第四章 始まりの場所 パート4

 「アテンション・プリーズ。」
 リーンと一緒になって窓の外の景色を眺めていたリンは、唐突に機内に流れ始めた甲高い女性の声を耳に収めて思わずその肩をびくりと震わせた。何事かと考えて機内を見渡すと、航空機の座席の中央にある大型の液晶画面からなにやら映像が流れている。一体何の映像だろうか、とリンは考え、興味津々とばかりにリーンに向かってこう尋ねた。
 「あれもテレビ?」
 「そうよ。流れているのは機内での注意事項とかだけど。」
 そのリーンの解説にふうん、とリンは頷くとその画面を注視することにしたのである。その時、リンの右隣に腰を落としていた寺本が何かを思い出したように胸ポケットから小型の黒い機械を取り出した。確か携帯電話とかいう機械だったか。
 「何をしているの?」
 リンがそう尋ねると、寺本は携帯電話の上部を人差し指で押さえて、直後にタッチパネルを軽く操作しながらこう答えた。
 「電源落とすのを忘れていた。」
 「電源?」
 「動力を止めた、と言えばいいかな?」
 動力と言われてもリンにはいまひとつピンと来ないところがあったが、どうやら重要なことではないらしいとだけ考えてリンは曖昧に頷いた。それから暫く経過したとき、ゆっくりと航空機が動き出す。
 「動いた・・。」
 リンは呆れた様子でそう言った。外観だけ見てもこの機械が相当巨大な物体であることは簡単に理解できる。まるで山のような機械が本当に動くとは。まさかこのまま空を飛ぶというのだろうか、と不安そうにリンは瞳を瞬きさせた。この巨大な金属の塊が空を飛ぶ?冗談なら今すぐやめて欲しい。飛ぶわけがない。こんな重そうなものが。リンは思わずそう考えたのだが、どうやら冗談ではないらしいということはその数分後に流れた機内放送で否応なく確認することになったのである。
 「当機はまもなく離陸いたします。」
 離陸。陸から離れる・・つまり飛ぶということか。本当に飛ぶのか?
 リンがそう考えたとき、それまで巨象のようにのんびりと地上を走行していた航空機がぴたりとその動きを止めた。だがそれは一瞬。ブーストするような爆裂音が機内に響き渡ったかと思った直後に航空機はまるで豹変したような加速を行い始めた。慣れない重圧がリンの身体にかかる。これ、この後飛ぶの?リンが思わずそう考えたとき、足元が抜けるような妙な感覚を味わった。機体も水平ではなく斜めになっている。何が起きたの、とリンが考えてリーン越しに窓を見たとき、思わずこう叫んだ。
 「飛んだ!」
 狭い窓からでも機体が急激な勢いで上昇をしていることは容易に理解できた。地上にあったビルとかいう建物群がどんどんと小さくなっていく。嘘、本当?これ落下しないの?錯乱するような感覚をリンは味わいながらただただ呆然と窓の外の景色を眺めていると、やがて飛行機が旋回を開始し始めた。その影響で窓の位置がリンよりもやや下方にずれる。そこに見えたのは遥か彼方に離れた東京の街。あの水色のラインは川だろうか。随分沢山あるなと妙に冷静に考えながら、リンは恐怖に顔が引きつり始めたことを自覚した。地上があんなに遠い。これ、落ちたら死ぬのではないかしら。いいえ、絶対死ぬ。
 その時、機体が僅かに揺れた。何か事故があったのかとリンが声にならない叫びを上げる。そのリンを見かねたのか、リーンがリンの左手をしっかりと握り締めた。リーンが平然とした表情をしているところを見ると、この程度の揺れはよくあることなのだろうか。
 「大丈夫よ、リン。滅多に落ちないわ。」
 「滅多って・・。」
 「・・まれに落ちるけど。」
 冗談なのかそうじゃないのか、とにかく困惑した表情でそう告げたリーンの様子を見て、リンは口の中が砂漠のように乾いていくことを自覚した。

