心配ごとがひとつだけあった。イサムたちが知ったら、どう言うだろうか。それだけが心配だった。でも、嬉しいこともたくさんあった。
彼に名前がついた。非公式で身内でしか呼ばれず世間は永久に知ることのない名前だが、きっと意味のある名前だろう。
「やぁ、バッテリーの交換は上手くいったかな? あと一回テストしたら電源周りもおしまいだ。再来週には搬送がはじまるだろう、それからは向こうで調整だ」
安間が声をかけると、探査船は返事の変わりに黒いマニピュレーターをゆらゆらと伸ばす。
そこに心を見てしまうのは、きっと人間の我侭だろうと安間は思う。そんなことができない存在だって心があるかもしれないのに。
『安間さん。ログ出しておきました。いつもの所に上げてあります』
声は部屋の上部からとどいてくる。見上げれば、大きく開いたオペレーター室の窓から所員の一人が覗き込んでいた。
「わかりました。後で確認しておきます。今日はあがっていいですよ」
『お疲れ様です』
微かなノイズを残して、スピーカーは沈黙した。
安間はため息混じりに探査船を見上げる。
「公募は今月末でしたか。ミクさんの歌、きけるとよいですね」
音による返事はないが、探査船は確かにマニピュレーターで同意の意志を伝えていた。
姉妹機の事故でなくしたものは、あまりにも多い。人名や金、時間や情報もそうだが何よりもプロジェクトチームは信用を失った。すでに予算として組み込まれていたはずの資金の半分は、無くなった遺族と後始末に、残った半分は煙のように消えていた。彼らに残ったのは、別のところで組み込もうとしていたパーツのいくつかと、今だ生き残っている人員と、予定としてくまれすでに振り込まれていた資金の残りかすだけだった。
必要なのは、信用と興味だ。
事故直後にはニュースになったものの、どれもどこかの芸能人が離婚しただけで表に上るようなことは二度となくなったし、もとより収入のあるようなものではないので大きな広告を打とうにもうてない。
出資元のさらにもと。この計画を持ち込んできた海の向こうの言われたのは、キャンペーンでも行えという、たった一言だ。
結局崇高な目的などという大義名分はすてて、ゴールデンレコードは世間の目の前にさらされることになった。おかげで順調に予算はのび、二年目にして計画は進み始めたのだ。世間にはでない、本当の史実。苦労だとはおもうが、苦痛だとおもったことはない。それに――
「これでよかったかもしれませんね」
イサムとミクに合えたのは、そういった経緯があってこそだ。そして彼の足の上で丸くなっている所長のおかげでもある。
「所長は、なんであの二人をつれてきたんですか?」
白い猫の毛は長く、なでると電灯の光を反射して光の筋をつくる。首に付けられている赤い首輪には、バーコードが書き込まれている。
最初に並ぶのは、開始文字列。次に、経度ならんで緯度。それから所長の名前がEUCコードで書き込まれていた。
その書き込まれた名前を文字に起こすと三文字のカタカナになる。
「ホムラ」
「なー」
返事するように、所長が鳴いた。
◇
あの日、あれをみてから、ずっと手の振るえがとまらない。
ずっとだ。とっくに一週間以上がすぎているのに、見るたびにその衝撃は体に蓄積されていって一向に収まらない。
興奮と絶望と羨望と嫉妬。それは畏怖というにはずいぶんと泥臭く、かといってほかに言葉はでてこない感情。そのことばにできない何かが、喉の辺りにつっかえていて、一言も言葉がつむげない。そんな気がしてくる。
それからだ。
一句も、歌詞がかけないのだ。
探査船をみてから、ずっとメモ帳には何も書き進められていない。曲の公募までは二週間とちょっとだ、いつもなら余裕の時間だというのに、なぜか間に合うきがしなかった。
それほどにイサムにとって探査船は衝撃だった。ただひとつのことを目的として作り出され組み立てられたシステム。雄雄しく、頑固で、しかしあまりにも儚げなそれの姿が、まぶたの裏に張り付いて離れない。瞬きするたびに、あの姿が見えてくる。
探査船の1号機は事故で大破したが、そのパーツのいくつがが2号機になるはずの探査船に組み込まれていた。もとより規格もいっしょだったのだろう、姉妹機のかけらを体に貼り付けられたあれは、いったいどんな気分だろうか。
形見分けとは違うだろう、なにせ自分の体の一部になったのだ、記念にもらったものなのではない。それはきっと、兄弟から臓器をらって一人だけのうのうと生き延びているような、そんな気分なのではないかとイサムは想像する。一生消えない罪だ、しかもことあるごとにその罪は重くのしかかってくる。忘れることもできず抗うことも、償う方法もない。
まさに生き地獄。人のみであるなら、それを感謝として生きる糧にできるだろう、それを支えに前を向けるものもいるだろう、だが彼はどうなのだろうか。
想像もつかなかった。
いったいあの探査船は、いま何を思っているのだろうか。
わからなかった。
曲はほぼできあがっている。けれど歌詞がかけなかった。
思考だけはぐるぐるとまわって、だけど言葉は一つとして形にならない。
「ヨーグルトたべますか?」
気がつけばミクが横にいた。差し出されているのはいつものヨーグルトだ。
「おう! やっぱヨーグルト最高だな!」
飛びつくようにヨーグルトのカップを受け取りイサムはふたを開ける。
「曲、どうですか?」
「ん? ん。ちょっとてこずってるかな。やっぱ気合いれないといけないしなー」
