20、当たり前の日常に
私は短気だ。よく周りから冷静って言われるけれど、その上短気でもある。冷静と短気は対義語と思っていたけれど、全く違うものらしい。
私は完璧主義者だ。何事も完璧にできないと気がすまない。昔した問題が解けなくなると、イライラしてしまう。
一回したから完璧に覚えたんじゃないの? と思ってしまう。そして憤りを感じてしまう。そこは短気の力と思う。そう思うと、ますます失敗を恐れてしまう。失敗を恐れると何でも失敗してしまうのがこの世のルール。学校では誰も教えてくれないけれどこれが世の鉄則。
「五十鈴や」
小さく開いていた戸の間からばあちゃんが顔を出して名前を呼んだ。なに? と言って私は振り返る。
私はばあちゃんと暮らしている。お母さんは毎日帰ってくるけど看護師なので、夜勤が多い。お父さんは私が幼い頃、他界していて私の中に【お父さん】という記憶が残っていない。なのでばあちゃんと暮らしている。ばあちゃんは、今年で六十九歳。じいちゃんは持病の心臓病で他界している。ばあちゃんは六十九歳だが、まだまだ元気だ。家の縁側から見える庭で、野菜を作ったり、花を育てたりしている。家事もお母さんがいないときは全てこなしている。
「ちょっとこれを手伝ってくれんかい?」
ばあちゃんはそう言って私に箒を差し出す。古びた箒だ。これはばあちゃんがお嫁に行くときに私のひいばあちゃんからもらったものらしい。「最近腰が痛くてね。若い頃はそんなになかったのに」
そう言って笑うばあちゃんの顔を見ると、疲れているのだなぁと思ってしまう。私は勉強している手を止めて、箒を手に取った。
「ありがとうね」
ばあちゃんはそれだけ言い残して、広い鷲見家の掃除に取り掛かった。
私は家のことをよくする方だと思う。よくお母さんから
「五十鈴は女の子だから、なるべくばあちゃんを手伝ってね」
こう言う事を言われるが、それ以前にしている。好き好んでしているのでいい。私はばあちゃん子だから。
女だからって理由で家事を手伝わされるのは気に食わない。今の時代、男女平等になった訳だから、私ができなくても他の人がしてくれる。そう思っている。皆はひねくれた考えだって思うかもしれないけれど、私は私の考えがある。考えの自由は誰にでもあるからいいじゃない。
一折私の部屋を掃いた後、部屋を出て縁側を掃除する。縁側の溝にはごみが溜まりやすいからね。とばあちゃんが言ったのを耳に留めて、溝を必死に箒の先で掃く。その後は雑巾だよ。と言って、ばあちゃんは私に雑巾を渡す。乾拭きでも水拭きでもいいから、縁側が綺麗になるように磨いてね。とばあちゃんが腰を曲げて縁側に手を置く。
「腰痛いなら、私がするよ」
私はばあちゃんの腰に、手を置いて言う。ばあちゃんは私の言葉を聴いて
「そうかいそうかい。ありがとうね」
といつもの笑顔を広げて言った。
掃除が終わって、また部屋に戻ると、ばあちゃんが私を呼ぶ。
「五十鈴、ゲームでもする?」
ゲームとは、wiiのことだ。私が小学生のころ商店街のおもちゃ屋さんで眺めていたらばあちゃんが買ってくれたものだった。そのときお母さんはあきれていたが、すごくすごく嬉しかったのが今でも覚えている。けれど、中学生になってそんなゲーム機と触れ合うことなく、ばあちゃんが一人で遊んでいるくらいだった。
「いや、いいよ。勉強するよ」
私がそう言うと、ばあちゃんはニコリと笑って「そうかい。がんばってね」と言った。私はその笑顔を見て、部屋に入った。
本当は、ばあちゃんに構ってあげたい。けれど、私のわがままが私の意志より強く抵抗する。ここに住んで、ばあちゃんに何一つしてやれていない気がする。何かしないといけないと思っても、どうしても面倒に感じてしまう。そんなことはいつから始まったんだっけ。
*
「ただいまぁ」
秋夜の大合唱の中で、ガラガラと引き戸が開いて疲れきって怠惰したような声が聴こえる。お母さんだ。こんな時間に帰ってくるのは大抵お母さんだ。と言うか帰ってくるのはお母さんしかいない。ここにばあちゃんがいるから。
「おかえり」
ばあちゃんがそう言って、立ち上がる。お母さんの夕飯を準備するところだろう。私も立ち上がって、配膳を手伝う。
「五十鈴、いるの?」
「いるよ」
私は玄関に顔を出して、答える。玄関にはノペェと横たわって顔を赤くしたお母さんがいた。近寄ってみると酒臭い。
「ばあちゃん、お母さんお酒飲んでるみたい」
そう言ってお母さんの頬をつつくと、口角がニヘラと上がる。
「じゃあ、ご飯食べてきたのかね」
ばあちゃんはそう言って、コップを持ってきた。その中には水が入っている。
「どうするの?」
「とりあえず、起こさないとねぇ」
ばあちゃんは苦笑いを浮かべてお母さんの頬をペチペチと叩く。
「へゃ!? あ、家かぁ」
泥酔しきった状態でお母さんは安堵の表情を見せる。
「飲みすぎよ」
ばあちゃんはそう言って水を渡した。虚ろな目をしたお母さんはコップを受け取り、一気に飲んだ。
「もう寝る?」
「ねよぉかな」