 もうすぐか。
 札幌の街、とあるコーヒーショップで一人時間を持て余すようにホットコーヒーを口にしていたレンは、そう考えるとゆったりとした動作でそのコーヒーを木目調のテーブルの上に置いた。寺本の話では二時頃に到着するということだった。その時間なら丁度いい。寺本君は偶然にも希望する時間を選択してくれたな、とレンは考えてから、僅かにその首を振った。
 これもまた必然。時間は一時間程度しかない計算になるが、それだけの時間があれば十分だろう、とレンは考えて、懐に隠し持っている拳銃に手を当てた。重量感がある金属の感触を右手に感じてレンは僅かに心を落ち着かせると、左手首に身につけた質素な形をした時計に目をやった。午後一時。そろそろ三人が新千歳空港に到着する頃だろう。リンが初めて乗る飛行機に困惑していなければいいけれど、とレンは考えた。だけど彼女が航空機に乗るのはこれが最初で最後だろう。彼女が生きるミルドガルドで航空機が開発されるまでにはまだ百年以上の時間差が生じている。一体リンはメイコたちに航空機についてどう説明するのかな、とレンは考えて僅かな笑みを見せた。三つの世界が交わったのは全て運命。そして今後動乱に巻き込まれることになるミルドガルドにとって必要な出来事。それは彼女にとって相当の困難を伴うことだけれど。
 「それでも、君にはそれを成し遂げる使命がある。」
 レンは小さくそう呟くと、もう一度優雅な動作でコーヒーカップを手に取った。

 「大丈夫か?」
 寺本が呆れた様子でリンにそう尋ねたのは、フライトが無事に終了して新千歳空港に降り立ったときのことであった。
 「もう二度と乗らないわ。」
 疲れきった表情でリンはそう答えると、大げさにかぶりを振った。飛行していた時間は一時間と少しだったというが、リンにしてみれば何時間も上空で拘束されているような気分だったのである。いつ落ちるか分からない恐怖と戦いながら過ごした一時間は、リンにとってはいわゆる快適な空の旅とはかけ離れた旅行であったのである。
 「列車だと東京は遠いぞ。」
 続けて寺本は呆れきった様子でそう言った。その言葉を耳に収めて、リーンは思わず肩を硬直させた。この後どうなるか、寺本には当然理解できない。あたしはもう一度東京に戻るのか。それとも別の道を進むのか。あたし達がレンに会って、その後一体どうなるのか。
 「とりあえず、出口に向かうか。」
 寺本はリンを宥めるようにそう言うと、リンとリーンを先導するように歩き出した。先程出発した羽田空港よりは随分と人気が少ない。それにビジネスマンよりも旅行客が多いところを見るとこの場所はどちらかというと観光地として有名なのだろう。リーンはそう考えながら寺本の背中を追うように歩いた。この後どうなるのだろうか、という疑問をもう一度再燃させながら。寺本は故郷に戻ってきた安堵感からか幾分のんびりした歩調で歩みを進めていた。出口へと向かうフロアの途中で航空機に預けていた自身のキャリーバックを受け取ると、航空会社の地上勤務員から手荷物受け取りの手続きを受けて空港ロビーへとその身体を移した。その後にリンとリーンは続き、この後どこに向かうのだろうかと考えたとき、喜色に満ちた女性の声が到着ロビー内に大きく響き渡った。
 「満、お帰りなさい!」
 誰だろう、と思ってリーンが視線を向けると、そこにいたのはフリルのついたシャツにピンクのスカートという格好をした、寺本と同年代に見える女性であった。その直後に女性は寺本に駆け寄り、そしてリンとリーンに気付かないという様子で。
 寺本に抱きついた。
 「もう、待っていたよ・・。」
 そのままその女性は深く寺本の背中に手を回して、もう離さないという様子で寺本をきつく抱き締めた。この人、誰?寺本君の恋人?リーンは興味津々という様子で思わずその口元を緩めてにやりとした笑みを見せた。一方リンははしたない、恥ずかしいという様子で視線を地面に落としている。
 「馬鹿、みのり、今日は俺一人じゃない!」
 焦るように寺本はそう言った。それに対してみのりが冷静にこう答える。
 「リンさんでしょ?鏡君から昨日聞いたわ。」
 「お前、昨日鏡に会ったのか?」
 「うん。でもいいの。満、大好きだよ。」
 これはいわゆるバカップルというやつなのだろうかと考えながらリーンは瞳を数度瞬きさせた。あまりに衝撃過ぎたせいで、先程考えていた暗澹たる思いなど既にどこかに吹き飛んでいる。
 「とりあえず、とりあえず離れろみのり。他の人も見ている。」
 焦る寺本の様子は初めて見た。リーンがそう考えながらみのりの動きに注視していると、みのりは渋々という様子で寺本から離れて、そして優しげな笑顔をリンとリーンに向けて見せた。続けて、落ち着いた様子でこう告げる。
 「はじめまして、リンさん。えっと、どちらがリンさんなのかしら?」
 みのりのその言葉に、リンが一歩前に出るとこう答えた。
 「はじめまして。あたしがリンよ。貴女は?」
 「あたしは渋谷みのり。満の恋人で、鏡君の友人と言えば一番分かりやすいかしら。
 「宜しくね、みのりさん。」
 リンは落ち着いた様子でそう告げると、元女王らしい丁寧な態度でお辞儀をして見せた。その態度にみのりも驚いた様子で、出来る限りのお辞儀を返した後にこう言った。
 「鏡君の妹さんなのでしょう?顔もそうだけど、お辞儀の仕方もそっくりね。」
 みのりはそう言って笑顔を見せると、次にリーンに向き直ってこう言った。
 「貴女も名前を教えて?」
 しっかりした女性だな、とリーンは考えながらこう答える。
 「あたしはリーンよ。」
 「リンさんと、リーンさんね。」
 確認するようにみのりはそう答えると、寺本を含めた三人に向かってこう言った。見る者を安堵させる優しい笑顔で。
 「それじゃ、札幌に行きましょう。鏡君が待っているわ。あたしの車があるから、皆それに乗って。」

