目覚めた時から、どういうわけか胸が弾んでやまない。
罪を犯した罪悪感や、尚も体から離れてくれない微熱と眩暈があろうとも、そんなことはまるで気にならず、僕はデスクのPCに向かいインターネットにアクセスしていた。
忙しなくマウスをクリックさせ、行き着いた先は・・・・・・。
「ひろき・・・・・・?」
不意に名を呼ばれ、僕は思わず椅子から立ち上がった。
振り返ると、ベッドの上でミクが目を覚ましたようだった。
「ああ、おはよう。ミク。」
ミクの体に覆いかぶさるシーツを退けて、その頭を撫でると、僕に笑顔を返してくれた。
ミクの顔を抱きかかえたまま、僕は深くため息をつき椅子の上に腰を落とした。
ミクの為にあれを手に入れることも大切だが、何よりもまず、ミクは僕の家族となったのだから、これからはできる限りミクと離れることがないようにしなくてはならない。
特に残り二日ほどは、休暇を利用して常に一緒に居られることだろう。一秒でも、時間がもったいない。
内心、僕は有頂天だった。ただそれが表に出ることはないけれども、もはや僕はミクのことしか考えられず、他の事に思考が働かない。ミクを助け、ミクと共に暮らせる。それがこんな幸福な事だとは実際に身をもって知るまでは想像もつかなかった。開発している時から、大きな愛着を抱いていたことは確かだけれども。
犯した罪悪の大きさもこの幸福には負け、気にも留めなくなっていた。
時間を有効利用したいのは山々だが、アクティブに動き回るような体力と意欲は今の僕に無く、第一ミクには四肢がないのだ。こんな状態でいったい何ができるというのか。家から出ることはまず無理だろう。
いや、むしろこうして二人でじっとしているのも、悪くないかもしれない。
だけど、あれだけは手に入れないと。ミクの為に。
僕は再びPCに向かい、マウスを走らせた。
その様子を、ミクが膝の上から興味深そうに覗き込んだ。
「なに、これ。」
「これ?これはね、手と、足。」
「てとあし?」
マウスをクリックして行き着いた先とは、医療関係の用品を販売する通販サイトだった。
僕がミクの為にと手に入れようとするものは、せめてミクに人前の姿を与えるための実物を模した義肢だ。
義肢とはいえ最新のものであれば、人の筋肉、骨、神経に直接接続し、上から人工皮膚を被せることで、本物と見分けのつかないような高級品も存在する。
だが当然高級品だけに恐ろしく高価であることや、手術が必要なこともありそんな金額を出せるはずもなく、ある程度は妥協しなければならないかもしれないが。
しかしこの手足さえあれば、ミクを地に立たせてあげることができる。走るのは到底無理でも、今時の義肢では標準装備のサポート機能で、自らの力で、一歩踏み出すことも不可能ではないはずだ。
「これで、ミクは自分の足で地に立って、歩くことができるんだよ。」
「うん・・・・・・あるきたい。」
「ミクが立てるようになったら、近所をお散歩してみようか。」
「うん。」
ミクと言葉を交わすことに夢中になっていたはずなのに、いつの間にかディスプレイは既に注文内容の確認欄を通り越して、「お買い上げありがとうございました」の表示がされていた。
そこまで確認した時、僕は方に仄かな苦痛を感じミクを抱えたまま椅子にもたれかかった。PCを起動させ、マウスを動かし、通販サイトにアクセスし、商品を注文するそんな動作だけでも、かなりの労力を使ったらしい。ミクの開発以前、数日間不眠不休のデスクワークを何度もこなしていた時の力は、限界に達しただけで萎むように衰えてしまっていた。
「ミク。これで明後日の朝には、手足が届くからね。」
「うん・・・・・・ありがとう・・・・・・。」
といっても、目の前にミクの微笑みが現れたら、そんな鬱屈とした気分は一瞬で忘れてしまうけど。
