そこへ「お父さん! お母さん!」という叫び声と共に、ミクが飛び込んでくる。白いネグリジェ姿で、足は裸足。長い髪はほどけてばらばらになってしまっている。そんな姿で、ミクはキヨテルさんに抱きついた。
「お父さん!」
「ズデンカ! あなたったらそんなはしたない格好で!」
 メイコさんは自分の着けていたショールをさっと外して、それをミクの上に投げかける。私はミクの手をつかむ。
「どうしたの!? 何があったの? ズデンカ、私に話してちょうだい」
「みんなにお別れを言いたいの。朝になる前にドナウ川に身投げしなくちゃいけないから」
 半泣きでそう言うミク。私もメイコさんもキヨテルさんも驚いてしまう。
「どういうことだ?」
 家族を代表して、娘にそう訊くキヨテルさん。
「お願いだからわたしを行かせて。夜が明ける前に死んでしまいたいの。そうしたら、みんな許してくれると思うから……」
 私は、震えている妹を優しく抱きしめる。
「行っては駄目よ、ズデンカ。私の傍にいてちょうだい。何があったとしても、あなたを嫌いになったりはしないわ」
 ミクは相変わらず震えながら、カイトさんを指差した。
「マテオは何も知らないの。全部わたし一人でしたことなの」
「黙ってなさい」
 メイコさんが怒るけど、今度はキヨテルさんが止める。
「お前が黙りなさい。そして、ズデンカに喋らせてやれ。娘を男の子として育てるなんてことをしたから、報いが来たんだ」
「お姉ちゃん……お姉ちゃんにだけなら話すわ」
「あなたを見捨てたりなんて絶対にしないわ」
 ミクは私にぎゅっとしがみついた。私はミクの頭を優しく撫でる。撫でながら思う。もしもこんなことが現実に起こったら、その時は相手の男を、生まれてきたことを後悔したくなるような目にあわせてやると。
「わたし、マテオにわたしをお姉ちゃんだと思わせたの。暗ければわからないと思って。マテオを死なせたくなかったの! マテオは何も知らないの! わたしだったって知らないのよ!」
 私にだけ話すと言ったけれど、声が大きいので周りにもしっかり聞こえている。カイトさんが当惑した表情で、こんなことを言い出す。
「この可愛い声は、一体誰の声なんだ?」
「わたしよ。あなたが友達だと思っていた男の子。……でも本当は女の子だったの」
 カイトさんはまだ混乱しているようだ。
「マテオ、お姉ちゃん、わたしを許してくれる?」
 ミクはまだ泣いている。私はもう一度、ミクを抱きしめる。
「私の方こそ、あなたに許してもらわなくてはならないわ」
「じゃ……あの時、一緒にいたのは君だったのか! 部屋は暗くて、全然わからなかったけれど……でも……もしかしたら、こうなることが、初めからわかっていたのかもしれない。可愛いズデンカ」
 ちょっと変わり身が早すぎやしないだろうか? 舞台の上演時間の都合もあるから仕方ないのかもしれないけれど。一方で、がくぽさんも状況を把握して唖然としている。
「あの女の子は、あの時の少年だ。ということは……私はなんとひどいことを言ってしまったのだ! 自分で自分が許せん!」
 従者さんがサーベルを二本抱えて入ってくるけれど、がくぽさんが手で来るなというしぐさをするので、そのまま端の方に留まっている。キヨテルさんはまだ決闘がどうとか言っているけれど、がくぽさんはそれを無視。
「私にはもうそなたの前に立つ資格はない、アラベラ嬢。怒りのあまりこぶしを振り上げたただの間抜けに過ぎぬ」
 私はがくぽさんの言葉を無視して、ミクへの気持ちを歌う。
「ズデンカ。あなたはとてもすてきな女性よ。あなたの心は私のそれよりも愛に満ちている。自分の気持ちのとおりに行動すること、それが大切。愛とは何か、あなたが教えてくれた。愛とは何かを望んだり欲しがったりすることではない。常に与えるものなのね」
「お姉ちゃん、わたしを許してくれてありがとう。お姉ちゃんがどんなに優しい人か、わたしは知っていたわ。わたし、お姉ちゃんのためならなんでもする」
 こんな可愛い妹を、見捨てるなんてできるものですか。ずっと家族の犠牲を一身に背負ってきたこの子を。
「何があっても、私はあなたの味方よ」
 後ろでがくぽさんが「何があっても、か……」と呟いている。カイトさんも「君こそが天使だったんだ!」とか言っている。がくぽさんが去って行こうとするので、私は引き止める。
「私にはそなたに許してもらう価値などない」
「何も言わないでください。過ぎたことではなく、これからのことに気持ちを集中させましょう」