 乗り心地がいいな。
 後部座席にその身を置いたリンは、運転席で巧みに自動車というらしい機械を操作している寺本の姿を見つめながらそのようなことを考えた。先程から運転席に座る寺本と助手席に腰を落とすみのりの楽しげな会話が続いている。内容は本当にたわいもない、どこにでもいる恋人たちの会話だったけれど、二人の絆が誰よりも強いということはリンであってもなんとなく理解することが出来た。まるでメイコとアレクみたい、とリンは考え、小さな吐息をその場所に漏らした。もうすぐレンと逢える。逢ったら一番初めに何を言おう。いいえ。伝えることはもう決まっている。ただ、その言葉を伝える前に自身の涙腺がもつのだろうか。リンはそう考えながら、寺本からずっと預かっているハルジオンの栞をポケットから取り出すと、丁寧な手付きで握り締めた。
 そしてあたしは、レンと逢った後に何をするのだろうか。リンは車窓に視界を移しながらそのように考えた。道央道というらしい道路を車は心地よいスピードで駆け抜けてゆく。ルカは歴史を変えると言った。果たしてミルドガルドの歴史が、あたしがこの世界に来たことでどう変わるのだろうか。あたしはレンと一緒にミルドガルドに戻るのだろうか。それともこの世界でレンと暮らすのだろうか。どちらでもいい。レンと一緒なら、どこでもいい。リンはそう考えたが、その直後に脳裏に浮かんだ銀髪の少女の姿を思い出し、小さく唇を噛み締めた。
 あたしはこの世界に残るわけには行かない。ハクの所に帰らないといけない。
 リンは思わずそう考えた。リンにとって初めての親友の所に戻らなければならない。あたしはこの世界に留まる訳には行かない。だけど、レンともし再び離れ離れになるとしたら?あたしは耐えることが出来るのだろうか。リンはそのようなことを思考しながら、ぼんやりと車窓から広がる景色を眺め始めた。東京とは違って緑の多い場所だな、とリンはなんとない感想を抱いた。

