詰まんない。
如何やら自分は気が付いたらそう呟いていたらしい。ハァ、と溜息を付いてメイコはお抱えコックが作ってくれた極上のサンドイッチに口をつけた。
うん、味は申し分無い。パンの固さもその具も調和も見事なものだ。パンは固すぎず、かと言って柔らかすぎずに具の邪魔をせずともちゃんとパンがある事を主張していた。具も変に出しゃばり過ぎず、申し分無い。
けれど、何処か足りない。何かが足りない。今一つ、此れを作ってくれた顔馴染みのコックには悪いのだが――美味しくなかった。
メイコはまだ少女の面影の残るその表情を曇らせ、再び溜息を付く。彼女―正確な名前はメイコでは無くバニカ・コンチータ、と言うのだが―はこの年にして世界の食道楽者では知らない者はいない位の、美食家であった。どんなにシェフが心を込めて作った料理でもコンチータは不味かったらはっきりと不味い、と言い切った。其れがどんなに有名なシェフであろうと、容赦はしなかった。
その鋭い味覚の元の舌は彼女が食べた事の無いものでもしっかりとその味を刻んで忘れる事は無かった。そして的確なまでに調味料の配合、更には分量まで寸分狂わず見極める事が出来る。
瞬く間に世紀の美食家、バニカ・コンチータの名は世界に広まったのだ。そのお陰と言うのか否か、彼女はこの世のあらゆるもの―其れこそこの世の珍味、この世で最も美味なる物まで食べに食べ尽くしてしまったのだ。
しかし、歯車が廻り始めてしまった―狂い始めてしまった彼女の食への欲求は止まらなかった――止まる事を知らなかった。
どれだけ、どれだけ食べても飽き足らない。どれを食べても詰まらない。美味しくない。新鮮味が無くなった。退屈。暇。
其れが今の彼女の心境だった。外に出れば幾分かは変わるかと思ったが、期待外れだった様だ。彼女は無意識的に出た溜息の音を聞いた。
「食に狂わされたニンゲン、か・・・」
不意に、頭の上から声が降ってきた。驚いて上を見上げてみると誰かが上を向いた自分の顔を見ていた。残念ながら顔は逆光で良く見えなかったがサラリと揺れた長い髪は銀色に輝いて見えた。
声の主はス、と彼女の頭の上から顔を逸らし、元の体制に戻る。其処でようやく彼女はその人物の姿を見る事が出来たのだ。
彼女よりも一つ二つ年上であろう、その女性――そう、その人物は女性だったのだ――は髪は腰までの長さの銀髪で、括っている様子は見られない。目の色は左が紫で右は赤。服装は今まで彼女が見た事の無い格好をしていた。――現代風に分かり易く言うならば、黒のYシャツに其れよりも濃い漆黒のネクタイ、ネクタイと同色のミニスカート、そして黒のニーハイに黒のブーツ―と言った所か。
そして、極め付けはその背からは小さいながらも漆黒の―其れこそ闇を思わせる様な漆黒の羽があった事だろう。
彼女は―コンチータは其れを見て直ぐに悟った。あぁ、この人は悪魔なんだ――、と。
しかし不思議と恐い感じはしない。恐れをも抱かない。其れは彼女が狂ってしまった証なのか、誰にも分からない。
「ふぅん・・・。ヴィオン産の小麦を使ったパン、か。あそこは小麦の生産に相応しい地だからね。さぞかしそのパンは美味しいだろう。・・・ふん、其れにべセルニアの山から流れ出る湧き水を使ってるのか、このパンは。確かにヴィオン産の小麦にはべセルニアの湧き水が合う。君の所のコックは中々に良い腕前の様だ」
悪魔はコンチータが食べた―正確に言えば食べかけのサンドイッチを見て、的確に答えて見せた。しかも、一口も食べずに。
幾ら、流石にコンチータと言えど食べ物を食さずにその具材の産地まで言えない――言える訳が無い。
「僕も食には厳しい方だからね。最も、キミの様に其処まで深く陥ったりはしていないが・・・」
悪魔はそう言い、コンチータを見つめる。その目は無表情そのものだった。はっきり言って、無関心、と言っても過言ではないだろう。
「さて、キミはもうこの世の美味しいモノを、食べ尽くしてしまったのかい?」
ス、と屈み込んで悪魔はコンチータに視線を合わせ問い掛ける。うん、と彼女が応えるとサラリと彼女の長い茶髪が揺れた。
