心地の良い、夢のような時間。
いや、まさしく、夢の時間。
その蓮の夢を、壊すのは、いつも、間の抜けた声だった。
「れんぼ~う! 起きようよぉ! 朝だよ~!」
その声を聴くたびに、蓮は、その声の主が、少し、憎らしくなる。
人の夢を邪魔しないでほしい。
せめて、余韻にくらい、浸らせてほしい。
でも、そんなことは、言えないので、蓮は、すーっと、息を吸い込んだ。
「蓮坊は、やめろって、何度も、言っているだろうが!! このバカイトっ!!」
鍛えに鍛えた肺活量で、蓮は、一息に、そう叫んだ。
「うー。耳が痛いよぉ。相変わらず、寝起きが悪いなぁ。だから、蓮坊ちゃまじゃんねぇ」
大げさに、耳をさすって、そう言いながら、常に、海渡(カイト)の傍らにいる、青海亀の青彦丸に、同意を求めている。
蓮は、それを無言で、睨みながら、褥(しとね)から、起き上がった。
「蓮坊が嫌なら、真面目に、“神子様”とでも、呼ぶ?」
「気色悪い。普通に、呼べよ」
「蓮君は、朝から、“悪い”続きだねぇ。最も、“神子様”って、呼ぶのが、普通なんだけどねぇ」
蓮は、あえて、その言葉を無視して、几帳の奥で、白い衣を脱ぎ捨てた。そして、衣桁(いこう)に掛けられた、青地に、金襴で月を織り込んだ、煌びやかな衣を見て、今日が、大事な儀式の日であることに、気が付いた。
「あ、蓮君。楽譜、三十枚、追加だって」
朝一番に、この儀式があって、それから、朝の鍛錬をして……と、予定を考えていた蓮は、事も無げに言った、海斗の言葉に、危うく、衣を破くところだった。
「はぁっ!? 何なんだよ!? 三十枚って!!」
「蓮君、もう、あの百枚も、暗譜しちゃったでしょ。だから、楽師が、張り切っちゃって」
「張り切るなよ。他の仕事の合間を縫って、百枚、暗譜するのだって、大変だったんだぞ!」
すでに、ぎっしりと、詰まった今日の予定に、それが、放り込まれるのかと、蓮は、頭を抱えた。
就寝時間は守れるのだろうか?
「蓮君なら、朝飯前だよ。と、今日は、本当に、朝飯前の仕事があるね」
「ああ」
頷きながら、てきぱきと衣を調える。本来、これは、御付きの者である海渡の仕事なのだが、海渡の丁寧だけど、まどろっこしい着付けに、堪えられず、自分で整えるようになった。最初は、少し、戸惑ったりもしたが、自分で、着付けられれば、崩したり、脱いだりしても、すぐに、整えられて、便利だし、朝の時間短縮は、精神的にも、ゆとりが生まれる。
「あーあ。僕は、上で、待ちぼうけだからなぁ。一度、近くで見て見たいよ。上から見てても、きれいだけど、きっと、そばで見たら、もっと、神々しいんだろうなぁ」
「ああ。生まれ変わるような心地がして、最高だぞ」
心の底から、羨ましそうにぼやく海渡に、蓮は、件の朝飯前の仕事を思って、顔を綻ばせた。そうだ。これから、すぐに、大事な仕事があるのだから、うだうだと考えていないで、気持ちを切り替えなくてはいけない。
「蓮君。頑張ってね。お兄さんは、ちゃんと、上で、見守っているからね」
「はぁ? 他の仕事しろよ。この間、澪音(レオン)が怒ってたぞ」
「ちゃんと、やっているよ。この間は、ちょっと、都合が悪かったんだよ」
「いかなる事態でも、常に、ちゃんと、やるのが仕事だ」
そう言って、蓮は、ため息をついた。普通、これは、逆だろう。何で、自分は、こんなに年上の、自分付きの、守り手に、説教しないといけないのだろう。
「はーい。善処します。そうだ。言い忘れてた」
「何だよ? また、何か、あるのか?」
身構えた蓮に、海渡は、海が光とまどろむように、微笑んだ。
「蓮君。おはよう」
蓮は、一瞬、目を見開いて、それから、ムッとしたように、目を尖らせて、でも、水が和ぐように、微笑った。
「おはよう。海渡。じゃあ、朝餉(あさげ)の時にな」
「うん。いってらっしゃい」
蓮は、大扉を開けた。
「鈴月!」
広がる海原に向かって、蓮が呼びかけると、波がはじけたような声と共に、きらきらと輝く、水色の玉石を張り合わせて作られたような、美しい水龍が現れた。
「おはよう。鈴月。行くぞ」
響きを味わうように、その名前を、呼んで、擦り寄る龍を撫でてやると、蓮は、鈴月に、飛び乗った。
「聖域だ。満月だからな」
鈴月は、心得たと頷くと、蓮を乗せて、海の、深い、深いところへと、翔け降りた。
水を切る感覚を、水圧を、楽しむように、蓮は目を閉じた。この下降する感覚が、蓮は好きだった。身を洗われるような、どこか、静謐な、この感覚に溶け込んでいると、リン、リン、リンと、鈴の音が響く。
自分の一番、澄んだ、綺麗なところで、この鈴が鳴り響いているのかと思うと、蓮は、隣に、溶け合うほど、近くに、鈴を感じるのだ。
しかし、その甘美な時間は、ほんの刹那のことで、気が付くと、鈴月は、止まっていた。朝も夜も、暗い、深海に、今や、金色の満月が、煌々と、輝いている。
