瞳を閉じて貴女への想いを口ずさむ。
叶わぬと知っているからこそ、なお焦がれてしまう。
きっとこれは、私の唄。


『手鞠唄』


貴女に出会う前の事は覚えていない。
なぜかわからないけれど、貴女に手を引かれ連れられた屋敷。
大きな家屋に広い庭。敷き詰められた砂利の庭を石畳が縦横無尽に道を作り、池の脇に生えている大きな桜の木は満開に咲いていた。
「今日からここがあなたの家。好きにしていいのよ。」
そう優しく穏やかな声で言われた。貴女の言葉は一字一句覚えている。
でも私は貴女から離れず、ずっと大きな手を握っていた。ただその手の温もりを感じていたかった。


【一つ二つ 瞳を閉じて】

どこからか貴女の歌う声が聞こえる。澄んだ歌声を便りに屋敷中を歩き回った。

【三つ四つ 口ずさんでは】
【五つ六つ 叶わぬ想い】

やっと見つけた貴女は、桜の木の前で鞠つきをしていた。
私に気が付くと歌うのをやめ、優しい笑顔を向けてくれる。
「どうしたの?」
「歌が、聞こえたから…」
「そう」
暖かな声色が鼓膜を震わす。
縁側までやって来て、立っている私の隣に腰掛けた。
綺麗な顔に浮かべられた微笑みが「座らないの?」と問いかける。
寄り添うように座った私の眼前にそっと手鞠が差し出される。
「あなたのよ」
「い…いいの?」
「当たり前じゃない」
見上げる私に、貴女は柔らかく笑った。
おずおずと小さな両手で受け取った赤い手鞠からは甘い香りがした。
「…ありがとう」
おかしな子ね。と貴女はまた笑った。

嬉しくてまじまじと手鞠を眺め、両手で軽く投げあげて遊ぶ。
手の平と空とを何度も往復する赤い手鞠は見あげると日光と重なり、その度に眩しくて目を眇めた。
暫くすると、紅を引いた貴女の唇が再び歌を紡ぎ出す。

【一つ二つ 瞳を閉じて】
【三つ四つ 口ずさんでは】
【五つ六つ 叶わぬ想い】
【なおさら 焦がれてゆく】

「あなたの好きな唄よ」
目を細めて私を見るその瞳は、背筋が寒くなるほど優しかった。
私はその唄を知らなかったけど、貴女がそう笑うから鞠に頬を寄せて笑った。
「うん、好き。もっと歌って?」
貴女が、私が好きな唄だと言うなら、覚えたいと思った。歌いたいと思った。
そのほうがもっと、喜んでくれる気がして。

【一つ二つ 過ぎ行く季節 大人になんてならなくていい】
【三つ四つ 重ねられる偽りにすがっている】
【五つ六つ 鏡の前で 軋む骨に 絶望を知る】
【七つ八つ 掠れた声 数えては 焦がれてゆく】

ひとしきり歌い終えると、風に散る桜の花びらを見ながら貴女は寂しそうな横顔で微笑んだ。
「大人になると死んでしまう病の歌かしらね」
与えられた答えだけを信じて、深く考えもしなかった私はただ悲しい歌だと認識した。
「あなたは、死なないでちょうだいね」
幼い私には、貴女がなぜそう言ったのか分からなかった。
そっと抱きしめられ、貴女の匂いに包まれる。
貴女から漂う甘い香り。それは手鞠から感じた匂いと似てはいるけれど僅かに異なっていた。


貴女の歌った、手鞠唄。
きっとこれは、私の唄。


それから幾度となく、桜の木の下で貴女と手鞠唄を歌った。
私が鞠をついている間、貴女は縁側に腰掛け微笑んでいた。
貴女に教えてもらわなくとも、そらで歌えるようになる頃。
貴女の優しい瞳が私を見ているわけではない事に気付いた。
同時に、自分が娘のままでいることはできないとも知った。


