翌日。
デルは会社勤めを終えると、急ぎ足でハクの病院へと来ていた。急いだとはいえ、もう時刻は夜の8時を回ってしまっている。
デルは今、ハクの病室の外まで来ていた。
「ハク?入るぞー?」
「うん。」
か細い返事が中から聞こえた。それを確認すると、デルは病室の扉を開けて中へと入った。
入ると、ハクは何やらベッドから起き上がって、雑誌のようなものを読んでいた。
「どうだハク?身体の調子の方は?」
「うん、今日はまぁまぁ大丈夫。」
雑誌から目を離さないまま、ハクは返事した。
「そっか……。あ、そうだハク?お前、そう言えば両親とかはいないのか?今まで全く見たことないんだけど。」
「ああ……。いるにはいるよ?でもお父さんもお母さんも、仕事の方が忙しいからって来ないんだ。
お父さんは、今月は季節の節目っていうこともあって、重要な会議が5つもあるし……。お母さんもそれと同じような事で……。」
「は……、はぁ!?なんだよそれ!?」
実の娘がもうすぐこの世を去るって時に、見舞いの一つもないのか?いくら仕事が忙しいとは言ったって、そんなのあまりに酷過ぎる。
「お父さんもお母さんも、私より仕事の方が大事なんだよ。そう言えばお見舞いも、今年はまだ一度も来てくれてないしね……。けど入院費は出してくれてるから、それだけで私は幸せ者だよ……。」
ハクは、コホンコホンと弱い咳をし、その事が別に何でもないかのように小さく笑った。
「私、誰にも看取られないで死んで行くんだろうなぁ……。」
「そ、そんな事言うなよ!誰もお前を守る人がいなくたって、俺だけはずっとそばにいてやるから!!」
「フフッ、デルの、そういうすぐ熱くなる性格は昔から変わってないよね……。」
「え?」
「デルは覚えてるかなぁ……。10年前の1月5日、雪が降ったあの日の事だけど。私とデル、一緒になって雪遊びしたじゃん?」
デルは少し考え込んだ。そう言えばそんな日もあっただろうか。なにしろ10年も前のことなんて、もう忘れてしまっていてもおかしくはない。
「あ、ああ。あの時な。」
言葉ではそう言ったものの、実際どんな遊びをやったのかは全く覚えていなかった。
「楽しかったよねぇ……。あの時からデルは熱い性格だったから、周りの雪が溶けちゃいそうだったもん。」
「そ、そうだっけか?」
「そうだよ。あの時は本当に楽しかった。でも……、その来年あたりから全く雪が降らなくなっちゃってさ。いつしか毎年一緒に遊んでた雪遊びも、自然に出来なくなっちゃったんだよね。」
「そうだな……」
それは知っている。雪が10年前から全く降らなくなった現象。こんな事は前代未聞で、新聞やニュースにも取り上げられたこともあってか、脳裏にしっかりと刻みつけられている。
雪はもう降らないんじゃないか。と気象に詳しい専門家たちもそんな事をささやいている。
ちなみに雪は去年も、そして今年も降らなかった。おそらく来年も降らないんだろう。
地球は年々ヒートアップしている。人間達が自分勝手に過ごしてきた故に起きた、ある意味『惨劇』と言える出来事だった。
「せめて死ぬ前にだけは、あの日みたいな大雪が見たいのになぁ……。」
皮肉にも雲ひとつない夜空をみて、ハクは寂しそうにため息をついた。
そして視線を再びそらした矢先の事だった。
「ケホッ!!コホッゴホッ!!」
「ハク!?」
口を手で押さえるハクに、デルはベッドに駆け寄った。
「ハク!大丈夫か!?」
「ケホッ……ゴホッ……!!大丈夫じゃ、ないみたい……ゴホッ!!」
そう言うハクの口からは、咳とともに真っ赤な血が出ていた。
デルはすぐさまベッドのナースコールを押した。
「すぐに先生が来るから!」
デルはハンカチを取り出し、それを吐血しているハクの口にあてた。
「ゲホっ!はぁ、はぁ……、もしかしたら今日が、命日なのかもね……。」
「言うな!それ以上暗い事を言うな!!」
「はぁ、はぁ……。」
ハクは息を乱して、絶えず咳をした。その度に口から赤い血が吹き出る。すぐにハンカチはハクの血で真っ赤に染まってしまった。
突然病室の扉がガラリと開いた。
「大丈夫ですかハクさん!?」
振り向くと、そこにいたのは白衣を着たカイト医師と、数人の看護師と、人を乗せる担架。
「カイト先生!!」
カイトは、吐血しているハクの様子を見ると一瞬で状況を判断して数人の看護師に伝えた。
「患者は吐血している状態です。おそらく左の肺が切れたものと見られます。ではこれから10階の緊急治療室に運びます!」
看護師は返事をすると黙々と担架にハクを乗せ、素早く病室を出ていった。
それに続いて出て行こうと踵を返したカイトを、デルは引きとめた。
「ハクは……ハクは助かるんでしょうか?」
「昨日も言いましたが、ハクさんはもうほとんど助からない身体です……。助かる可能性ははっきり言ってしまえば20パーセント弱……。ですが医者として、出来る限りの処置はしますから、落ち着いて待っていてください。」
早口でそれだけ言うと、カイトは病室を出ていった。
ハクが治療を受けている間、デルはずっと落ち付くことは出来なかった。
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