三十日ぶりの満月に見惚れながら、蓮は、そこに立つ。月を覆う結界の上だ。
けれど、そこは、ちょうど、月の真上なので、蓮が月の上に、立っているかのようだ。儀式の最中などは、そう思う。終わってから、何だか、不思議な心地がするのだ。
蓮ですら、そうなのだから、きっと、上から、見ているものには、正しく、月の上におわす、神々しい、月の神子とうつっているのだろう。
蓮は真下にある月を見つめた。蓮を金色に照らし出す月。触れたことも、これ以上、近寄ったこともない月。
蓮は、ゆっくりと、目を閉じた。目を閉じても、金色の光を感じる。月の気配に包まれる。満月の波動。
その波動に、みずからの鼓動を、呼吸を、あわせて、蓮は、唇を開いた。
清かに 照らす 月明かりに
ヒカレル花よ ヒカレル子らよ
ココに咲き 生まれいずれ
蓮の唇から、零れ落ちる、一音、一音に、月を、蓮を囲むように、薄桃色の花が咲いていく。
そして、その花の花芯に、露玉が現れて、それは、瞬く間に、膨れ上がり、その大きな水泡の中で、眠っていた赤子が、ぱっちりと、目を開き、笑い出すのだ。
その笑い声に彩られて、蓮の歌声は、さらに、響き渡っていく。海いっぱいに、月までも、歌声に、笑い声に、満ち溢れて、世界が輝くのだ。
その美しい光景を見ながら、蓮は鈴を想った。彼女に、この光景を見せたら、どれだけ、喜ぶだろう。蓮が、蓮の花を咲かせるだけで、喜ぶ彼女だ。きっと、喜びのままに、舞いだすのだろう。
それから、一指ほど、舞ってから、花の揺りかごの子どもたちを、愛しそうに、抱きしめて回るだろう。彼女に、寿(ことほ)いでもらったら、それは、それは、しあわせな誕生だ。ほんの少し、嫉妬すら、感じそうなほどに。
蓮は、生まれたばかりの子どもたちを眺めながら、ほおっと、息を付いた。愛しく想わないわけではない。でも、蓮は、その子たちを、今まで、自分が、生み出してきた子どもたちの、その一人も、抱きしめたことはなかった。
自分で、生み出しておきながら、おかしなことだが、何だか、怖いのだ。水泡のように、澄んでいて、すぐに、割れてしまいそうで。
水の男は、みな、こうやって、生まれているのだ。蓮が司る前は、長老が、ずっと、司ってきた。
水の国のものは、みな、こうやって、生まれているのだ。
ただ、一人の例外を、除いて。
「神子様。お勤めご苦労様にございます」
涼やかな声に、物思いを中断されて、蓮は顔を上げた。青銀色の衣を纏った、守の者たちがひざまずいている。
蓮の役目は、ココまでなのだ。蓮は頷くと、守の者たちが、何かを言う前に、鈴月に飛び乗った。
水を切る。水圧を感じる。
やっぱり、鈴を想った。強く、強く、鈴を想った。
双子の月鏡 ~蓮の夢~ 三
水の国で、神子をしている蓮の日常です。ボーカロイドたちは、プロ根性がしっかりしていて、自分の務めは、真面目に果たすと思います。最も、十四歳で、これは、どう考えても、できすぎです。
カイト初登場です。海渡の相棒は、亀です。カイトファンの方、怒らないで下さい。悪意はありませんが、カイトには、浦島太郎が、良く似合うと思います。そして、カイトなら、アイスさえ、あれば、きっと、竜宮城で、第二の人生ですよ。
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ailading776
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ご意見・ご感想
和沙
ご意見・ご感想
読んで頂きまして、ありがとうございます。それから、返信が遅くなって、ごめんなさい。
きっと、誰も、読んでくれていないと思っていたので、すごく嬉しいです。
素敵な話とのこと、ありがとうございます。
続きは、今、必死で書いています。
しばらくの間、書けないでいたので、今、中秋の名月、九月十四日の締め切り(個人的な締め切りです)が、目の前に見えて、相当、焦っています。
そんな状況でしたので、すごく、励みになりました。
ありがとうございます。頑張ります!
2008/09/06 20:01:41
しんりょ。
ご意見・ご感想
こんばんわ、初めまして!!
勢いあまってコメント失礼いたします!!!
ずっとテキストカテゴリーが気になっていて今日初めて
覗かせていただいたものです。。。
すごい素敵な話にめぐりあえてもう、どうしたらよいのか解らないまま
不思議なコメントを残されていただきますが・・・荒らしではないのです。。。
なんだかひとつひとつに蓮君が本当に鈴ちゃんのことが好きなんだなぁって///
とてもそこがこそばゆくてカワユイノデスvv
素敵お話ご馳走さまでしたv…続きも楽しみにしております!!がんばってください!!!
2008/08/29 00:01:00