戦うのは生きるため。
それはいつだって真実で、今でも否定するつもりはない。
だから私は今日も、拙いながらぶつかっていくの。
<私的Life・下>
どうやらレンは、とてもふわふわした性格のようだった。
ふわふわ。変な形容詞かもしれないけど、私の中ではしっくりくる。
例えば練習。
レンは私から見ると気合いが入ってるんだか入ってないんだか良く分からない感じだったから、私は思わずぴょこんとした…あれってポニーテールでいいのかな?とにかくあれを引っ張りながら窘めてしまった。
なんかあれ、意外と触り心地良かった…
あと遊びとか大好きで、私もなんだかんだと引っ張り回されてしまった。うーん、そりゃあ確かに私も好きだけどね。
でも二人であちこち回るのなんて初めてでいつもと少し勝手が違った。
なんか、前一人で来た時より居心地が良かったような気がする。これって単純に、楽しかったって事なのかな。
そのうち不思議に思うようになった。
レンはいつも人当たりのいい応対をしてる癖に、何故かたまに困ったような空気を纏う時があったから。
私が迷惑を掛けているんじゃないか、なんて思ったこともあったけど、しばらく隣で見ているうちにそうじゃないんだって事が分かってきた。
レンは、足元がしっかりしてない。
依るべきものがないのか現実に実感がないのか、そんなことを邪推してしまうくらいにふわふわしていたんだ。
私はそんなレンを見ていると心配になって、ついあれこれ口を出してしまう。
それを素直に聞けばいいものを、レンは意外と口が達者で、言い合いになることも結構あった。
不意に私の生活に放り込まれた、おかしな存在。
別にそこまで強烈な性格をしているわけでもないし、そこまで私の興味を引いたわけでもない。
でも、レンの存在は確かに私の生活を変えていた。
『リン、落ち着いて来たね。声もずっと綺麗になった』
ある日そう言われて、私は即座に返事をすることができなかった。
だって、意外だった。というか私としては、前よりずっと日常が騒がしくなったと思っていたんだけど。
「…そうかな?」
『うん、前はミクにかなりコンプレックスを持っていたみたいだったけど、今はそんな事ないんだろう?』
「うん。もう、そういう事はないよ」
私はしっかりと頷く。
確かにそれは大きな変化だと思う。これが良い事か悪い事かはまだ分からないけれど、少なくとも今は良い方に進んだんだって気がする。
『良かったよ、余裕が出て来たみたいで。もしかしてレンのおかげだったりするのかな』
「もしかしなくてもそれって個人的な願望じゃないの?」
『うっ』
「本当に隠す気ないよね。…慣れたけど」
『スイマセン…でも実際どうなんだい?何か理由に心当たりがあったりする?』
―――心当たり。
「んー、あってもヒミツ!」
『えっ、そんな殺生な!』
嘘。
私は心の中で小さく舌を出す。
本当の事を言わなくてごめんね。私にとって親みたいなあなたに隠し事なんてしたくないんだけど、でも、これに限ってはあんまり口に出したくなかった。
まだそれほどしっかりしたものになってないし、あくまで私の心の中の話だから。
いつか、もっと未来になってから話すことはあるかもしれない。
でも今は、まだ。
それは、少し前の事だった。
「リンさ」
「うん?」
「練習、ホントに全力でやるよなあ」
「…まあ、うん」
しみじみと言われて、私は少しむっとしながらレンを見た。
そりゃ当然、毎回全力だよ。にしても、なんか前も似たような事を言われたような気が…いつだったっけ、よく覚えてない。
私の内心なんて知らず、レンは不思議そうに私を見る。
「なんでそんな全力なんだよ。別に全力じゃないから死ぬって訳でもないだろ」
「死ぬんだよ」
甘っちょろい言葉を一刀で切り捨てる。
きょとんとした顔をするレン。
…もしかして、まだ分かっていないの?世界がどんなものなのかって事。かなりあれこれと教えて来たつもりだったんだけどなあ。
「生きることは戦いなの。気を抜いたらあっという間に望んでいたものや大切なものを失ってしまう。だからいつも私は全力で…」
…いやいやいや。
そこで私は、はっと気付いた。
私、何語ってるんだろう。自分の人生観を滔々と語るとか、恥ずかしい…!
