ちょっと一休み・悪ノ娘と呼ばれた娘 後編


 それはちょっと昔の黄の国のお話。

 黄の国の諸侯の一人、シャグナは最悪の気分でした。
 ふと気がついたら、手に大きな青あざがあります。腹がなにかにぶつけたようにジンジンと痛みます。そして、日向に長時間さらされたようなぐったりとした倦怠感があります。

「それはホルスト殿のせいだ」
 どうやら王の非常識な行動に卒倒して意識を失っていたと聞かされたシャグナは、その間に何かあったのかと他の諸侯たちに尋ねると、みなそう答えました。
「そうかホルストのせいか!」
 ホルストは、シャグナの所轄とは違い、海辺に領地を構えています。異国の人々が楽しげに行きかい、じつににぎやかな港が自慢の港湾都市を抱えています。
 毎年黄の国の厳しい気候への対応に追われる、内陸のシャグナの農村地帯とは何もかも正反対でした。

「おのれホルスト!」

 領地の違いは致し方ありません。それは先祖から代々受け継ぐ大事な領民と領地です。しかし、この苦しさとだるさと痛みは、今この瞬間、シャグナ自身のものでした。
 心置きなく、ホルストを恨むことができます。
 そしてシャグナは休養を訴える自身の体を引きずり、積年の思いの詰まった宿敵ホルストの姿を探すのでした。

 そんな同僚の熱い視線に一向に気づかないホルストの目は、中庭で遊ぶリン王女とレン王子に向いていました。
「お父様―!お母様―!」
 少年と少女が手を振ると、ニコニコと王夫妻が木陰から手を振り返します。
 本来ならば、王は執務室に居るはずの時間です。

「あの子らをどうにかしない限りは、この国に未来はない! 」

 最近、四歳となり活動量も活発になった王子と王女は、たとえ執務室の王にでさえまとわりついて遊びに引きずり出します。
「次世代の王子と王女を健全に育てるためには、親の愛が必要だろう?」
 それは、二人の息子を抱えるホルストにも納得できます。しかし、政務を中断されるのは彼にとってたまったものではありません。

「王子と王女を……王から、引き剥がす!」

 この国の、未来のために。王に、仕事をさせるために。
 この瞬間、ホルストは鬼となったのでした。

   *         *

「レン王子! リン王女!」
 ついにホルストが子供たちの前に躍り出ました。
 ふたりは、突然現れたホルストを呆然と見上げます。ちょうど木の棒を剣に見立てて、ボールをぽかぽか叩いて怪物退治ごっこをしていた最中でした。
「……あなたは、だぁれ?」
 リン王女が、澄んだ瞳でホルストを見上げました。
「……おとうさまがね、知らない人についていってはダメって」

 一瞬思案したホルストのもとへ、風が吹きました。ホルストの、黄の国の民特有の日に焼けた金色の髪と蓄えたひげが、びゅうとうなってなびきました。

「……わかった」
 やおらにレン王子が答えました。
「……あなたは、ジョセフィーヌどのですね」

 なぜに、俺が、ジョセフィーヌ?!

 ホルストの顔が思い切り引きつりました。
 ジョセフィーヌは、女性です。ホルストも良く知っています。
 大昔、黄の国を救った、伝説の大英雄です。

 彼女は、普段は上品さとしなやかな強さを持った、大変強い女性でした。
 ちょうど今の緑の国から、『ならずもの』達が黄の国へ攻めてきた時、彼女は黄の民を率いて彼らを撃退したと語られています。

 あるときは、美しい女性として民衆を鼓舞し、あるときは堂々たる王に変身して海賊と戦い、あるときは馬に変身して険しい山脈を素晴らしい速さで駆け抜けました。
 黄の国の子供なら誰でも一度はあこがれる英雄です。

 しかし、その実は女性です。
 対して、ホルストは、お世辞にもたおやかとは言いがたい……いいガタイの中年親父でした。すう、とホルストは一息吸って口を開きました。

「……いかにも。我輩がジョセフィーヌである」

 ああっ! 何を口走っているのだ俺は!

