※鏡音が双子じゃないです。駄目な方はバックプリーズ。
水面で煌めく夢たちは、まだあたしには遠すぎて。
空を覆う一面の真っ暗な雲と、そこから途切れること無く降り注ぐ大量の雨粒を仰ぎ見て、リンは塞いでいた心が一層重く沈むのを感じた。
はあ、と長く伸びた溜息は耳障りなくらい響く雨音によって、周りであれやこれやと騒がしい他の生徒たちに届く前に消えてしまい、誰も彼女の方を振り向きはしない。
今日は期末テストの最終日。これさえ終われば後は夏休みまで一直線。気の抜けた授業期間はまだ多少残っているものの、多くの生徒の脳内はもう部活の大会やコンクール、友達との楽しい約束、もう少し覗いて課題の心配、たくさんのカラフルな計画で埋め尽くされているのだろう。
しかしようやく部活が再開出来る今日この日に限って、この大雨。もちろん運動場は泥池状態で使用不可。故に下駄箱のドア周りには、テストから解放された爽快感と止む気配の無い雨空に対する不安を同等に混ぜ合わせた表情の生徒たちが、自分の部活の活動確認のために情報交換をしたり走り回ったりと忙しく動き回っていた。
二つの鞄の紐を持ちつつ横歩きで壁際に移動すると、傘を差して次々と校舎を後にしていく生徒たちで先程までの場所はすぐに埋まってしまった。部活が休みになって落ち込んでいるらしい坊主頭の生徒、いきなりの休みに足取りを軽くする女子生徒のグループ、足早に帰っていく眼鏡の生徒。まるで梅雨が最後の見せ場だとばかりに腕をふるう空の下、それぞれがそれぞれの方法でこの雨に従うことにしたらしい。
「リンちゃーん」
ざわめきを通り抜けて耳に届いた澄んだ声に顔を向けると、リンは人波の間から待ち人を見出した。
「ミクちゃん、こっちこっち」
片手を上げて軽く振るとキョロキョロと回る顔がその合図に気づいて、ぱたぱたと傍へ駆け寄ってくる。リンが地面に置いた鞄を渡すと、ミクは少し荒い息でありがとう、と笑った。
「部活、どうって?」
リンとミクは合唱部に所属している。そこそこ人数は揃っているが、コンクールに出場するということはなく地域のお祭りや老人ホームなどで歌ったりする、どちらかといえばボランティア活動としての面の方が強い。そのため市内では結構名の知られた部活でもある。
以前部活をやるなら大会に出るものだと運動部から言われたことがある。けれどリンはこの方針が好きだった。上を目指すこともいいが、自分たちの歌で他の人たちが楽しんでくれるのを直に感じられるのは、単純に嬉しい。だからこそもっと巧くなりたいと思うし頑張ろうと思える。それは他の部員も同じらしく、休みこそすれ毎日の練習をサボる者はほとんどいない。リンもミクも心からこの部活を楽しんでいた。
しかしリンの問いかけにミクは小さな溜息をもって返した。心なしか気持ちが下に向いているようにも見える。
「うん、やっぱり今日はお休みみたい。先生来てないんだって」
「そっか…この時期は忙しいって、こないだ愚痴ってたもんね」
予想していた通りの答えに納得しつつも落胆してしまう。顧問の不在時には部の活動は認められていない。これでは自主練習も出来ない。せっかくテスト終わったのに。休み前から連絡はあったが、誰もが練習したかったと嘆いているだろう。けれどリンが思っているのは、そこからは少しずれたものだった。
…せっかく、家に帰るのが遅くなると思ったのに。
「リンちゃんはどうする?やっぱり帰る?」
「うん。やっとテストから解放されたし、今日はのんびりするよ」
ごめんねと手を合わせる親友にリンは気にしないでと笑って首を振る。本当は部活が無ければ一緒に返ろうと約束していたのだけれど、突然ミクに委員会の仕事が入りしかも長引きそうだというので、先に帰ることにしたのだ。