よいしょと言ってお母さんは立ち上がる。立ち上がってもふらふらしているので危なっかしい。
「五十鈴」
「ん?」
「おんぶして」
お母さんはそう言って私に体をあずける。いきなりのことだったのでよろけてしまう。けれど体勢を立て直して、歩いてお母さんの部屋まで歩いた。
「はい、ついたよ」
私はお母さんを下ろして、部屋を後にする。「ありがとう」と呟いたお母さんの言葉を背中で受けて、部屋を後にする。
「あ、待って待って……」
お母さんはそう言って、私を引き止めた。
「ばあちゃんの手伝いちゃんとしてる?」
またこれだ。最近ずっとこれを言ってくる。少しうんざりしながら答えようとするとお母さんは言葉を重ねた。
「おやすみぃ」
そう言ってお母さんは横たわった。すぐに寝息をたてるお母さんをみて、反論する元気も無くなった。
居間に向かうとばあちゃんがいた。ばあちゃんは私の顔を見て、お疲れ様ともらした。
「お母さん、化粧落としてないみたいだけどいいの?」
「あぁ。いいさいいさ。自業自得だよ」
ばあちゃんはそう言って笑った。ばあちゃんは気楽な人だけど、厳しい人だからいい。
「じゃあ、私もそろそろ寝ようかな」
「あぁ。そうかい。おやすみ」
「うん、おやすみ」
私はばあちゃんとそういう会話を交わして、部屋に入って床についた。
*
朝。今日は日曜日だからちょっと遅めに起きてしまった。部屋は締め切っているはずなのに、少しだけ肌寒い。残暑などどこかへ消えてしまった。時計に目をやると、八時半。いつもなら、居間にいる時間帯だ。今日は少し寝過ごしたらしい。
居間に行くと、ばあちゃんが朝ごはんの支度をしていた。味噌汁のいい匂いが鼻を突く。
「五十鈴、おはよう」
ばあちゃんは茶碗にご飯を入れる手を止め、私に声をかけた。
「おはよう」
私も返事をする。
「お母さんがね、今日も仕事だから起こしてくれる?」
「はぁい」
お母さんの部屋に行く途中で、昨日のことを反論し損ねたのを思い出す。けど、もう昨日のこと。いいや。
部屋の戸を開けると、お母さんはそこに転がっていた。一歩踏み出すと踏みそうだった。踏み出しかけた足を、引っ込めてお母さんを揺さぶって起こす。お母さんは驚いたように起きる。これはいつものことだ。そして、目を擦り起き上がる。
「今何時?」
「八時過ぎ」
お母さんは私の言葉を聞いて、「あぁそう」と欠伸交じりに言う。だらしなく伸びている髪が私の鼻を撫でる。髪からは煙たい臭いがする。居酒屋で焼き鳥か何かを頼んだのだろう。その臭いだ。
「シャワーぐらい浴びてきたら?」
「あぁ。そうしようかな」
まだ寝ぼけている様子で風呂場に向かう。風呂場で転んで死にませんようにと祈念して居間に向かった。
「ありがとう。五十鈴」
ばあちゃんはそう言って朝ごはんを配膳した。今日の朝食はいつもと同じメニュー。鮭とご飯と味噌汁だ。いつからか、この朝ごはんじゃないと空腹が開放されないという状態になってしまった。
「いただきます」
そう言って三分ほどで朝食を平らげる。すると、お母さんが居間来た。
「化粧くらい落とせばよかった」
昨日のことをひどく後悔したような顔で配膳された朝ごはんの前に座る。まだ濡れた髪からさっきとは違う、シャンプーのいい匂いがした。
「あら。もう味噌がない。ちょっと車庫に取りに行ってくるね」
うちの車庫には冷蔵庫があるので、そこに非常食などを置いている。ばあちゃんは玄関を出て車庫に向かった。
お母さんが朝食を食べているときにふと思い出したように口を開く。
「五十鈴は、ばあちゃんの手伝いしてるの?」
お母さんはそう言ってタクアンを口に運ぶ。
それ、昨日言ったんだけどなぁ……。私はそう思って反論しようとすると、お母さんが先に口を開いた。
「ばあちゃんもきついんだから、ちゃんと手伝いなさいよね」
少しカチンときた。短気の私が出ているみたい。私は落ち着いて反論する。
「手伝ってって言われたときは手伝ってるんだよ。お母さん仕事に行ってるからわからないかもしれないけど」
「手伝ってって言われたときじゃない。それじゃあダメじゃない?」
その言葉を聴いて、私の怒りの導火線に火がついた。髪の毛が逆立ちそうなほど怒りが燃えている。もう止められない。
「やってるから言ってるの! お母さんもたまにしか家に帰ってこないくせに、そんなこと言わないでよ」
そういい捨てて、私は居間を出る。ちょうどばあちゃんが玄関で靴を脱いでいるところだった。
「五十鈴、どうしたの……」
「なんもないよ!」
思わず、ばあちゃんの言葉にも過剰に反応してしまい、強い口調で言ってしまう。我に帰って、ばあちゃんの顔を見ると、悲しそうな顔をしていた。
でてしまった。短気な自分が。
嫌われる自分だからだしたくなかった。だが、こんなときに出てしまうなんて……。
「……ごめん」
私はそう言い残して、大事な休日を部屋で過ごした。
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