いつしか僕らが住む世界は、暗い暗い海に沈んでいった。
人はこの星を捨て、別の星へと逃げた。どうせこの星以外でも、同じことが起きてるのに――。
最初から魚の僕以外は、皆みんなどこかへ逃げていった。
・
海でしか生きられない種族がいた。
彼らは陸には上がれず、太陽から嫌われていた。
そんな彼らを、人は“魚”と呼んだんだ。
魚は皆からの嫌われ者。
姿形は人と一緒なのに、まるで本物のサカナみたいに海でしか生きられない。
海の生物達は人と同じ姿をした僕らを嫌ったし、人は自分達とは違う存在を疎ましがった。
だから誰にも見付からない、暗い暗い深海に逃げ込んだ僕。
仲間達は人に、海の生物に、陸の生物に殺されてしまった。随分小さい頃のことだ。
おかげで僕は捻くれた子供になった。
・
ある日の真夜中。太陽に嫌われた僕らも、唯一海の外で活動出来る時間帯。
陸の近くを泳いでいた僕は、一人の女の子と出会った。
人に会ったら逃げろと教えられていたから逃げようとしたけど、その子は僕を見て優しく笑った。
「きみ……魚の子?」
怯えるわけでもなく、優しく語りかけてきた彼女。
まだ捻くれる前だったから、僕は初めて会った人に興味津々でその子に近付いた。
するとその子も笑顔で海に飛び込んできて、僕らは朝日が昇る直前まで一緒に話していた。
「あら、もう朝日が昇るわ……」
「えっ! あ、帰らなきゃ…!」
「待って」
急いで海の中へ帰ろうとする僕に、彼女は指を差し出してきた。「これは…?」首を傾げれば、彼女は笑いながら「これは指切りって言って、約束をする時にするのよ」そう教えてくれた。
「また、会いましょうね」
「うん…!」
お互いに笑い合って、その場から離れた。
僕の初めて出来た人の友達。
その子との約束。
でも、それが果たされることはなかった。
・
仲間達が殺されてから数年。
僕は大人になった。
その間ずっと深海にいたせいか、暗い海にも慣れた。むしろ慣れすぎてしまい、月や星の光が見れなくなったくらいだ。
仲間達の大量虐殺があってから、僕は海の外には出ていない。危険だし、何より夜に海から出られたって意味がない、どうせ一生海からは出られないと悟ったからだ。
「………」
暗い深海には、光なんてない。
小さい頃は怖がりで、いつもお母さんに抱き着いていたけれど、お母さんはいない。
だから一人で膝を抱え岩の陰に隠れる。
本当は、海の外に出なくなった理由がもう一つある。
海に沈んだこの星を人は捨てたから、この星には僕以外にいない。そのことを、認めたくなかったら。
「………っ」
涙が出てくるのを慌てて拭う。
でも此処は水中だから、拭う前に涙はなくなってしまう。
それが無性に、僕を悲しくさせた。
・
――懐かしい記憶だ。
昔の僕はよく寂しくて泣いていた。どうして今更昔のことを思い出したのか分からないけど、それはきっと、目の前の彼女が原因かもしれない。
「今更、どうして来たの?」
ただの人であるはずの彼女が、何故この深海にいるのかは分からない。
ただ、今はそんなことどうでも良くて。
あの時と変わらない笑顔をする彼女を睨みつけ、そんな言葉を吐いた。
しかし彼女は気にすることなく、卑屈な僕に手を差し伸ばした。
「きみを、迎えに来たんだ」
「一緒に外へ行こう?」
・
「は、あ……?」
こいつは何を言っているんだ。
一緒に外へ行こう?僕は陽の光を浴びたら死んじゃうんだぞ?
「試してみないと分からないでしょ?」
「僕に死ねって言ってるの?」
「いや、きみと一緒に生きたいんだ」
「……意味わかんないし」
彼女の笑顔が眩しくて、思わず目を逸らす。本当は嬉しいくせに、捻くれ者の僕は素直に喜べない。
裏があるんじゃないかって、どうしても考えてしまうから。
彼女はそんな僕の腕を強引に引っ張り、上へ向かって泳ぎだした。
「なっ、何すんのさ!?」
「大丈夫だから、私と外へ行こう?」
「放せよ!やだ…!」
「――大丈夫だから」
「っ……」
「ずっと、私がそばにいるから」
顔を上げれば、あの時と同じように微笑む彼女。その後ろにはあれ程までに忌避していた陽の光が輝いていて、僕達を優しく包んでいる。
まるで彼女そのものが、太陽みたいだ。
「っ……ぷはぁ…!」
ザバッ、と音を立てて水面から顔を出す。
眩しいくらいの陽の光が照り付けるそこは、あの日見たのと変わらない光景が広がっていて驚いた。
「な、んで……」
「ね?大丈夫だったでしょ?」
「それも、だけど……何で人がいるの…?」
この世界が海に沈んだ時、人はこの星を捨てたはず。だというのに、僕が見つめる先は人で溢れ返っている。
「――人はね、逃げたわけじゃないんだ」
「え…?」
「海に沈んでしまったけど、此処は私達の大切な星よ?――人は別の星で、沈んでしまったこの星に適応出来る道具を作っていたの」
「私がきみを迎えに行けたのも、その道具のおかげ。」そう言って笑う彼女。
僕は目頭が熱くなるのを感じた。
「っ……」
「あらあら、泣き虫ね」
「っぇ……?」
ポタポタと、滴が頬を伝う。
泣き虫?僕は泣いているの?
「ふふ――水中じゃあ、泣いているなんて分からないものね」
「っ……」
初めてだ。本当に泣いているんだと、実感したのは。
嗚咽を漏らす僕を、彼女は優しく抱きしめる。
「一緒に、人として生きましょう?」
その言葉が嬉しくて、僕は泣きながら何度も頷いた。
・
暗い暗い深海と別れて、僕は外に飛び出した。
魚の僕だけど、きみがいれば怖くない。
深海を出た僕は人になった――。
END
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