第二章 ミルドガルド1805 パート2

 一体、何が起こったのだろう。ぼんやりとした思考のままでリーンはその様に考えて、目の前でまるで大地がひっくり返ったかのような驚きの瞳でリーンを見つめている桃色の髪を持つ女性の表情を視界に収めた。
 「あたしは、ルカよ。」
 何かに緊張しているのだろうか。軽く掠れた声でその桃色の女性はそう言った。桃色の髪なんて、珍しい髪色だなとリーンが夢見心地の中でそう考えた時、ルカと名乗る女性の背後からリーンを覗き込むように見つめている赤髪の女性に気が付き、そしてリーンは思わずこう叫んだ。
 「メイ先輩!」
 リーンはそう言いながら、ルカの手を借りる様に上半身を起こした。あの時、結局あたしは何か貧血でも起こして倒れたのだろうか、と考えながらリーンはメイの姿を視界に収める。だが、その時リーンはどうしようもない不安に陥った。一体、なぜ軍服を身につけているのだろうか。それに、腰に佩いたものは現代では滅多に使用されない軍刀であった。形状からしてグレードソードだろうか。確かにメイは世界一の剣士だが、あの時は剣を持っていなかったはずだ。そもそも、持っていたとしても試合用の木刀であるはずなのに。
 「お人違いでしょう。私はメイコと申します。」
 赤髪の女性が戸惑った様に、それも古風な訛りでそう言った。その言葉に対してリーンは自覚するほどに憮然とした表情でこう答える。
 「メイ先輩、からかわないでください。」
 「冗談ではありません。」
 今度は少し強い口調で赤髪の女性はそう告げた。確かに、良く見るとほんの少しだけメイとは違う。メイよりも何倍も強い意志を感じさせる瞳の光の奥に見え隠れする、暗澹とした気配はメイが持ち合わせていないものだった。まるで今までの人生で酷く過酷な経験を積み重ねて来たかのように。でも、メイコだなんて。リーンはそう考えた。リーンが知るメイコと言う名は一人しか存在しない。ミルドガルド共和国初代大統領メイコ。そしてメイのご先祖様。まさか、とリーンは考えた。また、いつもの夢を見ているのだろうか。
 「少し、混乱しているようね。」
 そこまでのやり取りを静かに聞いていたルカは、眉をひそめながらそう言ってため息に近い様子で軽い吐息を漏らすと、続けてこう言った。
 「リーン、と仰いましたね。あなたはどこから来たの?」
 「どこって、ここはまずどこなの?」
 唇を僅かに噛みしめる様な口調でリーンはそう答えた。周囲を見渡しても見たことの無い景色が広がっている。どうやら墓地らしいことはリーンにも理解出来たが、なぜ自分が墓地に身を置いているのかが分からない。初めはメイ先輩が連れて来たのだろうかとも考えたが、赤髪の女性はメイではなく、メイコだと主張している。いいかげん、頭の整理がつかなくなってきていたのである。
 「ここはゴールデンシティよ。」
 ゴールデンシティ。意外にも自身に近い地名が出て来たことにリーンは軽い安堵を覚えたが、だがそれでも一体何があったのか。あたしは先程までグリーンシティ郊外にある迷いの森にいたはずなのに。
 「あたしは、グリーンシティから。」
 リーンがそう告げた時、メイコの表情に明確な影が走った。まるで何か辛い出来事がその場所であったかのように。その苦しみに耐えられなくなったかのように、メイコはリーンに向かってこう言った。
 「では、虐殺の時にも・・。」
 「虐殺?」
 なぜそのような、罪を絞り出す様な苦い言葉を口に出したのだろう、と考えながらリーンはそう答えた。その明らかに不可思議だという台詞を受けて、メイコは逆に落ち着きを無くした様子でこう答えた。
 「黄の国王立軍による、民間人の虐殺行為です。その時はいらっしゃらなかったのですか?」
 何を言っているのだろう、とリーンは思わず考え、そしてこう答えた。
 「冗談はやめて。緑の国の虐殺なんて、もう二百年以上も前の出来事じゃないの。」
 その言葉を告げた時、リーンはあ、と思わず感嘆の声を漏らした。直後に絶望感に陥る。まさか、そんな馬鹿なこと、ある訳がない。あんなの、SF小説の世界だけのものであるはずだ。でも、目の前にいる女性はメイコだという。もし、本当にあのメイコなら。そう考えて、リーンは胃が落ちる様な痛みを感じながらメイコに向かってこう言った。
 「ねえ、今は何年なの?」
 その言葉に、メイコは返答に詰まった様な表情でルカの顔色を眺めた。その視線の動きに同調するようにリーンもルカに視線を移す。そのルカは比較的落ち着いた表情で-或いはこれがルカの自然な表情なのかも知れないが-とにかくこう言った。
 「ミルドガルド歴1805年よ。」
 1805年。ご丁寧に歴号まで告げてくれたルカの表情をリーンは愕然とした表情で見つめ返した。二百年も前の年号を告げられて混乱しない人間は存在しないだろう。ルカの真摯な表情から冗談を言っている訳ではないことは理解出来たが、それでも納得できずに、続けてリーンはこう尋ねた。
 「じゃあ、今はミルドガルド帝国が創立して四年目になるの?」
 「そうよ。」
 代表して、ルカがそう答える。
 「農地改革令は?」
