昼は太陽が長く短い影を、夜は月が細く真っ直ぐな光を、入り組んだ街の盤上で回し、針を持つ時計は、それらの動きを模してくるくると時を伝えます。
お話の舞台となる部屋でも勿論、壁の柱に掛けられた時計は規則正しく務めていました。一日三度、日の出から日の入りまでの定まった刻に柔らかな音楽を奏で、文字盤の十二個の窓からは、小さな人形達が銘々の衣装で踊り出て、訪れたひとときを祝います。
すっかり夜が更け、子供の居なくなった子供部屋。でもからくり時計の針先は、止まない時をなぞり続けます。そこに誰も居ないわけではありませんから。昼には見えない星のように、夜にはひょっとしたら私達にも、オモチャ達の瞳に灯る光を見る事が出来るのかもしれません。
からくり時計を臨む木棚には、ゼンマイ仕掛けの人形がいくつも並べられています。そのいちばん端に座る、少年の格好をした痩せっぽちな人形は、いつもそこから時計を見つめていました。からくりが作動する際、長針が指して取り分け衆目を集める天辺の窓。それを映すプラスチックの瞳の奥は、日に日に光を増していました。どうした事か、ある時を境にその窓だけが、開かなくなってしまったからです。
窓の向こう側にいる、苺の花のように愛らしい踊り子は、毎回つま先立ちでくるり舞う姿を披露していました。定時の約束として当たり前に繰り返されていた日常の欠落は、ゼンマイ人形の中にぽっかりとした隙間を作り、その隙間にはやがて、彼の単純な仕組のカラダとはちぐはぐな、複雑な構造のココロが嵌り込んだのでした。そして姿を見られない日が重なる程、彼は踊り子への気持ちを募らせていったのです。
もう一度会いたい。そう願った彼に対し、途切れた雲の合間より顔を覗かせたのは、満面に輝く月でした。月時計の金の針が、部屋の天窓から射し込んで彼を照らすと、背に付いた蝶形のゼンマイがキリキリと巻かれていきました。
ゼンマイと魔法が解けるまでの間、彼は自由に動く事が出来ます。四肢の継ぎ目をチキチキと軋ませ、立ち上がった彼は逸るまま、高い棚から飛び出してしまいました。彼の背中に付いているのはゼンマイであって翼ではありませんから、当然、飛ぶ事など出来ません。なす術なく落ちていった彼は、しかし幸いな事に、床に散らかされているクッションのひとつに受け止められて事無きを得ました。子供が片付けを渋るのは、こうした優しい理由があるからなのでしょうか。それはさておき、彼はそこから床に降りると、置きっ放しのドールハウスや箱が連なって出来た路地を抜け、くしゃくしゃのブランケットの丘を越えて、時計のある方を目指し駆けていきました。
柱の下まで来て、人形の丈からすればそれはそれは高い位置にある時計を仰ぐと、彼は吸い上げられそうな天の暗がりにもひるまず、木の柱をよじ登り始めました。でもやんちゃな子供の丈より高くまで来ると、手や足を引っ掛けられるような柱の傷が無くなり、それでも上へ上へ行こうとした彼は、途中で足を滑らせてしまいました。下には先程のように受け止めてくれるものはありません。みるみる遠ざかる時計に手を伸ばし、そのまま落ちていけば壊れてしまう彼を、すんでのところで宙にすくい上げたのはブリキの飛行機です。赤いペイントの機体にしがみつき、上昇して時計の前を過ぎる瞬間を見計らって、彼はそちらの、突起した装飾金具のひとつへ上手く飛び移る事が出来ました。
そこにまたがって一息ついた彼を追い、更に飛んで来るものがありました。下から放り上げられたその銀色の粒は、どこかの鍵のようです。受け取ったそれを手に見下ろしたところ、彼に向かって敬礼していたのは積み木の塔を守る球体関節の兵隊。また塔の横にあるリバーシの広場では、いつも木棚で一緒のゼンマイ人形達がミニチュアの楽器を持ち寄って、時計の踊り子が出てくる時に流れるのと同じ曲を、奏でていました。電飾を持つものは煌びやかに光り、足や車輪を持つものは華やかにパレードして、不思議な夜に人知れず目覚めた仲間達は街を上げ、彼を応援しているのでした。
金具のすぐ脇に鍵穴の付いた扉を見つけた彼は、鍵を使い、そこから時計の中へと入っていきました。十二個の窓が開く事のない時間帯なので、中は真っ暗です。開けた扉から微かに射す月明かりのしるべを踏みしめて、共鳴するカチコチがお腹の底まで響くからくりの間を進むと、彼は奥に、割れている小さな小さな歯車の片を見つけました。そこから動かなくなっている仕掛けの連なりを目で辿ってみると、先は天辺の闇に溶けています。歯車が割れた事でいちばん上の窓が開かなくなっている事を知った彼は、思わず自らの胸を開け、中でコクコクと回る赤い歯車に手を掛けました。割れた歯車の代わりにそれを使えば、窓は再び開くようになるでしょう。ですがそれは彼のココロの部品で、外してしまったら、彼は恋する気持ちも、動く気力も、みんな失う事になります。ゼンマイの回転速度が緩むにつれ、カラダは徐々に重くなっていました。残された時間はいくらもありません。彼はもう一度見上げました。
あの暗闇にひとり閉じ込められてしまった踊り子を救いたい。他に何も持たない彼は、一切を承知でまさしくその一心を、彼女に捧げたのでした。
日が昇り、朝を祝う時間がやって来ました。一から順に窓がパタパタと開いていき、最後に開いた十二の窓からは、可憐な踊り子が出てきてくるり舞う姿を披露しました。けれども最も待ち焦がれていた者の目に、喜ばしいそれは映りません。
木棚の隅に座る彼は、俯いてただひっそりとしています。二度目の昼の刻にも、三度目の夕の刻にも、彼の瞳に光が灯る事はありませんでした。
また夜が巡って来て、しんと静まり返る部屋。彼に力を分け与えて昨晩より少しだけ欠けた月が、昨晩より少しだけ遅れて、天窓からそっと覗きます。
金の針が今宵射したのは、からくり時計の十二時でした。からくりが作動しないはずの夜間。しかしその窓ひとつだけが、時が来たようにそろそろと開いていきます。そこから歩み出た踊り子は、向かいにある、ゼンマイ人形の並ぶ棚を見つめました。
誰が自分を助けてくれたのか。またそのために投げ打たれたものが何だったのか。それらは修復された仕掛けを通じてコクコクと、彼女に伝わっていたのです。彼女は微笑んで宙に身を躍らせると、一夜だけ授かったはねで月光の鱗粉を振り撒きながら、愛しい者のもとへと飛んで行きました。
すぐ傍に降り立っても、彼は俯いたまま彼女を見ません。そこには嬉しいも哀しいもなく、平らな時間が流れては去るばかりでした。
でも次に彼女の取る行動が、そうした状況に変化をもたらします。寸前、黙して彼等の様子を伺っていた部屋中のオモチャ達の、固唾を飲む音が聞かれるようでした。
――彼女のその口付けにも、ひょっとしたら月の魔法が掛かっていたのかもしれませんが、そうではなく、ふたりを結ぶ永遠のテーマこそが彼の光を甦らせたと信じるほうが、よりロマンチックだと思いませんか?
からくり時計と恋の話/終
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