螺旋状ノ恋　第一話

０２


俺が『紅』でリン達の晩餐会に出席してから程無くして父の戴冠式が行われた。

　それから一週間。今日はデル兄さんの即位式の日だ。勿論リンとレンも出席している。

「デル陛下、即位おめでとうございます。これからも私共『紅』を御支え戴ける様宜しく御願い致しますわ。」

　即位式が終わった後、人気の無い王宮の奥に有る王室に俺とデル兄さん、それからリンとレンはいた。

「リン、そんな堅苦しい話はよしてくれよ...。」

　デルが溜息混じりに呟く。

「あら、同じ一国を背負う身の者として、形式上でも挨拶をしておく事は大切な事ですわ。」

　リンは笑いながら言い、側に置いてあるシャンパングラスを手に取る。

「それより、カイトはどうされますの？　アタシ達の方の準備はできてるけれど...。」

　彼女のその一言に、この部屋にいる皆の顔付きが変わる。

「少しでも早い方がいい、今夜リンの帰りの船に一緒に乗っていくよ。」

　そう言った後、一番驚いていたのはデル兄さんだった。

「カイト、いくらなんでも早すぎるんじゃないか？　今お前を失うのはかなり惜しいんだが...」

「デル兄さん、少しはカイト兄さんの気持ちも分かってやってください。それに俺はまだ『青』にいるつもりだから。兄さん程有能じゃないが暫くの間は協力しますから。」

　溜息を吐くデル兄さんと彼の方を叩き励ましているレン。そんな二人は、傍から見れば本当の兄弟のように見えた。

「...分かりましたわ。じゃあ訊きたい事も訊けた事ですし、アタシはパーティーへ行ってきますね。」

　リンはそう言うと、手を振って部屋を出て行く。

「ちょ、ちょっと待ってよ。リン！」

　ハッと立ち上がって彼女の後を追いかけようとするデル兄さんをレンが止める。

「まぁ今はもう良いでしょう。今のリンには何言ったって無駄ですよ。
　“『青』の美味しい海鮮料理が食べられるわ～！！”って今日のパーティー楽しみにしてたくらいだし。止めたところでリンが機嫌損ねて終わるだけです。」

　レンが溜息を吐きながら言う。しかし数秒後には今この場にいる全員の顔に笑みが浮かんでいた。


＊　　＊　　＊


「やぁにーさん、久しぶり。」

　後から小柄な影が覗いている。振り返るまでも無く、その独特な声と喋り方から『紅』のネル執政官だと分かった。手にはシャンパングラスを持っている。

「どうした、俺に何か用か？」

「や、っと...　とりあえずここじゃちょっとマズいから、どっか空いてるトコ無い？」

　下から見上げているその瞳は、何時に無く真剣そのものだった。

『ここじゃマズい』と言われて思い浮かぶ事は一つしかない。

　俺は、彼女と二人で誰もいないすぐ横の倉庫へと入る

「すまないな、こんな狭いところで。それで、話って何だ？」

「や、さっきあの子が...リンが何にも説明せずに出てきたって言うから代わりにと思ってね。」

　彼女は壁に凭れ掛かって、苦笑いを浮かべながら話し始めた。

「で、とりあえずこっちに来た後の事なんだけど。にーさんのポジションは、新しくやってきたリンの秘書官で、『青』の元貴族ってトコになってる。とりあえずソコに問題は無いよね？」

「あぁ。『紅』で一番都合が良いようにしてくれれば俺はそれで良い。」

「...まぁ最初のうちはイロイロと詮索されるかもだけどさ、すぐ収まると思うよ。まーいざとなったらあたしとリンでどーにかするし。
　で、一番の問題はにーさんの身元隠しなんだよねー。
　ホラ、もしにーさんが『青』の王子サマだってばれたらさ...　ね。」

　ネル執政官はそう言って、持っていたシャンパンを一口飲む。

「で、あたしとリンで色々と考えてさー。その結果、にーさんにはコレを着けて貰おうって事になったのさ。」

　彼女はそう言いながら、肩にかけていた鞄を下ろし中から何か取り出した。


　―――――綺麗な装飾のされた、蒼い仮面。


「これ、を...？」

「そ。これが一番分かりにくいと思うし。あ、これさりげなくにーさんに合わせた特注品。凄く高かったんだからねー。」

　俺が呟くと、彼女は笑いながら仮面を差し出してきた。

「...分かった。礼を言わせて貰うよ、ネル執政官。」

　貰った仮面を服のポケットに滑り込ませネル執政官に笑いかける。

「やだなー、あたし達これから同士なんだし。執政官なんて野暮ったいもん付けなくって良いから。
『紅』にはあたしみたいな人多いからねー。あんま堅苦しいと嫌われるよ。」

　すると彼女は苦笑いを零してからそう言った。

　確かに彼女の言う通りだ。

　普段『青』の王宮にいる人たちのことは名前だけで呼んでいる。それは例外なくほかの国でも同じことだ。

　俺は今日から『紅』の秘書官となるのだから当然のことだ。

「じゃ、帰りまた迎えに来るよ。あの子ほっとくと暴走しかねないから様子見てくるわ。」

　ネルはグラスに残ってたシャンパンを飲み干してから、部屋を出て行った。


＊　　＊　　＊


　―――――楽しい時間が過ぎるのは、いつだって早い。

　気付けば陽は完全に沈み、辺りは闇に覆われていた。

　港にはもう既に『紅』の船が着いている。

「ではカイト秘書官、そろそろ行きましょうか？」

「分かりました、リンお嬢様。」

　―――――覚悟は、とうにできていた。

　短くて三年、長ければ俺は一生『青』へ戻らないだろう。

　それくらいは、最初から分かっているつもりだ。

　俺は今日を最後に、“『青』の王子”の名を捨てるのだから。

　仮面を着け、“『紅』の秘書官”として。それが今日からの俺の生きる路なのだから。

「カイト、秘書官っ...」

　聞き慣れた声に呼ばれ振り返ってみると、予想通りそこにはデルが立っていた。

「貴方は...　デル陛下じゃありませんか。僕に何か用でしょうか？」

　知っている人が聞いたら笑いたくなるような他人行儀な喋り方。勿論、俺が“『青』のカイト王子”と同一人物ということを知られないようにする為だ。

「こちらをローザお嬢様にお渡しください。後、これは貴方の分です。」

　弟から手渡されたのは三枚の封筒。

　内一枚は龍と月桂樹の王国の物、残り二枚は下弦の三日月と薔薇の彼の私用の印璽が押されていた。

「では、カイト秘書官...　いや、最後くらいカイトと呼んでおくべきか...。とにかく、どうか気を付けて...。じゃあ、さようなら。」

　デル兄さんが微笑んで言う。



―――――兄さんと別れの挨拶をしたのは、これが最初で最後だった......。