第六章 消失 パート4
「かなりの被害が出たようだな。」
夜襲を受けた翌日、苦虫を噛み潰したような表情でロックバード伯爵はメイコに向かってそう言った。被害報告は黄の国の死者が二千名に対して、緑の国の死者は数十名に過ぎない。
完敗と言っていい被害であった。
「本日中に敵軍を打ち破る必要があります。」
務めて冷静に、メイコはそう言った。これ以上小国に蹂躙されれば、士気が大幅に低下し始める。
そうなると、戦争の継続自体が困難になるとメイコは考えたのである。
「そうだな。」
ロックバード伯爵は一つ頷くと、全軍に対して進軍の指示を出した。幸いにも緑の国はその国土のほとんどが平原となっている。身を隠すすべのない日中であれば、単純に兵力の多い黄の国が勝つ。ロックバード伯爵も、メイコもその様に考えたのである。
さて、どこで迎え撃ってくるのかな。
もう一度ネル殿と槍を合わせたいものだ、と考えながら、メイコは赤騎士団を率いて緑の国の王宮へ向けて馬を進めた。
「今日が正念場だね。」
不敵な笑顔を見せたネルは、野営陣地の一角で向かい合って座っているハクに向かってそう言った。
「そう・・だね。もう、奇策も使えないし・・。」
「だからあの時メイコ殿と決着をつけておくべきだったんだよ。」
憮然として、ネルはそう言った。
「だって、夜襲は手早く引き上げるのが・・基本じゃない。」
「そうだけどさ。」
ネルはそう言いながら、軽く右手を握りしめた。
噂通り、強い騎士だった。
メイコとの打ち合いの中で、ネルはそう感じたのである。
私の得意な槍の打ち合いで互角だったのだから、苦手な剣での戦いになったら私は負けるだろうな。メイコ殿は本来剣士という話だし。
「今日、死ぬかもね。」
ネルは晴れやかに、そう言った。
「先に・・死んだら嫌だよ・・。」
ハクが弱々しく、そう答えた。
「うん、努力する。それじゃ、行こうか。」
そう言ってネルは立ち上がった。
せめて、メイコ殿の首だけは取る。
そう決心して。
「敵軍はこの先、三キロ先に布陣をしております。」
間諜からの報告がメイコにもたらされたのは、午後も回った頃であっただろうか。
「数は?」
「おそらく五千程度かと。」
「物の数でもないな。」
おそらく、緑の国のほぼ全軍が終結しているのだろう。最後の決戦のつもりか、とメイコは考えた。
久しぶりに好敵手と呼べる人間に会えたと思ったのだが、それも今日限りか。
メイコはそう考え、赤騎士団全軍に戦闘準備を伝令させた。
晴れ渡った空に吹きすさぶ、残暑の混じる湿り気のある風が、メイコの短い髪の毛を逆立たせた。
黄の国の軍と緑の国の軍が最後の野戦を行った場所は緑の国の王宮から西に十キロほど離れた草原の真っただ中であった。緑の国としては、本来なら砦に籠っての戦いを展開したいところではあったが、このあたりには緑の国の王宮以外に要害と言えるものが存在しない。それでも緑の国の王宮に敵軍を近づけたくないネルとハクはやむなく不利な野戦を選択したのである。
とにかく、メイコ殿を倒せば勝機が見える。
そう判断したネルは、赤騎士団の旗印が視界に入った瞬間に全軍に突撃を指示した。ネルとハクが自ら先陣を切り、赤騎士団へと突撃してゆく。
「来たな。」
メイコはそう言うと、槍を天に掲げ、そのまま敵軍目がけて振り下ろした。
突撃の合図である。
歓声とも怒号ともつかぬ声をあげた赤騎士団は一団となってネルが率いる緑騎士団へと突撃し始めた。
先頭はネル殿か。ここから先は力押しだな。
そうメイコはそう考えて、槍をネルに向けて繰り出した。乾いた金属音が響く。
流石ネル殿。そう簡単に突破させてくれないか。
メイコは僅かに笑った。そして、再び槍を繰り出す。ネルがそれを受け流し、逆に鋭い一撃をメイコに叩き込もうとした。それをメイコは受け止め、そして再び、二人の打ち合いが始まった。
「ネル、加勢するわ!」
ネルとメイコが再度の一騎打ちを始めたことを見たハクはそう言って馬首を返した。
ネルとメイコ殿は互角の力量。なら、私が加勢すれば勝てる。
ハクはそう考えたのである。
メイコを守ろうと、赤騎士団が一斉にハクに向かって突撃を始めた。
「邪魔よ!」
