ふと意識が戻ると、どうしたものか、一瞬で眠気が消え去っていった。
 外界とカーテンで遮断された、この薄暗い場所に視線を巡らすと、私の脳裏に、昨日眠りに付く前の記憶が鮮明に蘇った。
 クリプトンでの仕事も遂に佳境へと突入し、押し寄せる仕事のおかげで長らく帰宅できない状態となってしまった私に、クリプトン本社に務める友人、ランスが、本社ビルであるクリプトンタワーの来賓用宿泊室を私の為に用意してくれたのだった。
 PCが一台あれば済む仕事には贅沢すぎる程豪華な部屋だが、環境は良いに越したことはない。私は彼の厚意に甘え、ここで一夜を過ごした。そこまでが記憶として残っている。
 だが、今腰を降ろしている椅子がオフィスチェアではなくマッサージチェアで、傍らにあるテーブルに、ウィスキーのボトルとグラスが転がっていることを見ると、私が途中で仕事を放り投げて、冷蔵庫の中にあったウィスキーで晩酌を始めたのは明らかだった。
 私が仕事に使用していたノートPCは、何故か私の膝の上にあった。アルコールを摂取した後も、私は仕事を続けようとしていたのだろうか。この時ばかりは、私が仕事熱心なのか、それとも怠け者なのか疑問に思えた。
 その時、グラスに寄り添うようにして、テーブルの上に置かれた携帯電話が着信の音楽を奏で始めた。
 今が朝か夜かは分からないが、寝起き早々誰かに呼び出されるのは気分のいいものではない。私は小さく溜息を吐きマッサージチェアに深く腰掛けたまま、腕だけ伸ばしてその呼び出しに応じた。
 「はい。」
 『世刻大佐か? 俺だよ。』
 応じた私を出迎えたのは、ランスの声だった。これなら相手を気遣い話し方を気を付ける必要がない。
 「そうですが。」
 『仕事の方、うまく行ってる?』 
 こんな時に何を言いに来たのかと思えば、うまく行ってる? とは、苛立を通り越して呆れて果ててしまうが、そこがいかにもランスらしい。
 「お陰さまで。貴方が贅沢なお部屋を用意してくださったおかげでね。そうそう、冷蔵庫の中にあったものを少し頂戴しました。」
 『ははは。あんたが好調ならそれで結構だ。明日から大分忙しくなるから、気力と体調は保っとけよ。』
 「ところで、ランス。今は何時ですか?」
 『午前五時半だが。』
 「なるほど・・・・・・で、私に何の御用ですか。ウォーヘッド部長。」
 たとえ挨拶や戯言程度の会話にしろ、そんな自分も寝ているだろう時間にわざわざ連絡をよこす彼ではないことは知っている。
 では何故今私を電話で呼び出したのかといえば、今すぐに、私に伝えるべきことがあるからだ。
 「私に伝えるべきことがあるんじゃないですか。」
 『ご明察。そうだよ。まぁ今伝えなくても良かったんだけど。あんた・・・・・・異動の命令が来てるよ。』
 「ほう・・・・・・。」
 ランスの異動という言葉にどことなく胸が馳せ、私はマッサージチェアから弾みをつけて飛び起き、カーテンに向かい歩き出した。
 「もっと詳しく。」
 『大佐殿は前々から、ホームズの生体アンドロイド技術に目を付けていたね。なら、これは絶好のチャンスだ。今回の計画で、アレの開発に立ち会えるぞ。』 
 「・・・・・・!」
 その言葉に私は言葉を忘れ狂喜した。 
 この喜びは、玩具を手に入れた子供のような、純粋無垢な喜びで、そして同時に、野心に満ち満ちている。
 『今日いつも通り出社したら、詳細を教えてやる。明日に移動となるのは明らかだがな。』
 「分かりました・・・・・・。」
 『ま、伝えることは以上。それじゃ失礼。』
 適当極まりない挨拶を告げ、通話は勝手に途絶えていた。
 私は携帯電話をテーブルの上に投げると、カーテンを開閉するボタンを押し込んだ。
 高さ数メートルもある巨大なカーテンが左右に別れめと、視界の隅々まで水面都が雄大に広がり、神々しい陽の光がその姿を黄金色に染めていた。
 ・・・・・・この光は、クリプトンの我々の栄光の為に。
 