待つこと自体はリンにとってさほど苦ではないが、ミクが人を待たせることにひどい負い目を感じるからだ。そこまで謝らなくても…といつも思うが、それがミクの優しさから来るものだと知っているから何も言わない。そしてそんな人柄だからこそ、リンは誰よりもミクを信頼している。
「レン君に言っておこうか?」
けれど不意打ちのように出された名前に、リンの心臓が軽く跳ねた。
そういえば今日はミクちゃんと一緒に帰るからと、いつもの連れ添いを断っていた。今更思い出して、けれどその申し出にも首を横に振った。
「…ううん、いいよ。今日は一人で帰る」
「…そっか。うん、分かった」
ほんの少し不安そうな色を次の瞬間には消し去り、傘を差して屋根の下から出たリンをミクは謝罪とともに見送った。
******
細かな飛沫と音を立てて雨粒が次から次へとオレンジの傘に弾けては消えていく。学校指定の革靴には既に水が染み込み、踏みしめるたびにねちゃっと嫌な湿り気がした。鞄をよいしょと抱え直し、傘を少し傾けて空を見る。雨脚は先程よりましになり長い銀糸のような軌跡が静かに続いている程度だ。雲も幾分薄くなり周りも明るくなってきた。
けれど、リンの心は未だ晴れない。
「…そういえば、一人で帰るのって初めてかも」
不意に口から零れるように呟いた言葉に、答える声は当然ながらいなかった。
高校に入ってからはずっとレンと一緒に帰っていたし、ミクと遊びに行くときも別れるのは家のすぐ近くだったから、こんな風に一人でぶらぶらと帰るのは初めてだ。
そういえばと、ふと思う。レンとミク、二人はどこか似ている。
「優しいでしょ、頭いいし、人のことよく見てるし、料理上手だし、しっかりしてるし」
指を折りつつ一つずつ、思い当たる事柄をゆっくりと挙げていく。そうして考えれば一番自分の近くにいる二人は実は結構似た者同士だと気づき、思わず笑ってしまった。
「…でも、やっぱり似てないかも」
しかし今度は全く逆のことを考え、もう一度指を折り今度は相違点を連ねていく。
「ミクちゃんは頭いいけどどっか抜けてるし、レンは人のこと見てるだけで何もしないし」
さっきと同じペースで増えていく違いはやがて共通点と同じ数になり、結局二人は似ているのかそうでないのかよく分からなくなってしまった。
けれどこれだけははっきり言える。自分は二人のことが大好きだ。
だからこそ。
「…余計な心配、かけられないよね」
知らず苦い響きとなった絞り出すような本音は、出した本人の胸へ鋭く突き刺さる。秘すれば痛い言葉なのに、言ってしまえば誰も笑顔にしないと知っている。
抱え直した鞄の中、隠すように入れてあるプリントが一層重さを増したような気がした。
今日配られた最新版の進路調査票が。
歌で皆を幸せにしたい。幼い頃から思い続けてきた夢は今もこの胸に宿っている。そのためにどうしても音大へ行きたいのだと、何度も何度も進路相談の場でリンは両親に訴えてきた。経済的な負担が馬鹿にならないことは知っている。音大へ入っても本当に夢を職業に出来るかも分からない。けれどそれで諦められる程リンの決意は脆くなかった。しかし、今更そんな理由をあげて反論する両親でもなかった。
先日いつものように言い争いになった時、母親に泣きつかれたのだ。『普通に就職して、普通に結婚して』と。何も言えなくなって、黙って部屋に戻った。
夢があるのは幸せなことだと先生は言う。女の子は素敵な人と結ばれることが幸せなんだと母親は言う。
じゃあ、あたしの幸せは何? 思わずにいられない。ぐちゃぐちゃになった心はパンク寸前で、発狂しそうになって落ち着かせようと歌を口ずさめば、また夢は大きくなるばかり。
ただ好きなことをしたいだけなのに。どうしてそれがこんなにも難しいの?