 がくぽさんはしばし考えた後、カイトさんの背を押して、キヨテルさんの元へ連れて行く。
「私が仲人となって、この若者と、そちらのご令嬢の仲を取り持とう。どうぞ二人を娶わせてやってくだされ」
 キヨテルさんは戸惑っている。けれど、最終的にはそれを承知して、カイトさんの手を握る。メイコさんもそれを祝福する。抱き合って娘の幸せを喜ぶ二人。
「さて、話がまとまったので、私はもう一勝負してくるとしよう」
 そのギャンブル癖を治すという選択肢はないんだろうか……。それはさておき、キヨテルさんはギャンブル仲間を引き連れて、ホテルの外へと出て行ってしまう。メイコさんはミクの手を握って部屋に戻り、カイトさんも帰っていく。残ったのは、私とがくぽさんだけ。戸惑いだすがくぽさん。何か言おうとするけれど、私はそれを無視して、自分が先に話す。
「あなたの従者さんに、私の部屋まで汲みたての冷たいお水を届けさせてもらえませんか? 喉が渇いてしまいましたわ」
 それだけ言って、私はさっさと階段を上がる。がくぽさんは、みるからにしょんぼりした様子で、その場に座り込んでしまった。
「こちらに目も向けず、お休みなさいの一言も無かった。だが、仕方のないことだ……あんなひどいことを言ってしまったのだ。どうして許してもらえるというのだ? だが、せめて視線だけでもこちらに向けてくれていたら……」
 照明が全体的に落ちて、舞台は暗くなる。私は上からこっそりがくぽさんの様子をうかがう。がくぽさんはまだ一人でぶつぶつ言っている。そこへ従者が水の入ったグラスを持ってくるので、上に持って行けと手で追いやる。
 がくぽさんは自分のしたことを後悔する言葉を悔やみながら、今度は立ち上がって、ホテルのロビーをうろうろと歩き始めた。そんながくぽさんの様子を見ているうちに、私の顔には自然に笑顔が浮かんできた。……アラベラ、そうでしょう? そういうことでしょう?
 私は従者の手から水を受け取ると、ゆっくりと階段を下りていく。柔らかいトーンの音楽にあわせて。降りてきた私に気づくと、がくぽさんは驚いて立ちつくした。
「良かったわ。まだいらしたのですね」
 がくぽさんは立ち尽くしたまんま。私は笑顔で彼に近づく。
「このお水を、一人で飲むつもりでしたわ。さっき起きた嫌な出来事を忘れるために。でも気づいたのです。何か大きな力が、私に気づかせてくれたのですわ。そしてもう、私には憂さを晴らすための水は、必要なくなりました。ですから、このお水はあなたに差し上げましょう。私の娘時代が終わりを告げる、この夜に」
 第二幕で彼が語った、祖国の風習。それに従い、私は水を渡す。
 がくぽさんは信じられないといった表情で、私の手から水を受け取った。そして一息に中の水を飲み干す。
「私の後に、このグラスから飲む者はいない。永遠にそなたは私のもので、私はそなたのものだ」
 がくぽさんはグラスを床に叩きつける。高い音を立ててグラスは割れた。私は彼の手を取って、語りかける。
「喜びの時も、悲しみの時も、傷つけあう時も、許しあう時も、これからはずっと共に……」
「どんな時も常に我が傍に。我が天使よ! この先何があろうとも!」
 がくぽさんが私を抱きしめる。
「もう私を疑うことのなきように……」
「ずっと今のままのそなたでいてくれるなら!」
「別のものになるなど無理ですわ。あるがままの私を受け止めて!」
 がくぽさんが私を抱き上げて、歓喜の旋律を奏でる音楽にあわせてくるくる回る。そして、舞台の幕は降りる。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ボーカロイドでオペラ【アラベラ】舞台編 第三幕(後編)

 第三幕です。
『カルメン』の時のめーちゃんに続き、今度はルカが暴走しました……おかしいなあ、これってこういう話じゃなかったような。
 ちなみに、階段を上がっていった後のアラベラの行動は、私の趣味です。私が演出するならこうしたい。

 えーっとですね。『アラベラ』を実際に見た方ってそんなにいないと思いますが、これを読んだ方、どう思われました?
 私は『アラベラ』を見た時の感想を偽りなく書きますと「……何なのこれ?」でした。どうしてそう思ったのは、舞台終了後のおまけ編の中に入れようと思っています。

閲覧数:153

投稿日:2011/07/07 00:03:14

文字数:3,361文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました