俺の様子に気付いたか、ミクと美憂の纏う空気がほんの少し冷えた。
一緒に暮らしているミクはともかく、美憂は普段鈍いくせに、時々やたらと鋭いから困る。
どうしたものか、と考えたところで、意外と冷静な自分に驚いた。
―Lullaby―
第四話
「マスター? 南海さんも、どうされたんです?」
玄関の沈黙を破ったのは、若い女の声だった。
いつまでもぐだぐだとしているのを疑問に思ったのだろう。ひょこりと顔を出した彼女は、心底不思議そうな顔をしていた。
「あ……ごめんねグミ、ちょっとびっくりしちゃって……」
南海が無理に笑って―少なくとも俺には無理に笑っているように見えた―説明された彼女は、緑色の髪を揺らして首を傾げた。
しかしすぐに足元の少女を抱き上げて、俺たちに笑いかけた。
「えっと、将哉さんのお知り合いの方ですよね? はじめまして、GUMIです。ほら、マスターも」
「う? はいめまちて?」
グミに言われて挨拶してみたものの、この得体の知れん大人たちは誰だろう、というような目で見てくる。
そんな娘に、隣にいた先輩が表情を崩したのがわかった。
「うんうん、あーちゃんはいい子だねー。ね、可愛いでしょ、うちの娘」
「そ、そうです、ね?」
たじたじになりながら返すと、先輩はさらに娘自慢を展開しようとしたのか、口を開きかけたが、南海が呆れたように声をかけてきた。
「ねえ、いつまでそこで待ってもらうつもり? すみません、どうぞ上がって下さい」
「あ、ごめん、つい」
「ついじゃないわよ、もう……」
言いながらも、彼女の目は笑っていて、何故だか少し、気が軽くなった。
「お邪魔します」
「どうぞー」
「ろーじょー」
口々に決まり文句を口にすると、グミがにこやかに返してくれる。それを舌っ足らずに繰り返す少女に、思わず頬が緩んだ。
元々子供は嫌いではないつもりだったが……うん、可愛い。先輩がでれでれするのも頷ける。
「……ちょっと悠」
「あ?」
小声で呼び止められて、振り向くと、美憂が真剣な表情で見返してきた。
「無理しないでよ。しんどくなったら言いなさいね」
「あー……多分大丈夫だから、心配すんな」
「多分って……」
「そんな気がするんだよ」
なおも何か言いたげな彼女をおいて、先輩の背中を追う。
大丈夫な気がする、というのは嘘ではない。最初こそ驚いたが、不思議と以前ほどの戦慄も息苦しさもない。
良いこと、なのだろうが、どうしたことだろう。
「……?」
リビングに入りかけたところで、ふと、娘さんの視線とぶつかった。
初めて見る人物に興味があるのか、まじまじとこちらを見つめてくる。
「えーと……あやちゃん? どうかしたのかな?」
南海が名前を呼んでいたのを思い出しつつ、怖がらせないように気を付けつつ、話しかけてみたが、返事はない。何やら熱心に俺の方を見てるんだが……何だと言うんだ、一体。
「眼鏡が珍しいんじゃないでしょうか。将哉さんも南海さんも裸眼ですし、私もゴーグルをしたことはないですから」
「ああ、なるほど、それでか」
どうしたものかと考えていると、グミが助け舟を出してくれた。
果たして、グミの推測は正しかったようだ。そうこうしている間に、あやちゃんが手を伸ばしてきたので、身を引いた。彼女には悪いが、眼鏡を奪われるわけにはいかない。何事もなく戻ってくるならいいんだが、曲げられたり壊されたりしたら、たまったものではない。
「うー」
「ごめんな、これ、兄ちゃんの大事なものだから」
「あれ、でも僕らと同じくらいの年なんだから、あーちゃんからしたら兄ちゃんじゃなくておじさんじゃない?」
「おじっ……?!」
先輩の言葉に軽くショックを受ける。二十代でおじさん呼ばわりは傷付くぞ……せめておにーさんと呼んでほしいものだが、厳しいか? 厳しいもんなのか?