潤む瞳を認めたくなくて、リンは空を見上げた。灰色の雲はどんよりと空を覆ったまま。
こんな時リンは自分が海の底にいるような気分になる。実はこの世界は空気という水で満ちた海の中にあって、見上げる空はそれではなく空を映す水面に過ぎないのだと。
時々どうしようもなく息苦しいのは、水の中で息をしているから。届くはずないのに空へ手を伸ばしてしまうのは、そこに憧れてやまないものがあることを知っているから。
だからあたしは今日もこの苦しい世界で、喘ぐように呼吸を繰り返しながら手を伸ばす。
今のあたしには遠すぎると分かっていながら。それでもいつか届く日を想像せずにはいられないから。
ぶすり。傘に軽い衝撃を感じたのと、はっとリンが我に返ったのはほとんど同時だった。
「何やってんだ?」
聞き慣れた声が後ろからして、振り向くとついさっき思想の中にいた人物が荒い息で若干不機嫌そうな顔をしてそこに立っていた。
「レン!いつからいたの?! 」
「たった今だよ、それよりなー…」
言葉を一旦そこで区切ると、レンはあーとかうーとか呟き前髪をぐちゃぐちゃに掴んで、一度大きく溜息をついた。
「お前さ、先に帰るなら言えよ。初音に聞いたから良かったものの…」
「え、ミクちゃん?」
予想外の名前に思わず瞬きを繰り返した。
「ああ、えらく慌ててたけど」
多分委員会の前に伝えに行ったからだろう。けれどあの時いいよと言ったはずだったのに、何でわざわざそんなことをしたんだろう? 首を傾げても頭を捻っても分かりそうになかったから、リンはとりあえず置いておくことにした。
ほんの少しだけ、嬉しくてたまらないと思っていることも今は。
心配してくれたんだなと分かっているから、傘を脇に抱えてリンは両手を合わせた。
「ごめん、久々に一人で帰りたい気分だったの」
嘘は言ってない。ただいつもの笑顔でその他を隠しただけだ。そうすれば大抵の人は気づかず納得してくれる。
けれど、やっぱりこの幼馴染にはそんな誤魔化しは効かない。
「…どうした?」
ピシリ、笑顔の仮面にひびが入る音が耳に木霊した。ばらばらと崩れ落ちるのは一瞬で、リンは思わずレンから視線を逸らした。傘の柄を掴んだ手に力が篭る。
「…どうしたって、…何が?」
精一杯の抵抗のつもりで呟いた筈の言葉は、自分でも分かるくらいあまりにも弱々しかった。意地を張るのは、心を守りたいから。鎧を剥がされてしまえば、瞳の奥で必死に留めている波が溢れてしまう。ますます俯く顔は今きっと酷い表情をしている。
分かってる、レンには甘えられない。弱さを見せればあたしは耐えられない。
「…リン?」
ああほら、レンが呼んでる。少し首を傾げてることとか眉を顰めてることとか、声だけですぐに分かる。何か、何か言わなくちゃ。なのに口を開いても息が上手く吸えなくて、声が出ない。顔を上げようにも大きい力が圧し掛かったみたいで、動けない。
どうしよう、苦しくてたまらない。足掻く意識は何も掴めず空を切るだけ。
息が、出来ない。誰か、誰か助けて。
その時。ばさ。
傘の落ちる音が聞こえたと思ったら、次の瞬間頭を掴まれて上を向かされて。
こつん、とほんの少しだけ、額が触れ合った。
「…え?」
やっと出た声はけれど言葉にはならず、空気を微かに震わしただけだった。どうしたらいいか分からず、けれど目を閉じるレンの表情があまりにも真剣だったから、リンも慌てて目を閉じる。
金色の髪越しに伝わる熱がゆっくりと、リンの体から強張りを取り去っていく。
「(…どうして…)」
鼓動は暴れ出しそうなくらい身体の中で響いているのに、どこか安心してしまうのは何故なんだろう。この心地よさをどこかで知っている。そうしてふと、思い出した。