レンはじっと私を見ている。
視線が痛いような気がするのは気のせいなのか、それとも。
「…なんて、なんかちょっと殺伐とした考えだよね!ごめん、聞き流しちゃっていいから!」
慌てて、あはは、と苦笑してみせる。
うう、でもこれはごまかしとしても苦しいなあ…白々しすぎるよ。でもとっさに他の反応が見つからなかった私としては苦肉の策だった。
恐る恐るレンを伺うと、彼は軽く腕を組んで、考え込むような目をしていた。
こういう時、レンの目の青はその色をわずかに深くする。それは、彼とのそう長くもない付き合いの中で私が学んだこと。
しばらく沈黙してから、レンはあっさりと顔を上げた。
「んー。いや?俺はその考えってあながち間違ってないし、おかしくないと思うよ」
「え?…おかしくない、かな?」
…肯定、された。
まさかそう来るとは思わなくて、私は反射的に聞き返してしまう。
だってレンってああいう性格だし、戦いなんて考え方とは相入れないような気がしていたから。
けど、レンは軽く肩を竦めてみせる。
「常にそんな殺伐としてるとは思わないけど、立ち向かわなきゃいけない時ってのも確かにあるわけだし。確かに生きることっていうのは戦いだと思うね」
「…レンにはあったの?そういう時が」
「あったあった。ホントさぁ、調整が難航してた時はきつかったな。どうしたら良いんだか分かんなくて、ただじーっとしてた。調整チームが画面の向こうで四苦八苦してんのとかも分かってたし、こんな辛いんならボーカロイドになるのなんてやめようかなって思った」
そんな―――そう口に出しそうになって、寸前で思い止まる。今は静かにレンの話を聞いていたかった。邪魔できるような空気じゃない。
耳を澄ます私を前に、レンは少しだけ目線を下げて静かに言った。
「…思った、っていうか、正直今でもちょっとそう思ってる。俺ってホントにボーカロイドになるべきなのかな、って」
―――ああ、そういう事だったんだ。
その言葉に私は、パズルのピースがぴたりとはまり込む感じを受けた。
レンがふわふわして見えたのは、自分の進む先に疑問を感じていたから。
しかもそのくせ流れに逆らわず、ぼんやりと世界を漂っていたせいだったんだ。
「…そっか」
小さく相槌を打つと、レンは何故か私を見て笑顔を作った。
ここは太陽があるわけでもない電子空間。なのに、その表情がとても眩しく見える。
「でもさ、もうほとんどそう思わなくなったんだ」
それは何かを吹っ切ったような声だった。
「最近は割と素直に、頑張ろうって思えるようになった。俺に今出来ることをぎりぎりまでやろうって思うようになったんだ」
「そうなの?なんで?」
「それはまあ、リンのおかげかな」
「…私の?」
私、何かしたっけ。
思い当たる節がなくて頭を捻る。そんな私を見て、レンは底抜けに明るい笑い声を上げた。
不思議と、笑われても嫌な気分にはならなかった。
「ははっ、いや、リンが特別何をしたって訳じゃなくてさ。リンがいっつも頑張ってるの見てると、なんかやる気になるんだよな。リンってほら、いろいろと強烈だから」
「…もしかして、けなしてる?」
「褒めてる、ってか感謝してるんだよ。俺がリタイアしないでここまで来れたのは、リンが引っ張ってくれたからだ」
笑顔で言われた台詞に、私は微かに身じろいだ。
そんな事ないのに。
私はただいつもの通りにやっていて、レンも戦うことを覚えなきゃって思ったから引っ張り回していただけで、別にレンをしっかりさせようって思っていたからなんかじゃなかった。…つもりだった。
でも冷静に状況を振り返ってみて、そこで私はあることに気付いた。
…レンの言っていることは、実は正しい。
私はいつの間にか、レンがなくてはならない存在みたいに感じていた。
側にいるとやけに心配だし、あちこち調子が狂う。でもそれが嫌な訳じゃなくて妙に心地良い。
つまり、と私は考える。
つまり、私はいろんな人達と関わって来た。だから私の命はいろんな人と絆が出来ている。
でも、私の人生で確かな「存在」として見付けたのは、レンが初めてだったんだ。
私と良く似た存在。
迷って、そのあげくに変な道しか見つけられなくて。でも他にどうすれば良いか分からなくて。やがてその道は皆も自分も傷つけるだろうって分かってたのに。
多分私達は、独りじゃいけなかったんだ。
相手を見て自分を省みる。そういう簡単な事が必要だったんだ。
一緒に頑張る。そんな事が出来る相手なんて、この世にいるはずがないって思ってた。
でも彼なら、もしかしたら、可能にしてくれるのかもしれない。
それは、そう、お互いを高めるってだけじゃなくて、
喜びを二人で二倍に。
苦しみを二人で半分に。
…そんな、陳腐な幸せを。
明日を迎えるのは二人一緒がいいな、なんて考えたことがなかった。生きるための戦いで、時には自分すら敵になるんだって思っていた。
縋ることは弱さだと。
弱さは罪であるのだと。
そう思って、がむしゃらにぶつかっていくだけだった。
けど…だけど…
―――今の私は、そうは思ってない。
気付いてしまうと衝撃だった。
君のために戦って。私のために戦って。
私のために生き抜く。君のために生き抜く。
もしもそれら全てをイコールで繋げるのなら、この思いこそ、望んだ場所に辿り着く強さになるのかもしれない。
だって一人より二人の方が出来ることは沢山あるんだから。
いきなり目の前に開けた道。
でもそこに足を踏み出すのには、不思議と躊躇いを感じなかった。
「リンちゃーん、レンくーん」
「「はーい!」」
「おおっ、ユニゾン!」
フォルダの入り口から覗いたミク姉が、シンクロした私たちの反応に目を見開く。
「ふふふ、このくらいで驚いていては我々の奥義には辿り着けまい」
「その通り。この程度、まだまだ序の口なのだよ…真の力を見るときは世界を滅ぼす覚悟でなくてはな…」
「おおおっ、凄い!いかにも中二っぽい!そして奥義がかなり気になる!でも今はマスターが二人を呼んでたから伝言しに来たんだよ」
そう言われて、私とレンは寝転がっていたソファーから急いで跳び起きる。小芝居は一旦止めて、急いでマスターの所に向かわなきゃ。
あれから無事製品化された私達。
でもやっぱり変わらず世界は戦場で、くじけそうな時も苦しいときも訪れる。
大切なものはあれから増えていく一方で、もしかしたらもう私の腕には一杯一杯なのかもしれない。
何度も落としてなくしそうになった。
でも私はもうなくすつもりはない。昔、あんなにみすぼらしいと思ってしまったものたちも今ではちゃんと見る事が出来る。
改めて見たそれらは、ありきたりだけど、どれも私にとってかけがえのないものばかり。
やっぱり、優劣なんてつけられなかった。
だから守っていこうと思った。隠して見つからないようにするんじゃなくて、堂々と守って行こうって。
それが私の生き方なんだ。
今はもう、自分にそう言い聞かせる必要なんてなかった。
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