「まあ、その子もおじさんとまでは思ってないんじゃないかな……と、とりあえず座ったら? お茶いれてくるから」
「あ、ああ、悪い」
やはり気まずいのか、俺に向けられる南海の笑みがぎこちない。それでも平静さを保とうとしているのが見て取れるあたり、先輩に気を使っているのだろうか。
勧められた椅子に腰掛けると、ことりとコップが置かれた。
隣に美憂が座るが、その笑顔は固い。大人しくしていてくれる気がしないんだが、俺がちゃんとフォローしてやれるだろうか。
今のところは意外と落ち着いているが、過ぎた話を掘り返されるのは、流石にごめんだ。
「とりあえず自己紹介から……と思ってたんだけど、まさか顔見知りとはね」
「ほとんど会ってませんでしたけどね。旦那さんが先輩とは知りませんでしたし」
「私だって、将哉さんの後輩が白瀬君だなんて知らなかった。えっと、そちらは……?」
「俺のイトコ。黒部美憂」
俺が紹介すると、美憂はにっこりと笑った。嫌な予感しかしない。
「はじめまして、黒部です。昔は悠がお世話になってたみたいですね」
「は、あの、こちらこそ……」
美憂の言う『お世話』に心当たったのだろう、南海の返事の歯切れが悪い。
まったく崩れない美憂の笑顔にぞっとした。こいつにこんな一面があるとは……女って怖い。
「美憂、あまり余計な事言うなよ。そういう話をするために来たんじゃないだろ」
「……そうね、そうだった」
内心で言い返されやしないかとびくびくしつつ、表に出さないように気を付けて言うと、意外とあっさり美憂は引き下がった。
少しだけほっとしつつ、所在なさげに成り行きを見ていたミクを呼んだ。
「先輩にはもう紹介したけど、うちのミク。仲良くしてやってくれな。……ミク、挨拶」
「あっ、はい、えっと、初音ミクです、よろしくお願いします!」
グミに向かってぺこりと頭を下げる。先ほど先輩に挨拶した様子と似ているが……彼女も、南海と目を合わせないようにしているらしい。
妙なことを考えていなければいいが……。
「丁寧にありがとうございます、GUMIです。こちらこそよろしくお願いします。それで、えっと……そちらは、KAITOさんでいいんですか?」
「ああ、僕のことは帯人と呼んで下さい。……ふふ、KAITOって呼ばれるの、久しぶりだなあ」
そう言って小さく笑った帯人に、自嘲の色は見えなかった。思えば、彼も随分明るくなったものだ。
「で、うちの嫁と、彩香ちゃんです」
最後に先輩が南海と、彼女の腕の中の女の子を手で示して、南海が小さく会釈する。
あやちゃん、ではなかったのか。まあ、あやかちゃんよりは、あやちゃんの方が呼びやすいか。
「さて、自己紹介も終わったし、堅苦しいのはここまで。グミ、一回VOCALOID同士で話しておいで」
「で、でも将哉さん、マスターは……」
「あーちゃんは僕らで見てるから。こうも人がいっぱいだと緊張するだろう? 何なら出かけてきてもいいよ?」
橘先輩の言葉に、グミはどうしたものか迷っている様子だったが、その手をミクが握る。
「ねえ、グミちゃん!」
「ぐ、グミちゃん?!」
「堅苦しい話は終わり、でしょ? せっかくだからこの辺りを案内してほしいんだけど、いい?」
「えっと……それは、いいですけど」
おずおずと答えたグミに、ミクはぱっと目を輝かせてこちらを振り向く。
「マスター、そんなわけなので、ちょっと出かけてきてもいいですか?」
「順序が逆だろ……。わざわざ訊かなくても、出かけるくらいいいよ、ゆっくりしてこい」
「ありがとうございます! さ、行こ、グミちゃん!」
「は、はあ……」
嬉しそうに返事をして、ミクは当惑気味のグミを引っ張って玄関へと消えていった。
ぽかんとして見ていた帯人も我に返ったか、慌てて2人の後を追う。
「わ、ちょ、ちょっと待って! すみません美憂さん、心配なので僕も行ってきます!」
「ん、行ってらっしゃーい」
最後に一声かけて、返事を待たずに部屋を出て行った帯人だが、それに構わす美憂が呑気に送り出す。
しばらくばたばたと騒がしかったが、ばたん、と玄関の扉が閉まる音で静けさが戻ってきた。
しかしミク……あそこまで底抜けに明るい奴だったっけか?
「……さて、と」
お茶を一口飲んで、先輩が何やら含みのある笑みを浮かべる。
「僕らは僕らで、少し話そうか?」
何か積もる話もあるみたいだしね。
呟いた先輩の笑顔から、真意を読みとることはできなかった。
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