毛布の上の心地よさは何にも代え難い。特にお天道様の元に干したふわふわのふかふかは独り占めしたくなる。あの上にいる間はどんな掃除機の音も雨の音も僕には届かない。
そんな毛布にくるまるともっと気持ちが良い。暖かい物に包まれる幸せ、守られてる感じ、「天にも昇る心地」とはきっとこの事なんだろう。空を飛んだことはないけれど今この瞬間は僕にとって誰にも邪魔されたくない最高の時だ。嫌なことも辛いことも悲しいこともわからないことも毛布の中の僕には届かない。
起きる時間になった。けれど身体が起きるのを拒む。起きたくない。毛布の中から出たくない。出なければ時間が止まっていてくれそうな気がする。けれどそんなことは決してないんだと僕の身体が教えてくる。 止まってももう遅い。僕は昨日、最期までちゃんと見たのだから。
「生まれ育ち老いて死ぬ。生きる以上俺らも人もそれは変わらん。早いか遅いか、力があるか無いかだけだ」
爺ちゃんはそこにいた。いつもの寺じゃなくて友達のいる公園、その木の下。言ってる事は相変わらず小難しくてよくわからないけれど、元気は明らかに無かった。
「情けねえよなあ。お前には見せたくなかったんだけどな」
「疲れてるの?」
「ああ、疲れて眠いんだ。やれやれ、年はとりたくないもんだな」
「ふん」
友達は怒った風な顔で言う。
「散々振り回して誤魔化して嘘までついたってのにその様かよ。他に言うことはないのかジジイ」
「言いたいことは山ほどあったはずなんだがな、思い出せねえや。ただ生まれ育った場所で眠りたくてな。お前も随分でかくなったもんだ。昔は俺の後を着いては真似ばっかしてたのが……、今のチビとそっくりだ」
「そんなに似てるの?」
「ああ、ソックリだ」
その言葉がなんだかくすぐったくも嬉しくて嘘なんて言葉は耳にも入らなかった。
「なあチビ、俺はお前に言わなきゃならねえことがある。師匠の事だ」
「ああいいよ。師匠なら自分で見つけてみせるから。自信はないけど」
「一端の口利くようになったじゃねえか。俺もお前の師匠として鼻が高い」
その鼻は今にも地面に着きそうだった。爺ちゃんは眠るように丸くなる。
「ふん」
友達は顔を背けるとどこかへ歩きだした。
「どこへいくの?」
「ジジイが寝そうになったら鳴いて起こしてやれ」
そう言うと友達は何故かベンチの下をくぐり、大嫌いなはずの人間に身体を擦り付けながら遠くへ行ってしまった。
友達が何故そんなことをしたのか僕には少しもわからない。
「あいつは人間が嫌いなんて意地張ってるが別に嫌ってなんかないのさ。ただ言葉に出さなきゃ威厳ってのを保てないだけでな」
「威厳?」
「リーダーは誰よりも強くなくちゃな」
「強く……」
「ああ、守らなくちゃならないからな……」
「守らなくちゃならない……」
「それじゃあもう眠るとする」
「うん」
「何かあったらリーダーを頼ってやれ」
「うん」
「し……」
爺ちゃんは言葉を途中に寝てしまった。何を言おうとしたのか、せめて寝るならちゃんと最後まで言い切ってほしい。寝て忘れる前にもう一度言って、そしてから寝てくれないと気になるじゃないか。
僕は大声で鳴いてみせた。けれど爺ちゃんは起きる気配がない。もう一度鳴いてみた。するとベンチからなにか飛んできた。パンの欠片だ。けれど今は食べる気も起きない。早く起こさないと。
とそこで閃いた。いっそ人間に起こしてもらえばいいんじゃないか。持ち上げられれば嫌でも起きるはずだ。案の定、黒い格好の人間はこっちへやってきた。さあ爺ちゃんを起こして。
ところが僕の思惑に反し、人間は僕を撫で回すばかりで爺ちゃんには触れてくれない。いっそ引っ掻いてやろうかと思ったけど逃げられては大損だ。なんとか人間から逃げて爺ちゃんに目を向けさせようと叩いたり回ったりアピールしてみる。けどこっちを見てるばかりでやっぱり持ち上げてはくれない。もう諦めよう。当ては外れたらしい。頼ってばかりじゃどうにもならない。
なんて諦めようとしたとき、人間はやっと爺ちゃんに手を伸ばした。これでやっと起こしてもらえるんだ。
けれど、そうじゃなかった。お腹に手を当ててそれからその手を僕に向けると首を横に振った。何がしたいのか少しもわからず鳴いてみたけれど、人間はどこかへ行ってしまう。その時哀しそうな顔をしてたのは見間違いだろうか。ともあれこれで起こす方法がなくなってしまった。引っ掻くなら人間じゃなくて爺ちゃんの方にすべきだったか。けどそんなことしたらへそを曲げることだろう。こんなときに友達はどこへ行ったんだ。
どれくらい経っただろう、人間は戻ってきた。その間に噛んだり引っ掻いたり叩いたりしてみたけれど結局一度も起きなかった。もう残るは人間頼みしかない。
人間はしゃがみこむと爺ちゃんをゆっくり持ち上げた。そんなんじゃ起きないよと伝えたかったけど人間に僕の言葉は通じないだろう。僕も人間の言葉はわからない。人間の言葉を理解できるのは爺ちゃんだけだ。
爺ちゃんを抱えたまま来た道を戻るようなので僕は人間の後ろを着いていく。後でパンを分けてもらえるだろうか。けどさっき無視しちゃったし多分貰えないだろうなあ。そんなことを思いながら着いたのは、いつだったか友達が言っていた墓だった。
その隣には穴が開いていた。
穴?
――この山は人間が死んだ奴を埋めた墓なんだよ。
穴に入れられた爺ちゃんの身体が土に少しずつ埋まっていく。
――人間が死んだ奴を隠す場所だ。
――俺もいつかは土の中に埋められるんだろうな。
ついに爺ちゃんは見えなくなった。そこにあるのは二つの山。
ああ、爺ちゃんは死んだんだ。
僕はなんて無駄なことをしてたんだろう。
山の前で人間はしゃがみこむ。人間が何を言いたいのかやっぱりわからないけれど、もしかしたら僕と同じことを思ってるのかもしれない。僕も爺ちゃんみたいに人間の言葉を理解できるだろうか。
ああ、そうか。
僕は師匠にようやく出会えたような気がした。
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