13.再会
まだ夜が明けやらぬ中、ルカはひとりで岬への道を辿っていた。本日は一日非番である。島での行動は、ルカたち大陸の国の駐留部隊は制限されていなかった。
有事のたびに駐留軍は島に降り立ち、ことが終われば去っていく。それは数年おきに繰り返されることもあれば、長い間が空くこともある。今回のように八年も間が空くのは、珍しいほうだった。
それでも、この島に人が住み始めてから、大陸と島の国は争いもし、そして同盟を組みもした。記録が残っている古代の時代から数千年も繰り返してきたことであり、島にとっては、大陸の軍隊が駐留するのは見慣れた風景であるのであった。
そして、ルカは今、ひとりで、岬への道を辿っている。
四年前、リントとレンカと出会い、歌った、あの女神像の立つ岬へと。
* *
風向きは海へ向かって吹いている。
まだ明けやらぬ青い空気の中で、レンカのひとつに括った髪が風にあおられ海へとなびく。
胸に思い切り息を吸うと、夏の乾いた白い土と、軽い潮の匂いがした。
となりに、真っ白な女神像が海を向いて手を広げ、微笑んでいる。まだ陽の当たらぬその表情は静かだ。
「ここに来るのもひさしぶりだね」
レンカが傍らに視線を向ける。女神像の足元に座り込んで海を見つめている者がいる。リントだった。レンカが連れ出してきたのだ。
いくら逃亡者とはいえ、精神的に、ずっと部屋の中に隠れていることは出来ないだろうと判断したのだ。
岬に人がくることはめったに無い。島の人の動き始める夜明け前なら大丈夫だろうと、ヴァシリスも承諾した。
リントは、じっと静かに海の向こうを見つめていた。水平線と空がとけあう彼方に耳を澄ませるように、黙って風に吹かれている。
空の色がだんだんと白み始めた。雲の流れが速くなる。そして、風向きが変わった。
風が、海から吹き始めた。
「リント」
レンカはそっと声をかける。
「リント。そろそろ、帰ろう」
リントが黙って立ち上がった。海に背を向け、彼は女神像の足元にそっと触れた。何も言わず、しばらく手を当てた後、手を離す。
「なぁに。帰ってきたよって、挨拶?」
レンカが笑うと、リントは、口の端だけ上げて俯いた。
「いや。……ヒゲさんから聞いたよ。女神像の下から、この像の由来の石版が出てきたって」
ズキ、とレンカの胸が痛んだ。リントが、ふっと女神像を振り仰ぐ。
「この女神像は、海を渡る旅人を迎えていたのでも、伝説のように愛する人を抱きしめようとしていたのでも、無かったって。……昔から、海の向こうからやってくる敵を押し返し、島から出て行く兵士を押し出すために、手をこうして広げていたんだってな」
レンカの胸がきしんだ。
「リント」
リントは、そのままレンカの脇をすり抜ける。すり抜けざまに、彼の手がくしゃっとレンカの髪を撫でた。
「……かえろっか。」
にこりと笑って言ったリントに、レンカはただ視線を返すことしか出来なかった。
「あ、リント」
レンカが思わず名前を呼んだときには、リントはすでに歩き出していた。レンカも、すぐに後を追う。もう、時間が無い。島の人が起きだしてくる前に、街の中心部の博物館、その隣にあるヴァシリスの部屋へ、たどり着かなければならないのだ。
リントの影が女神像をまわりこむ。レンカも回り込んだそのとき、立ち止まっているリントにぶつかった。
「ちょっと、なに、急に……」
鼻を思い切りリントの背にぶつけたレンカが呻く。しかし、リントはまるで石像になってしまったかのように、その場に突っ立つのみだった。
「リント! 一体……」
と、レンカは息を飲んだ。岬への道を、人影が上がってくる。
「えっ! ……こんな時間に、まさか!」
リントが、じっと見つめている。レンカはあたふたとあたりを見回す。人物はまっすぐに岬への道を登ってくる。
「リント! か、隠れて!」
レンカひとりなら海へと飛び込んだかもしれないが、今は逃亡生活で消耗しているリントが居る。それに、潮目も悪い。
「せ、せめて、女神像の後ろに……!」
