悪食娘コンチータ 第三章 暴食の末路(パート8)
「オルス。今日は不寝番だ。」
フレアが用意した心づくしの夕餉を終えて寝室に移動したところで、グリスがオルスに向かって唐突にそう言った。寝室はグリスとオルスの二人で一部屋を利用することになっている。
「はい?」
いきなり何を言っているのだろう、という不信感に満ちた表情でグリスがそう聞き返した。
「とにかく俺の話を聞け。まだ推測の領域を出ないが、バニカ夫人は俺達を殺す気かも知れない。」
「グリス。」
呆れるように、オルスはそう言った。
「まさかあのバニカ夫人が、そんなことをするとは思えない。」
「いいからまずは俺の話を聞け、オルス。」
オルスの問いかけに対して、それでも冷静にグリスはそう言った。そのまま、グリスはオルスに自らが保有している情報のすべてを伝えてゆく。ヴァンヌという元バニカ夫人の料理人から注進があったこと。天井に血痕がこびりついていたこと。ワイン樽の中に死体が隠されていたこと。
そして、バニカ夫人が相当な悪食に手を出していたこと。
「まさか。」
すべての話が終わるころ、それでもオルスは信じがたいという様子で、そう言った。
「信じられないのは分かる。お前は特に、バニカ夫人には愛着があるだろうからな。」
グリスはそう言いながら、小さな溜息を漏らした。そのまま、言葉を続ける。
「何も起こらなければ、それ以上の出来事はないさ。」
そして、深夜。
こつり、という小さな物音で、フレアはぼんやりとその瞳を開いた。
周囲は暗い。今日は張り切って四人分の夕食を調理したせいか、フレアは疲れ果てて、後片付けを終えて寝室に入るとすぐに就寝してしまったのである。
いま、何時だろう。
何となくそのようなことを考えて、月明かりを頼りにフレアは懐中時計を開いた。丁度日付が変わった頃合いである。
まだ、全然時間があるわ。
フレアはそんなことを考えながら、もう一度シーツに包まろうとしたとき。
もう一度、今度は足音らしい音が響き渡った。
誰だろう、とフレアは考える。オルスとグリス先生は確か隣の部屋を寝室にあてがっていたはず。用でも足しに行くのだろうか、とフレアが考えたとき、ゆっくりと自らの寝室の扉が開かれた。
「誰?」
流石のフレアも小さな恐怖を覚えながら、ベッドからその身を起こす。
「ああ、起きていたのね。」
フレアの問いかけに対して、扉を開けた人物がそう答えた。
「お姉さま?」
「ええ、そうよ。」
突然の訪問にフレアは驚きながらも、枕元に用意されていたランタンに火を灯した。その陰に浮かびあがったバニカの姿を見て、フレアは思わず息を飲み込んだ。
「ねぇ、フレア、貴女は私のことをどう思っているの?」
バニカが口を開いた。その右手には、血糊がこびり付いた、刃渡り二十センチはあるだろうハンティングナイフがしっかりと握りしめられている。
「勿論、尊敬しておりますわ、お姉さま。」
そう答えながらフレアは、バニカからただならぬ気配を感じて、慎重にベッドから立ち上がった。
「そう、嬉しいわ。」
バニカがそう言った直後、有無を言わさぬ勢いでバニカはナイフを中腰に構えてフレアに向かって突進を仕掛けてきた。すんでのところで身体を反らして、必殺の一撃を避ける。
「お姉さま、これは一体!」
「駄目よ、逃げちゃ。」
ふふふ、とバニカは哂った。そのまま、言葉を続ける。
「私ね、究極の美食を見つけたの。なんだか分かる?」
「分かりませんわ、私には。」
ニンゲンノ オニク
にたり、と笑みを漏らしながら、バニカはそう言った。そのまま、言葉を続ける。
「美味しいの。人間のお肉。ねぇ、フレア。きっと貴女は他の誰よりも美味しいわ。」
狂ったように、バニカは続ける。少しでも間合いを測りたくて、フレアはじりじりと後退した。運よく、先ほどの攻撃の際にお互いの位置が入れ替わっている。今はフレアの方が扉に近い。
「ねぇ、私の役に立ちたいのよね、フレア。ああ、本当に可愛いわ、私の大切な妹。だからね、」
「私の為に、お肉にナリナサイ。」
再び、バニカがナイフを振り上げた。その姿を見ずに、フレアは背中を向けて一目散に寝室から飛び出して、廊下を走る。その背後から、激しい足音を響かせながらバニカが迫る。
「待ちなさい、フレア!」
怖い。
フレアは心の奥から、そう思った。
どうして、どうしてこんなことに。
不意に溢れた涙をぬぐう暇もなく、フレアは走る。どこに?行くあてなどない。ただ、殆ど本能に任せるようにフレアは逃げた。
狂乱するような笑い声が背後から響く。
もう、お姉さまの心は壊れてしまったの?
