「破損率が高いとかなり信用できないから、完璧には治せないし、いっそばっさり切り捨てるのがいいと思うけど。どうするよ?」
「消したらどうなる?」
「敢えて言うなら、そう――」
 夕澪は尻尾をくねくねと揺らしながらしばらく考え込んでいた。そして丁度いい比喩が見つかったのか顔を上げ答えた。
「夢から覚めたような感覚かなぁー。ちょっと言葉でいうのは難しいんだけど、次第にそれ自体が思い出せなくなるの。たとえば恋人。いたかもしれないし、いないかもしれない。もしかしたら恋人じゃなくて妹とかなのかもしれない。でも、ばっさりやっちゃうとなかったことになっちゃうんだ」
「……もっとわかりやすく」
「だぁー……。つまり本当に恋人がいて、私あなたの恋人なんですぅー、って人が現れてもそもそも、記憶としてないってこと。忘れたじゃなくて」
「もういい。頭が痛い」
「そんで?」
「あぁそうだなぁ。四十九より高い奴はばっさりで頼む」
 まるでゴミでも片付けるかのようなさっぱりしたものいいに夕澪は少し驚いた。
「いいの? もし本当に恋人がいたら――」
「いいんだ。大したことじゃない」
「もし本当に殺し屋で――」
「次の人生は殺し屋以外になる」
 腕組みをして、ひょこひょこと猫耳を何度か動かし、夕澪は納得したとでもいうようにわかった、とそれだけ言った。
「わかった。じゃあ、五十%から修復するから」
「四十九%のやつも削除しろよ!」
 夕澪はジハドの額にそっと掌を当てる。彼女の手はじんわりと温かく、やわらかだった。
 ジハドは視線を落とし、自分はどうだろうと己の手に触れた。冷たく、ごつごつと硬い感触が返ってきた。もしかしたら、本当に自分は殺し屋なのかもしれない。何人もこの手で殺めてきたのかもしれない。だとしたら、この二度目の人生で形だけでも償おう。自覚できないこの未練とは、この僅かに残った良心が燻っているせいなのかもしれないのだから。
 不意に夕澪の手が離れた。
「無事に終わったよ」
 そして小さく、今回は失敗しなくて良かったぁ~と呟きが漏れる。
 失敗したらどうなったのだろう……。苦笑しながらジハドは言った。
「これから俺はどうすればいい。あそこに扉があるけど――って、いぃぃてぇぇっ!」
 ずきずきと頭が痛む! 血管に異物を注入する激痛とは桁が違う痛みにジハドはもんどりうった。
 こいつ失敗しやがったのか?
 遠のきそうになる意識の中、気絶しないように耐えるだけで精一杯で、直ぐにそんな思考すらできなくなっていく。
 数秒が数時間に思える時間の流れを疎ましく思いながらも、徐々に痛みはひいていった。
「いんすと~る完了!」
「貴様ぁ……何しやがる……」
 きゃっきゃっとはしゃぐ夕澪の後頭部を張り手よろしくぶっ叩き、未だ鈍痛が走る己の頭をやさしく労わった。
「ひどいぃ~。ひどいわぁ~」
「……お前はぁ! 俺は危うく気絶するところだったぞ」
「そのまま気絶しちゃえばよかったのに。そのほうが楽だったよ?」
「男の、こか――沽券に関わる事だ。なんだそのイン、インス……」
「いんすとーる、ね」
「それだそれ。俺の頭になにか変なものを入れたんだろう」
 ぶぅ、と頬を膨らませ、何も殴る事はないのに、と夕澪は愚痴りながらも親切に目の前の見た目『貧相なおっさん』へと説明をしてくれた。
「今入れたのはマテリアルスーツ。電子体だとこれがないと物質に干渉できないの。これを着てる限りは普通の人間と同じように振舞えるよ。ちゃんと物もつかめる。脱ぐと高速無差別移動と知識のコピーができる――あれれぇ? 専門用語ばっかりでジハドちゃんのちいさなおつむにははいりきらないかなぁ?」
 びきっ、とあからさまに何かが切れる音がし、夕澪の腰が引けた。
