「ありがとうございました」
さぁさぁと雨が降る日の朝、こじんまりと纏めた自分の荷物を手にして孤児院の門の前に立ち、振り返ったメグは司祭に向かって深く頭を下げた。
「頭を上げてください、濡れてしまいます。何もこんな日に出発しないでも」
顔を上げたメグは憂慮する顔の司祭に微笑みながら頭を横に振る。
「早く着いて早く向こうに馴染みたいですし、この時期の雨は大体午後には晴れちゃうことも多いですから」
「そう……そうですね。分かりました。では道中はくれぐれも気をつけて下さい。戦争が終わったとはいえ、まだ色々と危ないですから」
「はい、ありがとうございます。では……」
もう一度神父様に頭を下げて、教会が手配してくれた馬車に乗り込む。
しとしとと雨が濡らす道をガタゴトと揺れる馬車に揺られて進みながら、メグは色々なことに想いを馳せていた。
つい一月ほど前、長く続いた隣国との戦争が終わった。
詳しい話は一庶民でしかないメグには知りえないことだったが、隣国に攫われたのではないかと疑われていた行方不明のルティリカ王女様が王城へ帰還し、隣国の第2王子との結婚をもって停戦を結ぶことを両国に告げた。
問題のもとになった森については、所有権を隣国に譲る代わりに今後20年間はこの国に有利な交易条件で貿易を行えるようになったという。
けれどその話が市井に広まる頃、メグ自身はそれらの細かい話よりもある日突然いなくなってしまったルーチェを心配していた。訊ねてみるとルーチェは神父様の知り合いの娘さんだそうで、事情があって預かっていたけれど、家の都合で還俗して家に戻っていっただけだから大丈夫だと言われた。
ろくなお別れも言えなかったとしばらくむくれたが、続く自身の問題にそんなしんみりとした気分に浸っている暇もなくなった。
通常、この国の孤児院で育つ子供は16歳までは面倒を見てもらうことが出来る。里子などにもらわれていくことがなければその後は自分で住む場所と職を見つけて生きていかなくてはならないが、メグは現在15歳でまだ1年の猶予があった。
それでも、疲弊した国庫では戦争で増えた多くの孤児を養うだけの余裕がなかった。そうすれば出来る限り年長の者から孤児院を出て行くことになる。
メグは強制されたのではなく、自分から孤児院を出て行くことに決めた。というのも、メグはルーチェからあらかじめそのような事態になるだろうこと、そのために自分が生きていく技術を習得することを忠告されていたからだ。
色々と考えてメグは薬学を学んだ。教会は医者がいないような小さな村では時に医療施設の役割も担う。だから医療の知識とノウハウが教会にはあった。さらにメグが身を寄せた孤児院の神父は薬学に優れた医者でもあった。おかげでメグが孤児院を離れる決意をした頃には、それなりの知識と経験を積み重ねることが出来ていた。
そしてメグには元々生まれ育った村に戻るという目標があった。何も目立つもののない田舎の村ではあるけれど、あの村にはレスターと共に過ごした思い出がある。何よりもレスターが戻ってくるならあそこだと思ったから、メグは真っ先に彼を迎えるためにあそこで彼を待ちたいと思った。
戦争が終わった今、避難するように指示が出ていた場所にも国の復興計画に奨励されて少しずつ人が戻り始めている。途中で追い出さざるを得ないメグに神父は、復興地域の1つに当たるメグの村に教会を通じて住む場所を用意してもらい、教会お墨付きの薬師である証明書も発行してくれた。
自分はとても運がいいとメグは思う。レスターがいない日々は確かに辛いけれど、振り返るとたくさんの助力があった。彼のいない日々にただ腐らず折れず努力してこれたのは間違いなく彼らのおかげだ。
自分と彼らに恥じない生き方をしようと考えているうちに、ゆっくりと進む馬車の揺れと幌を叩く優しい雨の音につられて、いつのまにかメグは眠りに誘い込まれていた。
メグの乗った馬車は途中の村で一度停まり、夜をそこで明かして早朝にまた出発した。このままの調子でいけば夕方前には到着するとのことだった。
天気は相変わらずぐずついていたが雨の勢いはそれほど強くなく、降ったり止んだりを繰り返している。
やることもないメグは馬車に乗っている間に手持ちの薬を整理したり、乗り合わせた人とおしゃべりをしたりして過ごしていた。
「お譲ちゃん、晴れたよ」
御者の男性から声をかけられて馬車から外に顔を覗かせると確かに雨がやんでいる。厚く黒かった雲にいくつかの切れ間が出来て、そこからさぁっと柔らかな光が地上に降り注いでいた。めったに見ることの出来ないキラキラと輝いて揺れるその光に目を奪われながら、御者の男が感心したような声を上げる。
