お昼休み。
私は世良に連れられて裏庭へ続く通路を歩いていた。

登校中、世良はお昼を一緒にしようと切り出してから、私が話さない代わりに一生懸命に会話を続けようとたどたどしく自分の話や勉強の話をしてくれた。
私はそんな世良を見て、少しずつ調子を戻していった。

おかげで学校に着くころにはいつも通りに話す程度には回復していた。

四時間目の終わりのチャイムが鳴った後、世良は自分の方から私の教室に来て私を連れだした。
世良は、私を元気づけるためにどんなに慣れていなくても頑張ろうとしているように見えた。
そんな世良を愛しく思った。

朝の情景をふと思い出す。

岳斗の名前を出された瞬間、息が出来なかった。
目の前が真っ暗になって何も考えられなくなった。

身体が動かなくて、真っ黒な感情が一瞬にして体を満たした。

身体の芯が冷たくなりすぎて、まるで自分自身の身体ではないかのようでそんな自分が怖かった。
こんなにも真っ黒な自分が気持ち悪かった。

岳斗の事で、こういった感情に染まる私が嫌だった。

そしてこんな真っ黒な自分を、世良に見られていたのかと考えると、死にたくなった。
世良は、こういった考えすらも見抜いてしまうのだろうか。

……人と関わるのが苦手って言っていたのに…。

私は、本当に短い間だけしか世良の事を見てはいない。
それでも分かる。

世良は、人の本質しか見れないんだ。

本来、人の本質しか見ていない人は世渡りが上手いという印象が強い。
それは人と関わることを得意としていることを前提としてそういうことを印象付ける。
人の本質しか見れない人間、それは人の欲望や痛みが手に取るようにわかる分、そこから自分の利益といったものも簡単にくみ取れるからだ。

でも世良は違う。

人と関わることを苦手としていて…
ずっと警戒していて。近づこうともしなくて。

私が知らないところで何かしら人と関わることにトラウマになるようなことがあったのだろか。
もしそういったことがあったとしたら、本質が見えすぎている世良は、そこから人と関わることに恐怖覚えて臆病な小動物のような生活をしていたのだろうか。

ああ、きっとそうだ。

世良は優しいから。
昔、あの子を見てあんな行動をしてしまうくらいに優し過ぎるから。

だから本質しか見られない分、余計に人が怖かったんだね。
こんなにも真っ黒に染まる生物が、本当に怖かったんだね。
私も私が怖い。真っ黒な自分自身が。

怖いよね。

人と関わってこんなにも真っ黒になって、それを今まで押さえつけていた分その恐ろしさがよく分かる。
怖い。人と関わってこんなにも堕ちることが。

大半の人間はいろんな経験をして身を持ってこの怖さを知るんだろう。

けれど世良は、見ただけでこの怖さを自分の恐怖のように連想できてしまうのかもしれない。
だとしたら、大勢の人間が集まる学校なんてところに通うのは相当きついものだっただろう。
人の恐怖、痛みを見ただけで分かってしまうなんて、それほど理不尽なことはないと思う。

自分が感じる必要もない負の感情を嫌でも背負ってしまうのだから。
だとしたら本当に世良はすごい。
そんな恐怖を承知の上で、人と関わることを自ら望んだのだから。
生半可な気持ちでは出来ない事だろう。

そんな子と、私は肩を並べて歩こうとしているんだ…。

世良と関わる上で、私は世良を自分の弱さのせいで苦しめたくないと強く思った。

世良には、こんな感情よりもっともっと幸せな感情を受け取ってほしい。
人と関わる上での、幸せを知ってほしい。
私にも確かにあったんだ。ほんの少しでも、手を伸ばせるような場所に本当にあったんだ。
岳斗と、大事な人といてとても幸せだった時間が。

私の弱さのせいで、世良の幸福も砕いてしまうような事だけはあってほしくない。


「奈々。こっちよ」


世良が私を気遣うように優しく声をかけて裏庭へ誘導する。
そんな姿がとても健気で、自分の脆さを思い胸がズキリと痛んだ。

分厚い本と購買の袋を抱えた世良が、私をケヤキの下へ座らせた。
そこはちょうど校舎からは死角になっているところで、裏庭には私たち以外には誰もいないみたいでとても静かだった。
「先にはやく食べましょ。話したいことがあるの」
世良はそういうと購買の袋からイチゴオレを取り出した。

胸の内にある負の感情を押し込めて、無理矢理明るい気持ちに切り替える。
そうでなくては、せっかくのお昼御飯が台無しだ。

「……世良、イチゴオレ好きなの?」
どこか嬉しそうにピンクと白の縦じま模様のパックにストローを刺す世良を見て問いかけてみる。
そういえばカフェでも頼んでいたなと思い出した。
「いちごが、好きなの。甘いから」
そういって世良ほんわりと笑った。

やっぱり、可愛いなぁ…

周りの空気がふわりと和む。

世良は笑ってる方が断然良い。
もっと前からこんな風に人を警戒しないで笑えていたなら世良はすごくモテていただろう。
実のことを言うと世良は昨日のイメチェン(?)から男子だけでなく女子からも少しずつ株が上がってきている。