 ◆◇◆◇◆◇
 
 
 目の前の立鏡には、自分の手足を手に入れ、完璧な人の姿となったミクが映っていた。
 「どうかな・・・・・・?」
 「似合う! すごく似あうよミク!!」
 僕は、もう溢れ出る感動を押えきれずに瞼の奥を熱くしてミクを抱きしめた。
 朝っぱらから、それこそミクと目覚めてからミクのことしか眼中になかった。 
 早速鈴木君から貰った可愛らしい服を着せたり、ツインテールとリボンを整えたり、そしてほんのさっき届いたばかりの、義肢取り付けに夢中だった。
 「ミク、立ち上がることはできる?」
 「う・・・・・・ううん。まだ・・・・・・。」
 ミクの手足は根元から完全に無いというわけではなく、足は大腿、腕は肩までを造っておいたおかげで、義肢の取り付けがスムーズだった。
 接合部分の上から人工皮膚を被せればほとんど目立たないし、服を着せれば、義肢であることなど忘れてしまいそうなほど目立たない。
 しかし、新しく四肢を手に入れたミクでも、まだ床に座り込んでいる状態だ。流石に、すぐにでも立ち上がれるというわけではなかった。
 それでも、僕はなんとか、早くミクを自分の力で地に立たせて上げようと考えていた。
 「ミク。少しづつでいいから、立ち上がる練習をしよう。僕も手伝うから。」
 「うん。」 
 僕は優しくミクの体に両手を添え、彼女の大腿の動きに合わせて、ゆっくりと、慎重に持ち上げていく。
 ミクは手にいれたばかりの手足を自分の物にしようと必死に力を入れるが、安定して自室の床を踏むことができない。神経の通っていない義足でも、内蔵されたオートバランサーでミクの動きを感知すると同時に、その体を可能な限り水平に維持しようとするなど、ミク独立を手助してくれるが、最終的には、ミクが作り物の手足に体を慣らさねばならない。
 だから僕も、ミクと手を取り、それを手助けするのだ。 
 「大丈夫?」
 「うん・・・・・・もうすぐ・・・・・・。」
 不安定に震えるミクの体が、徐々に持ち上がっていく。半分は僕と義足の力、でももう半分は、ミクの力だ。
 義肢を取り付けてまだ一時間も経ってはいないのに、ミクは僕の両腕に半分以上の体重を預けながらも、慣れない両足で立ち上がろうと両足を床につけ、力を込める。
 恐らくミクの大腿には、生まれて初めて直面する高い負荷がのしかかっていることだろう。ミクの強張った表情を見れば、ミクがどれほどの苦痛を感じているか、痛いほどわかる。
 「ミク、大丈夫? 痛かったら少し力を抜いても・・・・・・。」
 「まって・・・・・・もう少し・・・・・・。」
 ミクは決して苦痛には屈しなかった。完成して数週間の未熟な肉体を叱咤しながら、自らの力で立ち上がろうとするその姿は、余りにも健気で、僕の胸を締め付けた。まるで僕も、ミクと苦労を共にしているかのように。
 長い時間をかけながら、ミクの足は徐々に垂直に伸びていきそして、ミクの顔が僕のお腹まで近づいた。
 もうすぐ、もうすぐだ! 僕は胸の中で叫びまくり、ミクの足が完全に伸ばされる時に待ち焦がれた。
 そして、遂にミクの足が伸びきった。僕を支えにしながら、ミクは自分の足で、立ち上がったのだ。
 「やった・・・・・・!」   
 「立てた・・・・・・わたし・・・・・・。」
 「やったよ! ミク!!」
 それは、生まれて初めて、自分の子が立ち上がった時に、両親が味わう感動そのものだった。
 ミクは立ち上がった。そして、ふらついた足で、僕と向き合ったのだ。
 僕は嬉しさのあまり、もう涙を堪えることができなかった。
 「ミク・・・・・・すごいよ・・・・・・すごいよ・・・・・・。」
 彼女を抱きしめながら、僕は感動のままにむせび泣いた。
 今この時ほど、僕はこの命があることに感謝したことはない。
 「ひろきが・・・・・・いてくれたから・・・・・・ひろきのおかげ・・・・・・。」
 ミクの腕は弱々しく僕を抱き、その美しい声が優しく耳元で呟いた。そんなミクを実感していると僕の瞼からまた涙がこぼれ落ちてしまう。
 どうして、僕はこんなに涙もろいんだろう。こんなに泣いたことは生まれてから今まで一度たりともなかった。
 なら、きっと今まで流さなかった分の涙が、ここで今流れているんだろう。そう感じる。
 「ミク、少し、休憩する?」
 「ううん。こんどは歩く。」
 「無理しなくていいんだよ?」
 「わたし・・・・・・はやく、ひろきといっしょに、歩いてみたい。」
 ミクは真摯な瞳で、僕を見つめた。
 深紅の瞳に宿る輝きは、その中に固い意志があることを表していた。
 「分かった・・・・・・続けよう。」
 僕は再びミクの手を取り、少しづつ、その手を引き始めた。
 次は、歩行の練習だ。
 無理をさせてはならないとは思うが、どうしても、今夜、ミクに見せたいものがあった。
 闇夜に浮かぶ、あの美しい金色の姿を。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

Eye with you第十話「自立」

黒ミクさんのターンが長引きそうです。
いいもんね。黒ミク好きだもん。
前作と比べてタグの減少っぷりに吹いた。

閲覧数:182

投稿日:2010/04/12 23:56:30

文字数:3,698文字

カテゴリ:小説

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