正義のあとに、おそれるべきは報復。
■■■
――夜。
彼は、穴を掘っていた。
あまり深くはない。けれど縦に細長く、まるで棺桶の形をしたくぼみだ。
シャベルを地面に突き刺し、ざくっという心地のいい音を立てて、土をすぐ脇へ除けていく。ざくっ、どさどさ。いつのまにかリズムができあがっていて、その単調な動作を手馴れているおかげもあり、作業自体は三十分ほどで終わった。
汗を拭う。
だが、まだ次が残っている。
彼は無造作に放り出してあった死体をずるずると引きずって、穴の中に横たえた。側に積んだ土を慎重に崩しつつ、両の手を上に突き出させる。やがて、死体は埋まりきり、そうと知れるのは、悪趣味で間抜けに飛び出している両手だけになった。
出来を眺めて、心の底から満足の息をつく。
だらりと、手首から力なく下を向く手のひら。死色の手。たまらないくらいに愛おしく、彼はじっくりと鑑賞した。
月明かりがこれ以上なく、この作品を引き立てている。
しかし、これまでに彼が埋めてきたものはすでに腐ってしまっているので、周囲からぼろぼろの手が無数に突き出ていた。臭いが酷い。近いうちに掘り返して、ちゃんと処理しなければなるまい。
彼は、あぁまたやってしまったと嘆く。
今回は道ですれ違った、長い髪が美しい女性だった。しなやかな腕を見ているうちに、どうしても我慢できなくなり、埋めたくなってしまった。しばらくあとをつけ、人気のないところで気絶させ、ここ、周囲の目から隠すように木々が植えられており、鬱蒼としたそれらに囲まれた庭で、絞め殺した。
悪いことをしていると思う。
自覚はある。
それでも、罪悪感を打ち消して余りあるほどの恍惚が、理性を殺してしまうのだ。
しおれた花のように、地面から手を突き出させるのも、普通の感性からすれば異常だと、十二分に理解している。
頭がおかしい。
二人目を埋めたのを母に目撃されて、そう叫ばれた。それによって、次に埋めたのは彼女となってしまったが、口うるさい存在が消えて、どうしてだかかえって嬉しかった。料理や掃除を自分でやらなければいけないのが億劫なだけで、生活に支障はない。
地面からにょっきり生えている母の手が、生きていたときのずんぐりむっくりした体型が気にならないくらい愛しく思えて、その日は仕事を休み、一日中頬に摺り寄せたり握ったりして楽しんだ。
昔、自分を抱きかかえ、世話を焼いてくれた手。
彼が蝋のように青白い手に口付けしようとしたとき、がさり、というかすかな物音を聞きつけた。
「……!」
そこには、走り去っていく金髪の子供が。
「……なぁ……ッ!」
見られてしまった。
とっさにシャベルを掴み、その後ろを追う。
このときばかりは邪魔な木々を掻き分け、塀を乗り越えて道路に出ると、ちょうど角を曲がっていったところだった。あわてて追いかけるも、すでに影も形もない。
どうしよう。
もう終わりか……!
おそろしいほどの焦燥が背筋を這い回る。未練がましく、シャベル片手に周辺を捜してみたが、猫がのんきににゃあと鳴いただけの、静かな静かな夜だった。
あとは家に閉じこもって、まんじりともせず朝を迎えた。
いつ警察がやって来るかと、いつニュースに自分の名が出るかと、テレビはずっとつけっぱなしで、賑やかしい音楽が彼の精神を揺さぶってくる。
しかし。
昼を過ぎ、夕刻になっても、一切その兆候は訪れない。
「どういうことだ……?」
呟く。
でも、これはチャンスに違いない。どういうわけか、通報はされなかったのだ。つまり、もう一度ここへやって来る可能性がある。
好奇心か、それとも確認か。
どちらでもいいし、どうでもいい。彼はぎゅっとシャベルを抱き締めて、ぶつぶつ呟いた。
来なければ、こちらから捜してもいい。
次に埋めるのは、あいつだ。
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