「もう、全部食べちゃったわ。この世の珍味、其れこそこの世で最も美味なるモノまで。全部、食べた。食べちゃった。詰まらないわ。もう、食べてないものなんて、無いから。何を食べても美味しくないの。――ううん、美味しいのは美味しいわ。だってコックが私の為に一生懸命作ってくれたんだもん。美味しくない筈が無い。でも――其れでも――美味しくないの。ううん、もっと正確に言うなら、もう食べちゃった味なんだもん。知ってる味なんだもん。新鮮味が無い―って言うのかな? 楽しくないの。前は料理を食べる前、どんな料理かな、どんな味かな、楽しみだな、なんて思ってたのに、今じゃ何も感じないの。只の動作にしか過ぎなくなって来てしまったの。只、生きる為にだけ。コックが折角作ってくれた料理も、私の為に丹精込めて作ってくれた料理も、美味しくないの。美味しく、ないの・・・」
喋るにつれてコンチータの顔はどんどん下がっていき、その横顔は彼女自身の髪で隠れて見えなくなっていた。悪魔は、何も問わずにただ、黙って聞いていた。
「キミが食べたのは、ニンゲンの食材だけ、だよね・・・」
ポツリ、悪魔は呟いた。その声にコンチータは下げていた顔を上げる。悪魔は続ける。
「つまり、だ。キミは食べ尽くしてしまったのはニンゲンが食べられる食材だけ。それ以外は食べていない、と言う事になるな。例えば、此処に生えてる草だったり」
悪魔はそう言うとそっと今、己が座っている所に生えている芝生をサラリと撫でると数本をブチリと千切り取った。そして、コンチータの前に差し出す。無意識的にコンチータは其れを手に取り、口に入れた。
「・・・苦。でも・・・今まで食べた事の無い味・・・。調理方法を見つければ上手く食べれるかも・・・」
そう言いながら芝生を撫で、舌なめずりしているコンチータは、既に狂気の其れと化していた。その様子を見て、悪魔は面倒臭そうにハァ、と溜息を付く。
「契約、するかい?」
「契約?」
芝生を撫でる手を止め、コンチータは悪魔を見据える。同じ様に、悪魔もコンチータを見据えた。
「もう分かっている通り、僕は悪魔だ。キミの願いを叶える事が出来る。但し、其れと引き換えに、キミの魂を貰うけどね。其れに、キミ、良い死に方しなくなるけど・・・其れでも良いかい?」
コンチータは、少しだけその利発そうな目を泳がせると、直ぐに悪魔と目を向き合わせ、
「・・・良いわ。契約しましょう」
と言った。その目から先程までの利発そうな少女の目は失せ、狂った獣の目となっていた。
「・・・了解。契約、開始だね」
悪魔はフ、と口元だけ綻ばせるとコンチータのドレスの上―正確には彼女の鎖骨と胸の間に手を置いた。そして何やら呪文らしきモノを唱えるとジュウ、と音がして、同時に悪魔が手を置いてる所が微かに熱くなった。悪魔は手を離すと「此れで契約終了」と呆気無く言った。
「その胸の刻印がキミと僕の契約の証だ。其れを人に見せてはいけないよ。――まぁ、人には見えないんだけど。契約者以外」
悪魔はクルリと身を翻し、コンチータに背を向けた後、うん、と伸びをした。そして首だけ後ろを向きコンチータを見る。
「此れでキミはニンゲンの七つの大罪の一つ、――暴食を司ってしまった訳だ。簡単に大罪から身を洗えるとは思わない様に」
そう言うと背中の羽を大きくし、地を蹴ると何処かに飛び去ってしまった。
そんな事をもう、コンチータは気にしていなかった―気にしなかった。大罪が何だろうが構わない。ただ、今は今だかつて無い、湧き上がる食への欲求を如何にかする方が先だ。
コンチータは手に持っていたサンドイッチの欠片(と言うには一口しか口を付けていないのでほぼ原形のままなのだが)を興味なさ気に見つめると其れを ポイ、と呆気なく、捨ててしまった。
そしてその後を振り返る訳でもなく、コンチータは赤いドレスの裾を掴むと屋敷に戻るべく足を速めた。
悪食になる前の少女と悪魔の会話
悪食娘コンチータの個人的前話。此処に出てきた悪魔の事が知りたい人は、トワイライトプランク、悪食娘コンチータについては自己解釈悪食娘コンチータを見て頂くと幸いです。
エントリッヒが珍しく悪魔悪魔してる珍しい話←
この頃の彼女(?)はかなりやる気が無いです。無関心。一番悪魔らしかった時期っちゃ時期。
取り合えずこの話は悪ノ~の百年~百五十年後位の設定かな・・・? 個人的解釈でいくと。
それでは、此処まで読んで頂き、有難う御座いました!
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