♯ ♯ ♯
「マスター、今日はどんな曲ですか?」
ディスプレイから、コバルトブルーの髪をなびかせた少女が尋ねる。
「今日のはちょっとロックテイストが強いヤツだ。英語もけっこう入ってる、悪いな」
「え゛ー、英語ですかぁ……ひどい、わたしが苦手なこと知ってるクセに!」
少女は、ブラウスの腰に手をあてて怒ってみせる。
「ははっ、そういうなよ。これも練習さ」
「んー……でも、ロックはちょっと興味あるかもです。うふふ」
やわらかく微笑み、少女は新たに作成された音楽ファイルを“再生”する。
彼女の歌い方はどこか舌っ足らずで、多くを語らない。
ラウドなロックにはミスマッチかとも思ったが、歪んだギターをバックに歌う彼女の声は“クールな優しさ”とでもいうような印象で、見事な対比を聴かせた。
――いけそうだ。
彼は、彼女の可能性にあらためて感心した。
作成した音楽ファイルは、30個ちかくになった。
もともと音ゲー好きの彼である。
ゲームのサウンドトラックCDを買ってきては、自分なりに耳コピして、それを打ち込む……という作業に没頭していた。
オリジナル曲など、そうそう作れるものじゃない。
まずはコピーに自分なりのアレンジを加えたもの、インストルメンタル曲なら歌詞を自作してのせたもの。
そういうふうに、“半分コピーで残り半分オリジナル”という制作を続けていた。
♯ ♯ ♯
大学という場所は、特に社交的なわけでもない彼でも、コンパのお誘いがかかるものである。
合コンと言うには人数が多すぎる、いわゆる“クラスコンパ(クラコン)”だ。
彼は、自分がただ単に人数合わせ、あるいは会費集めのためだけに呼ばれたと知っていた。
いつもなら断るのだったが、どういうわけだか魔が差したのか……。
強引に誘われた、というのもある。
彼はそのコンパに出席した。
けれど、出席して彼は、後悔したのだった。
案の定というほかない。
特に話す話題もなく、よく見知っている友人たちは見知らぬ女の子たちと盛り上がっていて、彼のところへは来ないのだ。
自然と、酒を飲む回数だけが増える。そして、早く帰りたいな、としきりに思う。
ようやく一次会が終わり、店の外で屯しているとき。
彼は会費を払い(高すぎると思える値段だった)、そっと姿を消した。
やりきれない思いだった。
なぜ、こんな扱いを受けなきゃならなかったんだろう。
いや、友人たちに悪気はないのだ。
ただ、彼が、“コンパに不向きなひと”であっただけなのだ。
気持ちが悪い。
比喩的表現でなく、悪心がある。
きっと、飲みすぎたのだ。
酒は弱いほうではないが、話すことが無いので間が持てず、つい飲みすぎてしまった。
文字通り、まずい酒だった。
気まずい思いを、グラスを空けることで取り繕おうとした結果だ。
途中の駅で降りて、公衆トイレに駆け込む。
便器に向かって吐く。
惨めな思いからか、それとも嘔吐に伴う生体反応か。
彼の目から、涙が、ぽろぽろと溢れ出した。
ようやく落ち着きを取り戻してトイレから出ると、駅の出口にシャッターがかけられようとしていた。
終電時間を過ぎたのだ。
コンパの会場は彼の自宅からはやや遠いところにあったので、遅くなると終電に間に合わなくなる。
そんなに遅くなることはない、一次会でバックレるんだし……とタカをくくっていたのだったが……
――なんてこった。こんなところでまで、締め出し食らうってのか。
いいようのない絶望感に囚われ、彼は、駅の周辺の夜の街を、ふらふらと彷徨う。
夜明けまで、つまり始発が動き出すまで。時間をつぶす、つまり夜を明かす必要がある。
24時間営業の店を探したが、見当たらない。
閉ざされたシャッターや落とされた照明が、彼の孤立をいっそう際立たせる。
あらゆるものから、受け入れを拒まれた存在。
普段は降りたこともない駅だ。
周辺には不案内である。
公園を見つけ、ベンチに崩れ落ちるように掛けた。
人気の無い公園は、しんと静まり返っている。
虫の鳴き声と、遠くで聞こえるトラックの走行音だけが、微かに耳に入るくらいだ。
いくらか楽にはなったものの、まだ胃のあたりが暴れているような感覚がある。
ベンチに凭れて夜空を見上げる。
都会の空は、いつだって星が見えたためしが無い。
見えるのは、排ガスに反射された街灯やネオンの、ぼうっとした光だけだ。
誰かが、公園に入ってきた。