 毒舌癖がある彼の性格とは異なり、安全運転が至上命題らしい寺本の丁寧な運転を満喫しながらリーンたちが札幌に到達したのはそれから一時間程度が経過したころであった。札幌市の中心部にある大通り公園から程近い場所にある駐車場に自動車を停車させた寺本は、本来の車の所有者であるみのりに車の鍵を手渡すと、胸ポケットから携帯電話を取り出して時刻の確認を始めた。二時少し前か、と考えた寺本は同行している全員に向かってこう告げる。
 「それじゃあ、鏡に会いに行くか。」
 その言葉に緊張した様子で頷いたのはリン。不安そうに僅かに唇を噛んだのはリーン。その二人に向かって安心させるように寺本は大人しい笑顔を見せると、目的の場所へと向かって歩き出した。その隣を自然な様子でみのりが歩き出す。
 もうすぐ。もうすぐ、レンに逢える。
 リンはそう考え、緊張をほぐすように深く、東京に比べれば相当に澄んでいる空気を思う存分に吸い込んだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

小説版 South North Story 53

みのり「第五十三弾です!」
満「みのり、そろそろ空港で抱きつくのはやめないか・・?」
みのり「いいじゃない。毎回のことなんだし。」
満「いや、そうだけど。」
みのり「誰も気にしないわ。」
満「いや、俺は毎回回りの視線が気になるんだが・・。」
みのり「満・・嫌なの・・?」
満「お、おい、そんな目をするな。」
みのり「だってたまにしか会えないんだよ・・?」
満「わ・・わかった、分かったからそんな泣きそうな目をするな!」
みのり「じゃあこれからも抱きつくね^^」
満「・・おう・・もう笑顔かよ・・。」
みのり「何か言った?」
満「・・何も。」
みのり「そう♪ではでは、続きは来週で!次回もよろしくね♪」

閲覧数:254

投稿日:2010/12/19 22:21:07

文字数:5,268文字

カテゴリ:小説

  • コメント2

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  • ソウハ

    ソウハ

    ご意見・ご感想

    こんばんは。お久しぶりです。そして、更新お疲れ様です。
    一日二回の投稿すごいです。私は忙しくてなかなか小説の更新ができませんでした。

    いやーなんか話の展開がもう楽しみになってきました。
    リンとレンの再会が気になります。
    そして今回は、満君とみのりちゃんに和んでいました(笑)

    私は22日に合唱祭があり、それが終わったら冬休み前日です。
    何故か授業があるのがつらいです。

    ま、なにはともあれ、レイジさん。今年もあともう少しなので頑張って行きましょう。
    あ、無理はしないでくださいね。風邪が最近流行っているようなので。
    それでは、失礼しました。
    P.S.最近ボカロのイラスト(アナログ)で書くのにハマっていますw

    2010/12/20 21:27:07

    • レイジ

      レイジ

      コメントありがとう☆

      もう冬休みですかね?
      俺はまだ仕事続きますけど・・。
      ソウハさんも体調には気をつけてがんばってくださいね。

      続きは昨日の深夜に投稿したので、お楽しみいただければ幸いです♪
      ではでは!

      2010/12/26 10:22:40

  • lilum

    lilum

    ご意見・ご感想

    お久しぶりです。ツイッター見て早速読みにきちゃいました☆ 2個目の投稿お疲れ様です!

    もうすぐリンとレンとの再会ですね。二人が出会う事で何が起こるのか、レンの言う『使命』が何なのか、今から凄く楽しみです!

    仕事がお忙しい中での更新、お疲れ様でした。体に気を付けて、くれぐれも無理はなさらないで下さいね。
    それでは(^-^)/

    PS.満君とみのりちゃんのラブラブっぷりには、2828しつつ和みました。個人的に、この二人がラブラブなの大好きですw もっとイチャイチャしちゃえーwww

    2010/12/19 23:56:42

    • レイジ

      レイジ

      先に投稿しておいてコメントの返事忘れてました。。
      すみません。。

      もう先の話も見ていると思うけど・・まあ、あんな感じですw

      もう少し満とみのりのいちゃいちゃさせても良かったかも・・
      そのうちこの二人も続き書こうかなw

      ということで今後もよろしく!

      2010/12/26 10:21:15

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