町はずれの小さな港。金髪の少女が祈るように佇んでいる。私は彼女に気づかれぬように背後からゆっくりと近づいた、月明りで輝く一本の刃を手に宿して。
私が彼女と出会ったのは革命が終わった後だった。港町での朝市からの帰り、修道院のそばで倒れている彼女を見つけた。少し意識があったのか何かをつぶやいたようだが、私はそれを聞き取ることはできなかった。私は急いで人を呼んで彼女を修道院へと運んだ。
彼女の意識が回復したのはそれから3日後だった。しかし、彼女に修道院のそばで倒れている前のことを聞いたとき「覚えていない」と答えた。彼女が覚えていると言ったのは、自分の名前がリンであること、自分には双子の弟がいるということだった。シスターにそのことを話すと、革命に巻き込まれ悲しいことがあったために自分の記憶に蓋をしてしまったのだろうと言った。きっと双子の弟の身に何かあったのだろう。
「何か食べたいものはある?」
私がそう問うた時、リンは少しうつむきながら「ブリオッシュ」と答えた。任せて。ブリオッシュなら私の得意料理だ。
リンは私と同じように修道院に住み込みで働くようになった。シスターの行く当てがないならここで働けばいいという提案のおかげだ。一緒に働くようになり、リンと私はとても仲良くなった。
リンは洗濯も掃除もあまり得意ではなかった。それでも、文句を言いながらも一生懸命頑張る姿がよく見られた。まあ、サボって海のほうを見ていたりするのだが。リンは着々と孤児院の子供たちや港町の人たちとも仲良くなっていった。私はそんなリンを見るのがとてもうれしかった。
ある日の真夜中、私はのどが渇きふと目を覚ました。水を取りに行こうと懺悔室の前を通った時、小さな声が聞こえた。こんな真夜中に何の用だろうと耳を澄ますと、中からは泣きながら話す少女の声が聞こえた。
「私の罪はこうして日々懺悔していようとも決して許されることはないでしょう。私は数多の人々を自分自身の手を汚さずに殺してしましました。ある者は私に歯向かったために、またある者は私が気に入らなかったために。罪のない人たちが殺されました。その中には民衆のために行動した人たちもいました。私の双子の弟の養父もその一人です。そんな人たちの声に耳を貸さず、私はその者たちの首をはねました。そんな私はあの人に嫌われて当然だったのでしょう。しかし、私はそれを認められなかった。私の傲慢さ故に、あの人が私との婚約を破棄したのはあの人をたぶらかした緑の髪の女性のせいだと決めつけてしまった。そして、エルフェゴートへの侵攻を命じ、多くの緑の髪の女性を殺してしまった。そんなことをすれば天罰が下る。多くの民衆が私のいる城へと進行してきました。城が落ちるのは時間の問題でした。味方であったものの多くが敵となり、あるいは逃走し、私は一人ぼっちになったと思っていました。しかし、そんな私が今ここにいるのは…」
聞いてなどいられなかった。私は素早くその場を後にし、自分の部屋へと戻った。
修道院のそばで倒れていたリン。文句を言いながらも仕事を行うリン。孤児院の子供たちと仲良く話しリン。昔の私のようにあまり得意でないながらも仕事に取り組むリン。どのリンも大好きだった。ミカエラ以来心から友達だと思える人物だった。でもそんなリンが、ミカエラの仇である悪ノ娘、リリアンヌ=ルシュフェン=ドートゥリシュだったなんて。
あの日以来、リンの目をうまく見れなくなった。たまにリンや孤児院の子供たちから心配されることもあるが、何とかはぐらかせていると思う。リンが悪ノ娘ではないとそう信じたかった。でもあの告白を聞いてしまえばそうとしか思えなかった。そして、それを考えるたび、リンへの怒りがふつふつと沸いてきた。
リンがいなければ、ミカエラは死に苗木になることなんてなかった。リンがいなければ、ミカエラはまだ私のそばで笑っていた。リンがいなければ、ミカエラも私もキール家で共に働いていた。リンがいなければ…そんなことが頭をよぎり、気が付けば私はナイフを握っていた。