視界がぼやけた。廊下の端に追い詰められて、とっさに隣にある階段を駆け上がる。一度踊り場で身体の向きを変えようとして。
足がもつれた。
あ、という声を出す以外に抵抗する余裕もなくフレアはそのまま踊り場に倒れ込んだ。
「もう、逃げちゃだめよ。」
妙に落ち着いた口調で、バニカがそう言った。
「お姉さま、やめて。」
嫌だ。
「駄目よ、フレア。苦しまないように殺してあげるから。」
そう言いながら、フレアの目の前に立ったバニカは堂々とナイフを振り上げた。
嫌だ。
助けて。
ねぇ、助けてよ。
あんた、それでも赤騎士団なんでしょ。
悪党を素手で倒せるくらい、私を守れるくらいには強いんでしょう・・!
フレアはわずかでも現実から逃れるように、きつく瞳を閉じて。
そして叫んだ。
「助けて、オルス!」
強い痛みを覚悟したフレアが感知した感覚は、痛みではなく強く響き渡る金属音だった。その音を鼓膜に納めて、フレアは恐る恐る瞳を開ける。
その視界には、広く、頼りがいのある背中。腰をかがめた体制で剣を抜き放っているらしい彼の頭上には、バニカのナイフと彼の剣が火花を散らすように交錯している。そしてバニカは、突然の出来事に驚愕しきった様子でその瞳を見開いていた。
「オルス・・。」
まるで赤子のように安堵しきった様子で、フレアは吐息を漏らすようにそう言った。そのフレアに対してオルスは一つ頷き、軽い手つきでナイフをはじく。オルスの動きによろけながらバニカは数歩後退した。
「そこまでです、バニカ夫人!」
階下から、鋭い声が響く。グリスであった。彼にしては珍しく、似合わないレイピアを抜き放って、バニカに向かって突きつけている。
「ナイフを捨ててください。貴女を殺人未遂の罪で逮捕いたします。」
グリスがそう言って、階段に一歩足を載せた。
「いや、いや!」
その時、バニカはまるで駄々をこねる幼子のように首を振りまわした。
「嫌よ!私はもっと美味しいものが食べたいの!」
そう言って、そのまま三階へと向かって走り出す。攻撃を警戒したオルスとフレアを無視して、バニカは激しい足音を響かせながら階段を駆け上った。その紅いドレスの端が廊下の向こうへ消えてゆくのを、オルスとフレアはただ呆然と眺めた。
「何をしている、オルス、早く行くぞ!」
続けて駆け上がってきたのはグリスであった。だからグリス、抜き身のレイピアを振り回すなよ。危ない。
オルスがそう考えている間にもグリスはバニカ夫人を追って三階へと駆け上った。そのグリスの後ろを追おうとして、オルスはふとした事に気付く。
フレアは腰を抜かしたものか、床に腰を下ろしたまま、まだ呆然とした視界を彷徨わせていた。この光景、何か見覚えがある。
いや、あの時だ。もう随分前、コンチータ男爵の墓参りをした時。自分とフレアがぶつかって。こういう時、どうすれば最善だったか。
オルスはそう考えて、空いている左手をフレアに伸ばした。
「立てるか、フレア。」
こくり、とフレアは小さく頷いて、オルスの左手を握りしめる。
初めて触れたフレアの手は、予想以上に小さく、そして柔らかかった。あんなに気が強いのに、こうしてみるとまるですぐ壊れてしまいそうな、それでいてとびきり美しい、小さな宝石細工のようにしか思えない。そう感じてオルスはフレアをゆっくりと立たせた。
「歩ける?」
続けて、オルスはフレアにそう訊ねる。
「ちょっと、足を挫いたみたい。」