「お譲ちゃんは運がいいね。あれは神様の恩寵だよ。めったに見れないからな」
「はい、私も初めて見ました」
自然が見せてくれた奇跡のような光景にメグもぼぅっとなりながら、それがこれからの未来のような気がしていた。
空はまだほとんど雲が覆っているけれど、だからこそ差し込む光が美しく際立つ。もうすぐすれば雲も晴れるだろう。あの光を追っていけばいいのだと思うと、自然に笑みがこぼれていた。
そのまましばらく馬車が田舎道を進んでいく間に予想通り雲が風に散らされるように霧散して、夕方前の柔らかな日差しが地上を明るく照らす。季節は春の終わり頃…初夏に差し掛かる頃で、もっとも気候がよく美しい季節だ。
ようやくまばらに見覚えのある景色が見えてきて、馬車の幌の下から顔を覗かせたメグは懐かしさに目を細める。
やがてもうすぐ村に着くという頃、ふと視界に映りこんだ景色にメグは目を見開いた。
「おじさん、止めて!」
叫んで馬車が停まりきる前に慌しく床を蹴って地面に降り立つ。転びそうになるのをぐっとこらえて雨上がりの道を駆け出すと泥水が跳ねたが気にしない。
そして馬車から垣間見えた場所に辿り着くと、息を呑んで立ち尽くした。
「花が……」
目の前のなだらかな丘に風が吹くと、ざわりと音を立てて一面を覆う豊かな色彩が揺れ動く。
そこはかつて焼き払われてしまった場所だった。故郷の村を出るときも馬車から見えたこの場所は、最後の記憶では煤けて黒くなり草花は何もなくなっていた。
きっともう同じようにはならないだろうと思って、そこが大好きだったからこそ馬車から見たその景色は旅立ちをさらにひどく悲しい記憶にしていた。
けれど目の前には、以前と同じかそれ以上に無数の花が咲き乱れていた。確かにここでは見たことのない花もたくさん咲いていて、ほとんどがマーガレットだった以前とまったく同じではない。それでも息を吹き返したような大地の姿はメグの胸を強く感動で揺さぶった。
もしかしたらいくつかの花は誰かがここを偲んで植えたのかもしれない。そうであるのならもっと素敵だとメグは思った。自分以外にも、確かにあの頃の思い出を大事にしている人がいるということだから。
風が甘い香りを運んで花とメグの髪を優しく揺らす。穏やかな光に花弁や葉についた雨露がきらきらと輝いていた。
そしてしっかりとその光景を目に焼き付けて馬車に戻ろうと振り返った時、村の方から誰かが歩いてくるのを見つける。古ぼけた茶色のマントを纏ったその青年の腰には長剣が下げられ、大きめの布でつくられた鞄を背負っていて旅人だと分かった。傭兵や流れ者に多いその格好にメグはわずかに体を緊張させる。
昔、故郷の村を襲ったのは傭兵の集団だったし、その後も乱暴な流れ者と接する機会は幾度かあった。礼儀を知らない人間ばかりなわけではないと分かっていても、反射的に身構えてしまう。
その青年が顔を上げて、目が合った……両者の間にはそれなりの距離があったけれど、メグは確かに目が合ったと思った。そして自分でも分からないまま引き寄せられるようにその青年の方へと歩き出す。
青年はそのメグの姿に戸惑ったように立ち止まりかけ、けれどすぐに自らもメグの方に向かってくる。
やがて2人はお互いまであと1歩というところまで近づいて足を止めて見詰め合った。
「――…メグ?」
先に口を開いたのは青年で、戸惑いながら恐る恐るというようにその名前を口にした。メグは聞きなれない声と見慣れない精悍な顔に違和感を感じても、その瞳の色は変わらないと思った。
――もう一度会えたら最初に何を言おうかとずっと考えていた。
だから下から睨みあげるようにして考えていた言葉を口にする。
「ちゃんと戻るって言ったのに、帰ってくるのが遅いわ、レスター」
唐突に告げられた文句に青年……レスターは面食らって目を瞬かせてから苦笑した。
「うん、ごめん」
「待ってたのよ」
「うん……」
待っていたというメグの言葉にレスターの瞳が複雑な感情に揺れる。子供の頃よりずいぶん大きくなった手をメグに躊躇いながら伸ばしかけて、結局その手は頼りなく自分の体の横に戻った。
「――本当は」
少しの沈黙の後に、メグから視線を逸らしながら再びレスターが口を開いた。
「雨が降らなければ昨日のうちに、またどこかに出て行こうと思ってた。戻ってみたけれど、あそこはもう俺の居場所じゃないみたいに感じて。メグたちが移っていった先も教えてもらったけど、会うべきじゃないと思ったから会いに行くつもりもなくて」