「レン王子。リン王女。……お迎えに参りました」

 ホルストの視界に、生温い笑いを浮かべる王夫妻が映りました。ホルストは今すぐにでも腹を切って死にたい気分になります。しかし、意思に反して口は止まりません。

 雀百まで踊りを忘れず。

 幼い息子ふたりを、へとへとになるまで毎日のように相手した日々を、ホルストの体の反射中枢は忘れていませんでした。

「さあ往きましょう! 黄の国の平和のために!」
 
 ホルストの理性が断末魔の悲鳴をあげ、かわりにホルストの中のジョセフィーヌ魂が羞恥の炎の燃え盛る中、ゆうらりと立ち上がりました。

 ところが、たずねた当のレン王子は、ぽかんとしています。リンは無表情にホルストを見上げていました。

 ……外した?!

 思わず羞恥でふらつくホルストに、王夫妻はすでに爆笑しています。
 振ったネタは責任をとれと、齢四歳の子供に要求することは出来ません。

「ジョセ、フィーヌ……」

 救いの声は、思わぬところから現れました。リン王女の愛らしい唇が、動きました。

「あなた、ジョセフィーヌね!」

 実は、リンの葛藤は、レンとは別のところにありました。

 知らない人にはついていかない。

 でも、目の前の男は、ジョセフィーヌと名乗りました。
 ジョセフィーヌのことは、リンも良く知っています。魔法でいろいろな姿に変身する、素敵でかっこいい大英雄です!
 よって、目の前のおじさんは「知らない人」ではなくなりました。金色の髪とヒゲがライオンのようになびく、英雄ジョセフィーヌです!

「連れて行って! ……平和な国へ!」

 リンがホルストに向ってにっこりと微笑みました。英雄ジョセフィーヌの仲間には、小さな国のお姫様もいました。その人になりきっているつもりでしょう。
 ほんのお遊びのはずのその台詞に、ホルストの背筋がぞくりと反応しました。

……この子は、将来、王になる。

「……リン、王女、」

 ホルストが自らの直感に震えたその時、

「おのれホルスト!」
 目を血走らせ、足をもつれさせ、諸侯シャグナがホルストに向ってきました。
 ……シャグナ殿?!
 ホルストの思考が空回ります。王子と王女がシャグナのあまりの形相に、ホルストの後ろに隠れました。

「私をコケにしたばかりでは飽き足らず……次世代までもたぶらかす気か、貴様!」

「ちょっとまてシャグナ殿、誤解だ!」

 本当に誤解です。

「待たぬ!」

 本当に待ちませんでした。

 シャグナがさらに目を見開き一歩つめより、ホルストは思わず背の二人をかばいます。

……しまった。なにを俺は、英雄じみた演技を……

「これは見ものだな!王妃!」
「ええ。王様!」
 木陰の王夫妻は、すでに笑い収め、にこにこと光景を見守っていました。
「普段、国の政治のことで堅い話ばかりしているのに、ホルストはやるな」
「ええ、シャグナどのも」

……違う! 違います! 王、王妃殿下!

 ホルストの心の叫びは声になりませんでした。
……私はジョセフィーヌを演じる気はありません! そしてシャグナ殿は……

 ぞくり。ホルストの背筋が凍りました。

「シャグナ殿は本気で私を恨んでいる!」

 目の前のシャグナが、ゆっくりとかがんで、足元の木の棒を拾いました。それは、先ほどまでリン王女がボールの怪物退治に、剣に見立てて使っていたもの。
 それを、まっすぐにホルストに向け、シャグナは胸元に構えました。

「ま、待たれよシャグナ殿! 誤解だ、」
「……いいや。言い訳は聞かぬ、ホルスト! ジョセフィーヌなどと名乗ってまで無垢な王子と王女に取り入ろうとは、なんとまあ、……浅ましいことよ」
「だから違う!」

 ホルストが必死に否定すればするほど、シャグナのより強い嫉妬の炎がホルストを射抜きます。胸元の構えは短剣の構え。刃であれば、人を確実に殺傷する必殺の構えでした。
……真っ青な表情で目を血走らせ、よろめきながら物を構えて歩み寄られたら、正直、怖いです。成り行きでジョセフィーヌ役になってしまったホルストですが、泣いて逃げ出したくなりました。

「ホルスト殿……」
 よたり、とシャグナが詰め寄ります。

「貴様は、卑怯だ……」

 真っ青な顔から搾り出す地を這う声に、ホルストが恐怖で一歩後ずさると、背に何かがあたりました。思わず振り向くと。そこには、ホルストの背に隠れながらも、必死にシャグナに向って木の棒をむけるレン王子の姿がありました。

