普通の人間であれば肌を焼く高温によって動けなくなってしまう状況の中、金髪の悪魔は炎に包まれた屋敷内を平然と歩いていた。
最下級の悪魔や炎が苦手な種族ならば行動を制限されてしまうかもしれないが、この程度の熱さでやられてしまう脆弱な悪魔は存在しない。
ここは焼き払う! 早く行け!
歩きながら、悪魔は先程聞こえて来た台詞を思い出す。悪しき魔女を火あぶりにするように、悪魔がいた屋敷を火で浄化しているつもりなのだろう。そのやり方が油をまき散らして火を付けただけと言う、何ともお粗末なやり方だ。
下らない。魔女とは魔力を持った女の総称であり、別に悪しき存在と言う意味ではない。大体、聖職者の力や魔力を使おうともせず、悪魔を滅ぼせると思っているのか。
……否。間違った知識を正しいものだと本気で思い、疑問を持つ事もしないからこそ、こうして人間は過ちを繰り返し続けるのだろう。
『正義』とされた者はどんな汚い手段を使っても許される。弱い者いじめをしようが、無抵抗な敵を一方的に殺戮しようが、それは仕方のない事、相手に全て原因があるとして受け入れられる。
『悪』とされた者が正当性のある反撃をしても、どんなに真っ当な事な言動をしても全て非難される。自らの過ちを認めて懺悔しようが、悔い改めようが、それらはただの自己満足だと捉えられる。
話を聞こうともせず、悪だと言うだけで敵を晒し者にする勇者様と、そいつのお陰で迫害される羽目になった者達をどれ程見てきたか。勝てば正義だとは良く言ったものである。
尤も、そんな張りぼて勇者はより高い所へ上り詰める事は出来ない。所詮は己の弱さや蛮行から目を逸らして虚勢を張り、世の為人の為に正しい事をしているつもりの自分に酔っているだけだ。
真に強き者とは己の弱さを知り、誰かの弱さを受け入れる事が出来る者だ。負けから何かを学び取り、ただの勝利以上に価値のあるものを見出し、最後には上辺だけの栄光しか持たない英雄など軽く凌駕する。
勝つ事に意味がないと言うのは綺麗事だが、この国の歴史で語られている伝説の勇者のように、勝つ事だけに意識が行き過ぎて目的を忘れている者が多いのも事実だ。
「『世界を守る為に悪魔を倒す』が、『悪魔を倒して世界を守る』に変わったら世話がないな」
目的と手段が入れ替わり、視野が狭くなったベルゼニア帝国家の者が一体何をしたか。
自己陶酔に満ちた口上をした後、仲間と一緒に吹っ飛ばされただけである。その後、悪魔の前に姿を見せる事はなかった。
「あれはただの勇者ごっこだな」
子どもがやるなら笑って済ませられるが、大の大人が本気で勘違いしているから始末に負えない。しかも他人を巻き込んでやっている辺り、最早呆れを通り越して大した根性だと感嘆を覚える。
かつて自分を帰らせる気にさせた者は、戦わずして悪魔を退けた。特別な力を使った訳でも何でもなく、話をしただけで魔界へと帰らせた。
相手が悪魔でも関係なく、対等な立場で会話をしていたのだ。
これを勇者と呼ばずに何と言おう。しかも奴は大きな魔力を身に秘めながら、それを攻撃手段として使おうとしなかった。他の仲間が担当しているからと言って、あえて仲間を後ろから支える役目を担っていた。
大きく強い力に溺れず、目立たない仕事を自ら引き受け、最後まで謙虚さを忘れない人間。奴こそ勇者と呼ぶに相応しい。
「真の勇者は語らない。ってな」
しかし、大半の人間は黙って実績を重ねた者よりも、中身が空でも派手に目立つ者へ目を向ける。現在伝説として語られている勇者は、大方ベルゼニア帝国家の生まれだと言う理由で祭り上げられただけだろう。
不意に、忘れたままで良かった事を思い出してしまった。あの青髪の人間を見た瞬間に抱いた嫌悪感。あれはかつて自分をこの世界へ強引に呼んだ連中と全く同じものだ。取るに足らない存在だったので完全に忘れていたが、奴らも青い髪をしていた。
ついでにもう一つ余計な事を思い出した。あの一団の中にも青髪の人間がいて、自分の魔力をひけらかすように高威力の魔法を打って来た奴だ。悪魔を倒したのだと得意になっている所に無傷の敵の姿を見て、悪魔の強さはどれ程かを試す為だとか言って誤魔化していた下衆。
人間の中でも群を抜いての愚かぶりである。ただの阿呆だ。
「これだから人間って奴は……」
心底どうでもいい事を思い出してしまった自分を恨みつつ、金髪の悪魔は足を進める。ほどなくして玄関前の広間に到着し、炎に囲まれた階下を見下ろす。
玄関前の広間のほぼ中央。紫の血の海に倒れたヴェノマニア公の姿が炎に照らされていた。
真っ暗な視界の中で火が爆ぜる音が耳を打ち、煙の臭いが鼻につく。
倒れたまま意識を取り戻したヴェノマニアは、目の前で激しく燃える炎を見つめる。
ああ、そう言えば家を焼き払うとか言っていたな。
グミナが屋敷を去る寸前、男の誰かがそう叫んでいたのを聞いた。なら、これは罪人を苦しめる業火などではなく、屋敷を焼くただの火だ。僅かだが油の匂いもする。
当然か、と自嘲する。悪魔と契約した人間は地獄に落ちる事すら出来ず、住み慣れた家を少しずつ焼かれる様を見ながら、じわじわと焼かれて苦しむのがお似合いなようだ。
「目が覚めたようだな、ヴェノマニア」
炎が支配する空間で少年の声が流れる。ヴェノマニアは横にしていた顔を正面に向け、声の主を見上げた。
「悪魔か……」
熱風に髪を靡かせ、背中に羽を広げて立つ姿は、まさしく人間が描く悪魔。最後の時くらいは幼馴染との思い出に浸らせてくれれば良いものを、神はそれも許してくれないようだ。
最後の時。そう考え、ヴェノマニアは体の違和感に気付いた。
おかしい。確かに青髪に刺されたはずだ。刃が胸に潜り込む感触も、体に走った痛みもはっきり覚えている。そのまま死んだのは間違いないはずなのに、どうして意識を取り戻す事が出来た?