「どうして……?」
レスターの言葉にメグが痛そうに胸を押さえて泣きそうな顔をする。
「俺は昔の俺じゃないから。あの夜に浚われていってから、たくさんの人を殺してきた。人殺しが好きなわけじゃないけど自分で選んでそうしてきたし、もう人を殺すことにも躊躇いを感じない。そういう人間が普通に暮らしてるだろうメグ達に会ったっていいことなんてないだろう。綺麗な思い出を汚すだけだ」
メグはそう語るレスターの声がとても乾いた声だと思った。血が流れすぎて干からびてしまったような。
俯いて視界に移りこんだレスターの手を見ると、ずいぶんと大きくなった手はすっかり剣を握る手をしていた。いくつか傷跡も刻まれている。きっと服で見えない場所の身体にもたくさんの傷跡があるのだと感じた。そして身体だけでなく心にも。
レスターの言葉にそんなことないというのは容易かったけれど、それではレスターには届かないと思った。メグは結局、これまで誰かに守ってもらいながら生きてきた。だから何か言わないとと思っても言葉がうまく出てこなくて、衝動のまま手を伸ばしてレスターの手を両手で握る。レスターの肩がかすかにびくりと震えた。
乾いたレスターの手は温かく、確かに生きていることを感じさせた。その熱に少しだけ焦っていた気持ちが落ち着く。
「――ずっとね」
緊張に乾く唇を小さくなめて、一呼吸を空けてから顔を上げた。離れ離れになった頃にはまだそう変わらない背丈だったのに、自分よりずいぶんと高い位置になってしまったレスターの顔をまっすぐに見上げる。
「レスターが生きていることを祈ってたの。だから、レスターはこれまでずっとすごく辛かったかもしれないけれど。たくさん、色んなことが変わってしまったかもしれないけれど」
握った手が離れていかないようにぎゅっと力をこめる。
「でも、きっとこれからだって変わっていける。この場所みたいに、前と同じにはなれなくてもレスターはいま生きてるから、なりたいように変わっていけると思う。だからレスターが生きていてくれて、私はうれしい。すごく、すごく、うれしい」
話してるうちに目の奥が熱くなって鼻の奥がツンとする。恥ずかしいと思いながらも鼻をすすり上げた。
「もう一度会いたかったの。みんなには諦めろって言われたけれど諦められなかった。生きていてくれてありがとう。……私は非力でレスターに何もできないかもしれない。けど、そばにいたいよ。もう置いていかないで」
力いっぱい、すがるようにレスターの手を握り締めながら必死に言葉をつづる。いつの間にかまた俯いてしまって、ぽたぽたと涙がこぼれ落ちた。
「戦場で……何度か、もういいって、もう死んだほうがいいって思った」
レスターの言葉にメグの肩が大きくびくりと震える。
「でも、そんな時にはたいていどこかで花を見かけた。珍しくもない、小さな花だったけれど、見たらメグを思い出した」
弾かれたようにメグが涙にぬれた顔を上げて、大きく見開いた目に困ったようなレスターの顔が映りこむ。握られた手をレスターが握り返した。
「そしたら、なんだか叱られてるような気がしたんだ。しっかりしろって」
メグは胸の奥がぐっと熱くなる気がした。
(私の祈りはレスターに届いた?)
さらに涙が溢れてひくり、と嗚咽がのどを振るわせる。訊きたいのに声にならない。苦笑してレスターが溢れるメグの涙を空いている手で拭う。
「ずっと……本当はずっと戻りたかったんだ」
レスターの顔が少しだけ泣きそうに歪んだ。
たまらなくなってメグは両手をレスターの手から離して、代わりにレスターにしっかりと抱きつく。
「おかえりなさい……!」
メグが万感の想いで告げた言葉に、レスターはメグをしっかり抱きしめ返して小さくただいまと囁いた。
Fin
Flower 4
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Messenger-メッセンジャー-
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レイジ
おはよう!モーニン!
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ここは入り口 独りが集まる遊園地
朝まで遊ぼう ここでは皆が友達さ
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