ミクの体を抱えたまま、僕は時を忘れた。
窓の外から微かに聞こえる環境音に耳を傾けながら、何も考えず、ただミクの頭に手を添えながらただの死体のように椅子に体を委ねていると、いつの間にか、意識はまどろみの中に誘われていく。
「ひろき、ひろき。」
膝の上で静かにしていたミクが突然、何かの異常を訴えるように僕の名を呼んだ。
「どうしたの?」
「ひろきのおなかから、へんなおとがする・・・・・・。」
その言葉聞いたには、一体何事なのかと疑問に思った。
だがその時、僕の中で腹の虫がうめきを上げ、なんとも情けなく恥ずかしい音を響かせた。
「どうしたの?」
ミクはいたって真剣な眼差しで僕のことを気遣ってくれているようだが、理由が理由ガだけに、僕はすぐに音の原因をミクにいうことを躊躇った。
「これは、その、お腹が空いたっていう、合図だよ。」
「ひろき、おなかがすいた?」
「ああ、そうだね。たぶん昨日から何も食べてないからね・・・・・・。」
思い返せば、何とも波乱に満ちた昨日であった。
空腹と睡眠不足と過労で突然ぶっ倒れた、床に伏して安静にしていなければならないはずの病人が大雨の外に飛び出してびしょ濡れになり、約3キロ離れている会社に不法侵入し、会社のものを勝手に盗み、そしてまた帰ってきた。
冷静になって考えてみると、もうなんと言ってよいものか、奇人、変人というレベルじゃない。
しかも数時間眠っただけでベッドから離れられる程度まで体調が回復したのだから、全く、僕の体は一体どうなっているのか。
さらに食事で栄養を摂れば、僕の疲れ切った体は好調に向かっていくはず。
「何か食べようか。」
「なら、あれがいい。」
ミクの言う「あれ」が何を指しているのか、僕にはすぐに理解できた。
この前、研究室にミクに与えた、缶詰のシーチキンだ。
「シーチキンのこと?」
「うん、そう。ひろきも、しーちきんたべれば、げんきになる・・・・・・?」
「ああ、そうだね。美味しいからね、あれ。じゃあ、今取ってくるから。」
僕はミクの体を椅子に置き、台所に向かおうとした。
「ひろき。」
部屋を後にしようとしたとき、ミクガまた、僕の名を呼んだ。
「どうしたの。」
「いっしょに・・・・・・いく。」
囁くようにか細い声を出すミクの顔は、寂しいという感情を切に表していた。
ミクは僕よりもずっと、お互いに離れたくないという意思が強かったのだ。
片時でもミクのことを離さないと思っていたのにも拘わらず、ふとした拍子にミクを手放してしまう自分を情けなくとさえ思えてくる。
「ごめん。そうだね。一緒に行こう。」
僕はミクの体を抱き上げ、そして愛おしく抱きしめた。
二人で台所に向かう途中、玄関のインターホンが来客の知らせを告げた。
こんな時にこる人といえば、と来客の顔を思い浮かべながらドアスコープで外の様子を伺うと、案の定、差し入れらしき包みを持った鈴木君が立っていた。
他の誰かなら、僕はミクを抱えたままドアを開けることはできないだろう。
しかし事情を知っている鈴木君に対しては、そんなことに気を使う必要はない。
「先輩! お体の調子はいかがですか?」
僕は何の躊躇もなく、ドアを開いた。そしてその向こうに立つ鈴木君に自慢げな笑みを見せつけた。
我が子のように、いや、実際に我が子を胸に抱く姿を恥じることはない。
たとえそれが、無謀な罪の末に手に救ったわが子でも。
「全く、先輩ってお人は・・・・・・。」
鈴木君は、半ば呆れ、半ば微笑んだ。僕が思っていたよりも快い反応を見せてくれた。
「おはよう鈴木君。とりあえず上がってよ。ちょうど今から食事だ。」
「ええ。お邪魔させていただきますよ。」
ようこそ。僕とミクの家へ。
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