手をついて体を起こすと、床に広がる乾いた血が目に映った。大量の血が流れたのは致命傷を受けた証拠に他ならない。なのに、今は出血もなければ痛みも全くない上、高温の室内にいるにも関わらず、汗の一つもかいていないのは何故だ。
無言でゆっくりと立ち上がり周囲を確認する。見えるのは何もかも焼き尽くさんばかりに猛る炎と、その隙間から覗く壁。そして、腕を組んで立つ金髪の悪魔。
「気分はどうだ?」
心配や気遣いのない口調と薄く笑った顔で聞かれる。問いかけの意図が分からず、ヴェノマニアは声を張り上げた。
「気分だと……? 一体何だ! どうなっている! これは夢なのか!? それともお前が何か術でも使ったのか!?」
困惑した表情で叫ぶヴェノマニアに、悪魔はどうも何もと答える。
「見ての通りだ。お前が青髪に刺された後に女達が逃げ出し、屋敷に火がかけられた。夢ではなく紛れもない現実だ。俺様は何もしていないな」
指折り数えて一言付け加える。
「今は、な」
「今『は』?」
最後の言葉が気になり、ヴェノマニアはオウム返しをする。
どう言う意味だ。前は何かをしたのか? 気味が悪い。原因や正体が分からないせいで尚更恐怖が湧いて来る。こいつは一体何をした?
金髪の悪魔は足下に視線を向け、そこに転がっていた物を蹴り飛ばす。いきなり放られた何かを受け取り、ヴェノマニアはそれが何か確かめる。
手の平程の大きさの丸い形をした、持ち手が付けられた小物。屋敷から逃げ出す際に誰かが落とした物だと推測する。
「自分の姿を鏡で見てみな」
さっき光っていたのはこれかとヴェノマニアは納得する。鏡が外の光を反射しながら床に落下していたのだ。
鏡は嫌いだ。醜い自分を嘘偽りなく映し出すから。どうしても見なければいけない時も最低限の視線だけ向けるよう努めていた。長年染み付いていた習慣は簡単に抜けるものでもなく、悪魔と契約をしてからも変わらなかった。
恐る恐る鏡を裏返して顔へ向ける。炎によって鮮明に映っていたのは、紫の目と髪を持った男の顔。
契約前と何一つ変わらない、自分の顔だった。
ヴェノマニアは鏡から目を離し、金髪の悪魔へ戸惑いと怒りが込められた視線を向ける。
何故だ。あいつは確かに「女を魅了する力を与える」と言ったはずだ。だが、顔には何も変化がない。
壁の一部が焼け落ちる音が轟く。憤った表情を炎に照らされたヴェノマニアは叫ぶ。
「お前、僕を騙したのか!?」
契約など最初からしていなかったのか、悪魔の力を得たと勘違いしている人間を笑っていたのかと悪魔をなじる。
「いいや? 俺様は騙してもいなければ嘘も言っていない。契約通り、女を魅了する力を与えたさ」
くっくっと愉快そうに笑いながら悪魔は答え、腕を下ろさずにヴェノマニアを指差す。
「ちゃんと自分の顔を見てみろ」
嘲りの表情を崩さないまま言われ、ヴェノマニアはもう一度鏡で自分の顔を見る。
いくら目を凝らしても、鏡に映っている姿は変わらない。他には背後で炎が躍っている様が見える程度だ。
だが、何気なく傾けた鏡に映ったものを目にして、ヴェノマニアは驚愕の悲鳴を上げた。
「何だ……。何だ、これは!?」
震える手を頭の横に上げてそれを触ると、硬質な手応えが指先に伝わる。自らの身に起こった変化を否定しようと、指が痛くなる強さで掴む。引き抜こうとして引っ張ってみたがびくともせず、焦燥感が広がっていく。
「嘘だ。……嘘だ! どうしてこんなものが!?」
これは夢だ。早く目覚めてくれ。こんなのが現実の訳がない。今すぐ悪夢から解放してくれ。
衝撃のあまり鏡を放り出し、ヴェノマニアは髪を鷲掴みして悶える。
「現実を認めろ。鏡に映っているのは紛れもなくお前自身だ」
悪魔から冷たくも正しい言葉をぶつけられる。
「力を与える事に文句はないかと聞いた時、お前は『構わない』と答えただろう?」
「あ、あぁぁ……」
契約した時のやり取りを淡々と伝えられ、ヴェノマニアは声を絞り出す事しか出来ない。
変えようが無い過去と、嘘偽りのない事実に胸を抉られる。どれだけ後悔しても手遅れだ。悪魔の問いに、自分ははっきりと了承したのだ。
