しまった。
 そこまで考えてなかった。
「考えてなかったんでしょ。帰り、乗せてってあげるよ」
 峰岸さんはおれの心の内を当てるように言った。てか、本当に当てたんだけど。


「あ、ありがとうございます」
「どうせ私もあの町通るからね」


 ふと時計を見ると、時刻は七時四十分を過ぎていた。


「あの子の親、いないの?」

「ああ、円香の親は二人とも仕事が忙しくて……。母親のほうは今日から鳥取に出張で。お父さんのほうはエジプトに出張中でして……。代わりに生まれたときから一緒にいるおれが面倒見てるんです」

「へー。不思議な関係だね」

 おれは思わず峰岸さんの言った言葉に鼻を鳴らしてしまった。気を取り直して言葉を続けた。

「特にたいした関係でもなく。ただの幼なじみですよ」

「ふーん。そうかなぁ」

 峰岸さんは悪戯に笑う。目じりが上がって大きな目が細く小さくなる。

「もしかしたら、榎本君に好意を持ってるかもしれないよ」

「そ、そんなことあるはずないじゃないっすか」

「照れてる照れてる」

 峰岸さんはキャッキャ笑いながらおれをいじる。
 おれはどうも峰岸さんの言葉が冗談で飲み込めなかった。
 どこか引っかかるところがあったのだ。


「ほらーアキ。男の子虐めないで帰るわよー」


 奥のほうから同僚らしき看護婦さんが峰岸さんに声をかけた。

「あー。ごめん。今日車なんだー。ごめんねー」

 看護婦さんは、車かー。と言って出口に足を進めた。

「車で来るのは珍しいんですか?」

「あ、うん。いつも電車とバスを乗り継いでくるからね。この前免許取ったからたまに車で来るように
してるの。要するに浮かれてんのよ」

 また、峰岸さんは目じりを上げて笑う。

 峰岸さんが笑ったと同時に、病室のドアが開いた。


「大杉さんの付き添いかな? ちょっと」


 診察室から、若い女性―先生がこちらを向いて手招きした。

「どうなりました?」

 おれは待合室の椅子から腰を浮かして診察室に足を踏み入れた。

 診察室に入ると、薬品の匂いがより強くなる。病室の左側に設けてあるベッドには円香が目を閉じて横になっていた。


「座ってください。今は熱さましを注射でうって寝ているだけなので安心してください」


 先生は、おれに椅子を差し出した。おれは軽く会釈し座る。
 先生の容姿は、パッと見美しい。勉強ができる美人みたいだ。眼鏡の奥に光る切れ目がまた美しい。


「大杉さんは……。とにかく熱がひどいですね。現在、三十九度ほどあり、危険な状況です。今の時期はインフルエンザがはやっていますからね……」

 先生はマスクの奥から淡々とした口調でいう。


「今の段階ではインフルエンザとは断定できないので。もう一度病院に来てもらえませんか? そうしたらインフルエンザの検査をしますんで。あ、学校もあるんだね……」


「あ、そっちは大丈夫です。なんとかします」

 おれがそう言うと、先生は微笑した。その笑みは決してバカにしたような笑い方ではなかった。なにかを懐かしむような表情だった。


「そっか。頼もしいね。最近の若者は」


 先生は遠くを見るような目で言った。


「先生もお若いですよ」


 後ろにいた峰岸さんが笑顔で言う。先生は「ありがと」と呟き微笑んだ。そしてカルテの片づけを始めた。


「どうする? これから。ここまで走ってきたんでしょ? 帰るとき大変じゃ……」

「あ、それなら、私が送りますよ。さっき彼には言いましたし」

「おぉ、峰岸さん。ありがとう」


 先生はそう言って右手を上げた。


「じゃあ、また明日。病院にきてください」

 先生が両足の腿を叩いて言う。

「はい。ありがとうございます」

 おれは一礼して、円香を抱き上げた。(一応お姫様抱っこ)

