26.嵐の前夜
「王女がいない! 」
次の朝。なかなか起きて来ないリンを、お疲れのご様子だから、と案じたのがいけなかった。
「メイコ殿!」
町中を駆け回ってきたガクが宿へと飛び込んできた。
「追いかけようにも町中の馬が出払っている!」
「やられた! 」
メイコは思わず叫んだ。早馬、馬車馬、郵便馬、宿屋の馬さえすべて居なくなっていた。
小さな町なので、輸送用の馬を扱っている場所も数えるほどだ。メイコとホルストが早馬を扱う店に駆け込み、黄の髪の若い娘が来なかったかと尋ねると、事務所から男が顔を出し、大きくうなずいた。
「来ましたよ! 身なりのいい坊ちゃんとお嬢さんが、昨晩遅くにやってきてなぁ。夜の間でいい、貸してくれ、と。……明日には遠くに別れてしまうのだからと言われちゃあな。……このご時勢だし、支払いも良かったし」
早馬での運送を扱う店の事務所の男は、そういって頭を掻いた。
「馬は、イノーガノスの丘で早朝に帰すといわれたんで、わかってらっしゃると信用したんだ」
イノーガノスの丘は、この季節、このあたりで有名な馬の草場である。
「まあ、歩けばそこまで半日だ。夕方にでも取りに行けばよいと思ったのでな。そしたら、なんと馬車を手配しておいてくれただとさ。ウチのだんなが今朝早くに早速向かったよ」
郵便馬の主は違った表現をしていた。
「坊ちゃんがな。急ぎの用事があるのでお嬢さんを隣町まで届けるので借りると。そして、王都に届けて欲しい荷物があるとね。結局全部の馬が出払っちまったよ」
最後に宿屋の馬の世話人を訪ねると、彼は笑った。
「あれ? 坊ちゃん、急な用事が出来たので先に王宮に帰れと命令されたとおっしゃっておりましたよ? ソルボさんとこの早馬と一緒にイノーガノスの草場に帰しておくからと言われましたので、私もソルボさんにつれて帰ってきてくれるように頼んだところですよ。ソルボさんが出かけに私に声をかけてくれましてね。早朝、でしたかね」
「なんてことだ」
ホルストが、いらだたしげに肩を震わせた。
「いい教育をなさったようですな! メイコ殿! われわれが馬を得るのは早くて馬車が戻る正午過ぎ! 半日の間、王女様らは早馬と郵便馬を乗り継いで、どこまで行くでしょうな!」
怒鳴り苛立ち部屋を歩き回るホルストに、メイコとガクは顔を見合わせて溜息をついた。
町は突然の笑い話に沸いている。しかし、メイコとガク、そしてホルストにとって、付きまとう不安は拭えなかった。
* *
「リン様も、いい加減お気づきかしらね」
黄の国が騒動にゆれたその時。緑の国の女王ミクは国に戻って7日ほど経っていた。疲れもすっかりとれ、ミクはゆったりと玉座に座る。
「そろそろ察しても良い頃よね。私とリン様の間には、友情など無いという
ことを」
傍らにはハクが控えている。燃えるような瞳で、じっと手元を見つめている。……ミクの手元を。ミクの手には、刺繍の道具があった。時々、こうしてハクに刺繍の技を教わるのが、女王ミクの息抜きであった。
「ミクさま。しかし、リン様はずいぶんミクさまを慕っていらっしゃるご様子」
「分かってるわよ」
ミクは口をとがらせる。ハクに見せる表情は、ずいぶんと素直だ。
「でもね。こちらとしてはリン様から得られるものは少ないの。そして土地の広さに胡坐をかいた今の黄の国から得られるものは正直無いわ。なのにあの国ときたら、緑の私達が苦労して開発した技術やモノを何でも欲しがる。そんな国と友好的な付き合いを続けるほど、緑の国の余裕は無くってよ」
ハクは、やや間をおいてうなずく。
「あらハク。ご不満?」
「……いいえ。ミク様」
ミクはくすりと笑う。ハクがミクの発言に不満なのはお見通しだ。しかしそれを懸命に隠したつもりになっているハクは、ミクにとって可愛らしくてしょうがない。
「そうよね。ハクは、きっと好きよね。ああいう、まっすぐな子」
からかうようにミクが言ってのけ、ハクは眉間にしわを刻む。
「残念だったわね。あなたを拾ったのが私で。あなたの腕前なら、黄の国の工房が人買いに来てくれたかもしれないのに。そしたらリン様にお目どおりかなったかもしれないわよ?」
「ミクさま」
ハクは怒ったように声を通す。
「私を拾ったのは、あなたです。ふざけるのはおやめください」
ハクの手がミクの刺繍を取り上げる。手にした顔料で、さらさらと下絵に追加の飾り模様を書き込んでいった。
「何これ。あてつけ? いきなり難しいわよ」
「ミクさまご自身がこの私を拾い上げたのだということ、せめてこれを刺している間だけは、お忘れにならないでしょう?」
「ええ。数日は忘れないわ」
「今の腕前なら、数週間かかるでしょうね。私にとってはひとまず安心です」
ミクが笑う。釣られてハクも口の端をわずかに持ち上げる。これでもずいぶん雰囲気がやわらかくなったものだとミクは内心嬉しく思う。
物怖じもせず、謙遜もせず、そして媚もせず向き合ってくれるハクのことを、ミクはずいぶん気に入っていた。
「ハク。あなた、リン様に会っているのよね」
え、とハクは戻された話題に戸惑った。
「……はい。街で、けが人を助けるリン様に」
ミクはにこりと笑った。
「私も、好きよ。ああいう行動力のある子。青の国の視察内容も今後の黄の国の立ち位置という点で的を突いていて鮮やかだったわ。ハクと一緒に、家来に欲しいくらい」
ハクは、すっと視線を落とした。
「残念ですね」
「ええ、とても」
ミクの手が、刺繍の糸をぷちりと切った。
* *
夜通し早馬で駆け抜け、次の町で乗ってきた馬に人をつけて約束の草場に送り返し、別の馬に乗り換えた。交代で馬の上で眠りながら、リンとレンは王都にたどりついた。すっかり人々が寝静まったころ郵便馬を、指定された場所につなぎ、そして王城にたどり着いた。リンだけが知っている抜け道を使い城へと侵入する。
「リン。どこへ通じているの」
「レンも知っているはずよ」
そこは、王女の部屋の中庭だった。
「こんなところに続いているんだ」
「忘れちゃったの? ふたりで作ったのでしょう? お父様とお母様に穴うさぎと笑われながらね。まさか、外までつなげたとは思っていらっしゃらなかったでしょうけどね」
リンの口元が懐かしい思い出に微笑む。
見上げる先に、薄暗い明りのともった部屋が見えた。黄の国の王と王妃が、8年間こもる病室だった。深夜でも明りが燈ることを、かれらの医師は「治療のため」とふたりに伝えていた。
しかし、外国の医療を経験したリンには、その薄明かりの正体が分かっていた。
「レン」
「リン」
どちらともなく手が伸ばされ、触れ合った瞬間、互いを強く引き寄せた。
「僕の幸せは、リンの笑顔」
「そしてあたしの幸せは国と共にある……」
こつん、と額をあわせた。
「……じゃ、行ってくるね、レン」
「……こっちは任せて。……リン、」
ぐ、とレンの手がもう一度リンをかき抱いた。
そしてレンは王女の部屋へ。リンは、王と王妃の病室へ向かう。
続く!
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