リントの服を必死で引っ張るが、本当に石になってしまったように、リントは動かなかった。
「リ、リ、リント! なにしてるの! 早く!」
半分泣きそうになりながらレンカがかすれ声で訴える。しかしリントは動かない。
「リント!」
「レンカ」
そのとき、リントが静かに声を発した。
「あれ、ルカだ」
* *
ルカの目が、岬の上の人影を捕らえた。
「あれ、誰か居る……」
こまったな、と、ルカは思った。
自分がわざわざ朝早くに行動したのも、感傷に浸るためだ。リントとの思い出の場所で、失った彼を思って思い切り泣くためだったのだ。
軍の中、島の人間の前では、立場のあるルカは泣くことはできない。今日が気持ちに整理をつける、いい機会だったのに。
「……引き返そうかな」
ルカがそう思いかけ、足を緩めたその時、陸から吹いていた風が、海からの風に変わった。空が少しだけ明るみ、風に乗る潮の香りがわずかに濃くなる。
「……いいや。どこかで整理はつけなきゃいけないし」
飛行機は、まだまだ安全な機械とはいえない。最近、大陸の国の軍にも飛行機部隊が出来たが、訓練中に事故で墜落することも珍しくはなかった。
助かる場合もあるが、新聞に載っていたリントの飛行機ように、藪に突っ込んでしまったのなら、パイロットの命はどうなるか、わからない。
「……母上のときも、そうだった。ついこの間までは元気だったのに、」
ルカの目が、岬を望む。
「生きて、歌って、いたのに……!」
ルカの喉が熱に焼けた。とっさに冷気を取り入れるように彼女は思い切り海の風を吸い込んだ。
「リント……!」
びょうびょうと耳元で唸る風の中で、ルカが声を発した。それは、あの時、岬で歌った歌だった。
四年前、はじめてこの島に来たときに、リントとあわせて歌った、王と女神の伝説の唄だった。
愛しいひとよ、貴方を呼ぶ……!
リント、リント、リント……!
風に逆らいながら絶叫するように、ルカは口を開け、声を発し、岬への坂道を登っていく。彼女には、女神の後ろ姿しか見えていなかった。
まるで、過去の自分を重ね合わせるように、ルカは歌いながら坂道を登っていく。
リントは動けなかった。
ルカが、いた。
真っ白な軍服を着た、大人びた姿だったが、何かを叫ぶように上ってくるその姿は、まさしくルカだと彼は気づいた。
「ルカ……!」
傍らのレンカがびくりと強張った。
「リント……!」
レンカの声にはパニックの片鱗が見える。いますぐにでも岬から踏み切って海へ飛び込んでしまいそうだった。
「まさか、ルカちゃんなんて。まさか、まさか……」
ルカはどんどん近づいてくる。その目は真っ直ぐ女神の背中を見つめていた。
やがて、風に流されていた声がはっきり聞こえるようになった。
「あの歌……!」
王と女神の切ない恋の歌。島に古くから伝わる伝説。
言葉を聞き取った瞬間、リントがすっと息を吸った。
「……ルカ!」
はっと近づいていた人影が止まった。
呼びかけたリントとレンカに向けられた表情は、まるで、夢から覚めた人形のようだった。
「リ」
ルカの唄が止まる。そのまま、風の中で、ふたりと一人が対峙した。
「リント」
リントが、ふっと笑った。
「よう。ルカ。ひさしぶりだな」
その瞬間、ルカの頬にぱっと朱がさした。瞳が波を寄せたように潤んだ。
「リント……!」
この日最初の光が、ふたりを黄金の矢で刺し貫いた。レンカはただ、声も無く成り行きを見守っていた。
しばらく黙ったままだったふたりのうち、最初に動いたのはルカだった。
そっと自身の成長した胸元に手を当てる。
次の瞬間、その白い手が拳銃を引き抜いていた。
黒く光る銃口を、まっすぐにリントに向けていた。
「……」
リントは、なにも言わなかった。まるで、朝日に照らされた女神像のように、しずかにやわらかくルカをみて微笑んでいた。
「……」
ルカも、何も言わなかった。引き金に指をかけたまま、じっとリントを見つめていた。
レンカは、ただ、動けなかった。まるで歴史の舞台を見ているような、リントとルカの空間が切り取られたかのように、彼女の目の前で時間が流れていく。