「わかった。」
オルスはそう言うと、剣を鞘に納めて、両手でフレアを持ち上げた。いわゆるお姫様抱っこの状態で。
「ちょっと、オルス!バカ!」
恥ずかしがるようにフレアはそう言った。
「それだけ元気なら十分だ。とにかく、その足じゃ階段を登れないだろ。」
こっちだって恥ずかしい。もう、余計なことを言わせるな。
「ばか、も、もっと大切に扱いなさいよね・・。」
せめて抵抗するように、フレアは消え入りそうな声でそう言った。
ああ、成程。
その言葉を耳にして、オルスは納得したように一人頷いた。
女性がこんなに繊細な生き物だなんて、今まで知らなかった。だから、グリスは口を酸っぱくして女性を大切にしろと言っていたのか。
「お肉、私の大切なお肉!」
三階へと駆け上がり、無我夢中で自室に籠ったバニカは、狂乱したような口調でそう言った。
もう食べられない、ああなっては食べられない!
美食が、最高の、究極の美食がもう食べられない!
自らの髪を掻き毟り、まるで血のように紅い唇を噛み切らんばかりの勢いでバニカは悶えた。そのまま、握りしめたナイフで手当たり次第に室内の装飾品を破壊し始める。怒りと絶望に任せるままに。ベッドの羽毛は切り裂かれて空を舞い、小ぶりの机には大きな切り傷が付け加えられた。配置してある美術品はことごとく破壊され、そして最後にバニカは化粧台の鏡にナイフを叩きつけようとして。
そして気付いた。
鏡に映し出された、自らの肢体を。そのまま、ぼんやりとバニカは自らの右腕を見つめた。
ああ、そうだ。どうして私はこんな簡単なことに、今まで気付かなかったのだろう。
今まで怒り狂っていたことに奇妙な滑稽さを覚えて、バニカは哂った。音程を壊した、気の狂ったような声で、出せる限りの大声で。
マダ タベルモノ アルジャナイ
声にならない声でバニカはそう言った。そのまま、自らの右手に勢いだけで噛みついた。激しい鮮血と、全身を駆け巡る、痺れるような歓喜。
でも、まだ足りない。そう、このお肉は何かが足りない。
バニカは唸るように声を漏らし、自らの血液を吸い上げながら、そう考えた。
ナニガ タリナイノ
『当たり前です。』
そう言えば、以前リリスがそんなことを言っていた。
『熟成していないお肉が美味しいわけ、ありませんわ。』
そう、その通りだわ。熟成、そう、お肉は熟成させなければ。
バニカはそう考えた。そのまま、既に骨が見えるまでに欠けて使い物にならなくなった右手から、ハンティングナイフを左手に持ち替えた。
そしてそのナイフを自らの身体に向けて。
サア オニクヲ イタダキマショウ
小説版 悪食娘コンチータ 第三章(パート8)
みのり「ということでパート8です!」
満「ギリギリの時間になったが、これでコンチータも残すところエピローグのみだ。」
みのり「予想以上に時間かかりましたけど。」
満「うん。当初五万字程度を計算していたんだが、気付いたら九万字越えてた。」
みのり「途中グロテスクな表現もふんだんだったねぇ。。」
満「苦手な方が沢山いたと思う。申し訳ない。」
みのり「最後の最後で過激な表現があったけど。」
満「まあ・・・表現の都合上仕方ないということで。」
みのり「そうね。では次回、エピローグでお会いしましょう!ではでは!」
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