最後に会ってから一週間。
 だが、それは前の事件の夜からの一週間とはまるで違った。
 光生の中の渦巻くものはあるかに大きくなっていた。
 結局、今日も客は一人も来なかった。もちろんサレオスも。
 
 次の日の早朝。
 太陽が地上に登る前に、光生はもう目が覚めた。
 だが、光生にとってはいつもの起床時間。
 皆がまだ眠っている中、静かに床を抜け、外に出る。
 井戸で水を汲み、顔を洗う。
 そして皆が起きるまで陰陽術を練習する。
 特に最近は練習に励んでいる。励みすぎなほどに。
 烏天狗にあっけなく負けたことが悔しいのか、それとも 別の何かなのかは分からないが、光生はどうしても強くなりたかった。
 朝は起きてから仕事が始まるまで、夜は寝る直前まで。それも休むことなくぶっ続けで。
 もちろんみんなに迷惑をかけないように、あまり音の立たない術を唱える。
 練習を始めてしばらくしたときだった。
 ザザッ。
(!? この気配は……妖怪? まだ太陽は出ていない)
 即判断し、光生は呪文を唱える。
「没有太陽的天空(たいようなきそらよ)……」
「俺に撃つか」
「え…………?」
 その聞き覚えの声に、光生は驚く。
 そこにいたのはサレオス。
 今回はワニに乗っている。
「……サレオスさん」
「久しぶりだな」
 突然現れたサレオスに、光生は驚き、戸惑いながらも必死に話す。
「ど、ど、どうしたんですか」
「いや、少し光生の顔が見たくなって」
「なっ!?」
 何の恥じらいもなくサレオスは言った。
 その言葉に光生は顔が赤くなる。
「わ、私の……か、顔を?」
 言うなり、光生はうつむいた。
 それからしばらくの沈黙。
「そんな顔でうつむくのは良くないな」
 突然、間近で聞こえた声に、光生は驚いて顔をあげる。
 そこには、目の前には、ワニから降りたサレオスが立っていた。
 顔が熱くなっていく。
「サ、サレオスさん」
 戸惑う光生。
「どうした? 顔が赤いぞ。熱でもあるのか」
 そう言ってサレオスは自分の両手の籠手をはずす。
 一歩前に出る。
 片方の手を自分の額に乗せる。
そして、もう片方の手を光生の額に乗せようと顔を近づけた。
「――――――!」
 顔と顔との距離はわずか20センチ。
 光生の顔が真っ赤になる。
「ま、待ってください」
 光生は慌てて離れる。
「どうした?」
「い、いえ。あの、その、わ、私、み、巫女の仕事がありますので、これで!」
 そう言って急いで神社に戻ろうとしたときだった。
 グラッ。
 一瞬、体がふらついた。
 危うく倒れるところを何とか耐える。
「だ、大丈夫です」
 慌てて言う光生。
 それを無視してサレオスは歩み寄ってきて、光生の額に手を当てた。
「――!!」
 驚きで光生は呆然となった。
「相当熱いぞ」
「…………」
 そう言ったサレオスだが、光生からの返事は返ってこない。
「おい、大丈夫か」
「…………」
 やはり、返事は返ってこない。
「おい、光生!」
 自分の名前を呼ばれ、ようやく光生は我に返る。
 そして、慌てて返事しようとする。
だが。
「は、はい。だ、だいじょ……」
 光生は突然地面に倒れた。
「光生! おい、光生!」
(サレオスさんが……私の名前を呼んでいる)
 そう分かったが、なぜか体が重くて動かない。
「―――――」
 何か聞こえるが、もう意識がもうろうとして、それが何なのか分からない。
 そして、光生は意識を失った。