 続けて、リーンは1806年にカイト皇帝から発表された、ミルドガルド市民革命の遠因になったとも言われる農業改革法令の事を口に出した。本当にここが1805年の世界であるならば、この二人は農地改革令の事を知らないことになる。まさか歴史学がこんなところで役に立つとはこれまでの人生で一度も考えたことがなかったけれど。
 「それは、ごめんなさい、知らないわ。」
 予想通りの返答である。続けて、リーンはこう尋ねた。
 「カイト皇帝とアク皇妃の婚姻は?」
 「それは、去年行われたわ。」
 1804年の出来事である。当初皇帝即位と同時に皇妃発表を行う予定だったカイト皇帝は当初諸侯の反対に遭い、婚姻どころか婚約発表すら出来ないままで数年の時間を送ることになったのである。その二人が紆余曲折の後にようやく婚姻したのはミルドガルド帝国設立から三年後の出来事であった。去年と言うなら年号も合っている。なら、ここは本当に1805年の世界なのだろうか、と判断してリーンは深い溜息を漏らした。直後に、どうしてこんなことになったのだろうか、と思考を繰り広げる。あの時、あの樹に触れていなければこんなことにはなっていなかっただろうに。どれほどの間気絶していたのかはまるで分からないが、ハクリはどうしただろうか。心配して捜しているのだろうか。迷いの森で行方不明になったとニュースにでもなっているのだろうか。もうハクリに逢えないのだろうか。今も必死でリーンの名前を叫んでいるのだろうか。リーンはそう考えて、思わず瞳から涙が零れたことを自覚した。考えてみれば、いつもハクリに頼りっぱなしだった。ハクリと一緒だから、今までどんな苦労も耐えることができた。乗り越えることが出来た。そのハクリは、今はあたしの傍にいない。もう、戻れないのだろうか、とリーンは考えて、唇を切るのではないかという程度に強く噛みしめた。その様子を見つめていたルカが、宥める様な口調でこう言った。
 「貴女は、未来から来たのね。」
 その言葉に、リーンは小さく頷く。力なく、視線を落したままで。
 「どうして、ここに来たの?」
 「あたしが知りたい!」
 リーンは抑えきれない感情を弾けさせるように強くそう叫んだ。来たくて来た訳ではない。今日は皆で、メイ先輩とカイル先輩と、そしてなによりハクリと一緒に楽しい一日を過ごせるはずだったのだ。それが気付けば二百年も過去に訪れている。
 「落ち着いて。」
 ルカはそう言うと、リーンの頭の上にその掌を丁寧に載せた。頭を撫でられるような気分ではなかったにも関わらず、その瞬間に余計な力が抜けて行くことをリーンは自覚した。なんとなく頭がぽかぽかと温まる様な気分に陥ったのは何故だろうか。
 「落ち着いて、リーンの話を聞かせて。どんな手段で未来から来たのかしら。」
 まるで自身の娘を労わる様な優しい手つきで頭を撫でながらルカはそう訊ねた。その言葉に、妙に素直になる気分を味わったリーンは、一度涙を飲み込むとこう答えた。
 「迷いの森を探索していて、それで気付いたら立派な樹の下にいて。その樹が光ったと思った後は記憶がないわ。」
 そう言えば、あの時あたしを導くように囁かれた声は一体誰のものだったのだろうか。何かに思い当たる節が合った様な気がするが、どうもはっきりとしない。だが、そのリーンの言葉にルカは何かに気がついたかの様にこう言った。
 「グリーンシティ郊外にある森のこと?」
 どうやら迷いの森の伝説は近年始まったものではないらしい。その事実に軽い感動を覚えながら、リーンはそうよ、と答えた。いつの間にか涙も乾いている。未だ自分の頭に載せられているルカの掌に妙な安心感を覚えたせいかもしれなかった。続けて、ルカがこう尋ねてくる。
 「千年樹のことかしら。」
 「樹の名前は知らないわ。でも確かに、とても立派な樹だった。」
 まるで夢の中の様にはっきりとしない感覚のままでその樹を見たせいか、どうにも記憶の輪郭がぼやける。だが、相当の年輪を重ねた樹であるだろうことは容易に推測出来る巨木であったことは間違いがない。
 「そう。」
 そこまで言って、ルカは何事かを考える様に細めで長い、形の整った指を自身の顎に静かにあてた。やがて、何かの結論が出たのだろう。唐突に頷いたルカはリーンに向かってこう言った。
 「とにかく、いつまでもここにいても仕方がないわ。お墓参りを済ませたら一度別の場所でゆっくり話しましょう。」
 「お墓参り?」
 確かにここは墓地だが、一体だれのお墓参りに来ているのだろう、とリーンは考えて周囲を見渡した。先程はゆっくりと観察する余裕がなかったが、どうやら一般的なお墓よりも豪勢な墓石が並ぶ場所であるらしい、とリーンは考え、自身の脇にあるお墓の文字を読んで思わずその瞳を見開いた。
 「リン女王のお墓・・。」
 その言葉に対して、ルカは寂しげな表情でこう答える。
 「正確には違うわ。」
 「どういうこと?」
 そのリーンの問いに対してはしかし、ルカは何も答えずにただ僅かな笑みを見せるだけであった。寂しげな、そして苦しそうな寂しい笑顔を、一つ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