ミクにメモ帳が見えないようにすこし体をずらし、イサムはヨーグルトを食べ始めた。真っ白のメモ帳は、なんだかヨーグルトみたいだ。
「珍しいですね」
「うははは。そうかも。でもせっかくのチャンスだからな」
「チャンスですか?」
「そうそう、ココノツの目前に曲つくれるんだぜ、ちょー特権だ」
「落ちたら哀れすぎるってことですね。ずるしたのに選考漏れだなんて……」
「……そーともいいます」
相変わらずミクの言葉はきつい。
ウチのミクはいつになったらデレるのだろうか、そんなことを考えながら窓の外を見た。もう日はおちていて、あたりは真っ暗でなにもみえない。街頭もあまりあるほうではなく、窓の向こう側に見える駅の付近だけがぼんやりと光っているだけだった。
「ココノツは、冥王星にいくんですよね」
「うん。そういってたね、でも通り過ぎるだけだろ」
「でもココノツのカメラもセンサもそのほとんどすべてが、冥王星のための装備です」
「そうだね」
「冥王星ってどんなところですか?」
「え? しらねぇよ。ミクのほうがしってるんじゃない? 調べられるし」
いうと、ミクはちらっとイサムに視線をよこして静かに目を伏せた。
「私たちは、ココノツも、ですけど。人間とちがって想像できません。予測はできます、入力された情報に感想を持つこともできます、でも予測に感想がもてません。私たちは想像できません」
「うーん……」
よくわからなくて、イサムは首を傾げる。
「よく、わからないんです。イサムさん、冥王星はどんなところですか?」
「どんなっていわれてもなぁ。一番遠くにある、惑星から降格されて準惑星になった星だよ。俺もよくわかんないし」
「イサムさんの言葉が聞きたいです」
夜空の向こう、大気圏を突き抜けて重力の届かない遠く。太陽の光も弱くなり、ともすれば何もかも凍りつく世界のさらに向こう。あまりにもちっぽけで望遠鏡なんかじゃ、微かにも見えない星だ。
小さくて太陽系の惑星に影響なんかあたえられず、でもふらふらと太陽の周りを回っているちっぽけな星。
「寂しがり屋さん」
「え?」
「でも、愚痴も言わない静かで透明」
「冥王星ですか?」
うん、とイサムは頷いた。
「太陽の周り一周する前に名前がなくなって、ふらふらしてて、でもなんだか力強い」
ミクは口を挟まず静かにイサムをみている。
「それから――」
イサムは、夜が明けるまでずっと冥王星の話をミクにしていた。
その間ほとんどミクは相槌をうつだけで、なにもいわなかった。ずっとイサムの言葉をきいてた。もしかしたら、歌詞がかけなくなったのを、ミクはしっていたんじゃないだろうか。イサムはそんなことを思う。もちろん、そんなこと正面きって聞くことはできないけど。
歌詞を変えることにした。イサムの言葉に、ミクはいつもの無表情でそうですかとだけ答えた。それとヨーグルトがでてきた。
それだけで十分だと、イサムはヨーグルトを食べながら思う。
天気は気にならないほどに適当な曇り空だ。朝だというのに、あまり明るくない。徹夜明けの目に優しいとはいえ、眠気がとんでいくこともない。からになったヨーグルトのカップをゴミ箱にすてて、イサムは自室に戻った。
寝よう。
それから歌詞を書こう。のこりは二週間。大丈夫だと言い聞かせるように一度うなづいいて、イサムは布団のなかで目を閉じた。
探査船の歌詞から、ココノツが向かう冥王星の歌詞へ。どんなところにいっても、ココノツが不安がらないですむような、そんな歌詞を。
◇
オペレーター室から猫がこちらを見下ろしている。感情が読み取れるほど近くもなく、視線が分からないほど遠くもない距離から、こちらを見ている。
ココノツは声を出すことはできないので、マニピュレーターを使って猫に合図を送ってみる。むろん、猫はそんな合図うけとってはくれない。
彼とではプロトコルが違いすぎる。ココノツはマニピュレーターをしまいながら考える。物理的な壁も存在する。彼はこの部屋にこれない、ココノツはこの部屋を出れない。やり取りできる共通の手段はこれっぽっちも確立されていないのだ。経験から予測できる彼の言動は数が限られている。それだってかなりの容量をつかってサンプリングした結果だ。
所長と呼ばれているその猫は名前をホムラという。品種はココノツには分からないし、鳴き声も生では聞いたことはない。彼はココノツを見下ろすのが好きなのか、よくオペレーター室から顔を覗かせている。もしかしたら所長としての業務かもしれないと、ココノツは考える。
『こんにちわ』
声が飛び込んできて、殆ど閉じていたセンサにあわてて火を入れる。マニピュレーターの先についているカメラをぐるりと回すとすぐそばにミクがいた。
いつもはミクのオーナーが先にオペレーター室にはいってくるので、ミクが来ることがわかるのだが今日はちがったらしい。
『こんにちわミク。ミクのオーナーはどうしましたか?』
聞くと、すこし嬉しそうに微笑むだけで答えは返ってこなかった。でもきっとミクと彼女のオーナーはそういう関係なのだろうとココノツは納得し、不満を得ることはなかった。
Re:The 9th 「9番目のうた」 その7
OneRoom様の
「The 9th」http://piapro.jp/content/26u2fyp9v4hpfcjk
を題材にした小説。
その1は http://piapro.jp/content/fyz39gefk99itl45
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