ハクはひとたび戦場に出ると人が変わったように暴れだす。ハクの流れるような槍さばきは相当の腕の持ち主でも容易に避けることができるものではない。たちまちのうちに三人の騎士を突き落としたハクは、そのままメイコに向かって槍を繰り出そうとした。
その時、彼女は一人の少年に気が付いた。
金髪蒼目の少年。
レンであった。
「メイコ隊長には手を出させません!」
レンはそう言うと、その小柄な体からは想像できないほど重い槍をハクに向けて放った。
ハクはその槍を避けようとして、失敗した。左肩にレンの重い槍を受ける。脳天を突き刺すような痛みがハクを襲い、思わず彼女は呻き声をあげた。
「止めです!」
すばやく槍を抜いたレンが再び槍を振り上げた。その一撃を、右手一本で受け止めようとして、ハクは失敗した。
なんて・・重い槍なの・・。
右手一本で支えられるような槍さばきではなかった。重量に押し負け、ハクは槍を手落とす。レンはその隙を逃さなかった。
心臓に槍が突き刺さったとハクが実感したのは、その直後のことだった。
「ネル・・ごめんね。」
レンの槍が抜かれた瞬間に噴き出した血流で、自らの服を紅く染めながら、ハクはそう呟いた。
ハク、ごめん。寂しくないように、すぐ私も逝くからさ。
目の端でハクの最期を見届けたネルは、更に鋭い槍をメイコに繰り出した。
同僚の死を持ってもネル殿は心を乱さぬか。
ネルの槍を受け止めながら、メイコはそう考えた。
全体の戦いは有利に進んでいる。ハクを討ち取ったレンのおかげで、昨晩から低下し始めていた兵の士気が元に戻ったのである。それに勇気づけられた黄の国の軍は、数の多さも手伝って一息に緑騎士団を圧倒し始めていたのである。
「殺すには惜しいな。」
戦の大勢が付いたと判断したメイコは、ネルに向かってそう言った。
「戯言を。」
ネルはそう言い返すと、更に槍を繰り出した。それをメイコは押さえる。金属音がこすれあう、力押しの鍔迫り合いの最中に、メイコは更に言葉を続けた。
「今降伏すれば、命は助けてやれるが。」
「馬鹿なことを。貴殿は私が討ち取る。それ以外に緑の国が救われる方法はないんだ・・!」
「そうか。残念だ。」
メイコはそう言うと、目の色を変えた。褐色の目が、一瞬紅く光る。
昨晩の戦いは本気じゃなかった。
ネルがそのことを理解した瞬間に、ネルは馬から放り出された。メイコが一息に槍を押し返したのである。
「女性らしくないとは言われるが・・実は力には相当自信があるのだよ。」
落馬して、腰を地面につけたネルの額に穂先を突き付けながら、メイコはそう言った。
「どうする?」
メイコは更に、そう訊ねた。
ふん、決まっている。
ネルはメイコを睨みつけながら、こう言った。
「殺せ。」
「そうか。」
メイコは一つ頷くと、遠慮のない一撃をネルの額に撃ちこんだ。
「ミク・・あんただけは・・生き残ってくれ・・。」
消えゆく意識の中で、ネルは声にならない声を呻いた。
「そう・・二人とも・・立派に戦ったのね。」
緑騎士団の敗北の報はその一時間後にはミクの元に届いた。伝令兵に休むように指示を出すと、ミクは窓の外を眺めた。
明日には王宮が包囲される。
グミが出立してからまだ一週間も経過していない。援軍を頼るには、私一人で十日余りを耐えきらないといけない。
できるのだろうか。
ミクは軍略に明るくはない。いつも、ネルとハクに頼りっぱなしだった。
その二人も、もういない。
頬を伝わる涙を拭おうともせずに、ミクは窓の外を眺め続けた。
その頃、青の国へと援軍派遣の要請の為に走り続けていたグミはようやく青の国の王宮にたどりついたところであった。途中、馬に無理をさせすぎて二頭の馬をつぶすというアクシデントはあったものの、まずまずのスピードであったと言えるだろう。
「カイト王に、至急のご報告がございます。」
疲労に表情をゆがめたグミにそう告げられた衛兵は一瞬の戸惑いを見せたが、速筆で書かれたミクの親書を確認すると大慌てという様子でカイト王への取り次ぎをするために走って行った。
まだ、全員無事だろうか。
待たされている間のこの時間が惜しい、というばかりにグミは無為に部屋の中を歩き回った。動いていなければ緊張で押しつぶされるような感覚が襲ってくるからだった。