ただなんとなく貴女の部屋に入ったときに、ふとその写真を見つけた。
化粧台の前に飾られていた写真立て。入っていた写真の中で、赤い手鞠を持った幼い私がこちらに向かって微笑んでいた。
しかし、即座にその子が私ではないことに気づく。
私はこの家に来て写真を撮られたことなど一度もなかった。
はじめて出会ったときから貴女は私を見ていなかった。
幼い私は何も分からず、上辺の優しさを信じていた。
結われた赤い髪紐、鮮やかな花柄の愛らしい振袖、ぽっくり下駄、甘い香りの赤い鞠。
私の身につけている物は全て、私によく似た写真の子が身につけているものだった。
自分が、死んでしまったこの子の代わりだと知った。

ああ、これが絶望というものか。

大人になると死ぬ病。大人に近づき死にゆく私。

体中の骨が軋んでいるのを感じる。
声は低くなるための経過として掠れ始めた。
季節が過ぎるたびに少しずつ写真のあの子からかけ離れてゆく。
それでもただ、あの子と自身を重ね、偽りの優しさに縋る。

桜の木の下で貴女と共に鞠をついた。
あの花が降りしきる頃にはきっと私はもう子供ではなくなるだろう。
女になれない私は、男になる。
そうすれば、全てが終わる。
ただでさえあの子ではなくなっていたのに、完全に隔絶され別物になる。

幼い顔は、男のものに。
柔らかな体は丸みが消え、角張って。
風邪のように掠れた声も、ただ低く太くなるだろう。

ごまかしは、もう効かない。

あの子ではない私の手を貴女は引いてはくれないでしょうね。
永遠に、私は優しいその手を失うのでしょう。


散りゆく桜の木の下で、一人赤い鞠をつく。
両手で持っても有り余っていた手鞠は、今や片手で包み込める。
口ずさむのは貴女への想い。紡がれるのは掠れゆく声。

【一つ二つ 瞳を閉じて】
【三つ四つ 口ずさんでは】
【五つ六つ 叶わぬ想い】
【なおさら 焦がれてゆく】

初めて聞いたのは、私がまだ幼い頃。
この鞠のように赤い紅を引いた唇が、私のために紡いでくれた。
あの日から幾度となく桜の大木は花を咲かせ、散らせていった。

【一つ二つ 過ぎ行く季節 大人になんてならなくていい】
【三つ四つ 重ねられる偽りにすがっている】
【五つ六つ 鏡の前で 軋む骨に 絶望を知る】
【七つ八つ 掠れた声 数えては 焦がれてゆく】

貴女の歌った、手鞠唄。
あの子の好きな手鞠唄。
きっとこれは、僕の唄。

【一つ二つ 枯れゆく声で】
【三つ四つ まだ歌ってる】
【五つ六つ 叶わぬ想い】
【焦がれて ただ募って】

「七つ、八つ――――」

紅を引けば、娘のままでいられるだろうか。
薄闇の中、鏡に映る顔が自嘲気味の微笑みを浮かべる。
化粧台の前に座る体は、どんなに取り繕おうと女になど見えやしない。


『私』でないなら、『僕』は誰なの?


襖を開ける音の後に、貴女の息を呑む声が聞こえた。
可愛らしい女物の着物をはだけさせ、振り返る。
この固い体を見て。掠れた声を聞いて。
鏡の前に置かれた写真立てを伏せた。


『私』じゃなくて、『僕』を見て。


立ち竦むあなたを見上げて囁く。

「ねえ、僕はだあれ?」

いつも優しい微笑みを浮かべていた貴女の顔が悲痛に歪む。
悲しげな表情を見ていられなくて俯いた。

貴女が見ていたのは『私』じゃなくてあの子でしょう?
でも、『僕』は写真のあの子ではいられない。

それなら、僕は―――?

「答えてよ…」

掠れた声が更に掠れて喉を震わす。
膝の上に置いた、赤い手鞠に涙が落ちた。


ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

手鞠唄

ayuciki(マーメイドP)さんの手鞠唄(http://piapro.jp/t/pIlg)を聞いていてもたってもいられず一日クオリティ
曲も歌詞もまじ惚れる。今まで知らなかったのが悔やまれる
設定がまたドストライクでやばかった。男の娘も和風も超愛してる。

閲覧数:205

投稿日:2010/11/01 15:24:35

文字数:2,926文字

カテゴリ:小説

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