本当、みんな表面上でしか人を見ないんだよなぁ…

「奈々は、好きな飲み物とかないの?」
世良は私にそう聞くと、イチゴオレをストローでちゅうちゅうと吸いはじめた。
なんだこの可愛い生き物は。
「カフェオレとか好きかな。甘目のやつ!ほんの少し苦みが残ってた方が好き」
「珈琲は苦手なの?」
世良が小首をかしげて訪ねる。
「いや、普通に飲めるよ?ブラックも」
「わ、私は…飲めない。苦いのは」
世良が眉をハの字に下げて頭をふるふると振った。

うん、なんとなくそういうかなとは思ってた。
しかしその首の振り方は可愛すぎるだろう世良ぁぁああ!!

そんな他愛のない会話を続けながら私たちはお弁当とパンを平らげた。

世良はパンの袋をきちんと縦にたたんで一つに結ぶと綺麗につぶしたイチゴオレのパックと一緒にビニール袋に仕舞った。
私も弁当箱を片付けて世良が私をここに連れてきた本題を聞くことにした。

「それで世良、話しってなにかな?」
出来るだけ、明るく問いかける。
世良はスカートについた芝生を軽く手で払うと、一呼吸おいて、私の目を真っ直ぐに見た。
「…わかってるんじゃないのかしら、奈々は。これから私が話したいこと。」
世良の静かだけれど凛とした声が、私の胸を締め付けた。
深く蒼い瞳が、私の姿をしっかりと捉えている。
綺麗なその蒼に映っているのは、真っ黒な私だった。

背筋がぞくりと寒くなる。

吸い込まれるかと思うほど魔性な美しさをもつ瞳に恐怖を感じ、冷や汗が出て、体が震えそうになる。
それでも私は笑う。どれだけ怖いと感じても、にっこりと、明るく笑って見せる。


これから世良が話すことに、挫けてしまわないように。


必死に笑う。笑え。
そして、これから世良が話す事への覚悟を決めるんだ。

私の過去に向き合うための、覚悟を…

今朝の岳斗の話を出された時の事を脳裏に浮かべ、世良に気付かれないようにそっと右手で拳を握った。

少しだけ間が空いて、世良が心配そうに私の顔を覗き込みながら言った。
「……奈々、そんなに怖がらなくて大丈夫よ。私は、苦しいこと…しないから。」
世良の瞳には、ちゃんと笑っている私がいた。
けれど世良には、笑っているように見えているのだろうか?

世良の瞳に映された私は、世良にはどう見えているのだろう。
真っ黒で、この世のものとは思えないほどドロドロした生き物に見えるのだろうか。
こんなにも綺麗な瞳に、今の私なんかが映されていて、世良まで濁らせてしまわないのだろうか。

そう考えた途端、体中を電流のような冷たい恐怖が駆け巡った。
笑っていようと頑張っていた頬が引きつっているのが嫌でも分かる。
きっと今、世良に見えている私はとても真っ黒で汚い…っ!!!

「世良…っ僕を……みないで…」

か細く震えた声が出た。
手足もしびれているように上手く動かない。
世良に見られているのに耐えられなくて、顔を背けようとしているのに首すらも動かない。

本当にこれは、私の体なの…!?

「奈々。苦しい?」
苦しい…苦しいけど、でもそれは世良のせいじゃない。
私自身の弱さのせいだ。

世良は、こんな私を見て何を思う?何を考える?
私のこの痛みは、世良にも伝わってしまってる?
「奈々…今までずっと、ずっと、独りで苦しかったわよね…。」
世良の顔が、歪んだ。

私の、せいだ。
私が弱いから…あの子だけじゃなくて、世良まで…
私の弱さが苦しめる。
私がこんなだから、世良にそんな顔をさせる。
そんな絶望が喉の奥から突き上げた。

真っ暗な駐車場でただひたすら泣きじゃくる私の大切な光を思い出す。
周りには明かりなんて無くて、そんな中でずっとあの子は泣いていた。
私のせいで、泣いていた。
あの子は、自分で輝くことすら出来ないほどにボロボロになって真っ暗な空間に堕ちていった。

私のせいで。

あの子は、とても強かった。
あんなボロボロな姿なんて想像できないほどに。

そして、凛々しかった。
そんな勇ましい光のような子だった。

対照的に、世良はとても優しい。
そして臆病で、控え目な光のようだ。

そんな二つの光に私は救われていた。

なのに私は、彼女たちを、大切な人達を傷つけることしか出来ないの?
あの子も、世良も、岳斗も。
皆すごく大好きで、大切で、失いたくなんかないのに!
もう、自分なんて大嫌いだ!

