42.罪なき逃亡者、ハク ~前編
走り去るハクの背に、暗闇の中からネルの悲鳴が聞こえた気がした。
「ネルちゃん……! 」
しかし、振り返ろうとするとすかさずネルの相棒の鷹かハクの頭をつつく。
「痛い! 痛い! 解ったってば! 」
振り返ろうとする視界は翼にさえぎられ、うしろ髪を引かれる耳はその羽ばたきに聴力を奪われる。
「わかったよ! 走るから……走るから! 」
ハクは真っ暗な未明の夜道を、一人鳥に追われて走りだした。
ネルとふたりで辿るはずだった、海へと続く道を。
「はあ、はあ、はあ……」
いつのまにか空は白み始め、薄青い闇があたりを満たしている。
夜が明けて行くというのに、ハクの心臓はそれすら怖くてしかたがなかった。
明るくなれば、ハクの姿はますます目立つ。
真白な髪に、赤い眼。多くの緑の国の民とは違う姿。
真っ暗な村の広場で、武器を構えた村人に囲まれた恐怖がハクの喉を喘がせる。
「はあ、はあ、はあ……」
ネルの相棒の鷹は、いつのまにかいなくなっていた。
「……」
どんどん明るくなっていく道の真ん中で、ハクは立ち尽くす。今は人気のない小さな町と町を結ぶ街道も、やがて人がやってくるだろう。
それが、黄の国の軍隊だとしても、緑の国の者だとしても。
「……ネルちゃん、」
ハクにとってはどちらも敵だった。
その黄色の髪のせいで。ハクの髪が緑色ではなかったせいで。同じ国である緑の民は、ネルを殴りハクを踏みつけた。
闇の中から武器と手足が伸びてくる恐怖に、ハクは再び弾かれたように走りだした。
「ネルちゃん……もうやだ、やだよう……」
助けて。ミクさま。
そう口にしようとして、ハクはぐっと唇をかむ。
『ミク女王が死んだ!』
その情報が確かなら。もう、ハクは、女王ミクに会うことはない。
初めて会ったあの時のように、鮮やかにハクをいじめの泥沼から救いだしてくれることはない。
「そうだ、ヨワネの町なら……」
ハクの生まれ育った織物の町、ヨワネなら、彼女を知らないものはいない。ハクの髪の色が緑でなくても、みな、ハクのことを知っている。
刺繍を覚えたこと以外何一ついい思い出のない町であるが、ハクは心に決めた。
「ミクさまは、私に逃げろと言った。ネルちゃんの相棒は、私を追い立ててくれた。
大事なふたりが、私を逃がしてくれた。なら、私があきらめるわけにはいかない」
遠くから足音が聞こえた。砂埃を乗せた風がハクの鼻をかすめた。
真白な夏の太陽が昇ってくる。
「……ヨワネへ、行こう」
ハクは踵を返し、道を外れ、森の中へと向かった。道沿いにそっと森の中を進み、海の方向へ向かう。
織物の町ヨワネは海沿いの町だ。
遠く離れたたくさんの国から染料や糸や素材が届く、森と海を抱える街だ。
ハクの白い髪が森の中から道をうかがう。
やがてやってきたのは、真っ赤なマントをまとった茶の短髪の男を大将に掲げた、黄の国の軍隊だった。
「……黄の軍が、海のほうから……! 」
通り過ぎるのをうかがうハクの口が乾いていく。
「……国境の山側だけじゃない、港も、黄の軍におさえられたんだ……」
ハクの瞳が、暗い森の茂みの中から、明るい道を進んでいく黄の兵たちをじっと睨んで見送った。
真白な太陽の光を背負った黄の軍隊は、ハクの来た道を整然と進んでいった。
藪の中を、草や木に引っ掛かれながらハクは進み、その日の夕方、どうにか海を望む丘の上へと抜けることが出来た。
白い髪をわざと泥で汚し、フードをふかくかぶりこみ茂みを抜けたハクが見たものは、海岸線にならんだ黄の旗をはためかせた軍船だった。
「隣の湾のバニヤの港から船をまわしたのね……」
おそらく途中まで陸路で来た兵士に船を回し、緑の港に直接乗り込んだのだろう。船は水と風があればどこでも走る。陸路よりずっと緑の国に回り込むのはたやすかったはずだ。「……とにかく、ヨワネへ」
そういえば、最後に何か食べたのはいつだったのだろう。
王宮を出てからハクはひたすら走り通してきた。自分の容姿が見とがめられることが怖くて、人に会うことができなかった。飲まず喰わずでひたすら逃げ続けたハクは、体力も気力も、もう限界だった。
森の中の道を抜け、ハクはヨワネの町の様子をうかがった。
「よかった、黄の兵はまだ、ここには来ていない……」
茂みに隠れて移動しながら、ハクはたくさんの港町を抜けてきた。もとの姿が残っている街もあれば、黄の兵のためか荒らされ、火が出て、泣く女の声が響いてくる街もあった。
幸い、ヨワネはハクの記憶にあるヨワネの町のままだった。
「……変わっていないことが、嬉しいなんてね」
ハクを異端として蔑みつつも孤高の天才職人として育てた町は、夕焼けの中に懐かしい姿でハクを迎え入れた。
ハクの口元に笑みが浮かぶ。ミク女王に連れられてこの町を出たのははるか昔のことのように思えた。
少女のハクを、それまでいじめぬいてきた街の人たちは、その日ばかりは笑顔で見送ってくれた。これが女王の力なのだと、ハクはあっけにとられたことも思い出した。
いつも港についた材料や加工された工芸品、商人や職人が行き交いにぎやかだったヨワネの中央通り。
「私を送り出した日は、もう信じられないくらいにぎやかだったな」
今は黄の兵の襲来を恐れてか、町はどこの家も店も扉を閉ざし、人の気配も姿もない。
皆が、あの時の、笑顔のままなら。
……その考えが甘いことを、ハクはすぐに知ることになる。
続く!
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