ようやくカイト王に呼ばれた時には、すでに一時間の時間が経過していた。
一刻でも早く。
グミは早足に謁見室へと向かい、そして玉座にいるカイト王の姿を確認すると丁重な一礼をした。
「君は確かグミ殿だったかな。一体火急の用とは何事なのだ?」
カイトはグミに向かってそう訊ねた。グミは呼吸を落ち着かせるために一つ深呼吸をすると、このように話を切り出した。
「今、我が緑の国は黄の国の大軍の攻撃を受けております。」
「なんだと?」
カイトの表情が変化した。
「わが君ミク女王はカイト王に救援をお願いしたく、私が使者として参った次第です。これが、ミク女王からの親書にございます。」
グミはそう言って、懐に収めていた親書をカイトに差し出した。従者がその親書を受け取り、玉座のカイトに手渡す。その内容を一読してから、カイトは怒りに震える声を出した。
「リン女王・・一体何を考えているのだ。わかった、グミ殿、すぐに援軍を編成し緑の国へと向かわせよう。時は一刻を争う。本日中に出立するゆえ、グミ殿には道案内をお願いする。」
「ご決断、まことに痛み入ります。」
グミはそう言って一礼した。
「いずれにせよ、軍の編成には急いでも数時間はかかる。それまでグミ殿はゆるりと休まれよ。体力がなければ戦はできぬ。」
「ご配慮、ありがとうございます。」
グミはそう言うと、謁見室を退出した。退出した瞬間に、安堵の為かどっとした疲労がグミを襲う。
少し、無茶をしすぎたかも知れない。
そう考えながら歩いていたせいだろう。王宮の廊下の曲がり角で、グミは他人とぶつかってしまったのである。
「も、申し訳ありません。考え事をしていたので・・。」
慌てて顔をあげて謝罪しようとした時、ぶつかった相手側がこのような言葉をかけてきた。
「グミじゃない。何をしているの?」
聞き覚えのある声に顔を上げると、そこにいたのは桃色の髪を持つ魔術師であり、グミの先輩にも当たる人物・・ルカであった。
「ルカ様はどうしてここに?」
ルカの用意した疲労回復の為のお茶を飲み干したグミは、一息ついたとばかりにそう訊ねた。
「呪いを解く方法を探しているの。黄の国はもう探しつくしたから、数ヶ月前から青の国に入り浸っているのだけど。」
ルカはそう言いながら、グミの空いたカップにもう一度お茶を注いだ。
「呪い、ですか?」
勧められるままに二杯目のお茶を手にしたグミはその様に聞き返した。
「そう。ちょっとやっかいなやつなの。それよりも、グミはどうしてここに?今はミク女王にお仕えしているのではないの?」
「それが・・。実は、黄の国が我が緑の国に攻めてきたのです。」
「・・嘘。」
ルカ様もこんな、唖然とした表情を見せることがあるんだ、と思いながら、グミは言葉を続けた。
「嘘ではありません。三万の大軍を率いて進軍してきたのです。私はそれに対抗するための援軍要請の使者として来たのです。」
「リン女王が・・そんなことを・・。」
「以前から、リン女王は緑の国を制覇する腹積もりだったのでしょうか。」
「そんなことはないわ。春の終わりに会った時には戦争などに興味がないという様子だったのに・・一体何があったのかしら・・。」
あるいは、彼の呪いのせいか。
ルカはそう考えて、アキテーヌ伯爵は無事だろうか、と考えた。
私の判断が甘かったかも知れない。
もっと早く、彼を排除すべきだったかもしれない。
リンは、ミルドガルドを焼き尽くさないともう満足できなくなっているのかもしれない。
もう、どんな手段も手遅れかも知れない。
そう考えて、ルカは冷や汗が首筋を流れることを実感した。
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Thank you for supporting me...Introduction
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BPM=200→152→200
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