「う……ん」
 ゆっくりと光生は目を覚ました。
(……ここは?)
 上を見ると木の枝と葉。
 光生はどこかの木陰に寝ていた。
 どこか見たことがあるが、それがどこか分からない。
 光生が右を向くと、そこには木々が立ち並び、木と木の間を縫って遠くに神社が見える。
 そして、左を向くと……。
「ひゃ!?」
 驚きのあまり、光生は変な声をあげる。
「そんなに驚くな」
 そこにはサレオス。
 光生はそのどこかいつもと違う姿に気付く。
 そして、起き上がって自分が寝ていた場所を見ると、そこにはサレオスの羽織っていたマント。
「サレオスさんが……私をここに?」
「ああ。それに、さんはいらない。サレオスでいい」
 サレオスは静かに答えた。
(サレオスさんが私をここに……ということは――――!!)
「だ、抱っこ!?」
 ここに来るまでに起こったであろう出来事に光生は驚く。
「ああ」
 かぁーっと光生の顔が赤くなっていく。
「ど、どのように……やったのですか……」
 恐る恐る聞く光生にサレオスは答える。
「説明が難しい」
「そ、そうですか」
 なぜか安堵した光生は直後、硬直する。
 サレオスが歩み寄ってきて、一言、
「実際にやれば分かる」
 と言ったからだ。
「え……まっ……」
 止める間もなく。
 サレオスは軽々と光生を持ち上げる。 
 お姫様抱っこ。
 光生の顔が真っ赤に染まっていく。
「あの、その、お、降ろしてください」
「ああ、構わない」
 光生がサレオスの腕から地に降ろされる。
 真っ赤な顔でうつむいたまま、光生は尋ねる。
「そ、それで、その、わ、私は、ど、どうしたのですか?」
 光生の言葉にサレオスは静かに答える。
「見てもらったところ、疲労による免疫力の低下だそうだ」
「免疫力の低下?」
 聞きなれない言葉に光生は疑問に思う。
「ああ。それに魔力の使いすぎもあって、危ない状態だったらしい。下手すれば命に別状があったかもしれないだそうだ」
「命……」
 サレオスの重い言葉に、光生はたじろぐ。
「陰陽術を練習しすぎないことだ」
「はい……ところで、ここは?」
 返事と共に光生は疑問を投げかける。
「神社の領地の端だ。茂みの中で、神社からもほとんど見えない」
 その言葉に、光生が神社のほうを見ると、確かに神社が見えるのはほんの一角だった。
「それでは」
「ま、待って」
 そう言って去ろうとしたサレオスを光生は急いで引きとめる。
 サレオスは立ち止まって振り返る。
「その…………」 
「どうした?」
 サレオスの問い。
 数秒経ってから光生は答える。
「これから毎朝、ここで会いませんか?」
 光生の言葉にサレオスは少し驚く。
「ここで?」
「はい」
 サレオスはしばらく考え込む。
 その様子になぜか光生の心は焦る。
(サレオスさん、考え込んでる。私と会うのがいやなの? それより…………私なんでこんな感情を?)
 そう自分の心情に驚く光生にサレオスは答えを返した。
「いいだろう」
 その一言を聞いたとたん、光生の心の中の切ないような感情は消えた。
(これから毎日、サレオスさんに会える…………でも私、何でこんなに……サレオスさんに会いたいの?)
 なぜ自分がこうも会いたいのか、なぜ自分がこうも会えることに喜ぶのか、光生は分からなかったが、それでも、これから毎日会えるようになったことがうれしく
てたまらなかった。
「あの、あ、ありがとうございます」
「感謝されるほどのことはやってない」
 その静かに答えるサレオスになぜか光生は見惚れる。
「どうした?」
 突然黙った光生にサレオスは問う。
 だが、返事は返ってこない。
「光生?」
 名前を呼ばれて光生はようやく我に返る。
「え? あ、いえ、その……」
 光生は何かを言おうとする。いや、言おうとした。
 それが目に入るまでは。
 戸惑いでサレオスから視線を外し、神社の方を一瞬見たときだった。
 普通の人ならば、ただ神社が見えただけだろう。
 だが、神社などはもう光生の眼中にはなかった。
「ひっ!?」
「どうした?」
 目に映ったのは、木の枝から一本の糸で垂れ下がる蜘蛛。
 ただの蜘蛛。
 普通の人なら無視するだろうそれに、だが光生は……。
「い、いやあああぁぁ!」
 他の巫女がどんなに気持ち悪いと思うものでも光生は大丈夫だった。
 だが唯一、蜘蛛だけは……。
 光生はサレオスに跳びつく。
「い、いや! く、く、く、も、が、くもが、くもは、くもだけは、くもだけは、だめ、 くもはだめなの!」
 取り乱す光生。
 サレオスはそんな光生に驚く。
「く、くも、くも、いや、くもいや、くもがきらい、きらいなの」
仕方なくサレオスは蜘蛛の糸を切る。
「もう大丈夫だぞ」
「い、いない? くも、くもいない?」
「ああ」
 サレオスは静かに答えたが、光生は振り向こうとはしない。
「ほ、ほんとうにいない? くも、ほんとうに、いない?」
「ああ」
 その言葉にようやく光生は恐る恐る振り返り、先ほど蜘蛛がぶら下がっていたところを見る。
 蜘蛛がいないのを確認すると、心の底からの安堵の息をつく。
 だが、直後。
 現実に、
(あ、あれ……わ、私、もしかして)
今の自分の状態、自分のしていることに気付く。
(わ、私、サレオスさんに、思いっきり、抱きついてる!?)
 バッと光生はサレオスから離れる。
うつむく。
「あの、その…………あ、ありがとう、ございます」
 光生は慌てて礼を言う。
 顔は、今日何度目か分からないぐらいに、真っ赤に染まる。
「いや、蜘蛛を追い払っただけだ。大した事はしていない」
「は、はい」
 そして、静寂。
 二人とも何も言葉を続けない。
 一分ほど続いた静寂を破ったのはサレオスだった。
 いや、正確にはサレオスに起きたことだった。
 突如、サレオスの足もとに円が出現した。
「な、何?」
 光生は驚きを隠せない。
 だが、サレオスはなにも驚かない。
「どうやら仕事のようだ。それにお前ももう巫女の仕事の時間だ」
「え……あ!」
 南を見る。
 もう太陽は相当高くまであがっていて、今どれぐらいなのかを伝える。
「わ、私ももう行かないと!」
「ああ。それは」
 別れを告げ、仕事に向かおうとしたサレオスに光生は慌てて問う。
「あ、あの」
「どうした?」
「明日……ここで待っています」
 その消えそうな声に、サレオスはいつもの変わらない静かな声で返事する。
「ああ。今日と同じくらいの時間に」
 そう言い残して、サレオスは突然目の前から消えた。
(……今のは?)
 目に前に起きた現状が光生には信じがたかった。
 だが、ゆっくりと考える時間はなかった。
(そ、それよりも、早く神社に戻らないと!)
 光生は急いで駆けだした。
 