小説版 South North Story ⑳

みのり「第二十弾です!」
満「どうもこういうシーンは苦手だ。」
みのり「混乱させつつ、現状の理解を促して行くって、SF小説だと定番だけど、なんか書きにくいらしいね。」
満「とにかく、続きも宜しく頼む。」
みのり「よろしくね☆」

閲覧数:354

投稿日:2010/07/25 14:44:21

文字数:4,268文字

カテゴリ:小説

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  • ソウハ

    ソウハ

    ご意見・ご感想

    こんにちは!
    いつも、楽しく読ませてもらってます。
    いつも新しいのが投稿されるたびに、楽しみで仕方ありません。
    日射病や熱中症にならないように気をつけてください。

    2010/07/25 16:50:45

    • レイジ

      レイジ

      おお!メッセージありがとうございます☆
      非常に励みになります!!!
      本当に、こうして楽しみにして頂いている皆様の力があるから毎週執筆に励める訳です。

      労わりのコメントありがとうございます!
      ソウハ様も、暑気に気をつけてお過ごしくださいませ!

      では、お読みいただきましてありがとうございました!続きもぜひご堪能くださいませ☆
      またコメントお待ちしております♪

      2010/07/25 17:22:48

  • lilum

    lilum

    ご意見・ご感想

    こんにちは! つぶやきで見つけたので速攻で読みにきました☆

    もうこれから何が起こるか楽しみで仕方無いです! (楽しみすぎて、以前メイさんが『民主主義の思想の発展』についての謎を言ってたのが関わってきそうとか勝手に妄想したりしてます。スミマセン^_^;)

    最近本当に暑い日が続いているので、体に気を付けて頑張って下さいね♪

    2010/07/25 15:45:23

    • レイジ

      レイジ

      呟きでもコメント頂きありがとうございます☆

      ちなみにメイの謎は今後展開していきますよ?♪
      妄想しながら続きを楽しみにしていてくださいね☆

      暑い日が続きますが、暑気に体調を崩さぬよう気をつけてくださいね。

      2010/07/25 16:00:28

  • matatab1

    matatab1

    ご意見・ご感想

     どうしてSNSなのかが分かった……!
     ハルジオンの次が何でSNS? とずっと気になっていたんです。二百年後の世界でどうやって出会うのかなって。
     ルカがリーンの事情を察したのは、やはり長年の経験と勘ですね。魔術師だけに不思議な出来事にも慣れきってそうですし。 

    2010/07/25 15:34:17

    • レイジ

      レイジ

      そういうことなのでした☆
      実はこの時間旅行案はかなり前からありまして(今年の二月くらいには簡単な構想が出来ていました。)、ようやく書けたって感じです^^;
      前提(ハルジオン)が長くなりすぎましたけど。。。

      一応、リーンが「二百年前の出来事じゃないの!」
      と言っているところから推測→あとは魔術師スキルで、って解釈でお願いしますm(__)m
      どうもこういうやりとりはリアルでは怒り得ないせいか、文章に落としにくい。。。

      実際俺が過去の世界に行ったらどんな反応するんでしょうか・・多分大混乱で何言っているか分からない状態になるんではないかと思います^^;(そうすると話が進まない訳ですがorz)

      では続きも宜しくお願いします☆

      2010/07/25 15:43:04

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