『はい、お疲れさん。二人とも良かったよ』
ヘッドフォン越しにマスターからの労いの言葉がかかる。緊張から解き放たれた俺は、大きく息をついた。
俺の初めてのレコーディングは、彼女とのデュエットだった。初仕事が彼女と一緒だったことは、俺にとって幸せなことだった。
だって、俺は彼女の声で育ったのだ。彼女の声量や声質やクセなら、マスターに負けないくらい知っている自信がある。彼女の良さを台無しにしないように、そっと自分の声を重ねた。
響いてくるハーモニーは、驚くほど幸せだった。
「…カイトっ!」
「わぁ!めーちゃん!?」
「すごいっ!すごいね!!二人で歌うのってこんなに楽しいんだ!!」
がばっと彼女が俺に飛びつく。良い香りと柔らかな体が、俺に甘くまとわりついた。子供のような笑顔に、胸がきゅぅと締め付けられる。
この笑顔をあげたのは、俺だ。
「すっごく気持ちよかった!私、カイトの歌声大好きだよ!!」
「ありがとう。…俺も、めーちゃん大好きだよ」
「えっ?えっと…?あ、ありがと」
かぁっと赤くなる頬。その顔は、弟に見せる顔?それとも――。
『…じゃあ今日はメイコは上がって。カイトだけ、ちょっと微調整させてくれ。…さてと』
彼女が出て行くのを見送ると、ヘッドフォン越しのマスターの声が変化した。
表向きな声から、プライベートな声に。
具体的に言えば、プロデューサーの声から一人の男の声に。
本人はそんなつもりはないんだろうが、ボーカロイドの耳は誤魔化せない。背中を向けているから見えないが、きっと表情も変化しているだろう。
『…調子はどうだ?カイト』
「上々ですよ、マスター」
『そうか、そりゃよかった』
マスターから俺の顔が見えないことをいいことに、俺は顔を歪める。彼女には見せられない、意地の悪い笑顔だ。
違うでしょう?マスター、聞きたいことはそんなことじゃないでしょう?
『…お前、メイコに特別な感情を抱いてるのか?』
意を決したような口調に、くっと喉が鳴る。わかってるくせに。
「ええ、そうですね」
『…恋愛感情なのか』
「いけませんか?」
『いや、別にいけなくはないが…』
「ボーカロイドがボーカロイドに恋をするのは自然なことですよ」
人間とボーカロイドよりずっと。言外に含ませたその言葉に、マスターが鼻白んだのが分かった。
『仮にもマスターに、随分挑戦的だな』
「そうですか?そんなつもりはありませんけど」
『…なかなかいい性格してるぜお前』
「ありがとうございます」
『褒めてねーし』
ぱちん、となにかが弾ける音が響く。マスターは曲作りがうまくいかなかったりすると持っているペンを噛む癖があるので、おそらくそれだろう。いつの間にか口調も荒くなっている。
『まぁ、いいんじゃねーか、仲良し姉弟で。メイコも寂しくないだろ』
あからさまな牽制。そんな台詞、彼女への独占欲を認めているようなものだ。
マスターの言葉に、俺も即座に反応する。
「そうですね、いい弟でいますよ。今は」
『今は?』
「…ゆっくり彼女の一番になります。だってこれから俺たちはずっと一緒なんです、あなたの元でね」
『…俺がアンインストールしない限りはな』
「あ、言ってませんでしたが男性ボーカロイドはあと数年は作られませんから。可愛がってくださいね、マスター」
『……』
しばらく言葉を失ったあと、ぽつりとマスターが呟く。
『…メイコを泣かすような真似はするなよ。俺の大事な歌姫なんだから』
「しませんよそんなこと」
『…ん。じゃあ2番のソロからな』
俺の大事な歌姫?
そんな言葉でくくって、後悔しても知りませんよ、マスター。
にやりと歪んだ口元を抑えて、俺は楽譜を捲った。
マスターが彼女に『歌』をあげるのならば、俺は『歌声』をあげる。
マスターと彼女が過ごした1年3ヶ月より、ずっとずっと濃密なこれからをあげる。
――タチの悪い弟でごめん。
でも、諦めてあげる気なんかさらさらないから。
覚悟しててね、『お姉ちゃん』?
後日談。
マスターと二人で酒を飲んでいる時の会話。
「…マスター、めーちゃんのこと好きだったでしょう?」
「またその話か。違うって何回言ったら分かるんだよ」
「だって絶対そうですもん」
「だからぁ、二人で居た時間が長かったから夫婦みたいになってたろ?だからそう見えただけだよ」
「絶対嘘ですね。好きだったくせに」
「そういうんじゃないって。ボーカロイドとマスターじゃ住んでる次元が違うんだから」
「いーや絶対好きだった。俺には分かる」
「いい加減しつけぇなお前も。…つーか、どっちかって言うと惚れてたのはメイコの方だろ、俺に」
「うっわうぜぇ!うぜぇこの人!」
「なんとでも言いやがれこのバカイト」
「あ、ちょっと、その呼び方リンに教えたでしょ!定着し始めてるんだからやめてくださいよ!」
「ふん、事実じゃねーかバカイト」
「2回言いましたね」
「大事なことだからな」
「むかつく…マスター崇拝のミクにこの姿見せてやりたい」
「お前こそ俺にばっかりこんな悪態つきやがって。新曲やらねぇぞ」
「それはイヤですごめんなさいすいません」
「分かれば良し。…メイコ、泣かすなよ」
「…泣かしませんよ。鳴かしはしてますけどね」
「…次のメイコとのデュエット、レンに決定だな」
「くぁwせdrfgyふじこlp;:」
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ブクマつながり
もっと見る――俺の最初の記憶は『歌』だ。
自分の声じゃない。透明で伸びのある、生命力に溢れた、誰かの歌声。
俺はマスターの元へたどり着く前から、この声に包まれて生まれるのを待っていた。
泣きたくなるほど愛しい子守唄。それが誰の声であるかは、目覚めた時にすぐにわかった。
「…こんにちは。気分はどう?」 ...【カイメイ】俺(達)の歌姫 前編
キョン子
Q・メイコさんとカイトさんついてどう思いますか?
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ルカちゃーん、聞きたいことってなぁに?
え?おにいちゃんとおねえちゃん?
二人とも大好きだよ!おねえちゃんは強くてかっこいいし、おにいちゃんは優しいし。
私は二人とも大好き!
…え?二人の関係について?それは恋人としてってこと...【カイメイ】許してあげる
キョン子
思わず「いたっ」と声が出た。ドアを閉めるタイミングが悪く指を挟んでしまったのだ。
挟んでしまった指を確認してみると、爪の先のマニキュアが禿げてしまっていた。
次第に熱を持っていく指先に息を吹きかけて冷ましながら考える。
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キョン子
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キョン子
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