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 トワダさん――トワと出会ってから、もう一年になる。
 正確に言うなら、再会して――からか。
 また梅雨が開けてむし暑くなってきた部屋の外には、中々出ていく気になれない。
 私は結局、過去の事をほとんど何も思い出せていないままだ。それどころか、記憶を保つ事も出来なくなってしまっている。
 この表現が正確かどうか自信がないけれど、今でも私はトワと共に暮らしている。
 私の血縁がいないわけじゃなかった。まだ両親は存命らしい。けれど、高校生だった私の首を絞めて本当に殺してしまおうした父と、それを傍観していた母は、それが原因で刑務所に入っていたのだという。そんな両親とやり直すなんて、流石に私も御免こうむりたい。
 彼が仕事に出かけたあとのクーラーのきいた部屋の中で、私はする事もなくただぼんやりと小説のページを繰る。
 前髪は目にかかる長さにまで伸びて、時折私の視界をふさごうとしてくる。
 ページを繰るか、前髪をかき上げるか。
 今の私には、それ以外に出来る事がない。
 その小説は、最愛の人を失って失意の底にいる主人公が、生きる事に希望を見出すまでの物語だった。
 やがて、時の流れが癒やしてくれるのだと、大ざっぱにまとめてしまえば、そんなあらすじだ。悲しいし、劇的な物語ではないけれど、でも、どこか自分と境遇が重なって見えて仕方がない。
 初めて読む小説だと思っていたのだが、昨日、トワに「グミはその本が本当に好きだよね」と言われた。どうやら、私は何度も何度も同じ物語を読んでいるらしい。そしてその度、ちっとも思い出せないまま読みふけっているのだ。
 滑稽、というのは、こういう事を言うんだろう。
 記憶のいい人が、羨ましいと思う。
 何か一つを覚えようとしたら、私は必ず他の何かを一つ忘れてしまう。
 こんなに次々と忘れたりしなかったら、どれだけ良いかと思う。
 何もかもを覚えていられたら、どれだけ幸せかと。
 家の中の物の位置から、炊飯機や洗濯機なんかの機械の使い方。そんな事も忘れてしまうのだから、料理なんて出来るわけなかった。以前の私がやっていたっていうコンピュータープログラマーなんて、夢のまた夢だ。
 忘れてはいけない事を、片っ端からノートへと記していた事もあった。今でもたまに使うが、あまり意味が無い事を思い知らされてからは、ほとんど使わなくなってしまった。そもそもの問題として、そのノートの事を忘れてしまい、どこに置いたのかが分からなくなってしまうからだ。
 ……今の私は、トワの家に居座っている疫病神のようなものだ。“トワと共に暮らしている”なんて、やっぱりそんな言い方をするべきじゃない。
 仕事も出来ず、家事すら出来ず、トワに迷惑をかけ続け、それだけでは飽き足らず、油断すれば「トワ」という彼の名前さえ忘れてしまって、帰ってくる度に「誰ですか」と口にしてしまう。
 私の存在は、トワを苦しめている。苦しめている他に、何もしていない。
 なお悪いのは、何が彼を苦しめてしまっているのか自分自身では何も理解出来ていないという事実だ。
 傷つけてしまってから、私はようやく「なんて事をしてしまったんだろう」などと思ってしまう。傷つけた後になってそんな事を考えた所で、とっくに手遅れだっていうのに。けれど、ぽろぽろと記憶がこぼれ落ちていってしまう私は、たぶん、私自身が考えている以上に、何度も何度もそれを繰り返してしまっているはずだ。そして、それを止める手立てが私にはない。
 私はそれがとても悔しくて、苦しくて、悲しくて。
 この一年、私に裏切られ続けているはずなのに、それでもトワは私の事が好きだと言う。私と一緒にいられて幸せなんだ、なんて言う。
 その表情にどんな感情が記されているのか、私には分からない。
 私には相貌失認という症状があると、自分が記したノートに書いてあった。人の顔が見分けられない事を、そう言うらしい。そのせいで、私は他者の表情の機微も見分けられない。
 トワは、本当はすごく傷ついているはずなのに、それを言葉にしてくれない。だから、トワは本心ではどう思っているのか、私には想像もつかない。
 私は、一体何度トワに心ない言葉をかけてしまったんだろう。
 ここまで思ってくれる人がいて、私は幸福なんだと思う。私も、そんなトワがたまらなく好きだ。
 けれど。
 だからこそ。