「……」
やがて、ルカがすっと拳銃を降ろした。その海色の視線は、しっかりとリントに向けたまま。
「ごめんなさい。人違いだわ」
ルカの唇が言葉を紡いだ。
「私はルカだけど、私は貴方を知らないわ」
どんどん明るく色づいていく世界に反するように、ルカの頬が真っ白に染まっていく。
拳銃をすっと仕舞いこみ、彼女はリントとレンカに背を向けた。
「隣島のドレスズ島に、黄色の郵便飛行機が落ちて、リントは行方不明。補佐官の私にまで聞こえるほど操縦の腕のいい彼を、事故で失ったことは大陸の国にとっては損失だけど、
……行方不明だもの、仕方ないわね」
制服の白い背中が、岬を背にして去っていく。暁色の髪が、朝日に照らされて光を孕む。
「……ルカ!」
「知らない人間を呼び捨てないでくれる? 失礼だわ」
歩き去るルカを、止めることは出来なかった。その背がどんどん遠ざかる。
レンカもリントも、その影が岬のふもとから町の影へと消えるまで、見送った。
ルカの姿が完全に消えたその時、レンカは一度だけ、傍らですすり上げる息の音を聞いた。
* *
ルカはリントに背を向けた後、岬の道を真っ直ぐに下った。
背にした潮騒が大きく感じる。何にも増して、彼の気配を強く感じる。
じっと見送られていることが解った。
「どうして……」
ルカの胸が熱く焼け付いた。
「どうして……なにもしないの」
本当は、背を向けた瞬間、彼女は覚悟を決めたのだ。
リントが逃亡者なら、目撃者は容赦なく消すべきなのだ。
レンカとふたりなら、いくら鍛えた自分であっても、勝算はあると思えるのではないか。
粘土を削った刃物で、背をえぐられても良いと思った。
同時に、ルカは、自身のその考えに戦慄した。
「私、それほどまでに、リントが好きだったの……?」
はじめに感情をくれた人。
はじめて、頬の熱さを感じさせてくれた人。
ただ、それだけの人。それだけなのに。
「……リント……」
駐留部隊の宿舎に、ルカはまっすぐに戻り、石造りの建物の中の割り当てられた自室に倒れこんだ。
「……生き、てた……!」
日が昇ってもひやりとした部屋の空気が、ルカの頬の熱を、少しずつ冷ましていく。
「リントは、私を殺さなかった。なら、忘れよう。私が、忘れよう……」
やがて陽が沈む頃、ルカの頬にはすっかり元の白さが戻っていた。シーツから上げた瞳には、深海の静けさが宿っていた。
……つづく!
滄海のPygmaliion 13.再会
夏の海から風が吹いたら、ルカパートを歌ってみようの回。
意外と風に向かって歌うのは音が消されて気持ち良いです。
発想元・歌詞引用 U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp
空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion http://piapro.jp/t/beVT
この物語はファンタジーです。実際の出来事、歴史、人物および科学現象にはほとんど一切関係ありません^^
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ご意見・ご感想
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ご意見・ご感想
つい先ほど、1から13まで一気に読ませていただきました。続き楽しみにしています!
こういう感情揺さぶる作品書きたいなあ
2011/06/22 17:10:28
wanita
>日枝学さま
メッセージありがとうございます!
「感情を揺さぶる」という感想にすごく勇気づけられました。
ウタPさまの「Pygmalion」に惚れて書き始めたのですが、いつのまにか神話ではなく近代の話になっていました。青い海の似合う夏のうちに書ききりたいと思っています☆
では山場に向かって頑張りますので、今後もお付き合いいただけたら幸いです!
2011/06/24 19:06:43