「レン、王子」
「……ジョセ、いえ、……ホルスト様」
 レン王子は、ジョセフィーヌの『仮の名前』を呼びました。
「……悪鬼に、負けてはなりませぬ」

 この一言でホルストの覚悟は決まりました。
 ……ジョセフィーヌに、俺はなる!!
 演じきるしか逃れられぬ道がある。やっと悟ったホルストでした。

「王子! 王女! しっかりつかまられよっ!」

 ホルストは右腕を王子、左腕を王女にまわし、全力で抱え上げました。
 歓声は王子王女のみならず、王夫妻といつのまにか集まっていた諸侯らや使用人ら見物人たちからも上がります。
 ホルストは大きく息を吸い込みました。そして一声、叫びました。

「ヒヒーーーーーーーーン!」

 もういい! なんだっていい! なぜかシャグナは怖いし王夫妻は当てにならないし俺はジョセフィーヌだし!
 なんだってやってやる! 
 だんだんと良くわからなくなってきた、黄の国の平和のために!

「変身よ!」
「変身だ!」
「すごいわジョセフィーヌ!」

 きゃあきゃあ王子と王女が両脇ではしゃぎます。ホルストは馬にも負けない勢いで中庭を走りぬけました。

「おおのれええ! 卑怯だホルスト! 逃げるか貴様!」
「だからお前はどこかで落とした頭のネジ回収しろシャグナあぁぁぁぁ!」
「うるさい全ては貴様のせいだと聞いておるぞ!受けよわが恨み!」
「勘弁してくれ!」

 どこまでもすれ違った会話に息を切らせてはしりながらチラリと子供らを見ると、リンがはしゃいだ顔を引っ込め、にこりとレンに向き直りました。
「楽しいね」
「楽しいね!」
 
 思わず、ホルストはふたりを落っことすところでした。

 ……これが、リン王女。そして、レン王子。
そして黄の国の諸侯がアレで、親馬鹿の王夫妻があって、この子らが、次の国を担う……

 もう、いいか。
 ふたりを下ろすと、にこにこと王子と王女がホルストを見上げました。

「お父様たちのほかにも、おもしろいひとっているのね!」

 そして、ホルストは気づきました。当初の目的、王子と王女を王夫妻から引き剥がすことが、成功していたことに。

「王妃よ。黄の国も、捨てたものではないな」
「ええ。だってこんなにみんな仲良しで、」
 王妃が、王の手をとり、木漏れ日と空を見上げました。
「こんなに、素敵な風が吹いていますもの」

 ついに芝生に膝をつくシャグナを助けおこす王の耳に、王子と王女、そしてホルストのにぎやかな笑い声が聞こえてきました。


 少し昔の、黄の国のお話。





 ……次回、本編に戻ります→

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ちょっとひとやすみ・悪ノ娘と呼ばれた娘 後編【悪二次・小説】

悲劇にひた走る捏造小説本編はこちら↓

悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ娘・悪ノ召使二次・小説】 1.リン王女
http://piapro.jp/content/f4w4slkbkcy9mohk

閲覧数:385

投稿日:2010/09/04 00:17:35

文字数:4,623文字

カテゴリ:小説

  • コメント1

  • 関連動画0

  • matatab1

    matatab1

    ご意見・ご感想

     本編とのギャップが激しくて余計に笑えました。
     真面目ゆえに一番被害を受けるホルスト、誤解で暴れるシャグナに同情。
    「知らない人についていってはダメ」
     正しいけど、リン酷い……(笑)

    2010/09/04 16:54:39

    • wanita

      wanita

      ありがとうございます!本編とのギャップを楽しんでいただけて嬉しいです☆
      リン、酷いですよね(^^)きっと何度も会っているはずなのに「知らない人」呼ばわり!
      このあと、リンレンのお気に入り遊びは「ジョセフィーヌのお馬さんごっこ」に!ホルストは体力気力を消耗し、シャグナに嫉妬の炎を向けられ……
      「愛馬の名前はジョセフィーヌ☆」と他諸侯らにからかわれるという展開が待っているに違いありません♪

      2010/09/04 19:18:07

オススメ作品

クリップボードにコピーしました