06
「……うぅ」
つらい。
くるしい。
下腹部をさすりながら、僕は寝床へと戻る。
寝床はみんなと同じところだ。広い部屋の隅で、肩を寄せあって眠る。
寝転がって睡眠をとる、ということをしたことがない。ベッドというのは寝るためではなく、その……大人との勤めを済ませる場所だから。
一人でいるのはつらいし、なにより危ない。
自分の村で夜寝るのが危険だから、わざわざ都市部まで移動して寝る子どもたちがいた。
隣町に買い物に出掛けた母親が心配で後を追い、その途中でさらわれた子どもたちがいた。
夜、村を襲撃されて行き場を失った子どもたちがいた。
誰しもそんな経験があり、恐怖が染み付いている。
この東ソルコタ神聖解放戦線の建物内なら大丈夫だってわかっていても、誰からも離れて四肢を伸ばして寝る、という行為はいまだ恐ろしい。
僕だってそうだ。
ひとかたまりとなった子どもたちに近づいて、僕も眠ろうとした。
が……少し離れたところで、少年がうずくまっているのが見えた。
いや違う。二人だ。
「……オコエ? どうしたの?」
みんなを起こさないように、静かに彼の背中に近づいて声をかける。
それがよくなかったらしく、オコエはすごくビックリした様子で顔をあげた。隣にいるのは……リディアだ。
「……ッ! か……カル。おどかさないでよ」
「あ……ごめん。で、なにしてるの?」
「う……」
「それは……」
オコエとリディアの二人は露骨にしまった、という顔をしてなにかを背後に隠す。
「オコエ、リディア。見せて」
「……怒らない?」
僕の口調にリディアは観念はしたらしい。だが、やけに怯えたようにそう尋ねてくる。オコエの視線も揺れていた。
「怒らないよ」
なにを隠しているのかわからないけれど、とりあえずそう言っておく。場合によっては怒るどころではすまないかもしれないけれど。
「これ……」
二人が見せたのは、すすけた紙の束だった。
「……本?」
「うん」
「そう」
「これが怒られるようなもの?」
確かに本は貴重だし、宝物にしてもおかしくはない。だけど、だからって怒られるかもしれないって思うものだろうか。
「それは……」
「オコエ」
言いよどむオコエに、僕は詰め寄る。
「絶対に秘密にして」
「……わかった」
僕がうなずくのを見て、オコエはキョロキョロと辺りを見回して声を潜めた。
そんな姿を、リディアは不安そうに見ている。
「これ、……燃え残ったやつなんだ」
「……? ……えっ。それって……」
オコエの真剣な顔に、僕も息をのむ。
“燃え残った”
燃やしたものなんて言ったら、アレしかない。
煌々とした赤い炎をあげている段ボールの山。
段ボールに記されていた「medicine」の文字。だが、それだけではなかった。他にもあったのだ。この……本が。
「ひ、秘密、だよ」
「……」
念を押すオコエに、僕は返答できないままその本を見る。
“このくにのこどもたちへ”
タイトルだろう。表紙の上に、ポップな字体で大きく書いてある。
そのタイトルの下には、いろんな肌の色の少年少女たちが笑って手を繋いでいるイラストが描いてあった。
幸せそうで、楽しそうで、平和そうな絵だ。
同時に導師が“我らにはなんの価値もないものだ”と言っていたものだということも思い出してしまう。
「……」
「カル?」
リディアに返事もできないまま、無言で表紙に手を伸ばし、ページをめくる。
『じゅうをてにとるひつようはありません』
『みなさんはしあわせになれます』
『てをとりあいましょう』
『たたかわなくていいんです』
『みんなのこころがひとつになれば、かなしみをおわらせられます』
『かなしみをいかりにしない』
『ゆるす、ということ』
『ゆるしあうことが、へいわへのだいいっぽ』
『へいわを!』
ページをめくる手が止まらなかった。
どんなページも、楽しそうな、幸せそうな表情の子どもたちが描かれていた。
僕たちが欲し、どんなに望んでも手に入れられないものが、そこにはあった。
そのイラストからは。その手に入れられないはずの平穏は、簡単に手に入りそうに見えた。
平和は、コダーラ族と政府軍を根絶やしにしないと訪れないはずだった。なのに、仲直りするという方法があるらしい。
夢物語だとしか思えない。
……なのに、簡単にできるものみたいに書いてあるし、その文面だけなら本当に簡単にできてしまいそうだ。
「……嘘だ」
「う、うん。でも――」
「嘘だよ、オコエ。こんなの……デタラメ。ありえない」
はたとページを繰る手を止める。
ページの中央では、女の子が手を広げていた。
『つよいいしをもとう!』
『つよいゆうきをもとう!』
『ぶきなんていらない!』
『べんきょうがしたい!』
『そう、おとなにいえるゆうきをもとう!』
「――悪魔の書だ」
僕は本を閉じて足でおしやる。その本が近くにあって欲しくなかった。
「そうだよね。そう……だよね」
僕の断罪に、オコエも必死に自分に言い聞かせる。
「でも――」
「リディア。騙されちゃダメ」
僕の強い言葉に、リディアもうつむいてしまった。
この本は、赤十字の悪魔どもと政府軍が用意したものだ。僕らを騙し、油断させるためのものに決まっている。
そんなこと、できるわけない。
和解して、赦しあって、仲良くするなんて。
「……無理だよ」
僕は弱々しくつぶやく。
僕の言葉と、この本のどちらが正しいのかわからないまま。
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