ざわつく海の中を、蓮は、鈴月に乗って、一心不乱にかけていた。
水が騒いでいる。蓮の気が騒いでいるからだけではない。水の中で、戦闘が始まっているのだ。それも、かなりの実力者同士の。
そんな実力者に、該当するのなんて、間違えようもない。
だからこそ、蓮は、さらに、高ぶっていた。信頼しているから、後ろは振り返らない。
全力で、自分のするべきことをするだけ。とは言っても、気がかりでないわけはない。
蓮は、祈るように、無事を願った。
海渡だけではなく、水の国のみんなの。
そして、今、何よりも、鈴の無事を確かめたかった。
肌が焼けそうに、力が漲り、蠢いていた。それは、どんどん、強くなっていく。
身を焼きそうな感覚を堪えながら、かける蓮の目に、水面が見えてきた。
そして、月よりも、きらきらと輝く、鈴の姿が、目に飛び込んできた刹那、身体が、燃え上がりそうなほどに、熱くなった。
「…………!?」
身体を、ぎゅっと、押さえる。変だ。力が、抑えても、抑えても、かけ上がる。膨れ上がる。そして、蓮すらも、飲み込んで、そのまま、襲いかかろうとするのだ。
蓮は、必死で、身体を、抱えて、力を押し込めながら、目を開けた。
それは、それほど、辛いことではなかった。蓮が見たかった場所と、力が、一心に、襲いかかろうとした場所は、一緒だったからだ。
水面の向こうに、空色の瞳に、涙を溢れさせて、自分の身体を抱きしめながら、蒼白な顔で、こちらを見ている、鈴がいた。
何よりも、大切で、愛しい、その姿に、力は、さらに、膨れ上がり、襲いかかろうとする。喰らいかかろうとする。
蓮は、ぎゅっと、唇をかんで、震える手で、自分の脇腹を刺した。赤い血が生き物のように、棚引く。
燃えるように、痛い。でも、もっと、痛いのは、この胸だ。鈴を守るために、強くなろうと思ったのに……そんな………
「俺は、鈴を傷つけようとする力なんて、いらない!」
振り切るように、諌めるように、切りかかるように、蓮は叫んだ。
痛みのおかげか、肉体の損傷により、力のめぐりでも、滞ったのか、大分、力は、律しやすくなった。
あと、もう一息だ。
蓮は、自分の力を、ぎゅっと、縛り上げた。それは、同時に、蓮自身が、握りつぶされそうな痛みだった。
でも、それでも、構わなかった。それで、鈴を傷つけずにすむのなら……
しかし、ふいに、力が、緩んだ。慌てて、締めようとした蓮の身体が止まった。
大切な人のために 風はどんな風に吹くの?
母の手のように 優しく そーっと そーっと 傷つけないように
生命を守るために 風はどんな風に吹くの?
ゆりかごのように 安らか ゆらり ゆらり 落さないように
風よ 鈴の音よ 蓮と鈴を守って
月が 天高く 海深く 見守るように 導くように
鈴が歌っていた。歌いながら、舞っていた。鈴が舞うごとに、蓮を戒める力は、急速に緩んでいき、蓮の身体は、信じられないほど、軽くなった。
あれほど、痛んだ胸も、脇腹も、痛くない。そもそも、確かに、蓮が傷つけた脇腹は、何の傷もなく、滑らかで、ただ、衣が、破れているだけだった。
夢現に、鈴を眺める蓮に、鈴が、とろけそうな笑みで、手を差し伸べた。蓮が鈴に、手を伸ばす。唇が、鈴の歌をなぞる。
蓮と鈴の手が触れる。目映い光が、膨れ上がった。そして、フワリと、蓮の身体は、空へと、すくい上げられた。
目映い光の中で、蓮と鈴は、微笑み合った。光が、わきあがる。
一つに合わさった、蓮と鈴の声。
一つに合わさった、蓮と鈴の力。
一つに合わさった、蓮と鈴の光。
魂と魂が、このまま、とけ合って、一つになっちゃいそうなほどに、ならないほうが、おかしいほどに、蓮と鈴は、合わさっていた。
そして、合わさった光は、手を伸ばすように、空へと、まっすぐに、伸ばされた。
「光の道だわ」
「光の道!」
夢見心地に、呟いた鈴の言葉に、蓮は、海渡から聞いた歌を思い出して、はっとして、自分たちを見回した。
目映い光に、丸く、つつまれた蓮と鈴。その姿は、まさに……
「そうだっ!! 俺たちが、月なんだ!!」
「私たちが、月!?」
「ああ。三つ目の月。三つ目の月が指し示す光の道を辿れ」
三つ目の月が指し示す光の道を辿れ
異なる力と力で刹那に開く扉潜りて我を訪ねよ
蓮が楽歩への導(しるべ)を歌うと、鈴も、重ねて、歌いだした。
重なる声に、笑みも重ねて、二人は、同時に頷いた。
「この道を歩んでいけば」
「うん……きっと」
見詰め合って、蓮は鈴と、手を繋いだまま、歌っていたことに気が付いた。蓮が手を離すと、鈴も、手を離して、蓮を見上げた。
蓮は、何も言わずに、顔と顔が触れ合いそうなほどに、近くにある鈴の身体を、さらに、抱き寄せて、金色の髪に、顔を押し付けた。たちまち、そよ風のような鈴の香りが、心をくすぐって、蓮は、ぎゅっと、目を閉じた。
「鈴。逢いたかった」
「うん。私も。私も、すごく、逢いたかった」
声が震えている。泣いている時の声だ。背中に回された手も、また、わずかに、震えている。そんな声で、そんな手で、蓮をすくってくれたのだ。蓮は、唇をかんだ。自分が、情けなくて、堪らなかった。
鈴が、そっと、蓮の、衣の裂けた、脇腹に、手を当てた。その手は、もう震えてはなく、微塵の迷いもなかった。すでに、傷の癒えたそこを、その内側さえも、癒やそうとするような、優しい手だった。
「蓮」
凛とした声に、蓮は顔を上げた。鈴が、やっぱり、凛とした顔で、蓮を見ていた。その半分でもいいから、自分も、凛とした顔をしているといいと蓮は思った。
「蓮。約束して。鈴を守ってくれるというのなら」
凛としたまなざしは、強いけれど、優しい。そして、鈴の手が、蓮の手を、包み込んだ。
「鈴の大切な蓮を、絶対、傷つけないで」
鈴の手が、蓮の手を、そっと、胸に当てた。鈴の鼓動を感じる。少し、速い。蓮と同じ、少し、速い鼓動。
「蓮が、自分の力を、封じ込めようとしていた時、自分で自分を傷つけたとき、私の胸も、ぎゅうってなって、潰れちゃいそうだった。すごく、怖かった」
鈴が震える。それが、手から、空気中から、伝わってくる。
「でも、蓮は、もっと、痛いし、風も、水も、荒れ狂っているのに、怯えているみたいだった。だから、舞い手として、流れを導かないといけないと思って、舞って、歌ったの」
身の動きでできている舞は、歌よりも、気を動かすのに、効果的だ。そして、風は、鈴を愛していた。蓮も、また、心から、鈴を愛していた。
だから、鈴が手を振るごとに、拍子を踏むごとに、風も、波も、荒ぶる力も、自然な流れを、調和を思い出したのだ。
「鈴。ごめん。もう、二度としない」
鈴をまっすぐに見て、蓮が言うと、鈴は、一度、ぎゅっと、蓮の手を握ってから、そっと離した。
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