 それから二週間。
 光生は毎朝、その約束の場所に行く。
 起きてからすぐ、顔を洗ったらもうそこに向かうが、行くといつもサレオスが待っていた。
 そして、それから一時ほど、語り合う。
 あの熱を起こして倒れた日、光生は仕事の時間に遅れてこっぴどく怒られたので、それ以来は時間厳守で。
 生まれも、育ちも、習慣も違うのに、なぜか話す内容は一向に尽きない。
 そして、光生が仕事の時間になると別れを告げ、神社に戻った。
 今まで当然のように送ってきた毎日が、今までとまるで違うものに変わった。
 平凡だった毎日が、楽しすぎるほど楽しいものに変わった。
 ただ、サレオスが現れただけで。
 そして、光生の心の中に渦巻いている感情はいっそう強まった。朝しか会えないのが残念に思えてくるほどに。
 今日も光生は朝起きると顔を洗ってすぐ約束の場所に向かう。
 早く会いたくてたまらなくて、駆けだす。
「サレオスー」
 その場所が見えてくると、光生はいつもサレオスの名前を呼びながら、走る。
 サレオスが「さんはいらない」と言うので、光生はサレオスを呼び捨てにしてる。
 もちろんサレオスは最初から光生を呼び捨てにしている。
 朝起きてから10分も経たないうちに、もうその場所に着いた。
 だが、そこは、どこか寂しかった。
 真っ暗なそこには何かが足りなかった。
 そして、光生はそれに気づく。
(え……?)
 そこには返ってくるはずの声がなかった。
 そう、絵の中心になるべき者がいなかった。
 初めてのことに光生は戸惑う。
「サレオス? どこなの? サレオス?」
 光生は必死に呼ぶ。
 だが、返事は返ってこない。
 光生の声がむなしく闇に消えていくだけ。
(もしかしたら、遅れてるのかも?)
 光生はありもしないことを考える。
 いや、考えずにはいられなかった。
 光生はサレオスを待つ。
 徐々に日が昇り始め、辺りもよく見えるようになる。
 だが、サレオスは現れない。
 光生は辺りを探す。
 だが、どこにもサレオスはいなかった。
(サレオス……)
 途方に暮れ、約束の場所に戻ってきた光生は、草むらの上に一枚の羊皮紙を見つける。
 急いで拾い上げ、そこに書かれたことを読む。
(長い仕事に出ることになった。お前がこの紙を見ている4日後の朝にまたここで…………え……?)
 光生は戸惑いを隠せない。
 突然の知らせ。
 心の準備などしているはずもない。
(4日間……会えないの?)
 だが、どうしようもない。
 ただ、神社に戻るしかない。
 光生は寂しい気持ちで約束の場所を去った。
 神社に戻る。
(4日後が待ち遠しい)
 神社に戻っても、光生はただ寂しさに浸る。
 遠い空を見つめる。
 もちろん見つめるのは約束の場所の方角。
 だが、ふと光生は思う。
(私は……悲しみに浸っていていいの?)
 答えはすぐには思いつかない。
(もちろん浸っていていいとは思ってない。でも……じゃあ……私は何をすればいいの?)
 その答えを見つけたのは羊皮紙を見た日の夜。
 あの井戸に行ったときだった。
(ここでサレオスに会ったとき、私は……)
 そして。
(そう、私、サレオスが返ってくるまでにしっかり強くならないと。そして、サレオスに認めてもらわないと)
 光生はそう決意した。
 もちろん、光生にはサレオスに何をどう認めてもらうのか全く分からない。しかし、なぜか脳裏にはその言葉が、その考えが浮かんだ。
 

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

AuC 金のダイヤモンド  外伝 染まりゆく巫女 2/5

初投稿の自作小説です。
これは「外伝 染まりゆく巫女」の途中なので、
「AuC 金のダイヤモンド  外伝染まりゆく巫女 1/5」から読んでくれるとうれしいです。
読んでいただいた方、意見でも、感想でも、なんでもいいので、メッセージを送ってくれるとうれしいです。

閲覧数:101

投稿日:2009/07/21 13:38:32

文字数:5,716文字

カテゴリ:小説

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