その日、リンは懺悔室にはいなかった。どこにいるのだろうかと修道院の中を探してみてもどこにもいない。修道院の外へ出てみると、港に1人の人が立っていた。あの姿はきっとリンだろう。私は月明りの中ゆっくりと歩きだした。
リンは昔の私とそっくりである。洗濯も掃除も畑仕事もあまり得意ではない。あまつさえサボって海を眺める始末だ。そして眺めている姿は孤児院の子供たちや私と話す時とは違い、まるでこの世界には自分一人であるというような寂しそうな表情をしていた。その表情はどこかで見たことのあるような表情だった。どこで見たことがあるのかはわからない。
リンは海を見つめていた。後ろにいる私のことなんて気が付かないようだった。好都合だ、このままナイフで切り付けて海に落としてしまえばいい。なぜなら彼女は忌み嫌われる悪ノ娘なのだから。そんなことを考えながらゆっくりとリンへと近づく。
私がナイフを振り上げたとき、リンと私を遮るかのように少年の姿が見えた。リンにそっくりな少年だった。邪魔をしないで。私はリンを、ミカエラを殺した悪ノ娘を殺さなければならない。私はミカエラとずっと一緒にいられるはずだった。だけど、悪ノ娘のせいであの子は死んでしまった。だからこそ、私は悪ノ娘に復讐しなければならないの。あの子だってそれを望んでいるはず。
少年を気にもかけず、私はリンに向かってナイフを振り下ろした。
切り付けたことを感じると、素早くリンを突き落とした。体から血を流しながらリンは海へと落ちていった。海へと落ちていくとき、私はリンと目が合った。リンの顔には驚きも後悔もなくただ静かに私を見てほほ笑んでいた。
その時、悪ノ娘への復讐を終えたことへの安堵から一転、私の心は絶望へと変わった。悪ノ娘への怒りが後悔へと変わった。なぜリンを殺してしまったんだ。もし私がミカエラならきっとリンを殺したりはしない。悪ノ娘に復讐なんてしない。だって悪ノ娘は…だってリンは…
ミカエラと会う前の私とそっくりなのだから。
みんなの中で笑っていても結局のところ一人ぼっち。リンは皆から忌み嫌われる悪ノ娘、私は村の中の誰とも違う緑の髪。仲間外れの私たち。リンのあの寂しげな表情は昔の私と同じだったのだ。
それでも私はミカエラという友達に会うことができた。ミカエラは私と寄り添ってくれる素晴らしい友達だった。リンにはそういう人がいたのだろうか。もしかしたらあの少年がそうだったのだろうか。あの少年はリンにそっくりだったから、もしかしたらリンの双子の弟なのかもしれない。その真偽はもう誰にもわからない。
私にわかるのは間違えたということだけ。私のするべきことは復讐なんかじゃなかった。リンのそばに寄り添い、リンの友として歩むことだった。それがミカエラにしてもらったことだから。
わかっている。リンを殺してしまった私はもうここにはいられない。ミカエラに合わせる顔もない。未だ手に握られたナイフが月明りで光る。
ミカエラのことはシスターに伝えてあるからきっと大丈夫だろう。彼女なら千年樹の森にきちんと植え替えてくれるはずだ。ナイフをゆっくりと持ち替え自分に向ける。
リンはもう先に行っているのだろうか。彼女は私に何というのだろう。いや、もう何も話してはくれないだろう。私が彼女を殺してしまったのだから。もう話を聞いてくれなくてもいい。でも、待っていて。私もすぐにそこに行くから。
私はナイフを自分に突き立てた。
翌朝、漁に出ようとした漁師は港で倒れているクラリスを発見した。彼女の胸には金色に光るナイフが刺さっていた。また、同日にリンが行方不明になった。彼女がクラリスを殺したため行方をくらませたという話が上がったが、その後海でリンの死体が見つかった。リンの死体には刃物で切り付けられたような跡があった。生前仲の良かったこの二人に何があったのか知るものは誰一人としていない。
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