疑問があった。
自分は何のために存在するのだろうか。
ああ、そうだ。
人間に使役されるためか。
指令を下されれば、それを完璧にこなす、完全なる使者。
それが唯一の存在意義。存在している理由。
使役されなければ、己の存在は全くの無意味となる。
ここまで答えが出ているというのに、
いまだに、
自分の本当の意味を、見出せずにいる・・・・・・。
半無重力の空間。
それは、本来この地球が持つ巨大な磁力、重力が飽和され、あらゆる物体はその重量の半分以上を奪われる。
つまりその世界にあるものは、全てが半重力という制約に縛られ、一切の行動をも飽和される。
しかし半重力といえど、それにはある種の自然の力が働いている。
無重力、それならば大気圏を越えた先にあり、何の力も働いてはいない。
重量は完全に無意味となり、ただ真空を漂うのみ。
しかし、ここは違う。
半重力の世界。それは即ち、水中だ。
半重力とは、その空間の中に入り込んだ者が体感するもので、実際には、地球の重力は確かに作用している。
それでもこの空間に作用している自然の力、「流」に身を委ねていると、そうと感じるものがある。
適度に重力があり、適度に無重力であると。
ここはまさに、半重力の世界なのだと。
人間に使役されることを目的とされている俺は、初めて本来の任に就くことを言い渡された。僅か、五時間のことだ。
それまで、俺は「訓練」と呼ばれるものを任としていた。
任を達成するための任。
失敗の許された任を幾つもこなすことで、失敗の許されない任を完璧に成功させることが目的である。
その訓練を今まで数多く成功させてきた。
それによって、人間は俺の力を認め、失敗の許されない本来の任に就くことを許可したのだ。
本来ならば、これが俺の目的であり、これを成功させなければ俺という存在の意味はない。
実戦。訓練とは違う、失敗の許されない任。
この任は俺の存在意義を再確認する上でも非常に大切なことではないだろうか。
ならば、成功させなければならない。
そうすることによって俺は、自分の意味に近づくことが出来る。
そして俺は、実戦の地、戦場へと向かおうとしている。
初めての実戦・・・・・・それを、人間はこう言う。
「初陣」と。
無重力を思わせる身の軽さに、流れによって、全ての物質はその方向へ向かう。ここは、水中であり、人は、「河」と呼ぶ。
しかし、俺の知っている河とは随分と違い、それは深緑に濁った場所だ。
俺に指令を下した人間によれば、この色が、身を隠すことに都合が良いらしい。それならば俺も納得できる。
俺はその深緑の水中、およそ水深十メートルほどだろうか、その場所で、河の流れと、脚部の僅かな運動によって前進している。なお、その運動は、「泳ぐ」というらしい。
実戦が行われる場所、目的地へ行くために。
そこまでの具体的な距離は、指令を下す人間、司令官からの知らせを頼りにするしかないのだが、このまま河の流れに身を任せながら前進すれば間違いはないという。
知らせはまだ来ない。今俺が成すべきことは、この半重力の空間を、泳ぐことによって前進するのみだ。
彼は、その任の内容を俺に簡潔に述べた後、更に詳細な、現時点で持ち合わせている情報を説明した。
その説明で登場した重要なキーワード、そして俺の任を、今一度電子頭脳の中で整理した。
日本防衛軍技術開発研究所。
クリプトン・フューチャー・ウェポンズ実験部隊。
クリプトン技術者、網走博貴博士。
同上、鈴木流史。
極秘データ。
この五つだ。
脳内に響く電子音。アラーム。
それは、司令官からの知らせの合図である。
それは無線と呼ばれる装置によって互いに会話することが出来るが、俺が装備しているものは、従来のものとは違う。
それは体内に内蔵され体内を循環し、無線通信以外にも様々な機能をもつ、ナノマシンと呼ばれるものだ。
俺はただそのアラームに応じると考えるだけで、司令官と通話することが出来る。
『A-D聞こえるか。こちら司令部だ。』
無線から聞こえたのは、五時間前に一度耳にした声だ。
「こちらA-D。聞こえている。」
『今君は風葉川の最深部、森林内まで進入している。そのまま水面に顔を出さずに泳ぎ続け、湖を目指すんだ。そこまで来たら一度水中から外を確認してみろ。目的の施設が見えるはずだ。今までの君のペースから計算して、残り五分と掛からないだろう。湖も目の前だ。』
「了解。」
声なき無線が終了すると、それまで深緑で暗く覆われていた視界に、マスク越しでも明るいと感じるほど、陽の光が差していくことが分かった。
濁っていた視界が、明瞭になっていく。
もう湖に出たらしい。
俺は水中から這い上がり、僅かに水面から顔を出した。
視界に広がる湖面。その彼方周囲を包む森林。そして、森林の合間に見える、巨大な建造物。
あの施設が、俺の目的地となる場所なのだ。
俺は再び水中深く潜行すると、施設の方角に向かい、更に泳ぎ始めた。
湖に出たせいか、流れはなくなっている。