「…奈々、そんなにも自分を傷つけなくていいのよ。」
世良の白い右手が、私の頬に添えられた。
ゆっくりと人差し指が動いたと思うと、そこには一粒の水滴がついていた。
そこで私は、やっと自分が泣いていることを理解した。
「どんな奈々でも、私は奈々を嫌いになんてならないわ。失望もしない。弱くていいじゃない。私も、弱いもの。だから、人といたいって思ったのよ。弱いから、ほんのちょっとの勇気をくれる、そんな存在がほしくて。」
世良が華奢な腕をゆっくりと持ち上げ、私を抱きしめた。

「奈々は、怖かったのよね。岳斗さんへの感情が、もしかしたら好きでも何でもないんじゃないかって思いがどこかにいつもあったんじゃない?」

世良のその言葉を聞いた瞬間、胸を刃物で貫かれたような衝撃が走った。
その通りだった。
もしかしたら、岳斗へのこの感情が好きという感情では…なかったら。

私をずっと、束縛してきた恐怖。

「自分の中にある感情が、どういったものなのか自分で分からないのは、誰でも恐ろしいものよ。でもね、奈々。その恐怖に、独りで立ち向かう必要なんてないと思うの。それがたとえどれだけ醜いかもしれないものであっても、私は奈々の傍にいる。岳斗さんもそう思っているわ。」

がくと…も?

「嘘だよ…世良。それは嘘だ。だって僕はどんなに頑張ったって岳斗には本気で求めてはもらえないんだ。そんな存在に、いちいち自分の時間を割いてまで何かをするわけない。だって実際、岳斗は僕から逃げたんだ!世良!」

「違うわ!!!」

世良が大きな声で否定する。
世良がこんなに大声を出すとは思っていなくて気圧されてしまう。

「岳斗さんも、そう思っていたのよ。そして貴方と同じ感情を、貴方に向けて岳斗さんも持っていたんだわ。だから、怖かったのよ。貴方との関係が壊れてしまうんじゃないかって事が。奈々が、大切だったから…!!」
世良の腕に力がこもる。
肩が微かに震えている。

「本当に大切なものほど、自分が恐怖を感じるものからは遠ざけるものなのよ。奈々。」

岳斗への想いを思い出す。
家族でも、友人でも、恋でもない。
不思議な安心感をもつ暖かさと、こそばゆさ。
甘いような、苦しいような。

いつしか、苦しみだけに汚染されてしまった。
その感情を。

「お互いにお互いが分からなくなるのは、自分の相手への気持ちを信じきれないからよね。でも、その感情がわからないんだもの。仕方のないことだわ。でもだからって大切な人を想って、自分をそんなに傷つけないで!自分を陥れては駄目よ!」

世良が、再び私を瞳に映した。
その瞳は涙で濡れていた。
声も震えている。

「岳斗さんに比べたら、私は奈々と過ごしている時間は圧倒的に短いかもしれない。だけど、それで十分なくらい私は奈々を知ったわ。」

世良の瞳に強い光が宿る。

「人に好かれる陽気な奈々や、自分の意思を真っ直ぐに伝えるちょっとだけ怖いと感じるくらいの奈々、それから、こうやって苦しさに悶え苦しんで、泣き叫ぶ奈々。独りで自分の弱さを嫌う奈々。……私は、どんな奈々も大好きよ。傍にいたい。」

世良の優しい言葉が、私の耳を打った。
涙が溢れてとまらなくなる。
なにを言えばいいのか分からなくなって、頭の中はぐちゃぐちゃで。
なのに心は世良の言葉で満たされていく。


大好きだ。傍にいたい。


ああ、そうか。

そういってほしかっただけなんだ。私は。
ずっと誰かにそう言ってほしかった。
私の大好きな人に、ただそう思ってもらえればそれでよかったんだ。

あの子にも、岳斗にも。

でも二人とも、同時に私の前からいなくなってしまったから。
心の整理がつけられなくて。
つけたくなくて。
何もなくなったなんて思いたくなくて。

どうしてほしかったのかも、自分がどうすべきだったのかも分からなくなってて。

岳斗も、そう思ってくれてたのだろうか。
どれだけ短い時間でも、そう思ってくれた時があったんだろうか。

それを聞く勇気は私には無いけれど、一つだけ。
一つだけ、岳斗のことでハッキリしたことが見えた。

私は、岳斗の傍に居たかった。
今でも、傍にいたいってどこかで思ってる。

今はこれだけでいいのかもしれない。
これがわかってるだけでも十分なのかもしれない。

そう思った。
やっと、そう思えた。

涙は次第に苦しさを吐き出すものから、世良への感謝の気持ちから溢れてくるものに変わった。

「…っ!世良、…ありがとう…っ」

嬉しさで涙が止まらなかった。
止めるつもりもなかった。
今はただ、世良の言葉と、気づけたこの感情を噛みしめていたかった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

私たちの花物語 紫君子欄の光

奈々ちゃんの回はこの回と次で終わりとなります!佳絃先輩、やっと出番です。よかったですね忘れられてなくて。
世良ちゃんの活躍はまだまだ終わらせるつもりありません!
存分に楽しんでいただけると嬉しいです。

閲覧数:213

投稿日:2013/08/28 19:37:09

文字数:5,886文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました