「んもおおおおお!!!!!」
 ある日の昼間、修道院内のキッチンから突如響いた。ちなみに、これは牛の鳴き声なんかではない。あまりにもムカついた私の断末魔だ。(そもそもキッチンに牛なんかいたらそっちの方が大惨事だが)
「リン?!どうしたの?!」
 私の叫び声を聞いたであろう友人が血相変えてやって来た。ぐっと泣きそうになるのを堪えながら彼女の方を見る。
「クラリスぅ・・・・。」
「何?どっか怪我したの?」
「ううん・・・あれ。」
 ゆっくりと私がテーブルを指差す。そこに置いてあるたくさんの“何か”、それは形から色まで様々だった。
「これは・・・もしかしてブリオッシュかしら。」
「うん・・・ずっと練習してるのに、全然うまく焼けなくて・・・・。」
 膨らんでないもの、途中で崩れてしまったもの、黒く焦げてしまったもの、どれもこれも失敗作ばかり。さっきのも、もう何度目か分からない失敗の末に起こった心からの叫び声だった。
「あら?これはちゃんと焼けてる。」
「あ!それは・・・。」
 今クラリスが持ってるブリオッシュ、確かにそれ形はいいのだが・・・。
 不思議に思った彼女はそれを一口食べてみた。その瞬間、表情が徐々に苦しそうになっていく。
「ちょっと・・・甘すぎるわね・・・。」
「うん・・・私も一口でダメだった。」
 いくら形が完璧でも不味かったら意味なんてない。そう、ここにあるブリオッシュは全てダメなものなのだ。
「やっぱり・・・私には無理。」
「そんなに気を落とさないで。私だって今みたいに焼けるまで何度も失敗したわ。もっと練習を積み重ねればきっと・・・。」
「・・・いいわよ、もうやめる。」
「リン!!」
 後片付けもクラリスの呼び止める声も無視し、私はキッチンを出て自分の部屋へと戻っていった。
 ボフンと音をたてベッドに倒れ込む。失敗続きなせいでブリオッシュを作り直すはおろか何もする気力も起きなかった。あんなに練習したのに、クラリスにも教えてもらったのに、どうしてうまく焼けないの。
「もう知らない・・・。」
顔を布団に押し付ける。太陽の光をあびた布団はポカポカと暖かかった。そして、その気持ちよさはいつの間にか眠りの世界へと運んで行った。



―――――――――



 懐かしい庭園、懐かしいフリルの多いドレス姿。
 そして、目の前にいる顔のよく似た召使。

 教会の鐘が三度音を鳴らし、口癖でもあった「あら、おやつの時間だわ」と共に召使はブリオッシュの乗ったお皿を私の前にコトっと置いた。
 彼の作るブリオッシュは甘さが少し濃かったけど、ふんわりして、とても優しい味だった。
「やっぱりお主が作るブリオッシュが一番じゃ!どうやったらこんなに美味しく作れるのじゃ?」
「特別なことはしていませんよ。レシピ通り普通に作ってるだけです。」
「ではそのレシピとやらが特別ではないのか? 上流階級の料理人とか。」
私のその質問が可笑しかったのか、彼はくすっと小さく笑っていた。
「そういうのではありませんよ。そうですね、僕が他にしてることといえば・・・。」
「何じゃ、申してみろ。」
 あまりにも気になり、私はテーブルに両手をついて身を乗り出した。一体、この召使からどんな答えが返って来るのか。わくわくしながら彼の言葉を待った。





「やっぱり、食べてくれる人の喜ぶ顔を思い浮かべながら作ることですね。」




「・・・へ?それだけ?」
「それだけですが?」
「それだけでこうも美味しくなるものなのか?」
「リリアンヌ様も、いつかきっとお分かりになりますよ。」
 当時の私にはこの事について納得できなかった。だが、そう話す召使の顔はとても穏やかで優しかった。



―――――――――



「ん・・・・。」
 瞼が重いまま顔をあげてみると、そこはいつもと変わらない修道院内の私の部屋だった。いつの間にか寝てしまったのだろう。王女時代の夢を見ていた気がする。
「食べてくれる人の、喜ぶ顔ね・・・・。」
 半分開いた窓からの海風と共に、ポツリと呟いた声が室内に響いた。そして、私は何かを思いついたように急いで部屋を出て行った。


 再びキッチンへと行くと、さっきまでテーブルの上に置いてあった失敗作のブリオッシュたちが無くなってる。もしかしたらクラリスが片付けてくれたのかもしれない、あとで謝らなきゃ。
 冷蔵庫から材料を取り出し、教えてもらった通りに手順を進めていく。
「私の作ったブリオッシュ、食べてもらいたい人・・・・。」
 手を動かしながら、頭の中で思い浮かべていった。クラリスや修道女、孤児院の子供たち、そして――――



「顔が似て、どんなわがままも聞いてくれて、私を一番に守ってくれた・・・・。」
 彼にはもう会う事すら叶わない。それでも、一番に食べさせたかったのは、やはり彼だった。


「ごめんね・・・ありがとう。」
 そう謝罪と感謝を込め、私は手を動かし続けていた。





 それからどれくらい時間が経ったのだろうか。私はオーブンを見ながら、今か今かと待っている。
 やがて、チンっと時間を知らせる音が鳴り、オーブンの中の赤色が徐々に消えていった。恐る恐る天板を取り出すと、そこには綺麗の焼き目のついたブリオッシュがたくさん乗っている。見た目は大丈夫、だが問題は味だ。私はその中から一個手に取り、ぱくっと口に運んでみた。
「・・・!!!!」
 食べた途端、私は目を丸くした。
 その途端、私は焼きたてのブリオッシュを何個か皿へと乗せ、すぐにキッチンを出て行った。


「クラリス―――!!!」
 農具小屋の片づけをしていた彼女を見つけ、すぐに近くまで走っていった。
「リン、どうしたの?」
「あのね!これ、食べてみて!」
 そう言いながらブリオッシュの乗った皿を素早く差し出す。クラリスはびっくりしたものの、ブリオッシュを一個だけ手に取り口にした。
「美味しい・・・!」
「ね!ね!初めてうまく出来たの!!」
「すごいわリン!!すごく美味しいわこれ!」
 クラリスに褒められ顔が熱を帯びている。
 その時、近くにいた子供たちが私たちの声を聞き付けやって来た。
「どしたのー?」
「あ、ちょうどよかった。あんた達も食べてみる?」
 彼らにブリオッシュを見せると、わあっと声をあげながら次々と手を伸ばしていく。さっきまであんなにあった皿の上には、ブリオッシュは一個も残ってなかった。
「これ美味しい!」
「うめぇ!!」
「リン姉ちゃんこんなに美味しいお菓子作れたんだ!」
 笑顔でブリオッシュを食べる子供たち。それを見て、あの時の彼の言葉の意味をようやく理解出来たのだ。
「でも、これクラリス姉ちゃんのより少し味が濃いかな。」
「こ、こらっ。」
 男の子の言葉にクラリスが注意をする。まあ子供は正直だし仕方がない。
「いいの、私この甘みが強いのが好きなの。」
「へえ~、何で?」
「それはね、あんた達と出会うずっと前にね――――。」



 思い出話で盛り上がる中、再び海風が音をたてる。彼女たちには分からないが、よく耳を澄ますと少年らしき声も一緒に聞こえてきた。




 ――――頑張ったね、いつか、僕にも食べさせてね。

この作品にはライセンスが付与されていません。この作品を複製・頒布したいときは、作者に連絡して許諾を得て下さい。

Brioche

頑張って美味しいブリオッシュを作ろうとするリンのお話です

閲覧数:206

投稿日:2018/09/03 12:29:59

文字数:2,984文字

カテゴリ:小説

クリップボードにコピーしました