過ぎ去ったことは、もうどうにもできない。正しかろうと間違っていようと、良かろうと悪かろうと、どうにもできない。
実業家 ジャック・ウェルチ
* *
私と大江 修が出会ったのは清水谷に仕事を依頼されるよりずっと前のことだ。 元は作家になりたくて、十八で家を出て一人都会にやってきた。そう簡単に夢で稼げるわけもなくて、バイトでなんとか生活を保っているうち、大江 修に出会った。
…修もまた作曲家を目指して十八で家を出たらしく、境遇が似ていたことからすぐに仲がよくなった。路上演奏や、ちいさな寂れたクラブで、仲間と共に演奏を披露して夢を追いかける彼は、希望と情熱に溢れていた。そのうち、「作家志望なら俺の曲に歌詞をつけてくれないか」と頼まれるようになって、気楽に請け負っているうち、作家ではなく作詞家になりたいと思うようになった。 それをそれとなく告げると、彼は名案だと言わんばかりに手を打って「だったら歌手になれば?」と言った。
「………。いや歌手はジャンルが違うだろ」
「いや自分で作詞する歌手ってたくさんいるだろ」
「なんで私が歌うんだよ。なんでだよ。あんた私が音痴だって知ってるでしょ」
「知ってるけど、微ッ妙ーな音痴だろ? 前歌ってた校歌はきちんと歌ってたぞー」
「三年間歌いこんだからな。 …はは、一曲だすごとに三年間歌いこむ歌手ってどんなんよ」
「いや冗談抜きにして。俺お前の声好きだよ」
サラリと何の躊躇も無く言われた台詞に、私は大して感動も覚えず修を睨みつける。
「…私は嫌い。学生時代、この声のせいでどれだけ虐められたか」
「注意をひくんだろうな。いい声だから」
「だから私は嫌いなんだって。 …歌手ってさ、歌うことが好きっていう気持ちが大事でしょ? 私は歌うことなんて大ッ嫌い。自分の声が耳に入るたび昔を思い出してぞっとする。人生の中で、校歌歌えれば上々でしょ」
「校歌はカラオケに入ってねぇぞ」
「カラオケに行かなければよし」
きっぱり言い切った私に、心底残念がりながら、いい声なのになあと繰り返す修。 …昔は声の印象だけで「すました女」だの「いい子ぶりっこ」だの「余所行き声」だのと散々言われた。今更いい声なんていわれたって信じられない。例え信じられたとしても、他人が彼と同じように考えるとは限らない。 きらい。だいきらい。 こんな声、大嫌い―――。
…けれど、認められて、欠片も嬉しくないはずもない。 少しだけこの声が嫌いじゃなくなった。 修といる時だけは遠慮なく声を張り上げられたし、へたくそな流行の歌も歌ってみせた。修の作った歌に適当に詩をつけて歌ってもみたけれど、やっぱりあちこち音がハズれて、そのたび二人で笑い転げた。「いい声なのになあ、」という声が今も耳に染み付いてる。
―――そして私と修が出会って丁度一年目の時、ちょっとしたお祝いをした。ケーキと、コンビニの残り物の安いからあげ。馬鹿みたいに冗談を言い合って、ふざけて、二人で短い「歌」を作った。 誰にも聞かせない二人だけの記念の「歌」。 私と修は恋人ではなかった。友人でもなかった。 戦友。十八で独り夢を追って都会に飛び込んだ、無謀な者同士の絆。
だが修が音楽会社にスカウトされた後、ぴたりと連絡は途絶えた。彼の昔のバンド仲間に修の行方を聞いてみると、彼らは修をなじりながら、話した。 スカウトしてきた男は、バンドのメンバーの中で修だけを欲しがった。彼以外は才能がない、と言って。 そして修は、バンドの仲間を捨てて自分だけプロ入りしたのだと。 しばらくして彼のデビュー曲を聞いて愕然とした―――二人だけの「戦歌」であるあの曲だった。
大江 修のデビュー曲の作詞者名には私の名前ではない別の名前が書かれていた。だが明らかに詩は私が書いたものそのまま。著作権の侵害などで訴えることは可能だったろうが、彼に関わる気は根こそぎ失っていた。大江 修が何か言ったのか、同じ会社にスカウトされたが断った。
私の中で「修」は死んだ。 彼は大切にしていたバンド仲間を裏切り、私との想い出を売り払ってデビューする権利を手に入れたのだ。その時点でもう私の知っている男は死んで別の「誰か」に成り代わっていた。 どす黒い怒りと憎しみを忘れたくて仕事にうちこんでいるうち、私もまた、少しは知られる作詞家になっていった。 大江 修はデビュー当時の勢いのまま、私の知名度など簡単に凌ぐほど有名になっていたけれど。
…そして、あの日。 清水谷からの仕事の依頼がきて、私は、「大江 修」としばらくぶりの再会を果たした。
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