「お大事に」

 診察室を出るときに、先生は一言漏らした。

「じゃあ、私帰る準備してくるから。ここでちょっと待ってて」

 峰岸さんはそう言ってスタッフルームに入る。
 おれは抱き上げた円香を背中に回して背負った。
 こっちの方が安定するというか……。なんていうか。

 ここの病院はいい病院だ。えっと、なんていうんだっけ? あ、そうだ。御厨病院だ! 『ミチュウ』とかいて『ミクリヤ』と読む。じゃあ、先生の名前は御厨先生か……。


 なんて少しくだらないことを考えていたら峰岸さんがジャンパーを一枚着て、車のキーを持ってきた。

 車のキーにはかわいらしいうさぎのキーホルダーがついていた。

「私の車向こうだから。行こう」

 峰岸さんはおれの後ろを指差して歩き出す。おれは峰岸さんの後についていく。

 外は相変わらず寒かった。走っているときは気付かなかったが、今の服装は結構な薄着だ。部屋着の
灰色パーカーにジャージの長ズボン。めっちゃ寒い。


「寒くないの? そんな薄着で」


 峰岸さんはこっちを向いて笑う。
 峰岸さんの口から出ている息が水蒸気になるもんだから相当寒いはずだ。

「めっちゃ寒いっす」

「そうだよねー。ジャージにパーカーだから。車の中に毛布入っているからそれ使っていいよ」

「ありがとうございます」

 おれは峰岸さんの軽く会釈して、車に乗り込む。暗くて色が判りづらいがたぶん赤。目立つ赤ではなく、薄い赤だ。

「これだよ」

 円香を横の座席に寝かせているところに峰岸さんが毛布を投げてくれた。

「ありがとうございます」

 おれは毛布を円香にかける。どっからどう考えても円香の方が寒そうだ。毛布くらいかけとくと温か
くて安心するだろう。

「じゃあ、行くよー」

 峰岸さんはゆっくり車を発進させた。

「道案内してね。私わかんないよ」

 峰岸さんが微笑してバックミラー越しにおれ達を見る。

「あ、もちろんです」

 寒い夜に起こった出来事だった。
                    *

「明日も迎えに来ようか? どうせ病院に行くんでしょ?」

 峰岸さんの運転する車が家の前で止まる。礼を言って下車しようとしたら峰岸さんがおれを止めた。

「携帯電話とか持ってますか? それで連絡できたらいいんですけど」

「当たり前でしょ。社会人舐めちゃだめよ」

 大きな口を開けて峰岸さんは笑う。そして右ポケットから赤のスマートフォンを取り出した。そし
て、チョコチョコっと操作しておれに画面を見せる。

「これが私のアドレスと携帯の番号ね」

「…………っとわかりました」

 携帯電話の電話帳機能に峰岸さんのフルネーム―峰岸亜紀という文字と番号とアドレスを入力する。

「今日はありがとうございました」

 背中に円香を背負っているので礼をするのに少し苦労する。

「いいわよ別に。じゃあ、また明日ね。女の子が風邪引いて寝込んでるからって変な気起こしちゃだめよ」

「変な気ってなんすか!」

 おれがそう言うと峰岸さんは手を上げて車を発進させた。

 おれはジャージのポケットから円香の家の鍵を取り出して鍵を開ける。

 円香の家は、全部電気がついていた。

 慌てて出たからしょうがないか……。

 とりあえず円香を寝かせよう。

 円香の部屋―二階にいき、ベッドに円香を寝かせた。少し汗をかいていたのでタオルで拭う。

 次は、ショウコさんに連絡か……。


 一通りおれのすることが終わって、おれは落ち着いて風呂に入る。


 風呂に入り、心配だから一応円香の部屋に行ってみる。


 うん。大丈夫。変化なし。


 なぜかここで峰岸さんの言葉を思い出す



『変な気起こしちゃだめよ』



 ふと、目線を円香に移す。円香はまた汗をかいていた。少し色っぽく見える。



 …………。

 意識。してんのかな?
 
 おれは何を血迷ったか円香に近づく。

 こいつ。男子の間では競争率高いんだよな。

 今日告白されたって言ってたし……。

 その話を聴いてから、胸に何か刺さったように苦しい。

 今、おれはそんな奴と一緒にいるんだよな。

 少しうれしいな。
 

 ……。今おれなんか悪いこと思ったよな。


 じゃあ、おれも寝るか。

 そう思ってベッドから立ち上がると。


 円香の手がおれの手を掴む。


 驚いて円香を見ると、眼はつぶっていた。


 たぶん寝ているのだろう。


 この動作は無意識なのか?






 …………。





 まぁ。いいか。

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5、結構心配してるんですよ

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投稿日:2014/02/04 20:16:28

文字数:4,757文字

カテゴリ:小説

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