「(…小さい頃のおまじない…)」
確か小学生に上がる前だから、もう随分昔のことだ。二人で一緒に遊んでいた時どちらかが何かの拍子に泣き出しそうになったら、こうやって額をくっつけて相手を慰めていた。自分はここにいるよ、と伝えるために。
久しく忘れていた温かさは、リンの心に優しく届いて満たしていく。
だから、そっとレンの熱が離れた時、真っ先に感じたのは寂しさだった。
「…ごめん、いきなり」
呻くように紡がれた声へいつも通り答えられる自信が無くて、リンは俯いてただ小さく首を振っただけだった。顔が熱い。思い返してまた頬が熱を帯びる。
恥ずかしくてたまらないはずなのに、いつまでも身を任せていたかった、だなんて。
死んでも言えるわけがない。
「…リン」
「はひっ!」
自分の世界に篭っていたせいでリンの声はひどく裏返ってしまった。けれどレンはそれを茶化すことなく、そっぽを向いたまま前髪をぐしゃぐしゃに掻き回しただけで。しん、とすぐにまた静まり返ってしまう。
どうしよう。少しの静寂が今は何だかとても気まずい。
「リン」
もう一度呼ばれた名前は、先程よりも幾分かしっかりしたものだった。その声につられるようにして顔を上げると、真っ赤に染まったレンの顔が少しだけ綻んだ。
「大体分かってるから、言いたくないなら言わなくていいから」
リンは目を見開く。今レンの表情がとても大人びているのを本人は知っているのだろうか。
「けどな、これだけは覚えててくれ」
頷いて続きを待つ。頷くことしか出来ない。
翠の瞳がすっと真剣な光を灯したのが、はっきりと分かった。
「俺は、お前の味方だ」
息が、止まるかと思った。
「俺だけはずっと、お前の味方でいてやるから」
零れかけた嗚咽を手で抑えた。目尻に溜まる涙を必死で堪えた。
ずるい。どうして今そんなこと言うの。
そんなこと言われたら、せっかく我慢してたのに。
「だから、…無理すんな」
ああ、もう駄目だ。
ぷつん、と小さな音がして刹那、我慢した分だけ涙が一気に溢れ出してきて、リンは久しぶりに大声を上げて泣きじゃくった。大弱りのレンを見て泣きながら笑った。
雨はもう止んでいて、灰色の雲の間から一筋、太陽の光が差し込んでいた。
きっと海を悠々と泳ぐ魚にも息苦しい瞬間はあるのだろう。
けれど、あたしはもう、水面に手を伸ばすことをためらわない。
Fin.
【リンレン】夢追い魚【学パロ】
こんばんは、課題に追われてるはずなのに土日この小説で潰れた七瀬です。こんばんは!(泣)
久々に小説の投稿です。お待たせし過ぎな学パロです…若干キャラが変わってるのは…成長したんだよ、うん!(自己解決) ご、ごめんなさい…なんか書いたらこうなったんだ←。
実は家族で食事しに行った時母親に全く同じこと言われまして。私は小説を書くのが好きで真剣に書いていて、それを出来るなら仕事にしたいと思っている。けれど親は『普通』を望んでいて。その場では言えなかった葛藤や想いをリンに代弁してもらいました。レンのようなことを言ってくれる人が私にも欲しいです…orz。
勢いのまま書き上げたのでおかしいところだらけだとは思います。いつものように誤字・脱字の指摘、感想、批評大歓迎です。大いに嬉し涙を流しながら愛を捧げに行きます!(いらん)
それでは、ここまで読んで頂きありがとうございました!
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鏡(キョウ)
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