進むにつれて、水中にコンクリートの門が視界に迫り始めていた。
『A-D、そこに潜水艇用のゲートがあるだろう。そこから施設内部に潜入せよ。』
「了解。」
『そこに侵入し、水面から上がればスニーキングポイントだ。到着したら連絡せよ。』
「了解。」
指示の通り、俺はコンクリートのゲートをくぐり、そして、頭上に現れた水面から、音もなく身を引き上げた。
周囲を見渡すと、一見倉庫のような風貌の狭い部屋がオレンジ色の蛍光灯で照らされているのが見えた。
潜水艇が俺の頭上にクレーンで吊り下げられている。
俺は目の前の梯子を掴み、水面から這い上がった。
そしてもう一度周囲を見渡す。
一見小部屋だと思っていたその部屋は、潜水艇用の停泊所であり、かなり奥行きがあることが見て取れた。
部屋は十数メートル先まで奥深く、その間には、貨物コンテナが等間隔で並べられ、積み上げられている。
人間の姿は・・・・・・見当たらない。
だが、僅かに気配を感じる。
並べられたコンテナの先に、もしかすると数人程いるかもしれない。
俺は自分の思考に従う前に、目的地に到着したことを司令官に伝えることにした。
「こちらA-D。スニーキングポイントに到着した。」
『こちらでも君のいる場所を確認した。潜入に成功したようだな。そこから敵の姿は?』
「コンテナのせいで部屋の置くまで見渡せないが、奥に数人いるようだ。」
『どうやらそのようだ。ちなみに兵士がいる場所は施設内部に続く貨物用エレベーターの前だ。どうにかしなければ、施設への潜入は敵わない。』
「分かっている。」
『手段は君に任せる。なんとしてでもエレベーターに乗り込め。』
「了解。」
俺はまず、コンテナの合い間を縫うように、かつ慎重に移動した。
奥に近づけば近づくほど、敵の気配が大きくなり、足音が聞こえ始めた。
俺は気配も足音もコンテナの間に忍ばせ、ゆっくりと気配の方向を確認した。
銃を持った兵士が二人・・・・・・。
柵で閉ざされた貨物用エレベーターの前に陣取っている。
このような状況は、陽動を行うことが最も効果的なのだ。
二人の注意を別方向に逸らし、その隙を見てエレベーターに乗り込む。
これが最適なのだ。
俺はエレベーターから遠ざかると、あるコンテナの隣に積み上げられているダンボールを押し倒した。
重いものが入っていたらしく、そのダンボールは騒々しい物音を立ててコンクリートの上に転がった。
「音がした?」
その声と共に、二人の足音がこちらに向かってくるのが聞こえた。
俺は即座にコンテナへ身を隠すと、足音を避けるように迂回し、貨物用エレベーターの隣にある、緑色に点灯しているボタンを押した。
機械音と共にエレベーターの入り口を覆っていた柵が左右に別れ、俺はエレベーターに乗り込んだ。
内部にあるボタンを押すと、再び柵が入り口を覆った。
そして胸の奥に響くかのような機械音を立て、エレベーターが上昇を開始した。
エレベーターが上昇するにつれ、視界を覆う壁が消えていき、外の風景が眼に映りはじめた。
そのとき、再び無線が入った。
『A-D。君の任務内容をもう一度伝える。一週間前、日本防衛軍の所有していた日本防衛軍技術開発研究所が、そこと重要な関係を持つ大企業クリプトン子会社、クリプトン・フューチャー・ウェポンズの私設部隊、ウェポンズ実験部隊によって占拠された。どうやら蜂起を起こしたらしい。彼らの目的はいまだに不明だが犯行声明だけは、軍、警察、政府、そしてクリプトンが直に受け取ったのだ。更に彼らは研究所の占拠に及ぶ前に、他の研究所で研究されていた重要なデータ、研究対象、そして二名の研究員の網走博貴と、鈴木流史を拉致し、人質としているらしい。今のところクリプトンの要求では、大事に発展させず、機密裏に事件を収束させたいといっている。そこで今回の君の任務は、クリプトンの重要なデータ、研究対象、そして拉致された研究員二名を、無事救出することだ。』
「了解した。」
『まだまだ不明瞭な部分も多い。こちらでも調査を続け、分かったことがあればすぐに連絡する。君も何かあればすぐに連絡を入れてくれ。』
「了解。」
『そういえば、君のコードネームだが・・・・・・。』
「いつもどおりのA-Dではないのか。」
『今回の任務においては、君には特別にコードネームが与えられている。君のコードネームは・・・・・・。』
エレベーターが目的地に到着し、停止した。
『デル。君のコードネームはデルだ。』
俺は顔を覆っていたマスクを外し、湖に向かって投げ捨てた。
白い前髪が、一瞬視界にちらつく。
「・・・・・・デル・・・・・・。」
それが、今回の任の、俺のコードネーム。
任と共に、俺に与えられた名前だ。
俺は口に煙草を咥えると、先端をライターの火で炙った。
視線の先には、湖と姿を現したばかりの太陽が、俺に光を照り付けていた。
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