【赤ノ剣士】《1》より
「いーい陽気でしょう、レン。今年は麦日和が続いているわ。ライ麦もオーツ麦も、どこの蔵にだって溢れちゃうくらいの豊作でしょうね」
「そう…… ですね」
「なのに、王都付きの騎兵の一団が、リンツ属州へと派遣された。なんのためだと思う?」
ふいに、女の目線が鋭くなる。少年は黙り込んだ。石畳にひづめの音だけが響く。
「―――リンツの農作地から、主に土地を持たない農民たちが逃げ出してるの。税が安くなるって話に誘われてね。どんだけ豊作でも、秋の嵐が来る前に収穫しないと、麦はすべてダメになるわ。このままじゃリンツ州伯は、ことしの税を払いきれないでしょう」
「そんな愚かな政治をする州伯が無能だ、ってことじゃないんですか?」
「さあね、あたしは剣を振り回すのが仕事だから、そんな細かいことは分からないわ。でも、街の噂は知ってる」
曰く――― この国を滅ぼそうとしているのは、一人の、愚かで邪悪な娘。
咲き初める黄薔薇さながらに美しい、芳年14になられる王女殿下。彼女の乱費と気まぐれが、国を荒らし、この国を滅びへと導かんとしているのだと。
「でもねー、あたし、どうもこの話っておかしいと思うのよ」
口調は暢気だが、女の目は痛いほどに真剣だった。彼女の側で馬を引く少年には、言葉も無い。
「お姫様一人がどれだけ贅沢をしたって、出費は知れてるわ。彼女が何を欲しがってるって言うの。絹のドレス? めずらしい薔薇と美味しいお菓子?」
そんなものがどれだけするっていうのよ。女は、くすっ、と笑いを漏らす。少年は、たまりかねたように言う。
「それは、不敬です」
「だからなんなのよ。あたしはもうこの国の軍人じゃなくなったんだから」
彼女の気安い返事に、少年は、ハッと振り返った。
女は笑い、その腰に佩いた柘榴石の剣を軽く叩いて見せた。小さく音がした。剣帯の金具が立てる音。
「もう、あたしの家は貴族じゃないし、あたし自身がこの国の軍人ってわけでもない。あたしは自由だわ。何をしようが言おうが、何にも困らないってわけ。減給もされないしね」
彼女は柘榴石の細剣を、ふいに、抜き放った。銀の刃がすらりと弧を描く。いっそ優雅なその仕草。だが、その振る舞いに対する少年の反応に、彼女は思わず笑みこぼれる。
「いい動きね、レン。あんたは教え甲斐のあるいい生徒だった」
とっさに半身になり、メイコの剣を受け流そうとする仕草をみせていたことに気付き、レンは、慌てたように「すいません!」と謝る。
「あやまることないわよ。と、いうか、あんたがぼうっと突っ立ってたら、剣の平でお尻をひっぱたいてるとこだったわ」
メイコは柘榴石の剣を腰の鞘に戻した。そして、その眸で、ひた、とレンの双眸を見据える。うつくしい青緑。海柱石の緑。
「ねえ――― レン。これって、あたしの想像なんだけどね」
彼女は、ゆっくりと眼を上げた。頭上には空。青く晴れ渡った秋の初めの空。
「どうして、この国の王座に居ますのは、王女殿下なのかな?」
「……」
「生まれたときから回り中のみんなにちやほやされて、城からほとんど出たこともない。毎晩毎晩舞踏会をして、歌劇を見て、誰も王女に本当のことを教えない。誰もあの子に"王座"の意味を教えない。なのに、国を荒廃させたのは王女だと信じたりして」
「もう、やめてください!」
メイコは振り返り、しずかに、己の弟子でもある少年を見つめる。
王女の傍仕えである少年。王女に良く似た黄金の髪、海柱石のひとみの少年。彼は硬く手を握り締め、苦しそうに言う。
「僕は…… これ以上の侮辱を、許しません」
いくらそれが、メイコさんでも。
しばらく静かに少年を見つめていた女は、やがて、そっと眼を伏せた。手を伸ばし、硬くにぎりしめられていた少年の指を解いてやる。剣を持つものの硬いてのひら。
「これは、あたしの、ただの想像だけどね」
女は静かに言った。
「先王殿下が亡くなったとき、この国に残されたのが王女殿下一人で無かったら?」
もしも、たったひとりの女子が、王女としてこの国を継ぐのでなければ。
その兄、あるいは弟として男子がいて、彼が王位を継ぎ、姻戚としてたとえば隣国の王と同盟を結べたなら。
その少年が聡明で、奸臣どもの跋扈する王宮を正すほどの力を得るまでの日々を、忠実なものたちと共に雌伏して生きることが出来たなら。
この国の未来は、今とはまったく異なったものとなっていたのではないだろうか……?
「どう思う、レン。いえ……」
少年は、女の言葉をさえぎった。
「僕は、ただの召使。王女陛下の傍仕えの身です」
二つの眸が、黙り込む女を見上げる。強い光をもった二つの眸。
―――王女その人の持つ可憐さに似て、それよりもはるかに強く、だが、どこかしらにあやうい光をひめたひとみ。
女はしばらく黙ったまま、少年を見上げていた。だが、やがてくすりと笑みを浮かべると、茜色の外套がひるがえった。馬上の人となった女を、少年は、呆然と見上げる。
「新しいエールをたっぷり楽しんだら、きっとまた、ここに帰ってくるわ」
陽気な口調でいって、だが、ふいに真剣な顔になる。むしろ、哀しげというべきだったのやもしれぬ。
女のとび色の目が、強いまなざしが、まっすぐに少年を見た。
「この国は、あたしの故郷。あたしの生まれた場所で、そして、死んだら骨を埋めるべき場所よ」
今のあたしが忠誠を誓うのは、この空と、そして、大地だけ―――
「もう、あたしは王家に忠誠を誓う身なんかじゃない。だからレン、あんたも、あたしに遠慮なんてしないで、自分が護りたい、殉じたい路だけを信じなさい」
「メイコさん」
「レン…… いえ、殿下」
女は瞬間、その手を胸に、削り取られた紋章の上にあてて、瞠目した。王その人の前でのみ許される、忠誠の証。
「あなたに神のご加護があらんことを!」
そして、女は眼を上げると、にこりと笑った。唇が赤く美しかった。そして、馬の腹に拍車をくれると、女は、軽やかな足取りで、滅び行く街へと続く道を、駆け下りていった。少年はその美しい茜色の姿を、どこか苦しそうな、泣きそうな顔で見送っていた。その姿が消えても、そこへ立ち尽くしていた。
―――鐘楼の鐘が、三度、時を告げるまで。
コメント2
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Yuniko
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ありがとうございます~♪>こうもりだこ様
めいこ姉さんはカッコいいのが似合いますよね。革命家ってのもまた良し。
2008/05/23 02:30:22
kashi
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メイコかっこいいです……!!
2008/05/18 18:40:45