さく、と砂利を踏む音が聞こえる。
――カップルじゃないだろうな。
青年がはじめに思ったのは、それだった。
もう、「リアル」を見せつけられるのは、ゴメンだった。
さく、さく……と足音が近づいて来る。
その音が、ごく近くまで来たところで、止まった。
「マスター?」
聞き覚えのある、丸みを帯びた高い声。
――まさか。そんなこと、あるはずが無い。
身体を起こして、目を開ける。
小さな黒い靴。
そこから伸びる、黒のストッキング。
チャコールグレーのミニスカートの上に、ライトグレーの袖なしブラウス。
トレードマークであるコバルトブルーのネクタイが揺れている。
そのネクタイの前に、アームウォーマーをつけた手が所在なくあてられて……
初音ミク――そう呼んで差し支えないと思う――は、ほっとした表情で、彼を見つめていた。
♯ ♯ ♯
「ちっとも帰ってこないから、心配で探しに来ちゃいました♪」
首を傾げて、にっこり笑う。
「終電が、無くなっちゃったんだ」
彼は自嘲気味に笑いながら、言う。
「しゅうでん、って何ですか?」
隣に腰掛け、首を傾げて尋ねる。
彼女の髪が、ふわりと風に揺れて彼の頬をかすめる。
「電車の店仕舞いってとこかな。明日の朝にならないと電車は動かない」
彼は言いながら腕時計を見た。
始発が出るまで、まだ4時間近くある。
「じゃあ、歩いて帰りましょうか」
ミクは、あっけらかんと言って、立ち上がるとにっこり笑って彼を見た。
「……仕方ないな」
――どうせ、ここにいてもしょうがない。
――この娘と一緒に、夜道を適当な駅までハイキングのように歩くのも、いいかも知れない。
彼も、苦笑いしながら腰を上げた。
身長160cmに満たないミクは、並んで立つと彼の肩辺りに目線がくる。
ベンチから立った彼は、まだアルコールが残っているのか、ふらついた。
その彼を慌てて支え、
「マスター……お酒、飲んでますね?」
ミクは咎めるように言う。
「そりゃ飲むよ……コンパだもん」
彼は言いながら、鳩尾の辺りを押さえる。
まだ、えづくような感じが残っている。
「大丈夫ですか……?」
彼女が、心配そうに彼の顔を見上げる。
彼女の小さな手が、彼の背中に当てられる。
――こんなふうに、誰かに心の底から心配されたことって、あったろうか。
彼は、ミクの優しさを感じながら、涙が出そうになるのをこらえて、言った。
「ミク」
「はい」
「あの曲……歌って、くれないか」
よく知られた、バラード曲。
彼が、打ち込みの練習として使ったものだ。
純粋な気持ちだった。
この可憐な少女の、艶やかな声を、もっと美しいかたちで、聴きたい。
ただ、それだけだった。
彼女は、呟くような声で、けれどしっかりとした音質で、歌を、再生した。
深夜の公園。
アカペラで奏でられる、歌。
喩えようも無く、美しく響いていた。
♯ ♯ ♯
大学の夏休みは、ほとんどが作曲活動に費やされた。
彼は、その時間でDTMのノウハウを概ね手に入れ、またボーカロイドの扱いにも習熟して、暇さえあれば“曲作り”のネタに出来ないか、考えるようになった。
そうして彼はいつしか、「オリジナル曲」を強く意識するようになった。
アレンジやコピーじゃない、誰かのモノマネでもない、完全に自分の中だけから生まれた音楽。
――出来たものが偶然、既存のものに似てしまったとしても、それは仕方がない。
――とにかく、“オリジナル”であることが、重要なんだ。
とっくに夏休みは終わったのだったが、彼はほとんど大学に行かなくなっていた。
実家暮らしではあったが、朝は大学に行くフリをして家を出て、両親が仕事に出る時間を見計らって自宅に戻る。
そして自室のパソコンに向かい、作業を続ける。
両親が帰ってくれば、「授業が早く終わったんだ」と答えればよい。あるいは、「休講になった」と言うのでもよい。
たまには、その前に再び外へ出て本屋などで適当に時間を潰し、帰宅すればあたかも大学から帰ってきたように見える。
いずれにしても、大学という所は言い訳のタネに事欠かない。
彼は存分に、ボーカロイドへの曲を作り続けた。
A kind of Short Story from 『tautology』 2/4
※2ch創作発表板にて投稿した作品の改訂版です
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