「だから、俺様はお前に悪魔の力を与えたんだ」
貸すのではなく与える。その言葉が何を意味しているかを知らずに。
「お前が望んだ通りだ。屋敷に来る全ての女を魅了出来ただろう?」
違う。こんなのを望んでなんかいなかった。こんな……。
尖った両耳の真上の位置から生えていたのは、人間では絶対にあり得ない大きな角。丸みを帯びて真横に伸びる角は、山羊を彷彿とさせた。
何の代償もないまま、人間が悪魔の力を使える訳がない。ヴェノマニアにそう語るのは、純粋純血の少年悪魔。
「力を使えば使う程、悪魔化するのと引き換えにな」
人間に戻る事は不可能。金髪の悪魔が告げ、人から悪魔となった公爵が絶叫する。
取り返しのつかない過ちを犯してしまった後悔と、不本意な結末を迎えた絶望に。
今にして思えば、おかしな事はいくつもあった。
普通の人ならまず見えないような、離れた位置にある小さな文字が見えたり、聞き取れないような微かな物音を拾えるようになったり。
それは、人間から悪魔へ変わっていく知らせだったのだ。体の内部から徐々に悪魔化が進行し、ついには一目で化け物だと判断される外見になってしまった。
久々に会ったグミナが怯えた表情をしていたのは、これのせいか。あるいは、何かおかしい事に気が付いていたからなのか。
グミナに確かめる術はもう無い。悪魔となってしまったこの身では、会う事も話しかける事も出来ない。そんな行動をすれば、彼女が異端として扱われる。
こんな自分のせいで、グミナが愚鈍な連中から不当に見られてしまうのは我慢がならない。
こんな幼馴染の事なんて忘れてくれ。そして、君の事を正しく見る誰かと幸せになってくれ。
紫の悪魔は血の涙を流し、天井を仰いで再び絶叫する。
直後に炎が一層燃え上がり、二人の悪魔の姿を覆い隠した。
二人の悪魔 9
後味の悪いバッドエンド。たまにはこんなのもいかがでしょうか。
ヴェノマニア公の狂気って、ギャグにしなきゃハッピーエンドに出来ない気がする。
次で終わらせる予定です。
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ご意見・ご感想
目白皐月
ご意見・ご感想
こんにちは、目白皐月です。
ハッピーエンドにならないのは、『ヴェノマニア公の狂気』だけじゃないような気が。『円尾坂の仕立て屋』にせよ『眠らせ姫の贈り物』にせよ『悪徳のジャッジメント』にせよ、ギャグにしないとハッピーエンドはありえないような気がします。実を言うと悪徳は一度ちゃんとした話を書いてみたい気もするのですが、多分、私が書くとろくな話にならないだろうなあ……。
ちなみに「ヴェノさんハッピーエンド」ですが、以前のネタの変形で「動物にのみ懐かれるようになってしまったヴェノマニア」なら、ハッピーエンドになりませんかね……。
ところでこれから、ヴェノさんどうするんですかね? 魔界か山奥にでも引きこもってひっそり生活するんでしょうか。なんというか「みじめ」ですよねそういうのって。
2011/11/14 00:13:21
matatab1
こんにちは、matatab1です。
その四曲はギャグにしないとハッピーエンドは大体無理ですね。元が悲劇だと却っていじりたくなる気もありますが。
この作品をハッピーエンドにするなら
A 動物に懐かれまくる内に心が癒され、ヴェノ公は前向きに生きるようになる
B レンが全くやる気を出さず、そもそも契約を行わない
C グミナとレンが意気投合し、ヴェノ公の性根を叩き直す
のどれかですね(笑) どれを選んでも正解です。
この世界では悪魔=絶対的な悪と言う傾向なので、人から悪魔となってしまった以上、ヴェノ公はもう世間には出られません。力を得るために失ったものは大きすぎました。
人目を避けて暮らすか、レンの魔界に世話になるか、心まで悪魔となって暴走するか。こんな感じかな?と言うのはあっても決めて(考えて)はいないので、その辺りはご想像にお任せします。
2011/11/14 19:29:07