ミシミシッ。
少女が男の顔に足先をめり込ませると、そんな特徴のない音が響いてきた。
そのまま男は後ろにのめり、廊下の床に倒れる。その顔は、……描写せずとも予想した通りの惨事になっていた。
「……はい、これでいい?」
冷めた表情をした中学生頃とおぼしき少女は、手を軽く掃う(はらう)と後ろで呆然(ぼうぜん)と立っていた二人の男子に声をかけた。
二人はビクリと身体を震わせ、「は、はい」と情けない声で答える。
そのいつもどおりの―自分の喧嘩を見た後のいつも通りの反応をする二人に目もくれず、少女は傍(そば)にあったブレザーをひょいと手にとり、そのままスクールバックを肩に掛け、そのままその場をさった。
この街はどこかの国のどこかにある街。
いや、街、という表現は的確ではないかもしれない。
とある大国が所有する、いわば国と云うより物。
しかし―そのどこかにある街は、その街のみで独特の社会を作り上げていった。おんぼろに歪みながら。錆びれた車輪が軋みながら、命乞いをして回る様に。
少女は裏路地にちらりと目を向ける。そこには廃材とパイプと、数人の少年の集団がたむろしていた。
それは明らかに普通の少年の集まりではなく、一言で言えばとある組織。
「殺人ライナー……」
少女はぼそりと呟いた。死んだ魚の様な目のまま。
その組織は、主に十代の若者で構成されている。皆一様に好戦的な性格であり、確か大抵は親に捨てられた子供や孤児だったはずだ。孤児、というのはこのどこかの国がとある大国に吸収される時の戦争により、親を亡くした、孤児。
そして―少女もまた、その孤児の一人だった。
殺人ライナーの話に戻ろう。その組織はこの街のどこにでもいた。例え外見があどけない少年でも、決して油断はできない。何故なら彼等は、リーダーの命令にとても従順だからだ。
リーダーもまた、「戦争」により親を亡くした孤児だという話だ。そのリーダーはとてつもなく精神に歪みのある人物らしく、何も容赦がない。喧嘩にも、殺しにも。
「あーあー、こんな事考えんのやめよ」
ぶるぶると左右に頭を振り、思考を振り払う少女。
そして、少女はもう一つの裏路地に目をやる。
そこは有名な絵画の市場だった。
ただし、その大半がコピーなど、本物ではない違法の偽物なのだが。
少女はそれをよく理解していた。少女は外からの情報がほぼ遮断されている街の中で、違法な方法でこっそりと外の情報を仕入れていたからだ。そして―この街と外との違いをありありと見た。
店店を見れば、違法な粉の店や、フラフラとおぼつかない足取りで歩く明らかに中毒者らしき男が見受けられ、それがいかにこの街が違法で溢れているかを物語る。
少年達が簡易的なホームベースで野球をして遊んでいた。あの子達もいずれ組織化何かに入るんだろうな、なんて考えていた。まるで人事の様に。
そして自分の縫った痕が多数ある、少女らしくない腕をじっと見つめた。
「今日も宜しく」
2日後。
少女は喧嘩を依頼者の代わりに請け負う仕事をしていた。それは少女の身体能力が買われての事だった。
請け負う代わりに、いつも安い金銭を貰っていた。一人暮らしがギリギリ出来るのも、この仕事があるからだった。
白とも黒とも、合法とも非合法とも取れないグレーゾーンに位置する仕事。
最初に仕事を始めたのはいつだったのか、もう思い出せない。もう戻れない。
時折金属バットを左手に。
右手に偽りの正義。
その周りで彼女を評価するものは、さしずめ送電塔。喧嘩をする場所はグラウンド。
ミシ。
バキリ。
バキり。
バきり。
少女は路地裏で舞う。そう、それは「舞う」という表現が正しかった。
身軽に、踊るように、舞うように、しかし俊敏(しゅんびん)に。
煙る土埃(つちぼこり)、頬を伝う汗と篭る(こもる)熱、喧騒の目。
次々に喧嘩相手の急所や様々な所に手加減を加えながら手先をヒットさせていく少女は、この街ではひそかに有名になっていた。
「パンダヒーロー」。
それは独りきりの彼女へ対しての皮肉か。
それとも白と黒の狭間に挟まれた、黒く染まりきっていない数少ない少女を賞賛しての物か。
それともこのなかでは希少な、まだ救いようのある少女に対しての警鐘の意味か。
ソレは―誰もわからない。
この街の人間には、人権は殆どない犬の様な者もいる。
売られる者もいる。
組織を作って固まるものもいる。
そして―誰とも群れず、独りで生きる少女の様なものも、居る。
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