 ……もう、私なんか見捨ててくれたらいいのに。
「お前の世話なんかもう沢山だ」と言って、私を放り出してくれたらいいのに。そうしたら、これ以上トワが傷つく事もないのだと、私も安心出来るのに。
「……ただいま」
 玄関が開いて、彼の声が聞こえた。
 私は小説を閉じると、立ち上がって玄関に顔を出す。深呼吸をして前髪をかき上げながら、見覚えのない顔をした彼に、意を決して声をかける。
「トワ。おかえりなさい」
「……ありがと」
 トワは靴を脱いで、小さく笑う。
 彼の表情を読めない私だけれど、重い足取りとうつむき気味の所作からは、トワが憔悴しているのだろうと推測がつく。
 彼の笑みはきっと引きつっていて、笑顔だから大丈夫なんだって騙されたらいけないんだと思う。
「ごめんね。すぐ……ご飯作るよ」
「ゆっくりでいいよ。そんな、あわてなくたって」
 私はトワを心配してそう言うが、彼は首を振る。
「ちゃんと規則正しい生活しないとダメなんだよ。僕がしっかりしないといけないんだ。グミはすぐそういう事言うんだから」
「なら、外食だって――」
「ダメだ!」
 急に叫んで、トワは私の肩をガシっとつかんで私を見てくる。……もしかしたら、非難の視線でにらみつけられているのかもしれない。
 トワの豹変ぶりに、びくりとしてしまう。急に肩をつかまれた嫌悪感に、トワの腕を振り払いそうになってしまうのを、必死の思いで我慢する。
「外食なんかして、前みたいになったらどうするんだよ! 取り返しのつかない怪我を負うかもしれないんだぞ!」
「……ごめんなさい」
「グミ、何度言ったら分かって……」
 トワの言葉が、尻すぼみに消える。
 ……そっか。
 何度言ったら……って、そう言うほどなんだ。
 この会話をした事も忘れて、私は何度も同じ会話を繰り返してるんだ。
 私はまた、余計な事を言ってトワを必要以上にイラつかせてしまっている。
「……ごめん。酷い事、言った」
「悪いのは、私だよ」
「……」
 トワは歯を食いしばって黙っている。
 彼が何も返事をしないのは、私の言葉を肯定してしまいそうなのをこらえているだけで、いっぱいいっぱいになっているからだろうか。
 なんとなくではあるけれど、いつものトワなら「グミは悪くなんかないよ」と言ってくれる気がする。
 ……そう言ってくれないのは、トワは、私が悪いというのを、事実その通りだって思っているんだろうか。その上で、ただ私に気を使って黙っているんだろうか。
 ……他人の表情が見分けられず、言葉の裏を読めない私は、さぞかし騙しやすい相手だろうな。
 とりつくろって、思ってもいない事でも、とりあえず口にしておけば、それだけで私は騙されてしまうのだから。
 トワが、私が悪いんだと思っているとしたら。
 その想像は、恐ろしかった。
 私の存在は、やはりトワを苦しめているだけだという事が証明されてしまったような気がして。
 ……そう思われていて当たり前の状況だけど、それでも、とても恐ろしかった。
「……」
 部屋の奥へと歩いていってしまうトワの背中を、何も出来ないまま見送る。
 私とトワの間にはもう、傷痕以外に絆と呼べるものは残っていない。
 なんとか関係を保とうとあがいた結果、ただ傷付け合うだけの関係でしかなくなってしまっている。
 傷痕以外の絆は、ぼやけて風に消えてしまったみたい。
 なのに、私は彼の優しさに甘えている。……いや、つけ込んでいるんだろうか。
 ……こんなの、終わりにしなきゃ。
 彼の、トワの為に。

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ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

メモリエラ 8 ※2次創作

第八話

この八話でようやく歌詞上のストーリーに追いついた形になります。

2次創作をする際は、歌詞の状況を作り出すためのバックグラウンドの説明をするだけで、いつもだいたい全体の三分の二くらいを費やしているような気がします。
もっと説明的な地の文を減らして、読みやすい文章を書けるようになりたいですね……。

閲覧数:69

投稿日:2016/06/30 20:42:42

文字数:3,375文字

カテゴリ:小説

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