「か、壁抜けなんかすんごく便利だから、移動は脱いだほうがいい、かもよ……」
「使い方が分からん」
「ただ念じるだけ。うおおおぉぉぉマテリアルスーツが使いたくなってきたぜぇぇぇえええっ! ――って思えば使えるよ。脱ぐときも一緒。うおぉぉぉおおおぉマテリアルスーツを――」
「もういいわかった。んで知識のコピーは? 用途は大体つかめるが」
「相手の頭にそっと手を乗せ、念じるの。……うおおおおぉぉぉおおお――」
「あぁわかったって。まぁ激しい頭痛にやられただけの見返りはあるということか」
 ちょっと待て、とそこでジハドは少し嫌な予感に見舞われる。
「分割リボ払いが便利ですよ」
「やっぱり……」
 一体、いくらになるのだろう。がっくりとジハドは肩を下ろした。
「なぁ」
「ふに? なんでござんしょ」
「俺、生き返るわけじゃないんだよな」
「そう。未練がなくなったら即成仏だじょ~」
「そうかぁ……」
「どうかしたのかにゃ」
「……いや、なんでもない」
 成仏したらどうなるんだ? この先をジハドの口から訊ねるのは憚られた。
 自分は死んでいる。でも理性とか、個性とか、そういう人間らしさはもっている。ものを考える事ができる。例え肉体が滅びていても、これが生きている証だと思いたい。
 自分は女々しいのだろうか。『自分が消える』という事に恐怖するのは。
「誰でもあることだよ。そう思う事」
 見透かしたかのように夕澪が話し掛ける。ジハドは驚き、彼女という存在それ自体で納得した。結局、彼女もこんなところにいるから死んでいる――普通の人ではない。いや、もしかしたら人ですらないのか。
「その先その先なんて考えないほうがいいよ。今を精一杯楽しめばいいじゃない。息抜きの合間にもう一つの人生をやればいいのサ。時間なんてたっぷりあるんだし」
「時間、か……」
 未練を消化できるまで、果たしてそれは長いものとなるのか、それとも夢うつつのうちに終わってしまう短いものとなるのか。ジハドには見当もつかなかった。
「ほんでは、いってらっさい。出口はあちらよ~」
「はぁ、はいはい」
 向いの扉を指差しながら夕澪はもう片方の手でひらひらとさよならをしている。
 なにかこのみょうちくりんな少女と別れるのは惜しまれる気もしたが、ジハドはゆっくりと歩み出しドアノブに手をかけた。
「あっ、そうだ。マテリアルスーツ……」
 念じると体の奥底からさざなみのような感覚を得た。それは力場のようで、頭のてっぺんからつま先までやさしく包みあげた。
「ねぇねぇ」
 いざ開け放とうとしたその時、夕澪があっけらかんとした口調でジハドに話し掛けた。
「もし、本当に殺し屋なら殺る時キメ台詞とか言ってよ。憧れるんだぁ、ああいうの」
「やだよ恥ずかしい。……あぁ、んでなんて言えばいいんだ」
 顔で嫌がりつつも心は正直なジハドであった。彼女はハードボイルドを気取っているらしいが、夕澪はチンパンジーも真っ青な変な顔で口説くように言う。
「お前の魂をあの世にアップロードしてやるぜ」
「……だっせぇー」
 まぁ、それが彼女なりの送り方なのだろうとなんとか納得するジハドだった。
 そして目の前の扉を、今をやり直せる扉を、そっと開け放った。


     

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緋色の弾丸 その3

分割その3です。

閲覧数:48

投稿日:2010/06/09 03:32:55

文字数:2,917文字

カテゴリ:小説

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